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175.最善の方法


(こんなつもりじゃなかったのに…)


ユリはエマに連れて来られた休憩室で、ベシャベシャになってしまった顔の修復を行ってもらっていた。まさか顔のあちこちからあんなに水分が同時多発的に出て来るとは思わなかった。


「まだかかりそう…?」

「もう少しお待ちください」


ユリは現在、顔に冷たいタオルを乗せられながら、気持ちを落ち着かせるハーブティーを飲まされている。ユリとしては早くレンドルフのところへ戻って色々とフォローしたいのだが、ひとまず顔が戻らないことにはどうにもならない。


(計画では、もっとこう冷静な話し合いを……)


昨日の夜に襲撃者の目的の報告を聞いて、ユリはすぐに対策を色々と考えた。しかし最終的にはレンドルフを距離を置くことが一番の効果的な策に辿り着いてしまう。レンザが用意立てて機会をくれたとは言え、それ以外ではきちんと正規の方法で選ばれたのだ。せっかくそうやって掴んだ機会なのに、予期していなかった横槍で駄目になってしまうことが悔しかった。それ以上に、自分が側にいたいと望んだばかりにレンドルフが怪我をする羽目になったことは予想以上に堪えた。あのテイマー達はただの儲け話だと思って横入りしただけかもしれないが、もし大公家の「影」達を首謀者がかいくぐって来ていたら、本当にレンドルフが攫われていたかもしれない。

頭ではレンドルフの為には距離を置いた方がいいのは分かっていても、ユリはどうしても側にいられる機会を手放したくないと思ってしまった。その気持ちがつい昂って溢れてしまい、随分とみっともない姿を晒してしまったとユリは反省していた。


(ちゃんと言わなきゃ…距離を置こうって…その方がレンさんの為…)


「わー!お嬢様!落ち着いてください!!」


どこかのネジが緩んでしまったのか、考えただけで再びあちこちから水分が出て来てしまって、側で世話をしてくれているエマが叫んでいた。



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結局、ユリが戻って来たのは30分以上掛かってしまって、その間にレンドルフはお茶のおかわりをして、バスケットにほぼ手付かずで残っていた焼き菓子を食べ尽くしてしまった。

最初はちゃんとユリの分を残しておこうと取り分けていたのだが、お茶のおかわりを給仕に注文した際に、焼き菓子ならすぐに追加が出せるのでご遠慮なく、と言い添えてくれたのでありがたく持て余した時間を潰すのに消費させてもらったのだ。


「ごめんね…その、放置しちゃって…」

「もう落ち着いた?」

「多分…」


少し目元と鼻先に赤みの残っている顔をしていたが、そこは見なかったことにしてレンドルフは戻って来たユリにベンチまで案内する。


「あの、今後のことを俺も考えてみたんだけど…」

「う、うん…」

「ユリさんは、どう思ってる?」

「私!?…ええと、先に、レンさんの考えを、聞きたい…な」


レンドルフは基本的に優しくて甘いが、きちんと客観的に状況は把握出来るし、最善の策の為に感情抜きで動ける人間だ。そして安全で最も周囲に影響のない道は、互いに距離を置くことだという答えにはとっくに辿り着いているだろう。きっとレンドルフもそれを選択するだろうとユリは彼の表情を探りながら、せめて伝書鳥のやり取りだけは続けられるように半分祈るような気持ちだった。


「俺が変装するのはどうだろう?」

「え…?変装?」

「そう、変装」


全く予想もしない言葉がレンドルフの口から出て来て、ユリは思わずキョトンとした顔になってしまった。


「向こうは何とかして研究員、ユリさんに繋ぎを取りたいけどそれが出来ない。だから俺を利用しようとしたってことだから、俺が変装をすれば」

「待って」


思わず混乱してユリはレンドルフを止めてしまった。レンドルフの言っていることは概ね正しい。しかし、最後の「変装」に繋がる意味が分からなかった。


「ええと、何でレンさんが変装を?」

「向こうは多分ユリさんのことが分からないんだよね?よく分からないけど、その魔道具の効果で」

「うん」

「それなら俺が変装すれば、ユリさんと会ってても向こうの目を誤摩化せるかと思って」

「待って」


レンドルフの言いたいことは大体把握出来たが、ユリはまたそれを止めてしまった。確かに施設内では魔道具のおかげでユリの印象はレンドルフ以外にははっきり残らないようになっているので、ユリだけで外に出てしまえば見つけ出すのは困難だろう。だからこそその目印、或いは紐付けとして親しいと噂されているレンドルフを狙おうという輩が出て来たのだ。

それを避ける為に変装して相手の目を欺こうとするという手段は別に悪くない。しかし、レンドルフは自分の体格がそれだけで目印になると言う自覚はあるのかと問い質したい。


「髪色だけじゃなくて、いっそ長髪のカツラとか用意する?金髪とかの」

「…っ!ちょっと待って!レンさんの体格だと、髪型くらいじゃすぐにバレるって!」

「やっぱりそうかぁ…」

「何か残念がってない!?」


ションボリとした風情で眉を下げるレンドルフに、ユリは思わず勢いよく突っ込みを入れていた。そのユリの勢いに、レンドルフはクスリと笑った。それでユリは、先程までの雰囲気を引きずってしんみりとして再び泣いてしまうかもしれない空気を、レンドルフが断ち切ってくれたのだと悟った。


「本当は、きちんと安全が確保されるまでは会わないことが最善なのかもしれないけど……その、俺の勘違いじゃないなら、それはユリさんが望んでないのかなあ…って」

「うん…でもレンさん…レンさんは、いいの?」

「俺もユリさんが近くにいるなら、やっぱり会いたいと思う。だから色々策を考えてみよう?それにユリさんが危険な目に遭わないように出来ることは何でもするし、俺も簡単には攫われないように対策を練るよ」


レンドルフは手を伸ばして、そっと指の背でユリの頬の辺りに触れ少しだけ体を前に屈めた。そうすると、自然にレンドルフの顔がユリに近付く。


「だからもう、泣かないで」


柔らかく囁くようなレンドルフの声がユリの耳朶を打つ。それだけでユリは思わず目の奥が熱くなってしまったが、これ以上レンドルフに心配をかけては行けないとグッと唇を引き結んで涙を堪える。チラリと視線を横に滑らせると、ちょうどユリの目の高さにレンドルフの耳があって、うっすらと普段よりも赤くなっているように見えた。


「うん、ありがとう」


その耳元に囁き返すとますますその赤みが増したようで、ユリはクスリと笑ってしまった。



色々と案を出してみた結果、ユリが変装をして様子を見ようという話になった。


「レンさんが変装するより、私がした方がバレにくいと思うのね」

「それはそうかもしれないけど…大変じゃないの?」

「毎回変えるんじゃなくて、三人くらいをタイプの違う感じにしてローテーションすればいいんじゃないかな」


唯一外部と接触のある薬局受付ではヒスイがメインで出ているので、余程タイミングが良くないとユリを見る機会は殆どない。ヒスイが客相手をしているときに表の在庫が間に合わなくてユリが奥から在庫を運び入れる時か、レンドルフが薬局を訪ねて来た際に他に誰もいないと顔を出す程度だ。魔道具のおかげで他の騎士達の間では黒髪で小柄な女性という認識程度しかない。髪色を変えるだけでも随分印象は変わる筈だろう。


「うーん…やっぱり薬局では顔を合わせない方がいいのかな…」

「俺もそう思う。そこは仕方がないよ。元々そこまで顔を合わせてた訳じゃないけど」

「うう…お昼の癒しが…」

「ははは、訓練後のむさ苦しい格好なのに。ありがとう」


割と本気で嘆いていたユリを、レンドルフはお世辞か冗談と取ったようだ。


この先様子を見ながらになるのでどう変更するかは分からないが、今は考えずにユリはどんな変装をしようかと楽しむことに集中した。せっかくの休日なのだ。ユリは気を抜くとまだ涙ぐんでしまいそうになるユラユラ揺れる感情を飲み込んで、すぐ隣にいるレンドルフの温かさを堪能することにしたのだった。



後日、このユリの変装作戦は思った以上に効果を上げて、レンドルフは薬局の黒髪の女性とは振られたか別れたかで避けられているらしいとの噂が立った。勿論レンドルフも承知の上でユリがヒスイに頼んでそれとなくわざと流してもらったのだが、それ以降大公家の「影」達からレンドルフを攫おうとする動きは見られなくなったと報告が来ていた。

ただその反応から、間接的にユリを狙っていた勢力が騎士団と繋がりがあるとレンザが判断して、危うく開店してすぐに騎士団関係者の出禁が通達されるところであった。ユリが、それを逆手に取ってこちら都合のいい噂を流せばいい、と必死にアピールしてどうにかそれは免れたというおまけまで付いていたのは、さすがに予想はしていなかったのだった。



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ずっと座っていたので、少し温室内を歩いて回ろうとベンチから立ち上がると、すかさず控えていた給仕がバスケットを回収に来た。


「こちらの温室は二階建てになっておりまして、この水路の石段を上って右手に上に続くスロープがございます。二階は少々室温が高く、南国の植物と人慣れした美しい鳥が飼育されています。よろしければお立ち寄りくださいませ」

「ありがとう。…ユリさん、行ってみる?」

「うん!南国の植物や鳥は色が派手だからきっと見てて楽しいよ」

「それは楽しみだ」


クロヴァス領は北方なので、一部を除いて比較的保護色の動植物が多い。多少王城で育てているものや図鑑などで見たことはあるが、あまり目にする機会はない。

すっかり慣れた様子でユリと手を繋ぐと、全く歩幅が違うのだが無理をしているような気配は微塵も無くレンドルフはゆっくりと石段を上がった。それでもレンドルフが一段上がるのに三歩程であるのに、ユリは五、六歩必要になってしまう。そんな身長も体格差もある二人が並んで歩いて行くのを、給仕役の侍従は微笑ましい気持ちで見送った。

彼の担当はここまでだ。次の担当はこの石段を上り切ったところで待機している筈だ。しかし侍女として来ているエマは、ユリに張り付いていなければならないのでわざわざ植え込みを掻き分けて消えて行った。それも視界の端に捉えて、彼はエマに向かって心の中でひっそりと応援したのだった。



「結構スロープ長そうだけど、ユリさんは大丈夫?」

「大丈夫!慣れてるし…靴が!」


レストランではなく実際は大公家別邸の管理する温室なのでユリはうっかり口を滑らせかけてしまったが、特にレンドルフは気にした様子はなく辛うじて誤摩化せたようだ。九十九折(つづらおり)のようになっているので、距離は長いが見た目よりも緩やかなスロープだった。その途中にも飽きないように花が植えられていて、レンドルフが訪ねるとすぐにユリの答えが返って来るのが心地好かった。


スロープを上り切ると、ガラス張りの扉があった。擦りガラスが嵌め込まれていて中の様子は分からなかったが、扉に施された赤銅色のレリーフが、レンドルフでも分かる南国の扇子を広げた形に似た葉を模していた。その扉をレンドルフが押して開けると、湿度と少しの熱に、独特な濃厚な緑色の記憶を呼び起こすような植物の香りがフワリと鼻をくすぐった。


「緑が濃いんだな」


ユリと共に扉を抜けると、オベリス王国の真夏の頃よりも濃い色の葉を茂らせた木々が視界一杯に広がった。少し離れたところには、どれも大振りで色の濃い花が咲き誇っている。この濃密な甘い香りはその花だろうかと、レンドルフは大きく息を吸った。


「レンさんは暑くない?」

「今は平気だけど、ずっといたら汗ばみそうだな。ユリさんは?」

「私は全然。多分、レンさんは背が高いから、熱気を浴びるんだと思う」

「そう言うことか。だから二階にあるんだ」


感心してレンドルフが頷いていると、遠くから「ギョエーー」という何だか絞め殺されているような奇妙な声が聞こえて、一瞬レンドルフの動きが止まる。それを見てユリがクスクス笑った。


「レンさんは南国の鳥はあまり馴染みがない?」

「あー…鳥の声かあ。実は殆どないんだ。馴染みがあるのは食用の鶏と鳥系の魔獣くらいで」

「じゃあ早く見に行こう!オベリス王国とは全然違うから!」

「うん」


珍しくユリの方からレンドルフの手を取って、声のした方へと引いて行く。二階の温室も人が通る道は石畳になって歩きやすくなっているが、下とはやはり環境が違うのか目地の部分は鮮やかな苔で埋め尽くされている。

少し奥に歩いて行くと、大きな鳥籠のようなものが幾つも並んでいる場所に出た。鳥籠と言っても十分に広く、入口の大きさを見ると中に入って見学出来るようになっているようだ。


「いらっしゃいませ」


鳥籠の側には、給仕ではなく作業着を着た年配の男性が控えていて、レンドルフ達を見ると帽子を取って頭を下げて来た。よく日に焼けた浅黒い肌に、顔立ちの割に鍛えられた節くれ立った手をしている。もしかしたら庭師なのかも知れないとレンドルフは思った。


「この中に入るのでしたら、貸し出し用のマントがありますのでお使い下さい」

「マント?」

「ええ。鳥達が粗相をする場合もありますので、お召し物が汚れないように用意しております」

「なるほど。では二人分お借りします」


ポンチョタイプのマントだったので、レンドルフも難なく着込むことが出来た。しかしユリと並ぶと丈の差につい自分でも笑ってしまった。


「これ…一番短いのよね…」


ユリが着ると、サイズが一番小さいものを選んだのだがそれでも足元ギリギリ引きずらないかくらいになり、一番大きなサイズのレンドルフは膝よりも上の丈だった。上からの鳥の落とし物を避ける為なので、丈はあまり関係ないだろう。


「木箱の中にある果物は、鳥に与えても大丈夫なものです。手から食べさせることも出来ますので、お近くでご覧になれますよ」

「それはすごいな!ユリさん、どれから入ろうか?」


目をキラキラさせながら期待しているレンドルフの様子が何だか可愛らしく思えて、ユリは思わず口元を押さえて口角が上がるのを隠してしまった。


「じゃあ、さっきの声がした鳥のいるところからにする?」

「そうだね!」


ユリに案内されながら、先程の声の主が声量の割に大変小さくて可愛らしい姿だったということに驚いたり、体の半分近くがクチバシという鳥に恐る恐る果物を与えたり、正面の鳥に夢中になって背後にいた鳥に催促をされたりと、レンドルフは実に楽しげに鳥達と戯れていた。レンドルフにとっては鳥は食べるか戦うかしか選択肢がなかったので、こうして美しい観賞用の鳥を間近で見たのは初めてだったのだ。

ユリにも果物を渡そうとしたレンドルフだったが、ユリはいつでも来られるから、と全部譲ったので、レンドルフは随分と鳥にモテていた。



やがて木箱の中の果物を全部食べさせてしまい、現金な鳥達はさっさと高いところに飛んで行ってしまった。レンドルフはまだ少し名残惜しそうだったが、ずっとマントを羽織っていたのでさすがに暑くなって来る。ユリと一緒に鳥籠を出て、マントを作業着の男性に返した。

ふと見ると、ユリの着ていた方のマントには三つも鳥の落とし物が付いていたのだが、何故かレンドルフには一つも付いていなかった。その事実に気付いた時、ユリは納得行かない顔で「解せない…」と呟いていたのだった。



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