189.採寸の裏事情
エイスの街で最も大きな雑貨店は、大きな建物にたくさんの商会が出店している複合店だ。良いものを扱っているので全体的に値の張る商品は多いが、平民が記念日や贈答品などに選ぶには丁度良いし、下位貴族なども贔屓にしている者の多い品揃えだ。
「どっちを先にする?」
「そうね…香水が続くと鼻が疲れそうだから、先に手袋を見に行っていい?」
「うん」
生地と仕立てを扱っている階に行くと、相変わらず色とりどりの生地の洪水にレンドルフは視界を奪われる気分になった。普通の背の高さならば布を置いてある棚で周辺のものしか見えないが、規格外に長身のレンドルフは棚の上から遠くまで見渡せてしまうので余計に大量の色が目に入ってしまうのだ。
「まずは採寸からお願いしよう」
「それならあっちみたいだ」
見晴らしの良いレンドルフの視界には、天井から吊り下げてある案内板はすぐに目に入る。ユリの手を引いて採寸の案内のある方に向かうと、かなり近くに来てやっとユリの目に入ったらしく「レンさんはよく見えていいなあ」と羨ましがられた。
採寸を申込む場所にはちょうど誰もいなかったので、すぐに担当の女性がカウンターテーブルを挟んで向かい側に座った。夏用の手袋のオーダーメイドを希望している旨をユリが伝えるとカウンターの下から小さな生地が貼ってある見本帳を広げた。
「こちらが手袋に向いている生地になりますが、先に付与をお選びになることをお勧め致します。生地によっては糸の段階で魔力を含む素材がありますので、掛けられる付与が制限される場合もございます」
「そうですね…夏物だと通常はどんな付与を付けています?」
「夏用の付与ですと、通気性と吸水、乾きやすさなどが一般的となっております。それから女性の方ですと日焼け防止は必須ですね」
「他に付けられそうな付与はありますか?」
「そうでございますね…」
担当の女性が別のファイルを捲って何かを確認している。かなりな厚みのあるファイルだが、数ページ捲っただけで目的の項目を見つけ出し、ユリ達の側を向けて差し出した。そのページには、夏物向けの付与魔法が一覧表になっていた。王都周辺の気候は気温だけならば耐えられない程高温になる訳ではないが、なにぶん湿度が高い。体感的にはかなり不快感を伴うので、獣人の中でも毛深いタイプの者は夏場は王都から離れるか、全身毛刈りをして別人のようになる程だ。そのせいか、通気性を重視した付与魔法が中心になっている。
「この冷涼感の強化というのは?」
「付与の強さにもよりますが、ひんやりした感覚が続くものです。ただこちらは特に人気の付与ですので使用する魔石の準備にひと月程かかりますが、外に出る機会が多い方にはかなりの快適さは保証しております」
「その魔石ってどの属性ですか?こちらで用意出来たら早く仕上がったりします?」
「え、ええ…ですが氷属性ですのでなかなか魔石への充填が…」
「私、氷属性です!必要なら充填しますんで、早まりません?」
「はい!?あ、し、失礼致しました。それでしたら…え、ええと、少々お待ちください!」
女性はユリの申し出に、少し慌てたように席を外して奥の事務所と思われるところに引っ込んでしまった。
魔獣の心臓部と言われる魔石は魔獣の持つ魔力を溜め込んで生命力に使われるものだが、魔獣を倒して取り出されたものは魔力が空になっている。放置しておけばそのまま砕けてしまうが、人間がそこに魔力を充填すると魔道具の動力源や、魔法の補助などに使用出来るようになる。特に付与魔法を使う際には、一定の質の魔力が必要不可欠なものなので、それを補助するには魔石は必須だ。そして魔石はある程度繰り返し充填することが可能なので、人々の生活にはなくてはならない便利な資源の一つだ。
レンドルフのシャツのボタンに自分の属性魔法を充填して魔力の補充に使うような方法もあり、平時に溜め込んでおいた自身の魔力を補充するので魔力回復薬よりも体への負担はない。ただこれは魔石の質に左右されやすいのと質の良い魔石はそれなりに高価なので、一回で砕いてしまうよりも多少負担はかかっても安価で確実に回復出来る薬の方を使う者の方が多い。
魔石の充填には、魔石の属性と入れる魔力の属性が一致していることが望ましい。ある程度近しい属性であれば充填出来なくはないが効率は格段に落ちる為、基本的には属性を一致させる。その中で、風火水土の四大属性と呼ばれる魔法の使い手は多いので、魔石は安定して確保されている。しかし闇、聖魔法などは使い手が稀少な為に充填された魔石は非常に少ないし、持っているだけで一財産とさえ言われる。
ユリの持っている氷魔法はそこまでではないが、それでも使い手は多くはない。かつて定期討伐で一緒に行動していた「赤い疾風」のクリューの雷魔法も比較的貴重な属性だ。
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「お待たせ致しました!」
奥から女性が、少し年配の白髪混じりの女性を伴って戻って来た。雰囲気からしてこちらの女性が責任者か、それに近い立場の人間だろう。キリリと纏めた髪に伸びた姿勢が美しい。
「わたくし、こちらの店で副店長をしておりますマルティナと申します」
マルティナと名乗った年配の女性は、ユリとレンドルフの前に店の紋章の入ったネームカードを置いてから一礼して前に座った。
「本日は夏物の手袋をお求めにご来店されたと伺っております」
「はい。それで冷涼感の強化の付与には氷属性の魔石が必要と聞きまして。ちょうど私が氷属性なので、充填出来ますので早めに作っていただきたいんです」
「わたくし共としましては、現在氷属性の魔石が非常に不足しておりますので、充填が出来るのであればお願いしたいところではありますが。そうなりますと、色々と魔法士として契約などの必要がございますので細かい打ち合わせや報酬の金額など…」
「あ、そうですよね。そう簡単には行きませんよね…すみません、気が逸ってしまって」
「あの…ギルドでの指名依頼とかは出来るのでしょうか…?」
小さな個人商店ならともかく、この店舗に出店していてそれなりに大きな敷地を占めているので、大元はかなり大きな商会だろう。半分口約束のような感覚でのやり取りは無理そうだ。きちんと書面を準備して契約書を交わしておかないと、後々トラブルになったら大事になりかねない。
そのまま物別れになりそうな気配が漂い出した頃、レンドルフはふと思い付いたことを口にしてみた。
「指名ではありませんが、ギルドには常に求人は出しております」
「それなら、私を指名してギルドに出してください」
「は、はあ…ですが指名依頼は…」
「大丈夫です。これでもCランクの冒険者です」
まさかユリが冒険者とは思えなかったのか、きちんと聞いた筈なのにマルティナは目を瞬かせてキョトンとした顔をしていた。しかしすぐに立ち直るのは早く、一旦事務所に引っ込んでから片手に書類束、もう片方にはペンとインクを掴んで戻って来た。
広げた書類を見ると、既にギルドに依頼する為の依頼書のひな形が印刷されていて、簡単に必要事項を記入すればすぐに提出可能な状態にまでなっていた。大きな商会だときちんとこういったものまで準備されているのだと、レンドルフは感心しながら覗き込んでしまう。
「魔石の充填は不足する時期は半日からでも募集を掛けておりますので、すぐにギルドに申請可能です。個人指名は普段はしておりませんが、こちらの商会でしたら既に多くの実績があってギルドにも優良依頼主として登録されておりますので、精査に時間は掛からないと思います」
マルティナの言う通り、常にギルドに依頼が出せると言うことは、依頼を受ける冒険者達とトラブルもなく続いていると言う証だ。個人指名だと裏に何かないか、犯罪などに荷担していないかをより慎重に精査されるので数日掛かることが普通だが、既に実績を多数積んでいる商会ならば信頼があるので短くなるだろう。
「それなら半日契約で魔石へ氷魔法の充填、という依頼内容でいいでしょうか?」
「契約していただけるのでしたら魔石一つでもありがたいです。貴重魔法ですので、その分報酬に上乗せ致します」
「その…報酬として手袋の仕上がりを早めていただくと言うのは…」
「魔石が揃い次第最優先で仕上げます」
「ありがとうございます!」
トントン拍子に話が決まって、ユリは嬉しそうに笑っていた。その顔を隣で眺めるレンドルフは、ちょっとした思い付きだったが指名依頼の件を言ってみて良かったと思ったのだった。通常の指名依頼ならば断るだろうが、ここならば大きな商会で信頼もある筈だ。ユリ自身が乗り気であるので、問題はないだろう。もし充填する日が選べるのなら、レンドルフが付き添って一緒に来ても良いと考えていた。
「それでは付与はこちらのものでよろしいでしょうか」
「レンさんは?レンさんは何か希望とかある?」
「そうだな…滑り止めが付いているといいかな。あとは出来たら防刃と耐火加工を」
「…レンさん、普段使いの手袋なんだけど」
「でも俺はユリさんの護衛みたいなものだから。いつでも守れるようにしないと」
「う…」
本当に心からそう思っているであろうレンドルフの真っ直ぐな笑顔に、一瞬ユリは言葉に詰まる。先程の香水専門店での「食べたくなる」発言といい、今日のレンドルフは天然の攻撃力が高めだ。チラリとマルティナと最初に担当してくれた女性の方を見ると、二人とも温かい微笑みを向けて来ていた。
「それでしたら、こちらの生地がお勧めでございます」
マルティナが見本帳を捲って、黒い台紙の上に白い布が貼り付けてあるページのうちの一つを指した。この黒い台紙に貼ってある布はレースのような透け感のあるもので、模様を見る為にそうしてあるようだ。彼女が示した布も、レースよりはずっと細かい編み目のような布で、薄く下の黒い色が透けている。
「こちらは糸が魔力を吸着しやすい性質を持つ魔貝の殻を粉にして、表面加工に使用してあります」
「あ、ニジイロマイマイですか?」
「はい。ご存知でいらっしゃいましたか。その特性を生かして、付与魔法を複数乗せましても影響し辛い生地になっております」
ユリはすぐに思い当たったが、レンドルフはよく分かっていなかった。故郷のクロヴァス領には海がないし、人に害を及ぼす魔獣以外はあまり詳しくない。その貝については後でユリに聞いてみるか自分で調べるかするとして、専門家のマルティナが勧めて来るのだから間違いないだろうと納得する。
レンドルフが後からユリに教えてもらったニジイロマイマイは、温かい海に棲息する貝で、殻が虹色に輝いているそうだ。その貝殻には最初は全く魔力がないのだが、捕食生物が殻を割ろうと攻撃して来る度に相手の魔力を吸着して自分の攻撃として使うという特性がある。そしてその吸着出来る魔力は属性や強さに関係なく、火と水のように相反する属性でも影響がないと分かっている。その為、ニジイロマイマイの殻は付与魔法が複数必要とする道具などに粉にして使用される。
「この白が最も透け感が分かりますが、他のお色ですとそこまで目立つことはありません。女性で華やかな爪色を好む方は透けるのが良いと白を選ぶ場合が多いですが、他にも淡い染め色も多数取り揃えております。男性ですと黒や茶を選ぶ方が多くなっておりますね」
マルティナが別のファイルを広げると、そこには同じ生地の色見本がズラリと並んでいた。お勧めされた生地は、全体的に淡い色のものが多く、濃い色は黒と茶と灰色くらいだった。
「これ…揃いにするなら色も同じにした方がいいのかな」
「生地の風合いが特徴的だから、色が違っても揃いに見えるんじゃないかな。レンさん、希望する色はある?」
「ええと…黒、がいいかな…」
男性が小物に黒を使うのはごく一般的で珍しいものではないが、一瞬だけ躊躇するような仕草と少し目を伏せた目元がいつもよりも血色が良いような気がして、ユリはもしかしたらレンドルフが自分の髪色を意識してくれたのではないかと少しだけ期待をする。
「じゃあ私は…これなんか、どうかな?」
ユリが指し示したのは、淡いピンク色をした生地だった。エイスの街に来るときは、レンドルフは栗色の髪に変化させているが、本来の髪は薄紅色だ。さすがにそれと同じ色はなかったが、一番近い色を選んで様子を伺うようにレンドルフの顔を覗き込むと、「う、うん、いいんじゃないかな…」と片手で顔を覆うようにして視線を逸らした。その時、隠せていない彼の耳が赤くなっているのをユリは見逃さなかった。
やはり黒を選んだのは自分の今の髪色を意識してくれたのだと確信して、ユリは嬉しくなって顔が笑ってしまうのを止められなかった。
他にもワンポイントで手首のあたりに刺繍を入れてもらうことにしたので、そのデザインと刺繍糸を選んだ。それについてはほぼ全面的にユリとマルティナ主導になっていたが、レンドルフも使うということで落ち着いたものになった。ユリが言うには、デザインは血止めや熱冷ましなどにも使われる薬草の意匠なのだそうだ。小さなハート形の葉と控え目な白い花で、レンドルフには良いがユリには地味過ぎて少し申し訳ない気分になった。が、ユリは「私らしいから」とご機嫌な様子だったので、さすが薬師見習いだけのことはある。
色は、葉の部分に一見緑色であるが角度によっては金色にも見える特殊な刺繍糸をマルティナに勧められ、ユリは迷うことなくそれを選んだ。濃い緑の目に虹彩が金のユリの瞳のようでもあるが、少しくすんだような色味なので薄い緑がかった淡褐色のレンドルフの瞳に近いようでもあった。
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大体のことを決めて、最後は採寸になった。ユリはギルドに提出してもらう個人依頼の書類のことでマルティナと話すことがあると言うので、先にレンドルフが採寸に入る。少し離れた場所で、先程マルティナより先に担当してくれた女性がメジャーとバインダーを持って準備していた。
「よろしくお願いします」
「では、失礼致します」
手首回りや指の長さ、指回りのサイズまで随分あちこち測られたのは新鮮だった。レンドルフは手袋も規格外なので基本的にオーダーメイドではあるが、ここまで詳細に測られたことはなかった。店によってこんなにも違うのかと感心していた。
「それでは次は左手を計測致します」
「左も、ですか?」
「はい。剣を扱うご職業の方は左右の手の差が大きくなっていますので、測らせていただいております」
「なるほど。それは仕上がりが楽しみです」
「恐れ入ります」
片手剣を扱う騎士は、どうしても右手の方が大分鍛えられて大きくなる。その為、いつもは右手だけ測って大きい方に合わせることが普通だったのだ。レンドルフもそういうものだと思って、少しばかり左手が緩いのを気にしたこともなかった。
「あの…この採寸表をいただくことは可能でしょうか?」
「はい。仕上がりました手袋にお付けすることになっておりますので」
「ええと…彼女の方も…だと、難しいでしょうか」
「手袋でしたら特に問題はございません」
「では、そちらも…出来たら彼女には内緒で」
下着やドレスなどの採寸表は当人の許可なく他者に渡すことは禁じられているが、小物などは全くの他人でもない限り問題はない。もう既に揃いの物を仕立てる為に共に来店しているのでレンドルフに渡すことは全く問題はないが、急に声を潜めて「彼女に内緒で」と言われたので彼女は少し戸惑ったようにレンドルフを見上げた。
「あの…指回りのサイズが、欲しくて」
消えそうな声で顔を真っ赤にして俯くレンドルフを見て、彼女は思わず胸を押さえてしまいそうになった。目的が分かりやすい上にこんなに大柄な男性の初々しい姿を目の当たりにして、うっかり胸を衝かれてしまったのだった。もはや彼女は、ギルド内にも密かに広がっている「薬草姫と護衛騎士」ファンと同じ状態だった。
「畏まりました!全部のサイズをキッチリ測りますね!」
「…ありがとうございます」
そう言って、彼女はレンドルフの指回りも張り切って計測してしっかりと書き留めた。
実のところ、手袋の仕立てにはそこまで全ての指回りの計測は必要ではない。しかし彼女は計測に向かう前に、ユリからこっそりと彼の指回りのサイズを測って内緒で教えて欲しいと耳打ちされていたのだ。恥じらいながら上目遣いで頼まれた彼女はその愛らしさに思わず即承諾しかけたのだが、ギリギリで我に返って一瞬上司であるマルティナに視線を送ったのだが、コクリと無言で頷かれた。
(なんて初々しい似た者同士ー!!)
内情を全て分かっている彼女は心の中で盛大に叫んでいたが、そこは優秀な店員であるので一切顔に出さずに淡々と二人分の指のサイズをキッチリ計測したのだった。
予約と前金の支払いを済ませて、見送りをする隙に、それぞれに分からないように彼女はサイズを書いたメモをサッと手に握らせた。そして二人してこっそりとメモを大切そうにポケットにしまっている仕草を見て、気が付いたら彼女は感情が駄々漏れになっていたらしく、終業後にマルティナに厳重注意を受けてしまった。しかしその最後に「気持ちは分かりますが」と付け加えられて、二人は閉店後の片付けを終えた店内で何故か固い握手を交わしていたのだった。
刺繍の花のイメージはドクダミです。