180.それぞれの作戦
ショーキがレポートを書く為に準備した談話室で、レンドルフは書きかけのレポートを見せてもらったのだが、どうアドバイスしたらいいのかあまりにも難易度が高くて眉間に皺が寄ってしまった。
「これ…先日見た時とほぼ変わらないと思うんだが…」
「あ、やっぱりバレます?」
先日レポート用紙の前で四苦八苦していた際に見せてもらったのは、あっさりした内容の一枚だけだったのだが、今回は二枚になっていた。その為多少は進んだのか、とレンドルフが目を通したところ、内容は同じで文字が大きくなってただけだったのだ。これではレンドルフでも難しい顔になってしまう。
「何かいい方法ないですか〜」
「方法と言っても…」
同じ場所で同じ魔獣を討伐していたのなら多少盛り込むポイントを教えることも出来るが、あの時はレンドルフとショーキは殆ど別行動だった。それに彼は斥候を主担当としているので、レンドルフにはどんなことをしているのかはあまり詳しくない。
「ちょっと休憩しましょう、休憩!」
「始めたばかりだぞ!?」
「いいじゃないですか〜」
さっさと談話室に置いてある魔道具を使ってお湯を沸かし出すショーキに、レンドルフは半分苦笑してそれを眺めていた。ショーキはカップを二つ用意して、手早くお茶の準備をする。
「あ、これ良かったらどうぞ。ええと…お皿ないんで、包装紙のままでスミマセン」
そう言って彼は自分の鞄の中から耐油耐水紙に包んであった焼き菓子の封を開けて、紙を広げた状態のままレンドルフの前に差し出した。以前にショーキの実家で販売していると言っていたクッキーと同じ包装紙だったので、これも実家のものなのだろうとすぐに分かった。紙の中には少し端がひしゃげたドライフルーツ入りのパウンドケーキと、表面に大きなヒビの入ったマドレーヌが入っていた。
「店に出せないようなものを持って行け、って大分持たされちゃいまして。あ、味は同じですから」
「ありがとう、いただくよ」
紅茶を淹れてもらって、早速レンドルフは遠慮なくマドレーヌを摘んだ。普通のものよりやや小ぶりではあるが、表面が割れているだけで縁の部分のこんがりとした焼き目と中の鮮やかでふっくらとした黄色い生地が如何にも美味しそうだった。レンドルフは一口でそのマドレーヌを頬張ると、たっぷりと使用されているバターの風味に驚いた。見た目は普通のマドレーヌだったが、新鮮で質の良いバターを惜しげもなく使っているのがすぐにわかる。
「…これは、美味しいな」
「でしょう?それはウチで一番の主力商品なんです。あ、あとで先輩が注文してくれた商品渡しますね。部屋に置いてあるんで、夕食後でもいいですか?」
「ああ、ありがとう。一通り味見をしたら、また追加を頼む」
「毎度ありがとうございます!」
屈託なく笑うショーキは、小柄で童顔なのもあってか騎士と言うよりもどこかの店の店員も見える。もしかしたら小さい頃から手伝いで販売に携わっていたのかもしれない。
「そう言えば先輩、副団長が言ってた報賞って、何したんですか?テイマーがどうとか」
ショーキはパウンドケーキを口に頬張りながら器用に話して来た。これもリス系獣人の技なのだろうか。
「ああ、テイマーの犯罪者を捕らえたんだ」
「へえ、お手柄ですね!さすがレンドルフ先輩!国から報賞ってことは、相当の凶悪犯だったってことですよね!」
「いや、どっちかと言うと向こうから来たんで撃退したら広域手配中の奴らだったってだけで。運が良かっただけだよ」
「それ、運が良いって言いませんよ…」
少し呆れたように言いながらも、ショーキはレンドルフにその時の武勇伝をねだった。レンドルフとしては、確かに手柄ではあるがそこまで自慢出来るような話な気がしないのだが、ざっくりと話せる範囲で説明したところショーキは目をキラキラさせていたので満足はしたようだった。
「あ、それでさっき第三の人が来てたんですか?」
「どうだろうな。特に何も言われなかったぞ」
「じゃあ形だけってヤツですかね」
「かもな」
第三騎士団は主に対人の凶悪犯罪者の捕縛、または排除を主とする任務を請け負っていた。第二騎士団も似たような任務だが、彼らは王都の中でも中心街の治安をメインにしている。逆に第三騎士団は、中心街以外の国内の広域を担当する為、おそらくレンドルフが捕らえたテイマー達も第三の側でも追っていた筈だ。そして国内に入ったことも把握していた可能性が高い。騎士団はそれなりに団ごとに役割が決まってはいるが、それを越えても結果的に全体の有利に働けば問題視はされない。しかし、やはり越権行為は互いに面白いとは思われない。あまりに越権した行動が多いと、正式ではないが団員同士でチクリと釘を刺されることもある。
レンドルフはテイマー達だけでなく、違法の薬草を栽培していた主犯を捕らえることに大きく関わっていたとして第三騎士団としてはやはり面白いものではない筈だ。先程ネイサンと顔を合わせた時も、レンドルフもさすがに何か言われるかと思っていた。しかし彼は何も言わず、確認をされたくらいで終わった。もしかしたらネイサンがレンドルフに接触したという話だけを聞けば、それでレンドルフに釘を刺しに行ったのだと思って他からの苦情が無くなることが狙いだったのかもしれない。今のネイサンは部隊長を任されることもあるし、侯爵家に婿入りして次期サマル家当主という家柄なので、その彼がレンドルフに釘を刺したことで他の溜飲は多少下がるだろう。
ネイサンの目的は、レンドルフから研究施設の研究員への足がかりがないかという確認ではあったのだが、その思惑を知らないレンドルフは、同級生のよしみでありがたいと思っていたのだった。
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「ああ〜ありがとうございます〜」
「後少しだけだから、頑張れよ」
ショーキのレポートにアドバイスをしつつ、昼食を挟んでもうすぐ夕方、という頃にようやく彼のレポートも終わりが見えて来た。ギリギリ規定枚数まで至ったので、後は清書をして部隊長のオスカーの確認を貰えば終了する。書きながらレンドルフもチェックしたので、返されることはまずないだろう。始めはどうなることかと思ったが、ショーキは一旦集中し始めると筆が乗るタイプらしいので、他に気が散らないように少し注意すれば後はそこまで大変ではなかった。
「今度何かお礼します」
「別にいいよ。この焼き菓子で十分だ」
「じゃあ今度実家からもらった焼き菓子は先輩に渡しますね!」
「ありがとう。無理のない範囲で構わないよ」
「はい!」
閉まっている窓の方からコツンと小さな音がして、その聞き慣れた音にレンドルフが手を翳すと、隙間から青い鳥が入り込んで来て手元で手紙に変わった。
「相変わらず仲が良いですね」
「ははは…まあな」
「いいなあ。僕も可愛い獣人のカノジョ見つけたいなあ」
「可愛い獣人か…」
「レンドルフ先輩心当たりあります?」
「いや…可愛い…は、心当たりがないな」
レンドルフは故郷にいる知っている獣人女性の顔を思い出してみたが、どれもどちらかと言うと猛々しい寄りばかりだ。魔獣の出没率が高いので、どうしても定住する獣人は肉食系が多い。それに領主の長兄も獣人ではないが並みの獣人より獣人らしいと呼ばれる体毛を誇っているせいか、王都では滅多に見かけないくらい獣の部分が外見に大きく出ている獣人が集まりやすいのもある。ショーキのような見た目には殆ど人と変わらないタイプとはあまり合わない気がする。
「種族とかはあんまり気にしないんですけど、やっぱり完全肉食よりは草食から雑食くらいの方が好みも合うんで、もし今後に出会いがあれば是非お願いします」
「まあ、機会があればな。そんなに期待しないでくれよ」
手紙が来たので気を遣ってくれたのか、ショーキが後の片付けはやっておくと言われたので、レンドルフは素直に任せることにした。
今日は一日部屋に閉じこもっていたようなものなので、せめて日が暮れるまで鍛錬でもしようと一旦模造剣を取りに寮の自室に戻ることにした。そうすればユリからの手紙も見られる。
自室に入ると、真っ先に机の上に置いてあるペーパーナイフを手に取る。薄いクリーム色に、蔦模様のエンボス加工がしてある封筒で、一部の葉に金の箔が押してある。可愛らしい意匠だが、派手派手しくないところが上品さも感じさせた。
(…なるほど)
いそいそと封筒から手紙を取り出し目を通すと、ユリの予定では五日後にこちらに戻って来ることにはなっているが、ユリとレンドルフに繋がりがあると考えている者がおそらくレンドルフの動向を気にしているだろうから、予定の一日前に戻ってわざと変装しているユリと会っているところを確認させようという内容だった。ユリに渡してあるレンドルフの予定を鑑みてくれているのか、その日はレンドルフも夜間待機ではない日だ。
夜間待機は夜に何か緊急事態が起こった時に対応する担当で、その番に当たっている騎士は王城内で待機しなければならない。基本的に寮に住んでいる騎士の間で持ち回りになるが、その夜間待機があるからこそ寮の部屋代は格安であるし色々な補助も充実しているのだ。
ユリの提案通りにわざと確認させるならばどこかに個室を予約するよりも、多少は人目のあるところの店の方が良いだろう。取り敢えず鍛錬をしながらユリへの返事を考えようと、手紙を専用の箱に丁寧にしまい込むと、レンドルフは部屋の片隅に置いてある専用の模造剣を片手に部屋を出たのだった。
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「ねえねえ、ミリーどれがいいと思う?」
「お嬢様の印象を変えるのでしたら、こちらのコルセットは必須かと」
幾つかの長さの違うカツラを手にして悩んでいるユリに、ミリーは特製のコルセットを差し出した。それを見てユリは口を尖らせて不服そうな表情になった。
「ええ〜それ付けると子供っぽくなるんだもの」
「そこが良いのではありませんか!別のパターンでは強調すればよろしいのですから」
「……レンさんに子供扱いされるかもしれないじゃない」
ミリーの手にしているコルセットは、通常の物がウエストを締めて胸を強調するのならば、これは真逆の効果を発揮する物だ。ユリの豊満な胸を押さえて、体のラインの差を少なく見せるのだ。完全に平らにしてしまうと苦しくて動けなくなるので、体に合った服を着れば女性だとすぐに分かるが、ゆったりとした子供っぽい服を着てしまうと少女なのか少年なのか分からなくなる。かつて、ユリが常に身に付けている悪意を持って触れて来る者に反撃する魔道具が開発される前、あまりにも人の多いところでは絡まれやすかった彼女が使用していた物だ。ただどうしても小柄なので未成年の子供に見られることもあって、それはそれで軽んじられることもあったので一長一短ではあったのだが。
「レン様は外見でお嬢様への態度を変える方でしょうか」
「それは…ない、と思う」
「では問題ございませんでしょう」
勝ち誇ったようなミリーの笑顔に、ユリは少々拗ねたような顔で口を閉ざした。
「では、どのカツラにするか選びましょう」
「…何か、楽しそうね、ミリー」
「うふふ、それはもう。普段はお嬢様は着飾らせてもらえませんからね」
「着飾るんじゃないわ。変装よ」
「それはそれで楽しいじゃありませんか」
「それは…ちょっと分かるけど」
何だかんだ言いつつ、ユリも変装してレンドルフを密会という状況を密かに楽しんでいるのだ。変装の魔道具で色を変え長い髪の結い方を変化させれば印象も変えられるのだが、業務が終わってから王城の外でレンドルフと待ち合わせるのならばあまり待たせたくはない。それならば全く長さの違うカツラを被った方が手っ取り早い。
「でもミリー。いくら貴女が楽しんでも、王城に着いて来るのはエマじゃない」
「うっ…ちょっと今からエマを絞め…交替を申し出て」
「今なんか物騒なこと言った!?待ってよ、ミリーじゃレンさんに顔知られてるじゃない。貴族のお屋敷で侍女をしてる親戚のお姉さんって紹介しちゃってるから、一緒にいるのはおかしいでしょ」
「忘却薬を盛れば」
「だから物騒!」
忘却薬とは、一時的に記憶を消す薬であるが、医師の立ち会いの元に使用しなくてはならない強力なものなので、勝手に使うことは禁じられている。
「仕方ありません。替わりにエマにはお嬢様をお可愛らしく、美しく仕上げるように叩き込んでおきます」
「…うん。お願いね」
鼻息荒く宣言するミリーを見て、ユリは少しだけ叩き込まれるエマに同情をしていたのだった。