185.明らかになる新事実
書かれていた書類には、モノの生家であるトーリェ家の不可解な動きに関する調査と、モノの呪いを解く為の手掛かりになりそうな情報を集めることを実質の主任務とし、トーリェ領内に過去存在していたダンジョンの目視を派遣の名目としていた。
「俺と妻の生まれが呪術国家と呼ばれている国の出身なのは知っているだろ?だから長いことモノの呪いについて調べて来た。まあ調べてたのは主に妻の方なんだが、なかなかややこしい呪いが何重にも掛かっててな。が、最近ちょっと手掛かりになりそうなコトがあってな。それを詳しく検証するにはもっと情報が必要なんだ」
「じゃあ、もしかしたらモノの呪いが解けるってことですか?」
「まだそこまでの段階じゃない。が、今までより少しだけ前進した、ってとこだな」
思わず身を乗り出すショーキに、オルトは「まあまあ」と宥める。先にオルトは現在の状況を包み隠さずモノには伝えてある。誤摩化して婉曲なことを伝えて期待があるように見せかけるのは、長い目で見れば決して良いことではない。今はまだどう転ぶか分からない程度の手掛かりに過ぎない。結局調べてみたら全く役に立たない場合もあり得る。
ただ、そこから幾つもの呪術を知っている妻のベルが、推測して予測を立てた。その予測が正しいかどうかを検証するには情報が足りなかった為に、副団長ルードルフに情報を求めた。殆ど縁が切れているようなものと言っても、モノの生家は旧家で伯爵位だ。平民のオルトだけでは情報を知ることは出来ないのだ。
それを申請したところ、しばらくしてモノ自身を伯爵領に派遣して直接調査をして来るように任務を受けたのだ。そしてそのメンバーには名目上同じ部隊となっているオスカー達が選ばれていた。おそらくルードルフは自分だけの権限で判断せず、更に上の統括騎士団長レナードのところへ話を上げたのだろう。再教育中のモノを動かせるのはレナードくらいなものだ。
「このトーリェ家の不可解な動きとは?」
オスカーはテーブルの上に置いた書類のその部分を指先でトントンと軽く叩いてみせた。
「それについては…姉から送られて来る手紙がおかしいのです」
「おかしい?」
「はい。その…姉は伯爵家を継ぐ為に婿を取ったのですが、義兄とは仲が悪く…」
本当はモノが伯爵家を継いで、姉は長年婚約を結んでいた侯爵家に嫁ぐ予定だった。だがモノが呪われてしまって、それを制御するには幼く、将来的に制御出来る保証もないと言うことから、姉が話し合いの末に婚約解消をして女伯爵として跡を継いでいた。しかし長年の婚約者と仲を深めていた姉は婿に来た義兄を一方的に嫌い、はっきりとした証拠はないが使用人達や姉自身の言動から義兄とは閨を共にしない「白い結婚」ではないかと思われた。
そして姉はモノに子供を作らせてその子を後継として養子に迎え、義兄とは離縁する計画を立てていた。もしこれで白い結婚が証明されれば、離縁は速やかに進められるし、これなら互いが有責と見なされて慰謝料などは手打ちにされる筈だ。モノは自分が呪われたばかりに姉が婚約解消してしまうことになったことは申し訳ないと思っているし、出来る限りの償いをしようとは思っている。しかしそのあまりにも自分勝手な姉の言い分に、さすがにモノも応えられなかった。人によっては割り切れるのかもしれないが、モノにはそれだけの為に見知らぬ女性と関係を持つ気にはなれなかったのだ。
「トーリェ伯爵家のような旧家ならば、親類に養子に入れるような子はいくらでもいるのではないか?」
「…その、それが、コレ、に関わるのを避けたいようで。最初から断られるか、少し話を進めた時点で辞退されております」
不思議そうに首を傾げるオスカーに、モノは自分の左の親指に嵌まっている指輪を示してみせた。
トーリェ家の所有する呪いの指輪は、使い方によっては役に立つ魔道具になるだろう。さすがに詳細までは知らされていないが、縁戚の人間もこの指輪の存在は知っている。使い方さえ間違わなければ旧家の伯爵位を手に入れられるのだから、そこまで悪い条件ではないと思われるのだが、以前のように封印されているのならともかく今はモノの手に渡っている。モノは現在正統な伯爵家の後継だ。モノ自身は跡を継ぐ気はないと表明していても、人間はいつ気が変わるか分からない。仮に今の女伯爵の養子に入ったとしても、いつ何時モノが呪いの指輪を使用して後継の座を奪い返そうとしないとも限らないのだ。それに、現当主夫妻も仲はともかく子をもうけるのに身体的には問題はない。そういう意味では、女伯爵の気が変わってしまえばむしろ養子に入った当人も、元の実家も邪魔になってその身が危なくなる可能性が高い。
そう判断したのか、今のところ養子候補になりそうな縁戚には全て断られていた。
「…随分用心深い一族だな。それとも…いや、すまない。続けてくれ」
「はい。縁戚からの養子を見込めなくなってから、姉は以前にも増して自分に、その…子供を作れと要求が強くなりました。しかしここ数ヶ月、せいぜい縁談の打診という…ええと、常識的な内容になっていまして」
常識的な内容になったことを訝しむというのも情けない話ではあるが、これまでの姉からの手紙は「この日にこの宿のこの部屋に行くように」と書かれていて、どう考えてもそこに行けば子をもうけるように言い含められた女性が待ち構えているだろうと予測出来た。モノはその度にその場所に当日届くように手紙を書いて、行かないで済ませていた。そのうちに「気軽な見合いだから」とレストランを指定されていたので直接出向いて断ろうと思っていたら、危うく飲み物に混ぜた媚薬を飲まされるところだった。それからは全て姉の言うことは無視していたのだが、その後三回ほど王城内の寮に浸入未遂まで起こしていた。騎士団で調べたところ全て姉の差し金だったと知って、モノはその度に額が擦り剥ける程の土下座を披露していた。
その執念深い姉が、最近では「ある子爵家令嬢が伴侶を捜しているので会う気はないか」「騎士爵の家で騎士の婿を捜しているがその気はあるか」などと手紙を送って来るのだ。しかもその手蹟は、「最近体調が優れないので、侍女に代筆してもらっている」と別人のものなのだ。もう何かあったとしか思えない状況だ。
「なるほど…伯爵当主に何かあった可能性が高い、と。それならば確かにモノ自身が訪ねた方が良いだろう。我々が代理で行っても門前払いか、仮に会えたとしても姉君も婿殿の顔も分からんから偽物が応対しても区別はつかんしな」
「ご足労お掛けしますが…」
「これは騎士団からの正式な派遣任務だ。命じられればどんな場所へも赴くのが第四だからな」
モノの話を聞いて、オスカーは顎を撫でながら頷く。第四騎士団は魔獣討伐が主な任務だが、災害時の救援や災害地への物資の運搬なども行う。国内の領地で異変があると言われれば、その調査に向かうことも珍しいことではない。今回は少々個人的な用向きにも思えるが、モノが魔獣を狂化する呪いを有していて、そのことを調べるというのなら第四騎士団が出て行くのは辛うじて許容範囲だろう。
「それから、ここに呪術の専門家の同行とその護衛、とあるが、これはオルトの細君か?」
「あ、分かります?」
「この国ではまず他にいないからな。確か高齢の博士もいたが、地方への同行は厳しい年齢の筈だからオルトの細君以外にいないだろう」
「そうですね。博士は俺達夫婦の師匠にあたるんですが、なかなかにヨボヨボでして。そんな訳で、夫婦共々お世話になります」
「公私混同は人前では気を付けるんだな」
オルトもかなりの愛妻家なので、任務で堂々と妻を同行出来るのが嬉しいのか、普段あまり表情に出ないオルトの顔がデレリと緩んだ。オスカーは半ば諦めたように、釘を刺しているのかいないのか分からない注意をしていた。
「あの…それと、自分の呪いに付いて、きちんとショーキさんにも話しておきたいんですが」
「え?魔獣を狂化させて呼んじゃうだけじゃないの?あ、あとその分魔力が上がるとかって聞いてるけど」
「それも、あるんですが」
モノの不死の呪いについては、騎士団に持ち込まれる呪術関係の案件のほぼ全てを請け負っているオルトと、隊長のオスカーは知っていた。そしてモノの初討伐時に、モノの魔力が暴走した場合、それを止められるのはレンドルフだけだということで特別に教えていた。同じ部隊の中ではショーキだけが知らされていない状況だったのだが、今回はその呪いを解く手掛かりを調査しに行くのでショーキにも通達することにしたのだ。そしてそれを告げるのは、モノ自身がやると自分から志願していた。
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モノの説明に、時折補足するようにオルトが口を挟んだが、ショーキは真剣な様子で黙って聞いていた。そして説明が終わると、ゆっくりと息を吐いた。
「すみません、ショーキさん。一人だけ知らせていないことになっていて」
「いや、それは別にいいんだよ。僕はまだ新人みたいなもんだし、騎士を続けられるかも怪しいと思われてるもん。そういう重要な機密はそうそう教えられないっしょ」
「え…?」
「だって第四が一番多いけど、そもそも騎士団って入れ替わり激しいし。僕は体も小さいし、どんなに鍛えてもリス系獣人はあんまり筋力付かないんだよね。だから正式に騎士団に入れるかも怪しい、って言われてたし」
獣人も騎士団に入ることは可能だが、種族の中でも力が強かったり攻撃力の高い肉食系の者が多い。駐屯部隊にはもう少し多様な種族はいるが、王城勤務になると肉食系ではない獣人はショーキを入れても一桁くらいだろう。
あまりにもあっけらかんと言い放つので、もう少し違う反応が来ると思っていたモノはキョトンとしていた。モノは体が大きく落ち着いて見えるので実年齢よりも上に見られることが多いが、そういう顔をしていると年相応に見える。
「その期待を裏切って騎士団に入れたから、次は僕がどのくらいで辞めるか賭けの対象になってて」
「…どこのバカだ、そいつらは」
ショーキの言葉に、一段低くなったオスカーの声が静かに響いた。普段は気配りの人で丁寧な指導と評判のオスカーも、きちんと怒りの沸点は存在していたらしい。その気配を感じて、彼が悪い訳ではないのにショーキの髪がブワッと逆立った。
「た、隊長!三年以上ってのに誰も賭けてるのがいないんで、僕が三年以上務めたら僕が総取りになるんです!だからそこまで見逃してもらえません、か?」
「それはまるで三年以上経ったら辞めるようだな」
「そしたらまた新しい賭けが始まりますんで!それでまた僕が総取りになる年数に賭ければ…」
「全く…」
あまりにもちゃっかりしているショーキの言い分に、オスカーも苦笑せざるを得なかったようだ。彼のピリリとした気配はすっかり霧散して、ショーキは胸を撫で下ろした。
そんな悪趣味は賭けは全く褒められたものではないが、その賭けの対象にされた当人がむしろ乗り気で巻き上げる気満々なので、このままにしておいた方が賭けを始めた側の罰になりそうだ。しかし、ショーキはともかく、いつも新人でそんな賭けをしているのなら見過ごす訳にも行かない。
「一応内部監査に報告を上げるぞ」
「ええ〜そんなあ」
「まああまり悪質でないようなら、娯楽として大目に見ろとは言っておく」
「はぁい。あ!ごめん、モノ!お前の話なのに全然違う話になってた!」
「い、いえ…」
急に話を戻されて、モノは慌てて首を振った。戸惑った表情なのは、もっと責められるとでも思っていたのだろう。ショーキはあまり怒るタイプではないが、一人だけ情報を教えてもらえなかったことにそれなりに反応はあると周囲も思っていた。しかしここまで自分の状況も冷静に判断した上であっさりと受け入れるのは想定していなかった。
「ええと、つまりモノの掛かっている呪いは、大怪我をしても死なないのと、全然属性のない強力な魔法が使えるようになるのと、魔獣を引き寄せる、でいい?」
「あ、はい」
「何か呪いってよりはご褒美みたいだな。あ!悪い!モノは全然嬉しくないんだよな」
「ご褒美…」
モノの呪いはどんなに大怪我でも死ぬことはないが、負傷すれば痛みはあるし多少常人より治りが早いだけだ。それにまだ検証出来ていないが、この指輪の大元になった呪われて不死者になったと言う当主の伝承には「不老を伴わない」と残っていた。普通の人間よりも遥かに遅いが、それでもゆっくりと体が朽ちていくのは止められないとなっていたのだ。
これまでトーリェ家で指輪を使用して来た者は末裔ではなく次代がいた為に装着期間もごく短く、ゆっくりとした老化の情報はない。今のところ、記録に残っている中ではモノが最も長く装着しているようだが、特に成長に影響は見られない。だが、成長が止まった時点で長く観察してみないと、伝承の「不老を伴わない」という検証は難しいだろう。
「ははははっ!ショーキ、お前凄いな!」
「はい?僕何か面白いこと言いました!?」
「そうですね。人によってはご褒美だったんですよね」
ショーキの言葉に、油の切れた歯車のように不可思議な動きでモノとオルトが顔を見合わせたかと思ったら、次の瞬間にはオルトが弾けるように笑い出した。モノも釣られるように口角を上げた。唐突に褒められて、ショーキは訳が分からずレンドルフやオスカーと顔を見合わせるが、彼らもオルトとモノの笑う意味が分からない。特にオルトはそんなに何が可笑しいのか、しばらく腹を抱えて大笑いしていた。その笑いがひとまず治まってから、目尻に浮かんだ涙を拭いながら怪訝な顔をしているショーキに「すまんすまん」と軽く謝ってからオルトが口を開いた。
「いやあ、俺達が昨日重く悩んでたことの正解に一瞬で到達しやがった。凄えな、ホントに」
「は?はい!?」
「今のところは推測に過ぎないがな、俺の妻の見解じゃ、モノの呪いは呪いじゃない」
今回レンドルフが完全に空気でした。次回はもうちょっと喋る…はず。