186.呪いの真実と想い
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設定説明の表現が難しく、予想を越えて難産となった結果、レンドルフが前半空気になりました…
「呪術の基本とは、平たく言えば嫌がらせで、その最終到達点が呪殺なんですね」
その日の午後から、呪術の専門家、つまりオルトの妻ベルを招いて、モノの呪いの推測と、それを確定する為に必要な情報を集める任務についての説明会が開かれた。一応モノとオルトには既に話してあるそうなのだが、情報の共有は大切だ。そして部隊の談話室には部隊員全員に加えて、第四騎士団副団長ルードルフと何故か統括騎士団長レナードまで来ていた。
大柄な人間も含めてこの人数でも談話室はそう狭く感じる程ではないないが、騎士団のトップであるレナードがいることで妙な緊張感が漂っていた。団長代理のルードルフがいるのはともかく、レナードは絶対何か面白そうだから顔を出したに違いない、とそれなりに会う機会が多かったレンドルフは思っていた。しかし、レナードと顔を合わせるのはおそらく騎士団の集会で遠目で挨拶をしている姿だけであろうショーキは、少々気の毒なくらい固まっていた。
そしてそこに護衛対象との顔合わせという名目で招かれたオルトの妻ベルは、ショーキとは対照的に全く怯むことなくニコニコと朗らかに物騒な単語を口にしていた。
ベルはユリ程ではないが小柄な部類の女性で、全体的にふっくらとしている。年齢はオルトより少しだけ下の30代前半だそうで、濃い色の金髪に赤みがかった茶色の瞳なのも合わせて、どこか優しげで温かい印象を与える。以前負った怪我で左目に眼帯をしているが、特に日常には問題はないと挨拶の中ですぐに自分から申告していた。かつてオルトと共に生国から逃げて来たとチラリと聞いているので、こんな風ににこやかにしている彼らも言い知れない苦労があったのだと思わせた。
「でも、呪殺ってものすごく効率の悪い方法で、メリットが遠隔から自分の手を汚さずどう調べても自然死にしか見えないから足も付かない、ってくらいなんですよ。だから、逃げ切れる手段があるなら、自分の手でサクッと刺しちゃった方が全然楽で手っ取り早いです!」
まるで「自宅菜園よりも買って来た方が全然楽で美味しいです!」とでも話しているような印象だ。内容は全く違うが。
ベルが言うには、呪殺というものは自然の摂理や生物の持つ運命を著しく歪めるもので、その歪みが周辺に齎す影響は想像以上に大きいのだそうだ。「呪殺するのも刺殺するのも結果は同じなのにね〜解せませんね〜」とニコニコと首を傾げるベルに、オルトはそんな妻の仕草が可愛らしくて仕方ないと言わんばかりに分かりやすく相好を崩していた。むしろ聞いている方はそちらの方が解せない気分だった。
「それでですね、呪術…『呪い』ってのは死なせるとか寿命を縮ませるとか、そういうのを指すのであって、『不死』とかってのは……うーん、どっちかって言うと、この国の言葉では『祝福』に近いですね」
「そんなに不死ってのは良いもんかね」
「団長様、それは持たざる者からしてみれば憧れるんじゃないですか?まあ、それもまた摂理を歪めるものなんで、影響を考えたら私は安易に望もうとは思わないですけどね〜」
レナードに問われても態度を変えることはなく、ベルはヒョイと肩を竦めた。その答えに、レナードのグレーの目が僅かに揺れるのをベルの右目が目敏く確認したが、敢えてそれに反応は示さなかった。
「それでですね、モノくんの指輪に籠められている呪いは、ご実家の話だと『不死』と『魔獣狂化』と『魔力増強』ということだったんで、幾つかの複合の呪いが絡み合って結果的にそうなってる、って可能性が高かったんです。なんて言うか、不吉と不吉を掛け合わせたらうっかり祝福になった、って事例も実際ありますし。更にご丁寧に、術式が上から封印されてて。感覚的に書類に黒インクを丁寧に上から塗り込んだ感じ、って言えば伝わります?その下に書いてあるのを、インクの僅かな厚みの差や筆圧で紙が凹んでいる部分を日に透かして読む、みたいな状態なんです。で、それは読み解くのに私の力不足もあってすごーく困難なものだったんです」
「ベル」
ベルの言葉に、少し怒ったような厳しい声でオルトが制した。妻に甘いと思っていたオルトがそんな声も掛けるのかと、レンドルフは思わずオルトの顔をまじまじと眺めてしまった。
「言っとくが、ベルの教わった知識は元居た国でもトップレベルだ。そもそも呪術は掛けた者以外読み解くのが困難なものなんだ。各家に伝わる独自のものに、更に術者が自己で開発した魔法陣を重ねる。しかも大抵は呪殺が済んだ時点で消失するものだから、そもそも読み解くという考え自体が殆どねえんだ。だからベルが力不足なことは全然ねえから!誤解すんなよ!」
オルトはどうやらベルの自己評価が低いことに反論して、周囲に如何にベルが凄いかを主張したかったようだ。
オルトが補足的に例えたのは、呪術は幾つもの果物を混ぜて作ったジュースのようなもので、ある程度詳しい者ならどんな材料を使っているかまでは当てることは出来るが、呪術を読み解くというのはその使用された果物の粒の数や収穫された産地に混ぜた順番まで正確に当てなければならないということだった。
そもそも昔は魔法も呪術も区別はなかったのだが、今は魔法は術者当人がその場に居ないと発動しないもので、呪術は様々な補助的な魔法陣や媒介などを駆使して距離や時間に関係なく発動させる術と区別されている。その特性故に、呪術はその場にいなくても暗殺を可能にすることに有用性を見出されて、呪術師の大半は呪殺や呪いなどの方向に長年技術を磨き上げて継承して来た背景がある。そのせいか、現在は呪術師が扱う術には治癒や防御などの系譜がほぼ存在しない。
オベリス王国の中心に描かれた防御の魔法陣は、その遠隔の呪殺などから護るために設置されたもので、おそらく今は廃れてしまった呪術の一種なのだろう。その魔法陣は次第に弱くなってはいるのだが、それを修復することも強化することも出来ず、ただ王族が魔力を注ぐことで保つことが出来ている状態なのだ。
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「話を戻しますね。けれど先日、ほんの少しだけ、一瞬ですがその封印が緩んだんです」
モノが呪いの指輪を得てから、記憶にある中では初めてのことだった。そこでその日のあった出来事を思い出し、後日何度も同じ場所を訪れ居たと思われる人に会い、丁寧に検証した結果、モノが引ったくりを捕らえた際に、あまり目立つことをしたくなかったので咄嗟に偽名を名乗ってその場を離れたことが切っ掛けだったと判明した。
「大抵、貴族とか旧家に伝わっている貴重な魔道具は、血統に紐付くんです。でも、モノくんの指輪は『家』に付いている可能性が高いと思われます」
血統に紐付いているのならば、モノが偽名を名乗ろうが、極端な話どこかに養子に行こうが指輪が外れることはない。しかしトーリェ「家」に繋がっているのならば、モノが偽名を名乗り相手がそれを信じた為に僅かに呪いが緩んだのではないかと思われた。
試しにベルはモノと共にその時偽名を名乗った相手のメイドを探し出し、本名は名乗らずに少しだけ話をしてもらった。勿論その場限りの偽名であったので完全に外れる程の効力はなかったが、ベルの予想通りそのメイドの中ではモノはトーリェ家の末裔ではなかった為に、ベルの言う「上から塗られたインク」が少しの間だけ薄くなった。
「その隙に読み解いてみたら、おそらく『魔獣狂化』と『魔力増強』はトーリェ家の血縁の影響を受けていたんですが、この指輪の根幹である『不死』だけが全く違う呪い…いいえ、呪いですらなく、誰かの想いだったのだとようやく判明したんです」
ベルは近くに座っていたモノの指輪の嵌まった左手に、自分の手をそっと重ねた。その表情は、まるで幼い子供を見ている母親を想起させた。その目に宿る温かさは、オルトに向けるものとは全く違っているのは端から見ても一目瞭然だった。だからこそオルトも何も言わないのだろう。
「当時のことは分かりません。でもこの指輪の元になった人物は、おそらく重傷を負ったトーリェ家の者を助けたかったのでしょう。忠実な臣下か、それとも伴侶か…きっと回復薬も、治癒魔法の使い手もいなかったか、或いはそれが間に合わない程の怪我だったか。そこでこの人物は『逆行』の呪術を使ったのだと思います」
ベルは敢えて呪術と言ったが、もしかしたらこの国では魔法と言うのかもしれない。しかしそれはあまりにも昔の術なので、どちらかは判別が付かなかった。
呪術の中で、最も禁忌とされているのは死者の蘇生だ。それは呪殺よりも影響が大きいとされ、成功例はベルが学んだ中でも祖国の始祖が行った一例だけと学んだ。始祖の時代には既に呪術師は暗殺を請け負う不吉な一族として定住を許されずに放浪するしかなかったのだが、当時の宗主国の国王を蘇生させた報賞としてようやく荒れ果てていたとは言え定住の地を賜ったのだ。それ以外の例は、一件も見つからなかった。もしかしたら密かに成功例があったのかもしれないが、余程秘匿しなくてはならない影響が出たのだろうとベルは内心思っている。
「死者を蘇らせることは呪術師最大の禁忌と言われていますが、この指輪に掛かっている『逆行』ならば…いや、こっちも結構な禁忌なんですけど。まあちょっとはマシって感じですね」
瀕死になった相手に「逆行」の術を掛け、怪我を負う前の時間軸まで肉体を戻してそこからやり直す。一見すると怪我が治って行くように見えるが、ただ怪我をする前に戻すだけなので消えるまでには痛みが伴う。おそらく術者は膨大な魔力量を持っていた筈だが、それを使い切ってもゆっくりと戻すことしか出来なかったのだ。そしてその術者は、逆行の術を掛けた時点で人としての形が保てず、小さな指輪となって術を行使したのだろう。
その「逆行」の術は怪我や病を得る度に肉体が過去に戻るので、その分老化が遅くなる。しかし健康であれば普通に肉体は時を刻むので、逆行する回数が多いと使用者は「不老を伴わない不死」だと思われたのかもしれない。もしかしたらトーリェ家を探せば何か文献があるかもしれないが、こればかりは探しに行かないことには分からない。
「何故、その術者は血統ではなく『家』に紐付けたのだ?」
「これも推測ですけど、きっと血縁ではなかったんでしょうね。血縁ならば、自分の血に紐付ければいいんですから」
「なるほど」
質問を挟んだオスカーに、ベルはすぐに答えた。まだ推測の域を出ないが、オスカーもベルの話に納得したように頷いた。伝わっていた「呪いの指輪」が、もしかしたら主家を守る為に身を犠牲にしてまで忠義を尽くした者の姿だと思うと、見る目も大分変わって来る。
「これはトーリェ家の家系図とか、歴代当主の覚え書きとか、そういうのを確認しないと分からないんですけど、過去のトーリェ家に特殊魔力の所有者がいて、それが『魔獣狂化』の特性を有していたのだと思います。まあ特殊魔力持ちは魔力も強いですから、色々と日常に影響が出てたんじゃないですかね?」
この呪いの指輪が出来る切っ掛けとなったトーリェ家の当主は、掛けられた「不死」の呪いから逃れようとわざとスタンピードを起こして自分の身を魔獣に喰わせた、と伝わっているが、事実は特殊魔力のせいで狂化した魔獣に襲われ瀕死になった当主を術者が「逆行」の呪術で傷を癒し、その大元になった特殊魔力「魔獣狂化」も一緒に封印して助けようとしたとのではないかと思う、とベルは静かに言った。
ただ、「逆行」の呪術も困難であるのに、その上特殊魔力の封印まで行おうとした為、封印自体が中途半端な状態になってしまったらしく、その後の指輪の装着者は封印から漏れ出る「魔獣狂化」と「魔力増強」の影響を受けているようだ、とも付け加えた。
「それだと、モノのソレは、恨んでやる〜ってみたいに呪われたんじゃなくて、助けたい!って一心で護ってくれてたってことです?ああ…それならさっき僕が言った『ご褒美』も全然外れじゃないんだ」
「あら、ご褒美!いいわね、それ!呪われた、より、ご褒美貰った、って方がずっといいわ」
モノにしてみれば、自身だけでなく多くの人間の人生を狂わせた「呪いの指輪」なのは間違いないだろうが、最初は名も知らない誰かの救いたいという強い想いからだったかもしれないと読み解かれて、何とも複雑な気分になっていた。それは呪いを解く為に尽力していたオルトやベルも同じ気持ちだった。それを「祝福」と言うにはあまりにも理不尽な気がしたが、ショーキが何気なく言った「ご褒美」という言葉は彼らの中にストンと腑に落ちた。
特定の誰かに与えられた「ご褒美」なのだから、別の人にはそうではないのだ。
ショーキに言葉に、ベルもオルトやモノと同じように笑った。
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その後も幾つかの質疑応答や、任務の内容の擦り合わせなどが進められた。
最初は領内に暮らしているトーリェ家の親戚の家を訪ねて領主夫妻の話を聞き、その際に養子候補になっていたモノよりも年下の親類とも顔合わせをして指輪の反応を見ようということになった。ベルは、この指輪は「家」に付いていると推測しているが、念の為実証は必要だと彼女自身も主張していた。この指輪は、装着者に後継がいれば取り外しは自在だと言われているので、モノよりも年下の縁戚を指輪が後継と判断するかどうかで分かるだろう、とのことだ。
そしてある程度領主夫妻の情報を集めたら、モノと共に領主屋敷を訪ねるつもりだが、その際にどういった話をするかはあちらに行ってから臨機応変で決めようとなった。
その領主夫妻との話し合い次第にはなるが、最後に領内でダンジョンがあった場所を確認して王都に戻るという予定になった。日程としては領地に入ってから10日程度は掛けたいところではあるが、それも領主夫妻の対応にもよりけりだ。
トーリェ伯爵領までは馬で行けば約三日程度で到着するが、今回は専門家で同行するベルの護衛任務も込みだ。馬車三台は必要だろうし、野営をする訳にも行かないので天候次第ではあるが六日は予定しておいた方がいいだろう。そうなると調査も含めて往復ひと月はかかるとみて良さそうだ。
「私の名義で伯爵家に領内調査の協力の依頼書を出しておこう。団長からの書類を貰うのは時間がかかりそうだからな」
「よろしくお願いします」
「…まあ、借りを一つ返すだけだ」
忙しい筈なのに最後までいる気満々なレナードが、トーリェ領に王城の騎士団が調査に向かうことを知らせる書類を請け負うと手を挙げた。レナードは依頼書と言っているが、騎士団の団長からの直接の命令のようなものだ。王都を拠点にしていない伯爵家では逆らうことはほぼ不可能だ。
本来ならばその書類は第四騎士団団長のヴィクトリアが作成するのだが、彼女は相変わらず特例として王妃の護衛任務に就いている。団長代理のルードルフでも作成は出来るが、やはり最終確認は団長がしなければならない。しかし殆ど第四騎士団の執務室にもいられない彼女は、団員達の現状は書面でしか理解していない。確認してもらうにもまずモノの呪いのことと実家のこと、そして再教育に至った現状などから説明する必要があるので、どれだけ時間が掛かるか分からないのだ。
団長を束ねる立場のレナードが直接作成するのならば、彼女を通さなくても問題はない。レナードは妻の仕事を請け負うような公私混同はしないが、騎士団トップでありながら王妃に振り回される部下に対処が追いついていないことへのせめてもの詫びなのだろう。
「ああ、そうだレンドルフ」
「はい」
「お前、ガーベラって女、知ってるか?」
「ガーベラ、嬢ですか?名前に聞き覚えはありませんが」
不意にレナードにそう問いかけられて、レンドルフは何度か瞬きをした。全く記憶がない名前を言われて、頭の中で念の為思い返してみたが、やはり該当する名前に記憶はない。
「どういった方ですか?」
「ああ…まあ、ここにいる奴にも一応聞いておく。派手なピンク色の髪に緑の目をした、見目だけは良い女だ。そいつのことを知っているか?」
「あ、その女性なら、前にバルで絡まれた女性とよく似ています。その時だけでしたので、名前までは知りませんでした」
レナードの説明は、数日前に変装したユリと行ったバルで、突然ワイングラスを倒してしなだれかかって来た女性の特徴と一致していた。
「初対面か?」
「はい。その女性が何か…」
「その女なら、僕も会ってます。レンドルフ先輩を奪い合って、僕が見事勝利しました」
「ほう」
「ショーキ!?そうじゃないだろう!」
確かにショーキが割り込んで来たくれたおかげで退けられたのかもしれないが、奪い合われた覚えはない。
「取り敢えず分かった」
「取り敢えず…」
何をどう解釈したのか、深々と頷くレナードに不安しかないレンドルフだが、あまり詳しく説明するとユリのことも言わなくてはならなくなるかと思いひとまず口を噤んだ。
「まあ、その女は、金持ちや下位貴族に色仕掛けで迫っては金品を貢がせる奴でな。これがまた違法にならないギリギリのところを攻めて来るから、警邏隊でも手が出せないことで有名だったんだが…最近姿を消してな。もともと危なっかしいことばかりしてたんで、貢がせてたうちの誰かに制裁でもされたと思われてるんだ、が…」
スゥ…とレナードの目が僅かに細められて、その目の奥に何か冷たいものが宿る。レナードの言うように、そのガーベラと言う女性はそういった制裁を加えられても致し方ないような生き方をしていたようだが、レナードの表情からは、そうではないと思っているような空気が漂っている。
「数日前、中心街で魔道具の暴発騒ぎがあっただろう」
「はい。その日は近くの店に居たので覚えています」
「そこで僅かではあったが、ガーベラのものと思われる血液が採取された」
魔道具の暴発は小規模ながら強力なもので、たまたま通りかかってそれを拾おうとした男性が一命は取り留めたものの全身重度の火傷を負い、連れの男性も軽い火傷と打撲を負って治癒院に担ぎ込まれた。彼らは他に誰もいなかったと証言したが、現場を細かく検証した際にその付近で第三者の血痕が発見された。調べてみると、ガーベラという女性のものと判明したのだ。
調査によれば血痕の見つかった場所は少し地面が荒れていたので、そこで転んで怪我でもしたのだろうという見解だった。だが、その時に既にその魔道具が置いてあったかの確認をしようと調査員が彼女を探したのだが、そこからの足取りがプツリと消えていたのだ。現在も彼女の行方は杳として掴めず、その魔道具暴発に関わっているのか、それとも別件なのか分からないままだった。
「もしかしてその行方不明になる直前に俺と会ってたってことですか?」
「その後店を追い出されてから顔見知りらしい身なりの良い男の後に付いて行ったとの証言もあるから、レンドルフが最後と言う訳ではないが、一応何か変わったことはなかったかと思ってな」
レンドルフはあの時居合わせたショーキとも目線を合わせて、互いに首を傾げた。ただ酔った彼女に丁度良いカモとでも思われただけとしか思えなかった。レンドルフの所作はどう見ても貴族のものだが、人の多い中心街では下位貴族などは平民とあまり変わらない生活をしているのでそう珍しいものではない。体格などは騎士だとすぐに予測が付くし、貴族令息で騎士と言えば家を継がない嫡男以外と大抵の者は認識している。その為、彼女も一夜の遊び相手感覚で絡んで来たのではないかと思ったのだ。
「特に思い当たることはありませんが…」
「そうか。まあ何か思い出したら教えてくれ。第二がその暴発事故で大分行き詰まっててな」
「分かりました」
レナードは時計をチラリと確認すると、「後は任せる」とオスカーに告げてルードルフと共に立ち上がった。全員が立ち上がって上官二人を見送ってから、その流れでこの場も一旦解散することになった。今日出来そうなことは全て終わったようなものだ。
依頼書の返答が来るには数日掛かるだろうし、日帰りの討伐任務が数件入っている。少し長めの遠征になるので、準備の為の話し合いはまた後日の方が良いだろう。
後片付けをしている時、ベルがレンドルフの隣にツツツ…と近寄って来て軽く袖を引いて来た。彼女は何故かキラキラした目を向けながら、レンドルフを見上げている。レンドルフは一旦手を止めて「何でしょうか」と答えたが、ベルの視界に入らない位置からオルトが鋭い眼差してレンドルフを凝視しているのがレンドルフの視界に入っていた。顔の傷のせいで通常からやや目付きの悪いオルトであるが、今は完全に目が据わっているのはレンドルフでも分かった。
「ねえねえ、レンドルフ君て、いっぱい恋人がいるって聞いたんだけど、本命はショーキくんなの?」
「は…?」
「ベル、ちょっと待った!」
「えー、四、五人いるって聞いたから、あの流れならショーキくんなのかと」
「……オルトさん?」
「いやいやいや!ちょっと噂話をだな!」
「オルト先輩〜。奥様でも騎士団の内情喋っちゃ駄目ですよ」
「そうじゃなくて!」
そもそもレンドルフとユリとの繋がりを誤摩化す為に、三人の別人に変装した彼女と中心街に一緒に出掛けている。たまに買い物をすることもあるが、基本的に夕食を一緒に食べて、あまり遅くならないうちに迎えの馬車までユリを送って行くという健全なものだ。互いに未婚の男女と言うことで、人目のないところには行かないようにしているし、接触は手を繋ぐくらいだ。傍から見ればデートにしか見えないのではあるが、お互いにちょっと距離の近い仲間という感覚なのである。
ただ、ユリの変装で複数の女性とお付き合いしているように見えるかもしれないので、そう噂されるのも承知の上ではいたが、何故か恋人がたくさんいることになっていて、更に人数が増えてベルに伝わっている。
「さっきのはちょっとした言葉のあやです。僕の好みは、可愛い獣人の女の子なんで。せめてレンドルフ先輩の容積の半分くらいが良いです」
「あらぁ〜そうなのね」
「もし、お心当たりがいましたらよろしくお願いします!」
何事もなかったようにあっという間に仲良くなったらしいベルとショーキの背後で、オルトが苦笑しながら口の動きだけでレンドルフに「すまん」と眉を下げていた。誤解が解けたのかはよく分からないが、何となく納得行かない気分で書類を纏めていると、いつの間にかすぐ側にオスカーが近寄って来ていた。
「その…それぞれの団員の私生活に付いてはそう煩いことは言うつもりはないが……相手に刺されるようなことにはなるなよ」
「……はい」
オスカーにまで真面目なトーンで囁かれてしまい、レンドルフは事実を言う訳にも行かずにただ複雑な表情で小さく頷いたのだった。