179.久しい顔と思惑
レンドルフが三日間の完全休暇を終えて騎士団に戻ると、オスカーを部隊長としてショーキとレンドルフの三名で正式な部隊として認定されたという通達を貰った。本来の部隊としては最小人数なのだが、今後オルトとモノが入ることを視野に入れていると副団長ルードルフから内々で告げられた。ただ、モノの再教育に関しては、まだいつまで掛かるかは不明となっていた。
それでもまた一からモノと組めそうな部隊を捜すよりは、途中までは上手くやって行けそうだった部隊に仮に名を置くことで騎士団との繋がりを保とうとしているのだろう。
「私としては、他の二名が納得するのでしたら構わないと思っています」
「僕はレンドルフ先輩が良ければ。僕自身はモノに迷惑を掛けられた訳じゃありませんし」
「問題ありません」
全員ほぼ迷うことなく答えたので、モノはこのまま部隊に名を置くことに決定した。ルードルフは副団長という上の立場でありながらも、三人に向かって深々と頭を下げた。
「ただ、騎士団としてもいつまでも再教育扱いを続けさせる訳にもいかないと、一年の期限は設けさせてもらう。それについてはオルトとモノにも通達済みだ。しばらくは他の部隊との合同などで討伐任務に就いてもらうことが多いとは思うが、そこは承知しておいて欲しい」
「はい」
いくら人手が足りないとは言っても、やはり騎士として任務がこなせないようでは在籍させている訳にもいかないだろう。一年という長いような短いような期限を聞いて、レンドルフは戻れる可能性は半々だろうな、と何となく感じていた。モノと同じ状況ではないが、魔獣に襲われ瀕死になって戻った騎士をレンドルフは故郷で何人も見て来た。そしてそういった騎士の中には、当人は全くそのつもりはないのだが、魔獣を前にすると体が言うことを利かなくなってしまうことが多いのだ。その克服する方法はそれこそ人の数だけあって、個人の素質云々ではなくただ単に運であるとクロヴァス領では言われている。常に魔獣の危険と隣り合わせである辺境領では、体が回復して三ヶ月以内に討伐に戻れなければ専属騎士は引退すると取り決められている。厳しいようだが、魔獣を倒せない者は他の同胞を危険に晒すとして、後方支援や一領民として農業や畜産などの道に行くことを定められるのだ。
オスカーは部隊長としてまだ手続きがあるとルードルフと執務室に残り、レンドルフとショーキは退出した。
「レンドルフ先輩、この後予定とかってあります?」
「訓練場で他の部隊の騎士と鍛錬が出来ればいいと思ってたが、予定という程でもないかな」
「じゃあ、僕のレポート見てください!」
「まだ提出してなかったのか?」
「みんな早すぎるんですよ!お願いします!アドバイスください!」
書類作業が殊の外苦手なショーキは、既に皆が終わらせた先日のレポートが終わっていないらしい。討伐から戻って一週間以内の提出なのでまだ期限は来ていないが、ショーキ曰く「全く終わる気がしない」そうだ。以前にレンドルフも一枚だけしか埋まらず唸っていたショーキの姿を思い出して、仕方ないと苦笑しつつ肯首する。
「じゃあ空いている談話室の予約はショーキがしてくれよ」
「了解です!準備が終わったら迎えに行きますんで、ここで待っててください」
「ああ、分かった」
正式に部隊に所属すると、専用の談話室が貰えるのだが、まだ決まったばかりなのでどこか空いている共有の場所を借りるしかない。専用の談話室は部隊の人間と団長、副団長などの一部の上官しか入れなくなるので、必要な備品や個人の装備品なども置けるようになるのだ。レンドルフやショーキのように寮に入っている者は自室に置くことも出来るのだが、オスカーのように自宅から通っている者は専用の談話室があるとないとでは大違いだそうだ。
ショーキが準備を整える間、レンドルフは休憩所の木の真下に設置されているベンチに腰を降ろした。そこまで暑い季節ではないが、そのベンチに座るとちょうど隣の研究施設が視界に入るのだ。お披露目された頃に比べると、薬草園の生育も順調なようで日に日に背が高くなって行くようだった。レンドルフでは見ただけでは何の薬草なのかは分からないが、さらさらと風に揺れている様はどこか涼しげで目に優しい。薬草の間からチラチラと動いている人影が見えるが、まだユリはこちらに戻って来ていないので、薬草園で何か作業しているのは別の研究員だろう。
この場所は、この施設が建つ前はただの石が敷き詰められた広場だったと聞いている。その昔、馬車製作に異常な情熱を燃やした王族がいて、試作の馬車を走らせる為だけに作られた場所と聞いた時は、レンドルフはどう反応していいか分からず無の表情になっていたのだが、その話をしてくれた人物は皆聞くと同じ顔をする、と笑っていた。それをそのまま長年放置していたのだから、有用な施設に生まれ変わって良かったのかもしれない。
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「おーレンドルフじゃねえか。久しぶりだな」
「ネイサンか、久しぶり。あー…サマル候、だったか」
「よせやい。今まで通りでいいって。お前がいたならこっちまで足伸ばした甲斐があったな」
薬草園を眺めていると、不意に離れたところから声を掛けられた。顔を向けると、そこにはかつての同級生だったネイサンが手を振っていた。丁寧に撫で付けた黒髪に肩幅の広い筋肉質な体格で、身に付けている騎士服は上質の物なのが一目で分かる。昔はレンドルフよりも二回りは大柄だったのだが、その後レンドルフの脅威の成長期で追い抜いて、今ではレンドルフの方が二回り以上大きい。
彼は、レンドルフの故郷の北の辺境領と対を成す南のバーフル辺境領の生まれだった。在学中に実家が辺境伯から侯爵に陞爵して身分はレンドルフより上になったが、それを鼻に掛けるでもなく気さくで大らかな性格で、常に友人に囲まれていた。その後同じ王城の騎士団に入団し、レンドルフは近衛騎士団に配属となり、ネイサンは第三騎士団に入った。基本的に王城勤務の多かったレンドルフと違い、第三騎士団は凶悪犯罪を追って国中を飛び回るような組織だった為、卒業後はあまり会う機会はなかったが、廊下などで顔を合わせれば時間を感じさせない程親しげに挨拶を交わしていた仲だ。
ネイサンは第三騎士団に配属されてすぐに直属の上司であった部隊長のサマル侯爵に気に入られ、娘婿にならないかと熱心に口説かれたらしい。サマル侯爵には娘しかいなかった為に婿養子に入り、今はネイサン・サマル侯爵となっている。
「珍しいな、第三のお前が王城にいるなんて」
「まあ纏めての休暇ってやつだ。ここのところ下位貴族の間で色々とあってな」
ネイサンは「色々と」のところを強調するように言った。それはレンドルフが偶然関わることになったビーシス商会とミダース商会の婚姻騒動から発覚した、下位貴族の違法薬物の使用と売買に関わる件のことだろう。特に違法薬物の原料の薬草を栽培していた主犯格を捕らえるのに、最も関わったのはレンドルフとユリだ。その場には第三騎士団も潜入していたので、ネイサンがいなくてもレンドルフが捕縛に協力したことくらいは聞いている筈だ。それだけでレンドルフにも通じると思ったようだ。
その後レンドルフは関わりの薄い第四騎士団に配属になったので詳細までは知ることはなかったが、ひと月程で第三騎士団主体での活躍によりほぼ終息となったとは耳にしていた。
「休暇と言っても待機休暇だからな。それなら折角なんで、新しい薬局を見物に来たんだ」
ネイサンは柵を越えた向う側に見えている小さな建物を指差す。第四騎士団からは近くて便利な場所にあるキュロス薬局だが、第三騎士団は昔からある王城内の医務室が近かったのでここを利用することはまずない。ネイサンの言うように、わざわざ興味を持たない限りここに来る必要はないのだ。
騎士団には完全休暇と待機休暇があって、完全休暇は基本的に何が起ころうとも呼び出されることはなく、待機休暇は何かあった場合に駆り出されることもあるので、王城内か自宅周辺にいなくてはならない。呼び出されるようなことになれば休暇らしい休暇にはならないのだが、その分給料に反映されるので人によっては喜んで取得する者もいる。
「そうか。でもあそこは昼休憩時しか開いてないから、今は行っても閉まってるぞ」
「買い物に来た訳じゃないさ。まあ、噂の美人の受付嬢は見たかったけどな」
「いいのか、そんなこと言って」
「別にそれくらいで不貞にはならんよ。それにどのくらい美人だったか妻にも教えてくれって言われてるからな」
ネイサンは愉快そうに笑って、レンドルフの隣に腰を降ろした。ネイサンも騎士の中では大柄の部類に入るので、本来は四人掛けと思われるベンチが一杯になる。
「なあ、お前『漆黒の猟犬』を一人で撃退したんだってな」
「?『漆黒の…?」
周囲に誰もいないことを確認するようにネイサンがグルリと頭を回すと、ガシリとレンドルフの首に手を回して耳元に口を寄せた。その目は探るように油断なくレンドルフを覗き込んでいるが表情は来た時と変わらず笑みを浮かべたままだったので、遠目から見ると仲の良い友人同士が学生時代のノリを思い出してふざけているように見えるだろう。
ネイサンは声を潜めて低く呟いたのだが、その内容に思い当たることがなくてレンドルフはキョトンとした顔で何度か目を瞬かせた。その表情に、一瞬ネイサンは眉根を寄せたが、すぐに元の貼り付けたような笑みに戻る。
「女神の猟犬を隷属させてたテイマーの俗称だよ」
「あ、ああ…あれはまあ、運が良かったところも大きかったからな」
レンドルフが倒したテイマー達は元々凶悪犯罪者として各国で手配されていたので、知らなかったとは言えそれは大きな手柄として評価されたらしい。まだ正式な通達は出ていないが、国からも何らかの報賞が出るのは確実だろうとルードルフからも聞いていた。
しかしどちらかと言うと、ノルドに動きを任せたから倒せた部分も大きい。それに一緒にいた護衛や馬車の中にいたユリや侍女達も適切な行動を取っていたからこそ自由に動けたと思っているので、レンドルフだけが称賛を受けると戸惑ってしまうのだ。しかも結果的には毒蛇に噛まれて、ユリに処置してもらったということになったので、レンドルフとしてはあまり目立たない形にして欲しいと思っていた。
「近衛騎士団を解任された時はどうしようかと思ったけどな。結構な上り調子じゃないか」
「そうなのかな。俺としてはあんまり実感ないんだけどな」
「そうか?すごい美女と婚約間近、って聞いたが?」
「い、いや!そんなことはない!」
「何だよ、じゃあやっぱりあの薬局の受付嬢か」
「い、いや、その…そっちも、顔見知り、ってだけで」
ユリと繋がりを持とうとレンドルフが狙われたという経緯から、ユリとは薬局では会わないようにして、外で会う際にはユリが変装をしようという策を立てた。その策に従って、レンドルフは少しだけ眉を下げた。
「…実はちょっと距離を詰め過ぎて、避けられてるっぽいんだ」
「どっちに」
「どっちって…薬局の彼女だよ。その…もう少し、親しくなりたかったんだけど、な」
「焦り過ぎた訳か」
「う…ま、まあな」
レンドルフは何となく恥ずかしくなって目を伏せた。実際のところレンドルフはユリと距離を詰め過ぎている自覚はあるので、ネイサンの指摘が的確に胸を衝かれた気になったのだ。その様子にネイサンは多少同情をしたのか、苦笑混じりの笑みになってレンドルフに絡めていた腕を外してバンバンと強めに背中を叩いた。
「学園にいた頃はあんなにモテてたのにな!迫られるばっかりで迫り方を学ばなかった弊害だな」
「あれは嬉しくなかったんだが…」
「言うねえ。モテないヤツからしたら嫌味だぜ」
「そう言われてもな」
ネイサンの言葉にレンドルフも苦笑して返す。
遠くから準備が整ったのかショーキが小走りに向かって来ているのが目に入ったので、レンドルフはベンチから立ち上がった。
「じゃあな。また今度時間がある時にでも…って、ネイサンの方が忙しいよな」
「ははは、確かに。でもまあ、暇ができたら連絡する」
「ああ、待ってる」
ネイサンはもう少し休憩所にいるつもりなのか、ベンチに座ったまま軽く手を上げた。近寄って来たショーキも明らかに上官なネイサンに気付いたのか、少し離れたところで足を止めてピシリと姿勢を正してから深々とお辞儀をした。レンドルフはショーキに話し掛けると、ネイサンへ同じように手を上げてからその場を後にした。
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ネイサンは第四騎士団の施設内に去って行くレンドルフの背中をジッと見つめていた。後輩らしき小柄な青年が何かを話し掛けると、レンドルフは笑いながら答えていた。身体強化を掛ければ会話も聞き取れただろうが、ネイサンは口の動きで大体の内容は把握出来た。ただ単に見慣れないネイサンのことを訊ねて、レンドルフが同級生だと答えているような他愛のない話だった。
しかしネイサンのその顔からは先程までの気さくな笑顔は消えていて、まるで獲物でも狙うかのような鋭い眼差しになっていた。
「…ちっ」
ネイサンはごく自然にベンチの正面に見える研究施設へ顔を向けた。しかし、不意に舌打ちをして片目を押さえた。
彼は身体強化で視力を大幅に上げて、更にそこに索敵魔法を複合させるようにして視線を施設内に向けていた。この魔法ならば、多少離れている施設内でも窓越しに中にいる人間の人数や動向くらいは簡単に判別できた。窓辺にいる人間ならば、その口の動きで会話を拾うことも可能だ。が、その魔法を施設の敷地に向けた瞬間、まるで蝋燭を吹き消すような感覚で魔力と視界が切断された。それと同時に片目を一瞬灼かれるような痛みが走った。これは魔法を掛けた相手が、ネイサンよりも遥かに強い魔力で弾き返した影響だとすぐに理解した。かつて大魔法使いと呼ばれていた犯罪者を追っていた時に経験したことがある痛みだった。
(片目で済んで良かった…いや、済まされたのか…?)
痛みもあって、押さえた片目からポタリと温かい液体が零れ落ちるのを感じた。慌てて手の平を確認したが、透明な液体が手の窪みに溜まっているだけだった。一瞬ではあったがあまりの衝撃を感じたので、思わず視神経を灼き切られたのかと思ったのだ。しかし、完全に片目の視覚は奪われていて頭がグラグラする感覚に囚われる。
ネイサンは、これが警告だと正しく理解していた。
ここに来たのは、大国の治外法権を得てまで建てられた研究施設の偵察であったのだが、その防御は予想を遥かに越えて高い。重要な機密を扱っているので詮索することは表向きには禁じる通達が出てはいたが、少しでも何か情報を得られないかとあちこちの機関でアプローチを掛けている。詮索禁止を言い渡した王家でさえ、裏では少しでも有利な情報を得る為に暗躍しているのだ。
ネイサンは特に誰かに命じられた訳ではないが、婿入りしたサマル侯爵家から遠回しに圧は感じている。多少は危険でも、脳筋の騎士がうっかり、という筋立てで探れないかとここまで出向いてみたのだ。しかしながら結果は惨敗に終わった。むしろ向こうが手加減してくれているのだと分かっただけだった。もし本気で撃退するのであれば、両目は無事ではなかっただろうし、下手をしたらそのまま脳を焼き切られていた可能性もある。周囲を血なまぐさい騒動に巻き込まない為に元々警告レベルまで手加減してくれているのか、回数を重ねたらより本気で反撃されるのかはやってみなければ分からないが、ネイサンはこの痛みを再び味わう気には到底なれなかった。
しばらくすると、まだ少し黒い影が視界を飛んでいるが、片目の視力も戻って来た。
(ここまで来たし、少し休んで目薬でも買って帰るか…)
まだ昼休憩には時間があるが、このまま反撃されたままスゴスゴと変えるのも癪だ。ネイサンは少しずつ視界が戻って来るのに安堵しながら、施設の敷地から背を向けるような位置にあるベンチへと移動した。魔法で探ろうとしなければ痛い目を見ることはないと思うのだが、さすがにあの直後に魔法なしでも視線を向ける気にはならなかったのだった。
(しかし、レンドルフは使えなかったな…いや、まだしばらくは気に掛けておくか)
ネイサンはあちこちから情報を仕入れた結果、唯一外部との接触が許されている薬局には受付担当が二名いて、そのうちの一人が王城の騎士と個人的に親しいという噂を聞いていた。彼女は雑務担当の助手扱いで、毎日勤務している訳ではなく、薬師見習いとまでは分かっている。どの研究員も、出自はともかく傑出した才や頭脳を持っている者ばかりが選出されている中で、彼女の存在は異質だ。共同研究をしているどちらかの国の高貴な身分の庶子か愛人あたりをコネで引き入れて、経歴を盛ろうとしているのではないかというのがネイサンの見解だ。
僅かな情報ではあっても研究員の経歴などを鑑みれば、その薬局の女性が一番籠絡しやすいように思われた。何せ、機密事項を扱う場所に所属していながら外部の騎士と親密というのだ。良く言えば一般的な感覚、悪く言えば迂闊とも言えよう。助手であれば大した情報は得られないかもしれないが、やり方によっては十分使える。
その噂の中で、件の女性と親しいのがレンドルフと聞いて、ネイサンは他に狙っている者達よりもはるかに有利な立場になったと思った。学生時代の同級生でかなり親しくしていた友人であることを利用してそこから話を聞くなり、紹介してもらうなりするのは容易い筈だと考えていた。
だが、その思惑は外れて、どうやらレンドルフはあからさまに迫り過ぎて避けられているという。ただ、彼は昔から女性に対しては積極的なところに欠け奥手な質だったことを思い出して、まだレンドルフの勘違いの可能性もあると、ネイサンはもう少しレンドルフの周囲に気を配ろうと思い直したのだった。