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178.薫製肉のグリルと特製オムレツ

お久しぶりの人が登場します。


ミキタの店に行くと、ちょうどランチのまっただ中で満席状態だった。

その中で、奥のソファ席が「予約済み」と書かれた札が立っていて誰も座っていないのが目に入り、レンドルフは何となく申し訳なく思ってしまった。とは言っても、年季の入ったミキタの店では、レンドルフがソファ席以外に座ることの方が迷惑がかかってしまうのは目に見えている。


「いらっしゃい、久しぶりだね」

「ご無沙汰してます」

「おー、レン、しばらくぶりだな。元気そうで何よりだ」

「ステノスさんもお元気そうで」


カウンターの中で急がしそうに注文を捌いているミキタの笑顔に迎えられるのは、随分久しぶりな気がする。そのカウンターの端では、これまた久しぶりのステノスが昼間からランチプレートをツマミに蒸留酒の瓶を傍らに置いていた。この二人が元夫婦とは聞いているが、こうして並んでいるとあまりそんな雰囲気には見えない。


「今日のランチは薫製肉と野菜のグリルとオムレツだよ。オムレツはプレーンか、チーズかキノコかトマトだ。どうする?」

「ランチでお願いします!オムレツは…どうしようかな…」

「全部でもいいよ」

「!じゃあ全部で!」

「俺もユリさんと同じでお願いします」

「はいよー」


レンドルフ達がいつもの席に着くと、ミキタは水の入った瓶とコップを二つ置いて注文を聞く。大して席数の多くない店ではあるが、一人で切り盛りしているのはなかなかの重労働だろう。しかし彼女はうっすらと額に汗をかきながらも活き活きとしている。


「どうせならオムレツもまとめて全部にしたいんだけどね」


カラカラと笑いながらキッチンに戻ると、常連客から「キノコは勘弁してくれ」「トマトは抜きで頼む」と声が飛んで来る。どうやらオムレツの中身を選べるようにしたのは、常連の好き嫌いの結果のようだ。


手元は見えないが、フライパンで脂の音がジュワー!と小気味よい音を立てている。少し遅れて、肉の焼ける香ばしい匂いと、レンドルフには馴染みのある薫製の香りが漂って来た。


「薫製肉はレンくんの差し入れてくれたのをありがたく使わせてもらってるよ」

「お役に立てたなら良かったです」

「あんまり香りがきつくないのにしっかり乾いてるから、保存も利いて使い勝手が良い上に味もいいからね。ありがとうね」


グリルと同時進行でオムレツも作っているのか、ミキタは話しながらも高速で卵を割って行く。


「俺のより肉が分厚くねえか?」

「当たり前だろ!この肉はレンくんの差し入れだ。一番大きくていいところを出さないとバチが当たるよ!ほら、ステノス、アンタ暇そうなんだから、これを運んどくれ」

「えー」

「『えー』じゃない!そんな上目遣いしても可愛くも何ともないおっさんなんだから」


ヒョイとカウンターからキッチンの方を覗き込んだらしいステノスが羨ましがったが、ミキタに逆に使われてしまった。そんなやり取りも周囲は慣れているらしく、一種の娯楽として扱われているようだ。ステノスはちょっと口を尖らせながら、ミキタに押し付けられたトレイを運んで来る。


「お待たせしましたー」

「すみません…」

「そこは乗ってくれよ!全くレンは真面目だな」


ステノスは少々ふざけてシナを作りながら裏声でウエイトレス風にスープとサラダ、お替わり自由のパンが入った籠を持って来たのだが、レンドルフは何だか申し訳ない気がして丁寧に頭を下げて返したので、ステノスから苦情が入った。しかしそんなステノスの顔も笑っているので、その反応も楽しんでいるらしい。



----------------------------------------------------------------------------------



「「いただきます」」


出て来たスープは、器に入るギリギリの小ぶりなサイズのタマネギが丸ごと琥珀色の液体の中に沈んでいた。余程じっくり煮込んであるのか、タマネギが中心まで透き通っている。具材はタマネギだけだが、スープの表面にうっすらと脂が浮いているので、何か動物性の具材を入れて取り除いたのだろう。スプーンを差し入れると、ほとんど手応えがなくスルリとタマネギの中に沈んで行く。ほぐしたタマネギとスープを一緒に口の中に入れると、複雑な出汁の効いた塩味のスープがより一層タマネギの甘さを引き立てた。舌を火傷するような熱さだったが、喉を滑り落ちて行く瞬間まで濃厚な甘味がすぐに次の一口を欲してしまう。レンドルフは思わずスープだけをせっせと食べて、気が付いたら器が空になっていた。少しだけ残念な気分になって器に触れると、空になっているのに十分熱いままだった。


「相変わらずいい食べっぷりだねえ。でもごめんよ。今日のスープは人気があって、お替わり分はないんだよ」

「あ、い、いいえ。あの、十分です。美味しかったです」


レンドルフの表情を読んだのか、焼き立ての薫製肉とオムレツを皿に乗せたミキタがテーブルの脇に来てそう言った。何だか恥ずかしくなって、レンドルフは慌てて首を振る。


「はい、今日のランチ。薫製肉と野菜とグリルと特製オムレツだよ」

「ありがとうございます」


大きな皿の上に、まだ脂がジクジクとしている分厚い薫製肉と、そこから出た脂でグリルされてたっぷり旨味を纏っているツヤツヤした根菜が並んでいる。それぞれが縁にうっすらと焦げ目が付いているのがまた食欲をそそる。特にホクリとした割れ目のジャガイモに脂が染み込んでいる断面は、見ているだけで美味しさを約束されたようなものだった。その隣には、全く焦げ目の付いていないまるで陶器のようにツルリとした表面のオムレツがふんわりと乗っている。その黄色の上に濃い目のドミグラスソースが少々控え目に掛かっていて、トロリと滑らかな卵の上から垂れて白い皿を彩っている。

先程ステノスが言っていたように、レンドルフの皿に乗った薫製肉の厚みはユリの倍以上あるようだった。大きさもユリの皿のものより二回りは大きくカットされたものだった。勿論レンドルフならばこのくらいは余裕で完食出来る。


「美味しそう!この香りが堪らないね」


ユリは早速薫製肉にナイフを入れた。レンドルフよりも薄いと言っても、通常の店よりは分厚い。塩と薫製で普通の肉よりは引き締まっているが、その分肉の旨味が凝縮されているのだ。ユリは一口大に切って噛み締めると、少しだけ強めの塩味を感じたがすぐに滲み出して来る脂の甘味ににっこりと笑った。


「美味しい〜。やっぱりレンさんの故郷のお肉は美味しいね」

「それなら良かった」


レンドルフも薫製肉を口に入れる。タウンハウスでも料理長がレンドルフが好物なのを知っているので、良くこうしてグリルしたものを出してくれた。しかし不思議なもので、同じように焼いているだけでもミキタが焼いたものとは味が違うような気がした。


「オムレツと絡めて食べると更に美味しい!」

「そうなんだ。じゃあ俺も試してみよう」


ナイフを入れるのが勿体無い程美しいオムレツの表面にナイフを刺すと、中からトロリと半熟な卵と鮮やかなダイス状のトマトが溢れて来た。それに続いてしんなりとしたキノコも出て来る。まずレンドルフはオムレツだけを食べてみた。フォークで掬って持ち上げると、少しだけチーズが糸を引いた。滑らかな卵と温かいのに新鮮な味わいの残るトマト、キノコの風味と歯応えが一気に口に広がる。そしてチーズのほんのりとした塩味が絶妙だった。掛かっているソースの味が濃いので、オムレツ自体は優しい味わいだった。レンドルフはユリに勧められたように、今度は薫製肉をオムレツに絡めてみた。すると薫製肉の強めの塩味がまろやかになって、更に旨味が増したように感じた。

レンドルフはふと思い付いて、軽く炙られて表面がパリリとしたバゲットを千切って、そこにオムレツを絡めた薫製肉を乗せて一気に頬張ってみた。すこし卵液を吸って柔らかくなり、小麦の風味が後押しして幸せの味がした。


「ふふ、レンさん口の端」

「あ…ちょっと行儀が悪かったな…」


一口大に千切ったつもりだったが思ったよりも大きくなってしまったらしく、レンドルフの口の端に黄色いオムレツの欠片が付いてしまっていた。ユリが笑いながら指摘をすると、レンドルフは少し頬を赤くして恥ずかしそうに紙ナプキンで口を拭った。


「でも美味しそうだから私も真似するね!付いてても笑わないでね」

「じゃあちょっと横向いてようか」

「そこまで気を遣われると食べ辛い」


ユリは気を付けてバゲットをかなり小さめに千切ったが、今度は小さ過ぎて上に乗せられなくなってしまった。それでも無理に乗せたら、上の薫製肉だけが皿の上に逃げ出してしまって口の端には付かなかったものの、ユリの口の中に入ったのは卵液がちょっと滲みたパンだけだった。ユリは再度挑戦して今度は大きめに千切って安定感を出して口の中に入れることに成功したが、結局レンドルフと同じように口の端に卵を付けていたのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



「「ごちそうさまでした」」


皿の上の料理を完食して、レンドルフとユリは満足そうな溜息を吐いた。


「ああ〜もうお腹いっぱい」

「おや、今日はデザートがつくけどユリちゃんは無理そうかい?」

「…うう…ムリです…レンさんに譲ってください」

「ユリさん、大丈夫?」

「少し大人しくしてます…」


綺麗に空になった皿と交換するように、レンドルフの前に小ぶりのガラスの器に入った透明なゼリーが二つ並べられた。そのゼリーはうっすらと黄色みがあって、中に細かく刻んだ緑色の葉のようなものが混ざっている。そしてその上から黄金色のとろりとした液体、おそらく蜂蜜を掛けてあるようだ。


「前にユズって実があるって話をしたろ?これはユズ果汁とミントのゼリーだよ。そのまんまじゃ酸っぱいから、蜂蜜で甘味を付けてある」

「香りが良いですね」

「ミサキさん…ああ、ユーキの嫁さんね。彼女、最近これなら食べられるみたいでね。で、ユーキが作って余ったのを毎日あたしのところに持って来るのさ」


ミキタの次男夫妻のところに子供が出来たので、一時期人手が足りずにミキタが次男ユーキの店を手伝いに行っていたのだが、今は新しい店員を雇って落ち着いているそうだ。


ゼリーにスプーンを入れると、固まるギリギリくらいまで柔らかくしてあるらしく、殆ど手応えがなくスープでも掬っているかのような感触だった。しかしスプーンを持ち上げるとこんもりと山になるのでやはりゼリーには間違いない。もう口に入れる前から強い柑橘系の香りが鼻をくすぐり、口に入れると一瞬だけ強い酸味を感じたがすぐに蜂蜜の濃厚な甘さと、口の中がスッとするミントの爽快さが広がる。


「これはさっぱりしててついスルスル入りますね。暑い日に食べたくなりそうです」

「確かに夏場の食欲のない日にはいいね。ああ、凍らせるのも悪くないね」

「それは美味しそうです」


ふと見ると、正面に座っているユリがゼリーに目を向けていた。お腹は一杯だが味は気になる、と言ったところだろうか。レンドルフは思わず笑顔になって、まだ手を付けてない方の器をユリの前に滑らせた。


「一口だけなら入りそう?」

「え…?いいの?」

「いいよ。すみません、ミキタさん、スプーンをもう一本お願いします」

「はいよー」


スプーンを渡されて、ユリは早速パクリと一口食べる。いつもながらレンドルフの前に置いてあるものと同じなのに、ユリの方は倍くらい大きいものを置いてあるように見える。ゼリーの表面の凹んだ部分も、レンドルフの半分以下だ。そこに何とも小動物的な愛らしさを見出してしまい、レンドルフは慌てて視線だけを逸らす。


「美味しい!これ、好きな味!」

「そうかい。じゃあまだ沢山あるから、ユリちゃんは持ち帰るかい?蜂蜜は掛かってないから、家で好きなのを掛けなね」

「……冷えたスパークリングワインとかいけそう」

「ユリさんらしい」

「あ…!」


ユリは見た目に反して、甘い物よりもアルコールを好む質だ。ついポロリと口をついて出てしまったのをレンドルフが笑って返したので、我に返って顔を赤くした。そしてそれを誤摩化すように下を向いたまま、一口分減ったゼリーの器をレンドルフの前にツツツ…と差し出した。


「もう大丈夫?」

「うん…ごめんね、食べかけで」

「昨日から随分貰ってるけど?」

「そ、それは…!」

「…ごめん、ちょっとからかい過ぎた。ありがたくいただきます」


昨日の串焼きの夕食では色々な食材を焼いてはユリが一口食べて、レンドルフが躊躇いなく残りを食べていたが、あれは薄暗くてユリの良く知る使用人ばかりだったのとアルコールの勢いもあってのことだったので、この状況では距離感が近過ぎて羞恥心の方が勝ってしまう。レンドルフもすぐにそれを察してすぐに謝ると、差し出された器を両手で大切そうに受け取った。これは店の最奥のテーブルの上での小声のやり取りだったのでそう目立つものではなかったが、角度的にしっかり見えていたミキタとステノスは、何とも微笑ましいものを眺めるような温かな目で二人を見ていた。



「…御前が時々機嫌悪そうにしてる訳だ」

「いいじゃないか。あれくらい可愛いもんだろ」


ステノスはエイスの街に駐屯している騎士団駐屯部隊の部隊長だが、本業はレンザの子飼いの諜報員の一人だ。その中でも実力を認められてそれなりに高い信頼を得ていて、大公家当主のレンザに直接報告するような任務も与えられている。レンザは冷静で、時に残酷で冷淡ではあるが、大貴族の当主としては当然なことだ。が、唯一の孫のユリのことになると別人かと思う程盲目的に溺愛している。それはそれで人間らしい部分ではあるのだが、無駄に国家権力を有しているのでその辺を迷いなくユリの為に行使しようとするのを止める側としてはヒヤヒヤしている。



「御前は可愛かねぇんだよ」


そうボヤキながらも、ステノスの口元は僅かに上がっていたのだった。



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