187.飲むパンケーキとクリームの塔
日帰り討伐の翌日、レンドルフは完全休暇を一日貰ったのでエイスの街を訪ねていた。以前に約束した、ユリの香水を一緒に選びに行く為だ。
「今日は専門店と、大型雑貨店の出張店に行ってみようと思うのね」
「うん。それは任せるよ」
少しランチには早い時間帯だったが、以前にパンケーキを食べたカフェでユリと待ち合わせて、先に食事を済ませてから買い物に行こうということになった。
前回食べたレンドルフが「飲める」と称したフワフワのスフレパンケーキが名物だったが、他にもしっかりとした薄焼きでサラダやソーセージと合わせてプレートになっている食事系のメニューもあった。ユリはサラダとスープ、ベーコンとスクランブルエッグがセットになった薄い方のパンケーキと、フワフワのものにフルーツとジャムが添えられたデザート系を一枚注文した。レンドルフはローストビーフと野菜がたっぷり挟まったトーストサンドに小さなマッシュポテトのチーズ焼きがセットになったものだった。そしてきっちりデザートのパンケーキを通常三枚のところを追加で五枚まで増やして、クリームとシロップも増量していた。
「すごいね。塔みたい」
同時に食べ始めたのに、食べるのが早いレンドルフは食事をペロリと食べ終えて、先にデザートが運ばれて来た。大きな皿にフルフルと揺れるパンケーキの傍らには、レンドルフの手のサイズくらいにまで絞り出されたクリームがそびえ立っていた。柔らかいクリームを倒さずにここまで高く立てて、更に崩さずに席までサーブする技術力に感心する。
「倒すの勿体無いな。でも倒さないと食べられないか」
少しだけレンドルフはそのまま食べられないかウロウロとカトラリーをクリームの塔の周辺を彷徨わせていたが、やはりパンケーキとクリームを一緒に食べるには倒してパンケーキの上に乗せるしかない。そっとクリームの塔を挟んで横倒しにすると、まだ熱いパンケーキに触れたところからクリームが溶けて白い流れを幾筋も描いた。その上に黄金色のシロップを垂らすと、金と白の渦が巻いて、少しずつ柔らかな生地の中に染み込んで行く。レンドルフはその様子をうっとりとした顔で、カトラリーを握り締めたまましばらく眺めていた。伸びた前髪が頬の辺りにサラリと掛かって、顔だけ見ていれば何とも色香すら漂うような表情だが、残念ながら両手にカトラリーを持って、視線の先にあるのは甘さ増量したパンケーキだ。
以前も食べているので、レンドルフは迷うことなくナイフで切るというよりは押さえて裂くようにしてパンケーキの三分の一程に、断面にたっぷりとシロップを吸わせてからペロリと一気に口に入れた。スフレのように細かい泡で構成されているパンケーキは、口に入れると一瞬でシュワリと溶けてしまい、まさに「飲める」状態だった。口の中に広がるクリームの上品な甘さとシロップの濃厚な甘味に、生地のバニラの香りが鼻の奥をくすぐるようだった。この繊細な泡が消えてしまう前に、とレンドルフは手を止めることなくパンケーキを次々と飲んで行き、あっという間に分厚い五枚のパンケーキは皿の上から消えてしまった。塔のようなクリームも、皿の窪みに浸水していたシロップもすべて綺麗に平らげられていた。
「あ、ごめん。夢中になってた」
「ううん。見てて気持ちがいいくらいだったから、つい見入っちゃった」
ふと正面を見ると、ちょうどユリの注文したパンケーキが来たところだった。甘い物を前にしてついがっついてしまったことに気付いて顔を赤くしたレンドルフに、ユリはニコニコと笑って答えた。実際、まだ食事用のパンケーキを食べていたユリは、目の前のレンドルフの幸せそうな食べっぷりに見蕩れていて、つい手が止まってしまっていたのだ。
「レンさん追加すれば?まだ余裕あるでしょ?」
「うん…じゃあお言葉に甘えて」
レンドルフはメニューを広げて、今度はナッツとキャラメルクリームが乗ったものを追加していた。今回は追加はせずに三枚にしておく。
「前にレンさんに食べ方聞いといて良かった」
ユリもレンドルフの真似をして、パンケーキを裂くように丁度良い大きさに分ける。そこに赤紫色のベリー系のジャムを付けてパクリと頬張った。一瞬にして口の中で溶けて、舌の上には果肉の残っているジャムの甘さと酸味が残される。パンケーキの生地自体にはそこまでの甘味は付いていないので、味はジャムの方が強くバニラの甘い匂いだけがほのかに香る。しかし口の中で一瞬にしてシュワリと消える食感が味覚とは違う心地好さがあり、すぐに次の一口を食べたくなってしまう。不思議なやみつき感のある食べ物だった。
ユリが一枚を食べている途中で追加注文をしたレンドルフのパンケーキがサーブされ、食べ終わったのはほぼ同時であった。そんなに早食いをしてレンドルフの胃は大丈夫かと思わずユリは心配になったが、幸せそうに食後のコーヒーを味わっている姿を前に、胃が痛くなったら自分の持っている胃薬を渡せばいいだけなので余計なことで水を差すのは止めようと思ったのだった。
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カフェを出てユリの案内で、エイスの街唯一の香水専門店へと向かった。予約が必要だということで、既にユリが申込んであった。真っ直ぐ向かうとまだ時間より少し早いので、あちこちの商店の店先を眺めながらゆっくりと向うことにした。
外に出るとユリはつばが小さめの白い布の帽子を被って、赤い組紐のハットクリップの端を襟元に留めた。今日のユリは濃い臙脂色に近いサラリと裾が広がるワンピースに、薄手で光沢のある白い上着を羽織っている。大部気温も上がる季節になって来たので、色味は濃くても風に揺れる軽い素材が爽やかに見える。その臙脂色の服の上で揺れている乳白色の魔鉱石のペンダントの色がよく映えていた。
それをあまり凝視しないようにチラリと確認して、レンドルフは自分が贈った物を身に付けてもらえていることが嬉しくて少しだけソワソワした気持ちになった。
「少しずつ夏向けの物が並んで来てるね」
「そうだね。俺もそろそろ夏の付与申請をしないとだな」
「夏の付与?」
「うん。騎士はどうしても重装備になるし、露出も出来ないから付与頼みになるんだ」
通称第五騎士団と呼ばれる部署には付与魔法を得意とする魔法士も多く所属していて、特に夏場は最も忙しい時期と言われている。生地に冷涼感を得られる付与や、吸水、乾燥なども重ね掛けして貰うのだ。以前は個別にオーダーされた衣類や防具に付与魔法を掛けていたのだが、あまりにも効率が悪く魔法士の負担も大きかった。そこで今は衣類に関しては、一夏分は保てる程度の付与で、強めと弱めの二種類だけにして裁断前の生地の方に付与魔法を掛けることになっているのだ。そしてその後は王城勤務の針子に生地を回して、全騎士分の夏服を作製してもらうようにしている。針子の手間は増えているのだが、付与魔法の使える魔法士よりもはるかに人数が多いので、各個人の負担が上手く振り分けられて、この方式にしてから効率が良くなった。それに針子達にも縫った分は夏の特別報賞が出るので、積極的に縫いたがる者もかなり確保出来るのだ。
こうして夏場は、騎士全員に下着も含めた各衣服の新品五枚分を無償で提供してもらえるのだ。それ以上の品質や付与を希望する場合は有料となるが、基本的な物でも十分効果は得られる。そして任務中に破損した場合は、夏季期間中に限り無償で交換してもらえることになっている。
「服は付与付きの物を貰えるんだけど、防具は自分で希望を申請しないといけないんだ。毎年申請が殺到するから、早めにしておいた方がいいんだよ」
「騎士様も大変なのねえ。特にレンさんは魔獣討伐で外での任務多いんでしょ」
「一応今年からの配属だから、多少は任務も考慮されると思うよ。…来年からは分からないけど」
そう言いながら、レンドルフは少しだけ遠い目をしていた。
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店頭に並ぶ小物などを見ると、あちこちで青い色や透明感のある素材などが前面に並んでいる。それらは目にするだけで涼しげな空気を纏っているようだった。
「あ、もうすぐ時間だね。そろそろ行こう」
ユリが街中に設置されている時計を見て時間を確認すると、レンドルフに向かって手を差し出した。いつものようにレンドルフもその手を取ろうとして、一瞬不自然に動きが止まった。
「レンさん?」
「あ、いや、その…ちょっと、待って」
ユリが首を傾げてレンドルフを見上げると、彼は慌てて腰に巻いているポーチから何やら布のような物を引っ張り出した。見るとそれは綿の手袋で、少々使い込んでいるのかレンドルフの手の形をしていた。そしてそれをせっせと嵌めている。
「俺、体温が高いせいか手汗がすごくて。これからの季節は手袋をしてないと気持ち悪いだろうから」
「…そうなんだ」
「あ!ごめん!無理に繋がなくてもいいんだった。そうだ、これからは暑苦しいし…」
「そんなことない!全然、平気だから!私はちょっと冷え性だし、ちょうど良いよ!」
何となく複雑そうな顔で手袋をしたレンドルフの手をユリがジッと見つめていたので、レンドルフは慌てて手を引っ込めかける。すっかり慣れてしまって、手を繋ぐことが当然のような態度を取ってしまったのに気が付いて、少々恥ずかしくなって耳が熱を帯びるのが分かった。しかし、そんなレンドルフを引き止めるように、ユリがガシリと両手で手を掴んで来た。
「その…大丈夫?」
「うん、全然気にならないから!手袋しなくてもいいくらいだし」
「それはさすがに悪いよ」
「……ええと、それじゃあ、私にレンさんの手袋、プレゼントさせて!」
「え?いやいやいや、そこまでは。その、職業柄沢山持ってるし…」
「そう言うのじゃなくて、こうやって一緒に出掛ける時用に揃いで作ってもらおう!ね?」
「う、うん…」
ユリはレンドルフの片手を包むように両手でしっかり握り締めながら、いかにも良いことを思い付いたかのようにご機嫌な様子で見上げて来る。ギュッと握り締められたレンドルフの手はユリの顔の側まで引き寄せられていて、ほんの少しでも指を伸ばしたら彼女の唇に触れてしまいそうな距離になっている。
「じゃあ専門店の後に行く雑貨店で注文しよう!ほら、この前ドレスの直しを頼んだところならオーダー出来るよ」
少々強引にレンドルフからの言質を取ってからユリはいつものように片手で手を繋ぎ直すと、予約している専門店の方向へとレンドルフを引っ張って行ったのだった。