184.呪われし者達の日常
時は少し戻り、レンドルフ達が魔獣討伐から帰ってモノの謹慎が解けた頃。
団員寮から再教育の一環として一時的にオルトの家に引き取られたモノは、昼間はオルトの妻ベルの指導の元、魔力や呪いの制御を学んでいた。かつて王都に来たばかりのモノと一緒に暮らして指導していたこともあって、モノとの生活はオルトもベルも慣れたものだった。
「あれ?モノくん、指輪、ちょっとおかしくない?」
「おかしい、ですか?」
モノの左の親指に嵌まっている呪いの指輪は、モノが幼い頃に魅入られて以来一度も外れたことはない。成長に合わせて大きさが変化するらしく、特にきついと感じたことはなかったが、いつでも目に入るところにあるというのも憂鬱になることもある。
これまでの人生の殆どをこの指輪を嵌めた状態で過ごして来たモノであるが、ベルに指摘されたことが分からず首を傾げた。
「モノくんの目線からだと見え辛いのかな。あのね、こっちから見るといつも内側に小さな傷が見えるのね。でも今は、真上に来てる。ちょっとだけ回転してるみたい」
「え…あ、少しだけ、日焼けの跡が見えます」
「やっぱり動いてる!え、初めてじゃない!?今まで回転したこともなかったよね?」
「は、はい…」
じっと目を凝らすと、ほんの僅かだが指輪との境目の部分から真っ白な皮膚が覗いている。それこそ何年にも渡って指輪が嵌まっているので、その下は一切日焼けをしていないのだ。しかし全く動きもしない指輪だったので、こうして下の皮膚の白さを今まで目にしたことはなかった。
何故急に少しだけ動いたのか分からず、モノは呆然とした様子で自分の指を見つめた。そこをベルは遠慮なくモノの指を掴んで、力一杯引っ張った。
「ちょ…!ベルさん!痛いです!」
「動かないか」
舌打ちでもしそうな苦々しい顔でベルが手を離した。今は動かないが、確実に指輪が動いたと確信しているベルは、今度はモノの指先を摘むようにして斜めに傾けたり引っくり返したりして顔を近付けて凝視している。あまりにも顔を近付け過ぎてベルの荒い鼻息がモノの手に当たるが、彼女は昔負った怪我のせいで極端に片目の視力が弱く、普段は眼帯をしている為に距離感を取るのが得意ではない。それを知っているモノは黙ってされるがままになっていた。
「ちょっとこっちの目で見るね」
「はい」
そう言うなり、ベルは眼帯を躊躇なく捲った。その眼帯の下の彼女の左目は、真っ白な色をしていた。右目は本来の色なのか赤みを帯びた茶色い目をしている。一瞬だと左目全てが白目になってしまったかのように見えるが、よく見れば白目とは僅かに違う色味の白い瞳が存在している。彼女が言うには、通常の視界ではなく人の目には認識されない特殊な光が見えるそうだ。そのせいで両目を出していると視界が違い過ぎて生活に支障が出る為に普段は左目に眼帯をしているのだ。
「んー何だろうな。呪いの流れは変わってないみたいなんだけど…」
ぶつくさと呟きながら、ベルは更に近くモノの手に顔を寄せる。人の目に見えない光を感知する彼女の左目には、モノの指輪に血管のようなものが走っていると言う。そしてそれが生き物のように脈動しているとも。通常の視界ではモノの動かなかった呪いの指輪が微かに動いている筈だが、別の目から見た指輪には特に変化は見られなかった。いよいよベルの唇がモノの手の甲に触れそうになる寸前、彼女はパッと顔を上げてこめかみを押さえた。
「あ、大丈夫ですか!?」
「あー、平気平気。ちょっとそこのカップ取ってくれる?」
「はい」
ベルは慌てて眼帯を下げると、少し眉を下げてモノに薬湯の入っていたカップを手渡してもらう。彼女の特殊な方の目は僅かな時間でも集中力が必要らしく、すぐに緊張性の頭痛を起こしてしまうのだ。その為、いつも特製の薬湯を飲んで体質改善を図っている。この薬湯は、オルトが薬師と相談して材料を決め、彼が毎朝やかんに一杯作って行くのだ。
そのオルトの愛情が詰まった薬湯ではあるが、見た目も匂いも非常に沼としか言いようがない。以前にモノも味見をさせてもらったが、飲める沼、としか表現しようがなかった。しかしベルはまるで水でも飲むように平然と口にするので、初めて見た時は驚いたものだった。
オルトとベルは、呪術を得意とする特殊な家系の出身だと教えてもらっている。そして優秀だったベルは呪術師として知識と技を仕込まれたが、幾度かの失敗によって味覚を失っていた。正確には、正しい味覚を感じられない、そうだ。甘い物を甘く感じず、人が美味しいと思うものをひどく生臭く感じたりするのだ。そして彼女が美味しいと感じるものの大半は毒であることが多い。だからと言って毒が無効化している訳でなく、それを食べれば普通に毒に当たってしまう。
オルトは長年色々と研究をして、ベルが最低限不味いと感じない上、体に良い食材と調理法を探し当てて、ずっと彼女の為に料理の全てを請け負っていた。なので、モノには「飲める沼」でも、ベルにとっては夫の愛情のこもった美味しい薬湯なのだ。
「ねえ、今日は起きてからどう過ごしてた?細かく教えて」
「どう過ごしてたかと言われると…」
「何でもいいわ。それこそ何時にトイレに行ったとか。もしかしたら、呪いを弱める何かの条件があるのかもしれないわ」
「ちょっと動いたくらいで、ですか?」
「そうよ。今までに何度もモノくんの呪いを知ろうと思っても全然上手く行かなかったのに、ここに来て急に動いたのよ。何でもいいから手掛かりが欲しいのよ」
モノは朝起きてから今までのことをなるべく細かく思い出しながらベルに話した。ここに戻って来てから特に変わった生活はしていないが、今日は一つだけ違うことがあった。
オルトが書き残して行った買い物メモを持って、モノは市場に出掛けていた。居候状態なので少しでも役に立とうとベルの手伝いなどをしている。その時に、モノの目の前でどこかの屋敷のメイドらしき若い女性から財布を引ったくった男がいたのだ。モノも新人とは言っても日々鍛えている騎士の端くれだ。素早く足を掛けて転ばせて、その腕を後ろに回して引ったくりを一瞬で制圧した。
是非お礼をさせて欲しいと何度も頭を下げるメイドに、モノは大したことをしていませんから、と立ち去ろうとしたが、彼女が食い下がって来たので仕方なく嘘の名前を名乗ってその場を切り抜けた。
変わったことと言えばそのくらいで、後はメモ通りに買い物をして、いつもよりもタマネギが安かった程度だ。
「多分、その中に何かあるわね」
「あるとしたら何でしょう」
「う〜ん…一目惚れ…って感じじゃなさそうね」
「はい」
「即答かい!……むしろあっちが一目惚れって可能性は残ってるか」
「それもない気がしますけど」
「呪いを解くのは『真実の愛』とかはお伽噺の定番だけど、実際の解呪はもっとえげつないのよねえ」
ベルは眉間に皺を寄せながら、薬湯をグビリと飲んだ。そしてお茶請けならぬ薬湯請けのナッツの油炒めをポリポリ摘む。これは珍しくモノやオルトも一緒に食べられる数少ないおやつだ。
「ちょっと今度買い物一緒に行くわ。取り敢えずそのメイドちゃんの顔を見たいし、いたら教えて」
「は、はあ…」
「小さなことでいいのよ。モノくんの呪いは訳が分からなさ過ぎて、取っ掛かりが欲しいのよ」
「すみません」
モノの掛かっている呪いは、不死の呪いだ。どんなに大怪我をしても死ぬことはない。しかし怪我をすれば痛いし、多少普通の人より治りは早いが、それでもひと月寝込むようなものが二週間くらいになるくらいだ。そして感情の揺らぎによって、近くの魔獣を狂化させてしまう。ただ、狂化した魔獣は著しく知能が低下するので、攻撃力は高くなるが単純な分罠などにかかりやすくなる為、討伐の難易度が下がる。そして同時に魔法が強くなると言う効果まで付いている。
モノの実家のトーリェ伯爵領では、領内にあったダンジョンでスタンピードが起こらないように狂化で魔獣をおびき出して倒すと言う間引きで、大規模なスタンピードの被害から領民を守るということで適切に呪いの指輪と付き合って来た。そしてこの指輪はトーリェ家の者にしか扱えない。
一応便宜上呪いと言われてはいるが、傍からするとメリットしかないように見えるのだ。
ベルはその呪いの内容を聞いて、何か二つ以上の思惑が複合化して現在の呪いの形になったのだろうと予測した。呪いとは、何らかの強烈な思いだ。そしてその思いでどんな結果を出したかったのか、その結果は出ているのかが重要だ。しかし、モノの受けている呪いは、呪術師の知識を教え込まれたベルの常識から言うとあり得ないものが多い。何か複数の呪いが作用し合って、一見メリットのある呪いになってしまっている筈だ。その為、何か絡まり合った思惑の一つでもいいので糸を解す切っ掛けが欲しいのだ。
「あ、そろそろオルトが帰って来る時間ね。モノくん、台所に材料並べるの手伝って」
「はい」
壁に掛けられた時計を見て、ベルはすぐに話題を変えた。ベルは味覚に難があるので一切料理には携わらない。モノもオルトに習ってはいるが、どうにもセンスが壊滅的らしい。以前オルトに「何故食えるものと食えるものを混ぜて食えないものを産み出すんだ!?錬金術師かよ」とゲラゲラ笑われたくらいなので、言わずもがなだ。
一番被害がない形で騎士の仕事を終えて帰宅してから料理をしなければならないオルトの為に出来ることは、作る予定の材料を台所に並べることが二人に出来る精一杯だ。
ベルはふっくらした肉付きの良い自分の指をモノの骨張った指に絡めながら、ご機嫌に台所へと向かう。背が小さいベルは、モノの視界にはつむじしか見えない。暖かみのある色の濃い金髪を無造作にまとめているだけだが、オルトはこの髪をこよなく愛しているらしく、彼が帰宅するとそれを下ろして出迎える。いや、髪だけでなくオルトはモノがいても目の前でベルにべったり張り付いているくらい溺愛しているので、いい加減慣れているモノでも目のやり場に困ることがある程だ。
「今日はチキンのクリーム煮って言ってたわね。楽しみねえ」
「そうですね」
オルトはいつもベル用と自分用の二種類を作る。以前に作ってもらったクリーム煮は、オルトとモノの通常のメニューはきちんとクリーム色をしていたが、ベルの皿は何故か紫色をしていた。それでも彼女には美味しく感じるらしいし、オルトが言うには体に悪い食材は一切入れていないそうだ。
モノは大変ではないかと聞いたことがあったが「俺はベルを太らせるのが趣味だから、全然気にならねえ。それに慣れだよ、慣れ」と笑っていた。何も気負った様子もなくそうやって笑うオルトを、モノは羨ましいような眩しいような気持ちで眺めた。そして自分は絶対に彼のようにはなれないのだと思いしらされてしまい、同時に少しだけ諦観が胸をよぎったのだった。
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そして時は戻り、オスカーを部隊長として幾つかの討伐任務をこなし、レンドルフも第四騎士団に大分馴染んで来た頃、オルトが数ヶ月ぶりにモノを連れて騎士団を訪れた。
「ご無沙汰していて申し訳ありません」
「オルトから話は聞いている。元気そうで良かった」
部隊専用の談話室に迎えられたモノは、大きな体を精一杯丸めて小さくするように深々と頭を下げた。代表して隊長のオスカーが応対したが、レンドルフも同じように顔色もよく窶れた感じもないモノを見て安心していた。心なしか服の肩周りが緩くなったような気もするが、実戦を伴う騎士団の鍛錬を市井で行うのはなかなか難しいのでそこは仕方が無い部分だ。しかしそこまで目立った衰えとも思えないので、オルトと共にきちんと鍛錬のメニューを考えているのだろう。
「俺の家の周囲を走り込んだりしてるからな。体力は落ちてねえはずだぜ。俺の手料理も食わせてるしな」
「そこは奥様の、じゃないんですか」
「ウチの妻は料理苦手なんだよ。それに、愛妻の手料理を他の男に食わせる程俺は心が広くない」
「第四の伝説の団長みたいですね」
自慢げに胸を張るオルトに、ショーキが羨ましそうに言った。ショーキは結婚願望が強いらしいのだが、好みは獣人女性なので王都ではなかなか出会いがないとよくぼやいている。
かつて大きく騎士団の在り方を根本から変えたと言われる程の改革を齎した「伝説」と冠される団長は、第四騎士団の団長だったのだ。そして彼は極めて愛妻家で子煩悩だったことでも有名だった。彼は引退して領地で妻と睦まじく暮らしているそうで、現在第四騎士団の団長であるヴィクトリアは彼の孫に当たる。
ショーキが飲み物を準備して何となく落ち着いた頃合いに、オルトが手にしていた封筒から書類を出してオスカーに手渡した。オスカーはそれにざっくりと目を通してから、同じものをレンドルフとショーキに配った。しばらく二人も内容の確認をして、談話室の中に沈黙が落ちる。内容を分かっていて反応を待っているオルトはゆったりと構えているが、モノは落ち着きなくソワソワしている。
しばらく待って、目を通したらしいタイミングをはかってモノが口元を引き締めて姿勢を正した。
「あの、ここにあるように、皆さんには自分の、トーリェ伯爵領に行っていただきたいのです」
固い口調でモノがそう言って、テーブルに額が付きそうな程深く頭を下げたのだった。