177.ランク昇格試験とプリンアラモード
「制限時間は90分です。それよりも早く終了した場合は試験官に申し出てください」
「はい」
「それでは、試験開始」
レンドルフは、机の上に伏せられた紙をペラリと捲った。思ったよりも問題数が多くて、一瞬動きを止めてしまったが、すぐに思い直して問題に目を走らせる。
今日はギルドの会議室の一つで、冒険者ランク昇格の為の筆記試験が行われていた。受験は年中受け付けているので、前日までに受験する街のギルドに申込んでおけば試験を受けることが可能だ。別に冒険者登録をしたギルドで受ける必要はないのだが、レンドルフは騎士団の顔見知りと出会うのもどうかと思ったので休暇を利用してエイスの街で受けることにしたのだ。
問いの中で、読んだ問題集で幾つか見覚えのある項目があった。試験の為にギルドで問題集を貸し出しているので、それを利用して良かったと思いながら問題を解き続けた。問題はそこまで難しいものではない。ある程度魔獣討伐をしたことがあるのなら常識範囲内のことが多く、冒険者として厳守しなければならない規約は法律内で当然のことばかりであるし、緊急時の対応なども騎士団と大きく変わらなかった。最初から覚えるのは大変だったかもしれないが、レンドルフは元から素地があるので違う部分だけをさらえばいいだけだった。
問題数は多かったが、思ったよりも解きやすい問題が多かったので、順調に全ての回答を終えた時にはまだ時間が残っていた。幾つか怪しい記述の部分はあったが、多分不合格にはならないだろうという手応えはあった。一応もう一度見直しても問題はなさそうだったので、座っていた試験官に合図を送る。
「お疲れさまでした。結果は一時間程で出ますが、お待ちになりますか?」
「はい」
「それでは一時間を過ぎましたら、窓口までお越し下さい。結果をお知らせします。もしお時間があるのでしたら、合格の際はそのまま手続きも可能ですので、窓口にお伝えください」
「ありがとうございます」
試験用紙を回収されて、レンドルフは会議室を出された。このままどこかに行く予定もなかったので、ギルド内の最上階に併設されているカフェへ向かった。まだランチの時間帯よりは早かったので随分空いていた。こちらのカフェは食事も出来るが、女性向けに盛りつけが可愛らしく、量も可愛らしいのであまり男性冒険者は寄り付かない。その分冒険者でない女性も利用しやすいらしく、昼から午後に掛けては満席になることもあると聞いた。
レンドルフはカウンターで紅茶とプリンを注文して、クリームとフルーツを乗せられると聞いたので追加する。少し待っていると、思ったよりもクリームもフルーツも山盛りになったガラスの器をトレイに乗せて渡された。セルフサービスなのでトレイを持って隅の方に移動すると、店内にいた女性二人組が一瞬だけレンドルフの方を見たが、さすがにこれは仕方ないと受け流す。せめて隣にユリがいれば違うのかもしれないが、大柄なレンドルフが一人で山盛りのプリンのフルーツ乗せを持ち歩いていれば思わず見てしまうのは自分でも理解出来た。
紅茶が抽出される時間を知らせる砂時計が落ちるまでの間、待ち切れなくてレンドルフはフォークでフルーツをパクリと口に入れる。瑞々しいオレンジは甘さと酸味が丁度良い熟れ具合だった。葡萄はまだ旬ではないのでシロップに漬けられたものだったが、十分香りは残っている。プリンは卵が多めなのか少し固めで、スプーンを入れると上に乗った濃い鼈甲色のカラメルがトロリと鮮やかな黄色い部分に縦の縞模様を描く。添えられたクリームも一緒に掬って口に入れると、甘味は控え目だがミルク感の強いクリームとほろ苦いカラメルがまろやかになって口に広がる。そこに卵の味の濃いツルリとしたプリンとバニラの風味が加わって、最初にプリンを作り出した人類に感謝の祈りを捧げたくなる。
つい味わってしまって、既に紅茶の抽出時間を知らせる砂はすっかり落ち切っていた。慌ててレンドルフはポットからカップに紅茶を注ぐ。水色を見る限り、そこまで濃くなっていないようだ。
ふと注文カウンターを見ると、先程レンドルフを見ていた女性の一人が、同じようにクリームとフルーツを追加したプリンをトレイに乗せてもらっていた。そして颯爽と席に戻ると、スプーンを二つ貰っていたのか連れの女性と楽しげに突つき合い始めた。何だか嬉しくなって、レンドルフは次の一口を大きく頬張っていたのだった。
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レンドルフが以前に植物園で購入したポケット植物図鑑を眺めていると、ギルドカードがメッセージの着信を報せた。確認すると、ユリからのメッセージが入っている。内容は「今日は回復薬の納品にギルドに来るので、ランチをミキタさんの店で一緒に食べませんか?」とあった。レンドルフは即座に了承の連絡を送る。
時計を見ると、ちょうど試験終了から一時間経過していた。レンドルフはティーポットに残っていた紅茶を全て注ぎ切ると、カップ半分程になった。少々濃くなっていたが、差し湯は頼まずにそのままグイッと飲み干した。見た目よりも渋みが強く、少しだけ喉に絡み付くような感覚が残ったが、水を飲んでそれを流し込む。図鑑を眺めるのについ夢中になっていて、最後まで注ぎ切るのをすっかり忘れていたのだから仕方がない。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます」
カウンターの返却口にトレイを返すと、レンドルフは一階の窓口まで向かう。そこまで酷い結果ではないと思っているのだが、やはり試験の結果というのは学生から離れても緊張するものだとしみじみ思っていた。
「先程ランク昇格試験を受けたレンですが、結果を伺いに来ました」
「はい、こちらへお願いします」
窓口に声を掛けると、椅子のある場所へと案内される。通常の窓口よりも書類を書いたりして時間がかかる際に案内される場所なので、これは手続きが必要ということだろうか、とレンドルフは少しだけ鼓動が早くなったのを感じた。
「あ、レンさん」
移動していると、ちょうど入口の扉が開いてユリが入って来るところだった。レンドルフは思わずギシリ、と動きを止めて、恐る恐るユリの方に顔を向けた。
「ユ、リさん」
「レンさん、試験終わったの?」
「う、うん…今、これから結果聞くとこ」
「そっか。私は納品して来ちゃうね!」
出来ることなら合否を、と言うより合格を聞いてからユリと顔を合わせたかった、と思いながら、レンドルフはグッと顔を引き締めながら指定された窓口に向かった。
「お待たせ致しました」
椅子に座ると、すぐに書類を片手に眼鏡をかけた女性がやって来て正面の窓口に座った。
「こちらは結果でございます。十分合格ラインに達しておりましたので、ランク昇格となります。こちらが記入していただく書類になります」
「あ…合格ですか」
「はい、おめでとうございます」
彼女はあくまでも事務的な様子で次々と書類をレンドルフの前に並べた。眺めていると、何故か試験結果が二つあることに気付いた。どちらも合格基準に達してはいるが、確かレンドルフが受けたのはCランクだった筈だ。怪訝に思って手に取ると、片方の書類には「Bランク」と記載されていた。
「あの…これ、Bランクになってますが…」
「はい。昇格可能のランクの試験と伺っておりましたので、Bランクもご用意しましたが」
「はい?」
どうやら認識齟齬があったことに気付いて、彼女は別の書類を滑らせて来た。
「こちらはレン様が討伐された魔獣、及び犯罪防止に携わった件数とレベルでございます」
その書類には、レンドルフが定期討伐だけでなく、ユリとパーティを組んで採取してギルドに納品した薬草などがカウントされ、他にはギルドの斥候の救出と保護、ビーシス伯爵襲撃者の捕縛、女性冒険者への嫌がらせの阻止…等々、確かに覚えのある項目がズラリと並んでいた。冒険者のランクを上げるには魔獣討伐や指名依頼をこなすことなどがメインとされるが、ランクが高くなると人柄も重視される。いくら腕が立つと言われても、素行の悪い犯罪者紛いの冒険者をギルドとしても認めるわけにはいかない。その為、ランクが上がれば上がる程、護衛任務の高評価や犯罪者の捕縛などの依頼も一定以上こなす必要がある。
レンドルフは既にあと少しでBランク、という実績と評価が出ていたのだが、先日のテイマー捕縛で一気にBランク確定となったのだ。
元々襲って来たテイマー達はあちこちの国で強盗などを繰り返して来た犯罪者であり、更に今回は輸出入禁止の寄生蛇の卵を密輸の現行犯として犯罪者ランクも高くなった。そして一名は蛇の毒で死亡したがもう一名は生け捕りに成功している。現在は王城で厳しい訊問を受けている為、近いうちに密輸を命じた依頼者も炙り出されるだろうと言われている。
通常ならば、レンドルフが討伐した魔獣も捕縛した犯罪者も騎士団の手柄として扱われるのだが、彼がその日は完全休暇であった為に冒険者としての評価に換算されたのだ。
「受験のご希望が、ご自身のランクで取得可能なものを、とのことでしたので、CランクとBランクを受験していただきました。筆記試験はスキップは出来ませんので、今回は同時に両方を受けていただく形となりましたが」
「はあ…」
通りで問題が多いと思った訳である。おそらく試験用紙にもランクが記載されていたのだろうが、基本的なところを見落としていたらしい。学生時代も、回答欄を一つズレて記入するなどをやらかしたことを思い出して、レンドルフは頭を抱えたい気分になってしまった。それに、問題集を借りる際に「今は借り手がいませんから」と副ギルド長のサムにCランクとBランクの問題集を押し付けられたのも影響していたのだろう。あまりにもCランクの方は基本的なことばかりだったので、ついBランクの方をまとめて読んでしまっていたのだ。
「実際にランクは上げないまま保留になさると伺っておりますが、お間違いありませんか?」
「はい、間違いありません」
「そうなりますと、Dランクのままになりますので、指名依頼は受けられないことと、自ら依頼を探して受ける場合はBランク相当の内容のみになりますが、そちらはご承知でしょうか」
「はい、問題ありません」
「それではこちらの書類に目を通し、問題がなければギルドカードに登録致しますのでサインをお願いします」
内容は、ほぼ彼女が説明してくれたことと同じであり、分かりやすいように要点には目立つ色でラインが引いてあった。全て合格基準をクリアして保留してあることは、証明が必要な状況以外ではギルドカードには表示されないようになっているようだ。そして表向きはパーティリーダーのレンドルフが指名依頼を受けられないランクなので、「レンリの花」自体も指名依頼は受けられないようになっている。
レンドルフは二度、丁寧に書類に目を通してサインを入れ、それと一緒にギルドカードを預ける。担当の女性が席を外して待つ間、何となくレンドルフは横に並んでいる窓口の方に目を向けた。少し離れた場所の窓口で、ユリが納品に来た回復薬や比翼貝の傷薬を鑑定してもらっているのが見えた。椅子のないカウンターはユリには少々高いようで、少し背伸びをしながらしがみついている。以前にも納品している姿を眺めたことがあったが、心なしかその時よりも嬉しそうな表情に思えた。
「お待たせ致しました。こちらで手続きは終了です」
「ありがとうございます」
登録が済んだギルドカードを返してもらい、何かマークが増えているのに気付いた。このマークは、次のランクに上がるまでの目安になるもので、正確な討伐数や数値までは分からないが、どの程度基準をクリアしたかが色で分かるようになっていると教えられた。最近開発された機能で、自分のランクの基準値を確認したがる人が増えて来たので付けられるようにしたそうだ。今のレンドルフのマークは灰色をしている。これで魔獣討伐や依頼達成などをこなして行くとどんどん色が変わり、ランクが上がる十分な資格を得ると赤くなるそうだ。その色の一覧表も一緒に渡された。もっと詳細が知りたい場合は、ギルドで頼めば正確な情報が得られるようになっている。
「レンさん!どうだった?」
「ちゃんと合格してたよ」
「わあ!おめでとう!」
席を立って振り返ると、先に納品チェックは済んだらしいユリが後ろで待っていた。今日は納品と聞いていたが、膝下のキュロットに編み上げブーツ、ベストに長袖のシャツと、防具こそないが冒険者風の出で立ちをしていた。長い黒髪はお下げの三つ編みにして背中に垂らされている。そしてベージュ帽子を被っていたのだが、昨日レンドルフが渡したハットクリップが揺れていた。
「今度お祝いしなくちゃね!」
「う、うん、ありがとう…」
ユリが珍しく、自分からはしゃだようにレンドルフの腕を組んで来た。身長差的に、ユリと腕を組むとレンドルフとしては色々と試されているような気分になる。
「あの、それ、使ってくれてるんだ」
「うん!すごく使いやすいよ!家の…親戚の家の人にも可愛いって褒められた!」
「それなら良かった」
ミリーを始めとする別邸のメイド達に半ば強制的に言わせたようなものだったのだが、そこは言わないでおく。それに、実際付けてみると、黒髪にも本来の色の白い髪にもよく映えて、ユリは鏡を見ながらご満悦だったのだ。レンドルフには本当の髪色は明かしていないが、こうして偶然にもどちらにも合う物を贈られるのは実に嬉しかった。
「じゃあ、ミキタさんのところへ行こう!さっきレンさんの返事が来た後に連絡しておいたから、いつもの席を空けておいてくれるって」
「どうもありがとう。久々だから楽しみだよ」
手に持っていた書類を封筒に入れてから鞄に詰めるので、ユリは一旦組んでいた腕をレンドルフから放した。レンドルフは内心ホッとしていたのだが、ユリには絶対に悟られないように平静を装う。
レンドルフも若い男性なので全く嬉しくない訳ではないのだが、ユリの隣にいるおかげで近寄って来る輩はさすがにいないが、それでも不埒な眼差しを向けて来る者は随分遭遇して来た。その度にユリは無意識的にレンドルフの後ろに隠れるような行動を取るので、自分は絶対に彼らと同じ場所に立っては行けないのだと強く思ったのだ。
「お待たせ。じゃあ行こうか」
「うん!楽しみだね」
書類を鞄に入れ終わったレンドルフは、自分から手を差し出す。ユリも今度は差し出された手を重ねて、キュッと握り締めた。ユリの小さな手は、握り締めても大きな彼の手の裏側には殆ど回せない。その上から包まれるようにレンドルフの指が被さると、その温かさに安心感が沸き上がる。
レンドルフがドアを支えるようにして二人で連れ立ってギルドを後にする後ろ姿を、職員数名が拝んで見送っていたので、すれ違いざまに入って来た冒険者が拝まれてしまい、いい知れない恐怖を感じて慌てて引き返しそうになっていたのだが、レンドルフ達は全く気付いていなかったのだった。