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174.必ず助けに行くから


きちんと気配を消して控えていたのに、違うことなく一直線にやって来たレンドルフに動揺しながらも、エマは平静を装って頭を下げた。エマは黙って表情を消していると、元が整った顔をしているので冷製で有能な侍女に見えるので、内心自分の顔に感謝していた。エマは大公女の護衛兼侍女を務めているので優秀で実力もあるが、中身は割と肝が小さい質だ。しかしキリリとした顔立ちのおかげで、同僚以外にはそれはバレていない。


「タオルがあれば貸してもらえないかな」

「はい、こちらに」

「ありがとう」


少しだけ急かすような口調のレンドルフに、色々なものが入った手提げからすぐに大判のタオルを出して差し出すと、彼は微笑んで礼を言ってからすぐに踵を返した。レンドルフは大柄なのでああやって急に近寄って来られると一瞬身構えてしまうが、彼の人柄は主人のユリに対する様子で分かっているのでエマの中で信頼度は高い。先程ユリが急に泣き出してしまったのですぐにでも駆け付けた方がいいか迷ったが、少し離れたところにいるレストラン支配人のフリをしている執事長に視線だけで制されたのでその場で待機していたのだった。



『私、そんなに気配駄々漏れでした?』

『大丈夫だと思うけど、お前は控えてるの知られてた方がいいじゃん。むしろ消し過ぎだと思ったけど、ちゃんと向こうには分かってたみたいだし』


エマはそっと近くに控えていた給仕の格好をした大公家従僕の青年に話し掛けた。話し掛けたと言っても、ほぼ口の動きだけで音にはなっていないが、互いに訓練されているので通常の会話と遜色がない。

エマの役割は、視界には入らず気配も消しつつも未婚の男女を二人きりにしないように同行している侍女だ。きちんと「控えています」という気配はある程度出しておかねばならない。


『元近衛騎士だろ?普通よりも気配に敏くなるように訓練されてんだろうな。俺も追加注文の時にはっきりバレてた』

『その割に察しは悪いわよね。お嬢様の所作はどう見ても貴族令嬢なのに、まだ裕福な平民って思ってるんでしょ?』

『お嬢様もその設定のつもりでいるんだから、別にいいだろ』



もともとユリ自身はあまり社交に出ないが、この国では王族に次ぐ身分の令嬢だ。所作や礼儀などの淑女教育はきっちり受けさせられていた。その後「赤い疾風」のメンバーやその周辺の者達の協力によって、市井にいても不自然ではない程度の言動を覚えたのだが身に付いた貴族感は簡単に取れず、世間的にはきちんと教育を受けた下位貴族の令嬢、という評価だった。ただ当人としてはあくまでも裕福な平民のつもりでいるので、周囲も多少忖度をして肯定はしないが否定もしないということを徹底していたのだった。


レンドルフの方はと言うと、幼い頃は貴族女性は襲って来る恐ろしい存在で、成人してからは遠巻きにされるよく分からない小さな生き物という感覚なのだ。勿論故郷で母から教え込まれたことや、騎士の在り方として女性とは守り丁重に扱うべき者と認識はしているが、近しいところにいた女性が極端な例しかいなかったので仕方のないことかもしれない。何せ母親は一時ではあるが社交界の頂点の一角を担っていた淑女の中の淑女であったし、逆に義姉は誰よりも騎士らしく、長兄との婚約を決めた場でも結婚式でさえも騎士服で臨んだ女傑だ。近衛騎士であった時は基本的に男性王族に付いていたし、唯一近くで護衛を務めたのは幼い王女だけだ。その為レンドルフは、あまり下位貴族と平民の区別が所作だけでは殆ど分かっていないのだった。



『あれでバレないのが逆にすごいわよね』

『まーでもお嬢様の正体知ったら腰が引けて離れるクチじゃね?』

『えー逆玉の輿で将来安泰とか思わない?』

『思わねえから旦那様も執事長も放っとくんだろ。じゃなきゃ今頃潰されてっぞ』

『こっわ!あ、ヤバ…』


エマと従僕があまりにも任務そっちのけで話し込んでいるので、遠くから執事長がにこやかな微笑みをたたえて見ていた。二人はそれに気付いて慌てて口を閉じた。あの顔をしている執事長程怖いものはないと彼らは経験的に知っている。


二人は顔色を悪くしながら気配を消して、再び定位置に戻って行ったのだった。



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「ユリさん、少し濡らしておく?」

「ううん…このままで…」


レンドルフが急いで戻って来て聞くと、ユリは俯いたまま手を伸ばして来た。その手の上にそっとタオルを乗せると、ユリは顔を隠すように覆ってしまった。


レンドルフはベンチの上に置いた飲み物を零さないようにバスケットの中に避難させると、ベンチの端に置いてユリのすぐ隣に腰を降ろした。


「ユリさん、ちょっとだけ背中に触れてもいい?」


距離が近くなった分、レンドルフは声を顰めるようにしてユリに囁きかけた。ほんの一瞬ユリは動きを止めたが、顔を隠したままコクリと頷いた。レンドルフは許可を貰ったので、少し俯いて丸まっている小さな背中にそっと手を当てた。手の大きなレンドルフは、片手だけなのに背中の半分以上覆っているようになる。最初は本当に軽く触れるだけで、自分の体温を分けるように、そしてしばらくしてからゆっくりと撫でる。女性を慰めるのはこれで正しいか分からなかったが、小さなユリがいつも以上に儚く頼りなげに見えて、触れていなければどこかに消えてしまうのではないかと不安になったのだ。


「…ごめん」

「ユリさん?」

「こ、んな風に、泣いて、困らせる、つもりじゃ」

「大丈夫。俺は大丈夫だよ。そう簡単に誘拐されるつもりはないし。それにすぐには難しいかもしれなけど、もっと強くなってユリさんを不安にさせないように努力するから」


しゃくり上げるのを何とか止めようとしているのか息が上がってしまっているユリを、落ち着かせる為にレンドルフは指先だけで背中を軽くポンポンと叩く。


「それに…もし俺に何かあったら、ユリさんはちゃんと上の人に報告して」

「…!」


低く呟いたレンドルフの言葉に、ユリは目だけ驚いたようにタオルから放して視線を向けた。こすってしまったのか、目の回りが赤くなってしまっている。濡れて束になってしまった睫毛もそのままに、問いかけるような目がレンドルフを見つめた。


「そうすれば、きっとユリさんを守ってくれるから」


穏やかに微笑むレンドルフに、ユリは少し息を呑んだようだった。


「だ、って、それじゃレンさんが」

「俺は、これでも自分の立場は分かってるつもりだよ」



血筋としては高位貴族でまだクロヴァスの家名を名乗ってはいるが、身分としては正式な爵位も領地もない平騎士の貴族令息に過ぎない。あのまま問題なく近衛騎士でいたならば、通例として数年で叙爵されて最終的には近衛騎士団の籍を置く条件である伯爵位くらいまでは出世しただろう。もしくは手っ取り早く上位の伯爵以上の家に婿としてどこかに紹介されていたかもしれない。

しかし今のレンドルフは正騎士の資格は持っているが、不祥事を起こした平の問題騎士だ。片やユリはいくら助手で月の半分しか務めていないとは言え、国家事業の研究員の一人として選抜された将来有望な才媛である。どちらを優先するかは分かり切っている。



「俺を誘拐してユリさんに言うことを聞かせようとする輩なんて、取り引きしたところで俺をまともに帰すとは思えないし、一度で済むとは思えない。もしそれでユリさんがそいつらの言うことを聞いたら、ユリさんの方が重罪になるかもしれないだろう。それならすぐにでも上に報告すべきだ」

「でも、それでもし、レンさんに何かあったら」

「迷わず切り捨てて」


タオルで顔の下半分を押さえながらも、ユリが息を呑む音がはっきり聞こえた。ユリの眉が一瞬吊り上がるが、すぐにレンドルフの言い分が正しいのを理解したのか何も言えずにただフニャリと眉が下がり、再び目が潤み出す。レンドルフはいざという時は身を盾にしてでも王族を守る近衛騎士の感覚でつい口にしてしまったのは失言だったと気付いたが、既にユリの大きな目からポロポロとまた涙が溢れていた。泣きやませるつもりだったのにむしろ追撃する形になってしまってレンドルフが慌てふためく。


「あ、あの、俺が誘拐されるみたいなの前提になっちゃってるけど、そもそもそう簡単には攫われないから。こんなにデカイの、攫って隠しておくのが無茶だから」

「ホントに…?本当にレンさん、攫われたりしない?」

「…力の限り抵抗します」

「……嘘でも頷かないところがレンさんだなあ…」


ユリの目が、まだ涙を湛えながらも少しだけ笑ったのが分かった。まだタオルで顔を押さえたままだったが、ユリは手を伸ばしてレンドルフの顔に触れた。彼女のひどく冷たい手がレンドルフの頬に触れて、無意識にその上から自分の手を重ねてしまった。


「もしレンさんが攫われたら、必ず助けに行くから」

「だけど」


重ねた手の下からスルリと抜け出すようにユリの手が横に滑り、そっとレンドルフの唇の端を軽く押さえた。それだけなのに、レンドルフは口を開けなくなってしまう。


「そいつらの言うことには絶対従わないし、ちゃんと報告もする。それでも、どんな手段を使ってでも必ず助けるから」

「……」

「だから、()()()()


ユリの言葉に、今度はレンドルフが目を見張る番だった。思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまい、おそらく喉仏が動いてしまったのはユリにも見られただろう。



近衛騎士は、王族を守る為に彼らの予定や視察の日程、王城で狙われた時の抜け道などを把握している。勿論王族しか知らない通路も存在しているが、万一近衛騎士から情報が漏れれば被害は計り知れない。その為、あってはならないことは大前提だが、近衛騎士が王族の代わりに敵の手に落ちるようなことがあれば即座に命を絶つように誓約を交わしている。それは近衛騎士団の中で地位が上がれば上がる程強い誓約魔法が使われる。元副団長であったレンドルフにもその誓約は交わされている。現在は副団長ではないが、まだ先の予定を知り得ている為、少なくともこの誓約魔法を解除してもらえるのは一年は先だ。

近衛騎士の自害を命じる誓約魔法は、騎士団の中でも最重要機密にあたる。ユリの立場では知る筈がないのだが、まるで見透かされたような気がして、レンドルフはヒヤリとした。



「私を不利にさせるくらいなら、自分を消しに掛かるつもりでしょう?」


ユリの細い指が、少しだけレンドルフの唇の上を撫でる。どうやらユリは機密事項を知っている訳ではなかったので少し安堵したが、しかしもし誓約魔法がなくてもユリの言う通りにするだろうと自分でも予想がつくので、どうにも居心地が悪かった。


「絶対そんなことさせないから。何が何でも助けに行くから、それまで絶対待ってて」


真っ直ぐな金の虹彩が強い光を帯びたように見えて、一瞬レンドルフはクラリと目眩に似た揺れを感じた。ユリの強い意志を感じさせる視線に押し負けたような心地だった。レンドルフは口を押さえられたままなので、少しだけ頷く。

それから、ユリはハッとした様子で我に返るとすぐにレンドルフの顔から手を離し、再び俯いてベンチから立ち上がった。


「ちょ、ちょっと、顔洗って来るね!」

「う、うん…」


ユリが駆けて行ってしまったので、残されたレンドルフはしばらく凍り付いたように動きが止まっていたが、やがて大きく息を一つ吐くと、クテクテと崩れ落ちるようにベンチの背もたれに身を預けた。そして両手で顔を覆ったまま、レンドルフは随分と長い間そのままの姿勢でいたのだった。



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