173.本当の真相は
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互いに剣に見立てた人差し指を交差させるように合わせて「これからの話は他言無用」と言い交わして、軽くそれぞれの肩に指を乗せる。座っている間にバスケットを置いているのでユリの手が届かなかった為、レンドルフは少し前に乗り出して頭を下げる格好になる。初めて出会った時くらいに髪が伸びて来た柔らかそうなレンドルフの髪の隙間から、軽く伏せられた長い睫毛に一瞬ユリは見惚れてしまったが、何事もなかったように彼の肩に触れて誓いを交わす。
「ええと、俺から話すね?」
「うん」
「この前の討伐は、初遠征の新人を連れて行ってたんだ」
レンドルフは簡単に、それほど遠方の難しい討伐ではなかったが、天候が酷く荒れていたのと通常ならば棲息範囲ではない魔獣が出現したことで新人がはぐれてしまったと説明した。
「その後俺が合流したんだけど、怪我を負っていたから洞窟で休ませて救援を待っていたら大雨のせいで洞窟が崩れてね。土魔法で生き埋めになることは避けられたし、脱出もそう難しい訳じゃなかったんだけど、悪天候で魔獣と戦いながら怪我をした新人を連れて行くのは厳しいから、救援が来るまではその場で夜を明かすことにしたんだ」
言葉を選びながら話すレンドルフを、ユリは真剣な表情で見上げていた。もう終わったことなのだが、時折不安そうにユリの目が揺れる。彼女の金の虹彩は、真正面から見るとまるで発光しているかのような金色をしているので僅かな感情の揺れも分かってしまう。しかし少し角度が変わったり、視線が外れると金色なのは分かるのだが途端に目立たない色味になる。レンドルフはこれまで特に気に掛けていた訳ではなかったが、改めて見ると不思議な色だと思う。
「ただ思ったよりも新人の怪我が重くて、手持ちの回復薬じゃ役に立たなかったから、なるべく早く救援に来てもらう為にユリさんに伝書鳥を送ってもらうことを思い付いたんだ」
「でも伝書鳥って…」
「遠征した同じ部隊に索敵魔法を使える後輩がいてね。伝書鳥に使用されている隠遁魔法を見破れるみたいなんだ。たまにユリさんから伝書鳥が送られて来るのも見えてたし」
「そうなの!?」
「使い手全員が見えるとは限らないけどね。父も使い手だけど伝書鳥はぼんやりと薄く輪郭が見えるだけって聞いたよ。後輩は色まで分かってたから、個人差があるんじゃないかな」
「じゃあ、あの大量の伝書鳥がレンさん以外に丸見えだったと…」
基本的に伝書鳥は登録した当人にしか見えないようになっている。手元に来るときはほんの一瞬だけ見えるものが一般的だが、重要書類をやり取りしている場合は受け取ってからも見えないように設定することも出来る。
レンドルフがユリからの返信を受け取らずにいたのは、伝書鳥を見ることの出来る後輩が上空で旋回しているのを見つけてもらう為だったようだ。ユリはどれだけ送ったか自分でも把握していなかったが、レンドルフから届いた封筒を貰ってから一晩中送り続けていたので相当数になっていた筈だ。空を大量に埋め尽くしていたであろう伝書鳥を見られたのかと思うと、急に恥ずかしくなった。
「すごく綺麗だったって言われたよ」
「そ、そう…?」
ユリは内心、その後輩は気を遣って言ってくれたのだと思っていた。さすがにあの量は引くだろうと。
「俺も、そう思った。こう…両手一杯に抱え切れないくらいの鳥が降りて来て、夢みたいに綺麗だった」
「え!?待って、レンさん、他の人達がいる前で受け取ったの?」
「うん、そうだけど。すぐに受け取りたかったから。後輩には見えてたけど、周辺にいた救援部隊の騎士達はちょっと驚かせたみたいだ」
「ひあ…」
引く程の量を送ったのは紛れもなくユリ本人なのだが、人前でそれが明らかになるとは思っていなかったし、まさかレンドルフがまとめて受け取るとも予想していなかった。よく分からない羞恥心に襲われて顔を赤くしているユリに、レンドルフは目元を緩ませる。
「俺はすごく嬉しかった。この世にこんなに綺麗な光景があるんだって思ったよ。人前なのに、つい泣きそうになったし…その、実を言うと一人で手紙を読んでた時にちょっと泣いた」
本当はちょっとどころではなかったのだが、レンドルフは少しだけ見栄を張った。
「その…俺はユリさんに心配ばかり掛けてて、本当に申し訳ないと思うんだけど…でも、心配してもらえるのをちょっと嬉しいと思ってるのも否定出来なくて…」
「レンさん、それって…」
「いや、ごめん!本当に悪いと思ってます!」
思わず少々ジト目になってレンドルフを見てしまったユリに気が付いて、レンドルフは慌てて手をブンブンと振った。そして少しだけ視線を彷徨わせながら、上着の胸ポケットを探って細長い箱を取り出した。そしてその箱をそっとユリの差し出した。
「その…このタイミングなのもアレだけど、この前のお礼のつもりで…」
「え?で、でもそんなつもりじゃ…」
「本当は、今回助けてもらったこととかも含めたらこれくらいじゃ済まないから、また改めて贈らせて欲しいんだけど、今はこれを」
ユリはしばらくの間差し出された箱とレンドルフを交互に眺めていたが、箱の隅に印刷されている箔押しの店名は中心街でも幾つも支店を持っている有名な宝飾店だ。これを断ってしまってもレンドルフが困るだけだろうと思って、ユリはそっと両手で受け取ると、レンドルフは明らかに安堵した表情になった。
「ありがとう。でもそんなに気を遣わないで。それにこの調子で心配される度に何か贈ってたらレンさん破産しちゃうじゃない」
「それは望むところで」
「そんなことされたら心配で私の胃が破裂します!」
「それは駄目だ!」
慌てて否定するレンドルフの焦った顔に、ついユリは微笑んでしまった。その顔にレンドルフも釣られて安心したように微笑んで、誤摩化すように軽く頭を掻いた。
「これ、開けてみてもいい?」
「うん。これからの季節に、使ってもらえるといいんだけど…」
箱に掛かったピンク色のリボンを解いて蓋を開けると、両端に金色のクリップ状のものが付いている赤い組紐と小さな白い飾りが着いた装飾品が出て来た。
「可愛い…」
「ハットクリップなんだ。これなら気軽に使ってもらえるかと思って」
ユリは箱から出して、手の上に組紐を乗せる。クリップの部分は細かい葉のモチーフの彫金が施されていて、白いボタン状の飾りに触れると、思ったよりもしっとりとした感触で見た目よりも重みを感じた。とは言っても元が小さいものなので、これが丁度良い重りになって風に揺れて簡単に絡まらないように出来ているのだろう。
「これ、焼き物なのかな。手触りが石とは違う感じ」
「そうなの?その説明は聞かなかったな…」
「すごく可愛い。ありがとう、これから帽子を被って薬草園で作業が増えるだろうから、毎日使うね」
「気に入ってもらえたなら良かった」
目の高さに持ち上げてユラユラと揺らしているのを眺めているユリを見て、レンドルフはやはりこの色を選んで良かったと思っていた。ユリの艶やかな黒髪には濃い赤の組紐も、白地に金の花の模様が入った飾りも良く映えた。どちらかと言うとユリには濃い色合いがよく似合うので、髪も瞳の色も淡い色合いのレンドルフは少しだけ残念な気もしたが、それは心の中に押し込めた。
ユリは丁寧に箱の中に戻して、脇に置いていたポシェットの中に大切そうにしまった。
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「え、ええと…今度は私の話なんだけど…」
「その前に、飲み物の追加を頼もうか。ユリさんは温かいものの方がいい?」
「あ、うん。そうね。温かいもので」
ほんの少しだけ会話が途切れたのを見計らったように、ユリが少しだけ表情を強張らせて姿勢を正した。やはり先程ユリの様子が上滑りしていたように感じていたのは間違いではなかったようだと察して、その前に少しでもユリの緊張を緩められるように飲み物の追加を提案した。
軽くレンドルフが少し離れた受け込みに向かって手を挙げると、その場所から給仕の制服を着た若い男性が出て来た。その奥にももう一人いるようだが、出て来ないところを見ると一緒来ていた侍女のエマかもしれない。どちらも極力気配は消していたが、レンドルフは大体の場所は把握していた。
どんな飲み物があるか尋ねようとしたところ、既に片手にメニューを携えていた。二人で覗き込むように眺めて、ユリは温かいカフェオレを、レンドルフは冷たいフルーツティーを追加で頼んだ。
給仕が追加を持って来てくれるまで、少しだけ無言で目の前の池を見つめる。水の上に浮いている花は、幾重にも重なった花弁の花で水面に浮いているという点だけが同じで、他は色も花弁の形状も全く異なっていた。強いて言うなら全般的に色が濃くて鮮やかなものが多いくらいだろうか。
「ユリさんは、あの水の上の花は何か知ってる?」
「水牡丹のこと?」
「ああ、やっぱりユリさんは色々知ってるね。流れる水路のところにあっても揺れてるだけで全然流れたりしないから、面白いなって思って」
「あれは、半分透き通った茎と根が水の中にあって、水底に固定されてるから流れないの。近くで下を見ると、小さな鉢が沈んでる筈よ」
鮮やかなオレンジ色や、濃い紅色、紫などの極彩色の花が浮かんで、水の流れで少し揺らめいている様子はいくら眺めても飽きない気がした。
しばらくして給仕が追加の飲み物を持って来てくれた。それを受け取って、ユリは熱いカフェオレをフウフウと息を吹きかけながらゆっくりと一口啜り、ホウッと大きく息を吐いた。
「少し落ち着いた?」
「…分かっちゃった?」
「うん、何となく、だけど」
ユリは少しだけ俯いて、両手で蓋付きのカップを持ったままジッと手元を見つめていた。レンドルフは冷たくて果実の自然な甘さとほんのりとした苦味のあるフルーツティーをゴクリと飲み込む。冷たさが喉を滑り落ちて、胃の辺りもひんやりとした感覚になる。
「あのね、昨日、襲われたでしょう?」
「うん」
「あれ、襲撃者の目的が、レンさんの誘拐だったの…」
全く自分とは無縁だと思っていた単語を言われて、レンドルフは思わず目を丸くして何度か瞬きを繰り返した。幼い頃の華奢な時代ならほぼ日常茶飯事だったが、成長期を終えて体が出来上がってからは全く意識したこともない言葉だったので、すぐに自分のことを指していることを理解出来なかったのだった。その様子に、ユリは少しだけ眉を下げて困ったような表情で微かに笑った。
「間違いじゃないよ。向こうの狙いが、レンさん」
「お、俺…!?」
「あのテイマー達は想定外だったみたいなんだけど、最初からの狙いはレンさんだったって。だから…」
「すまない!俺のせいでユリさんに怖い思いをさせた!」
「え…ちが」
「正しいことをしても騎士である以上どこかで恨みを買うことを失念してた!そのせいで」
「違うってば!」
「…ユリさん?」
自分の誘拐計画をようやく理解した途端、レンドルフはガバリとベンチから降りて石畳の上に膝を付いてユリに深く頭を下げた。ユリが慌てて遮ろうとしたが、レンドルフはどんどんと頭を下げて行く。放っておいたらそのまま額が石畳についてしまいそうだった。ユリは急いでベンチから立ち上がってカップを置いてから、レンドルフの顔を両手で挟み込んで強引に上を向かせた。必死に言葉を紡いでいたレンドルフも、いきなり至近距離にユリの顔があったのでそのまま固まってしまった。
「レンさんのせいじゃない!私のせいだから!だから落ち着いて!!」
「……は、はい」
ユリの勢いに押されたのか、レンドルフは口を噤んで肩の力を抜いた。顔を持ち上げられた時、ユリと額が付きそうな程近くなっているのに気付いて、視線をウロウロと彷徨わせている。
「取り敢えず、座って」
「…はい」
彼女に促されて、レンドルフは軽く膝の砂を払いながらゆるゆると再びベンチに座る。すっかり顔に血が集中して熱くなってしまったので、レンドルフは冷たいフルーツティーをゴクゴクと一気に半分以上飲み干してしまった。
「…確かに狙われたのはレンさんだけど、それは私のせいなの」
「え?だって」
「あの共同研究ね、変な目的で接触されないように、研究員は全員キュプレウス王国製の魔道具を持たされてるの。始まったばかりなのに色々と内部情報を得ようとして来る人も結構いるみたい。でも、ウチの国とキュプレウス王国じゃ技術が違い過ぎて、その魔道具のおかげで全く研究員に近付けないのね。……だからレンさんを狙った」
「もしかして、俺を攫ってユリさんを脅そうとか…?」
レンドルフが尋ねると、ユリは無言でコクリと頷いた。
「ごめんね…私のせいで、レンさんが危険な目に遭ったし、怪我までさせたし…」
「違う!」
レンドルフは珍しい程に大きな声を出して、ユリの肩を掴んだ。大柄なレンドルフは間にバスケットを置いた状態で
も十分ユリの肩に手が届いて、更に上からのしかかるように前のめりになった。少し後方で、人の気配が距離を詰めて来たのを感じた。レンドルフが急にユリの肩を掴んだので、潜んでいた護衛が警戒していつでもレンドルフを制圧出来る距離まで近寄って来たのだろう。
「ユリさんは悪くない!悪いのは、標的が誰にしろ、誘拐して脅そうなんて考えた奴らだ」
「だけど…」
「俺が怪我をしたのもそいつらが悪いし、ユリさんは俺を助けてくれたじゃないか」
「それは…私と関わらなければ、そもそもレンさんは怪我を…」
「それは俺が弱いから。そんな俺をユリさんは何度も救ってくれてる。これは事実だよ」
ユリの大きな目が潤んで、とうとう片方の目からポロリと涙が落ちて頬を掠めて胸の上に転がり落ちた。肩を掴んでいた手をそっと外して、レンドルフは指の背で少しだけ頬の上に残っている小さな雫を拭う。
「…私、ちょっと考えれば予想出来たのに、レンさんに会えるのが嬉しくて、自分のことしか考えてなくて…」
当初の研究施設建設の最有力候補は、学園都市内の一角だった。そこにはもともと研究の為の広大な薬草園があり、そこを一部潰すことにはなるが、既に豊富な資料や優秀な人材も学園都市には揃っていた為、最適だと思われた。しかし一部の者は薬草園を潰して大きな施設を建てれば周辺の土壌や日照にも影響が出て、実際に潰した土地よりも遥かに大きな影響が出るとして反対意見もあった。そこで、候補地の中で下位の方にあった王城で特に使用されていない土地が急遽浮上したのだ。それには、薬草園の保護に賛同した共同研究のオベリス王国側代表とも言うべきレンザの活躍が大きかった。
実のところレンザは、大公家の後継であるユリと繋がりたいと社交の場に引っ張り出そうとするくせに影で「加護なしの死に戻り」と揶揄している王侯貴族達から切り離す為に、王城から遠い別邸にユリを住まわせていることを内心面白く思っていなかった。そこでこの研究施設の完全な治外法権を獲得して、月の半分でもユリと大公家本邸で暮らせるように手を回したと言うのが本音だった。完全な職権乱用なのだが、表向きには色々と利点も多いので誰にも知られなければ問題はない。
「…ユリさん、その、あの薬局でユリさんに会った時、ちょっと『もしかして俺に会う為に来てくれた?』とか考えて。その!自分でも自惚れてると、思ったんだけど…あの研究施設の研究員に選ばれるのは名誉なことだし、多分、俺の勘違いだろうと…」
「勘違いじゃない…」
ユリの呟きに、まだ片方は肩に置かれたままのレンドルフの手が少しだけ力が入る。少しだけ泳いでいたレンドルフの視線が驚いたようにユリの方を真っ直ぐ見つめた。その目の回りがうっすらと赤くなっているように見えて、それを見ながらユリは「やっぱり肌が白いんだなあ」などと頭の隅で考えていた。
「最初は、学園都市に設立する予定があったんだって。もしそうなら、入れる資格があるって言われても、話は受けなかった…」
「それって…」
学園都市は、もともと王領だった場所を開発して、街全体を学び舎として一から整備した場所だ。王都の一部でもあり王都でもない特殊な場所でもある。一応街道などは整備されているが、地理的にはエイスの街よりも離れた場所にある。もしユリが研究施設に雇われたとしたら、レンドルフのいる王城からは更に遠くなる。
見る間に顔全体どころか耳まで赤くなったレンドルフは、片方の手で隠すように顔を覆った。しかし片手だけでは全部隠せる筈もなく、隙間から見えている部分がどこまで行くのか心配になるほどどんどん赤みを増して行く。
「公私混同じゃない…とは言い切れないんだけど。その、ちゃんと雇ってもらう為の試験も、審査も受けてるけど、最終的な決め手って言うか、そもそも受けてみようって思ったのは、騎士団の敷地が近かったからで…」
そう言いながらどんどん声が小さくなって行くユリは、最後の方は殆ど囁くようになっていた。
「…だけど、それでレンさんが危険になるなんて、思って、なくて」
ユリの声が震えるように途切れて、レンドルフはハッとして顔を上げると、彼女は完全に俯いて表情が見えなくなっていた。ただ、垂れた前髪の向こうにポタポタと零れ落ちる水滴が見えて、それがワンピースの胸や足の上に転々と染みを作っていた。そして肩に置かれたままのレンドルフの腕に、ユリの小さな手が縋るように掴まっている。
「あのさ!ユリさんは悪くない!何度も言うけど、悪いのは悪い奴らで!」
レンドルフは慌ててポケットを探ってみたが、先程ユリが座る時にベンチに敷いてしまったので見つからない。空いている方の手で腕を掴んでいるユリの手をそっと握りしめると、あっさりと手を離したのでレンドルフは一度だけその手をキュッと包むようにしてから一旦放して丁寧に彼女の膝の上に戻す。
「ちょっとタオルとか、貰って来るから!そのまま待ってて!」
その言葉に俯いたまま僅かにユリが頷いたのを確認して、レンドルフは慌てて立ち上がって誰かが控えている気配を感じる植え込みに向かって勢い良く飛び込んで行ったのだった。