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171.ヤマアンズのあるレストラン(新規開店)


翌朝、早い時間からレンドルフは朝食前に体調と経過を調べてもらう為に、神官長レイの元に案内された。レイはあれほど深夜に顔を合わせた時と全く変わらず、隙のない美しい神官服と穏やかな微笑みをたたえて迎えてくれた。


「おはようございます。ご気分はいかがですか」

「おはようございます。特に問題はありません。ありがとうございました」

「念の為に鑑定で確認しますね。それと、念の為に少々血液を抜いて調べたいと薬師が申し出ておりますが…」

「はい、構いません」

「ご協力恐れ入ります。途中で気分が悪くなりましたらお知らせください」


レイは腕まくりをして差し出されたレンドルフの左腕に直接触れた。部屋の中が明るいせいか、昨日のように光っているのは良く確認出来なかったが、微かに皮膚の上に魔力が撫でて行くのを感じていた。レイの手は少しずつ移動をして行って、指先は他の箇所よりも長めに鑑定をしていた。


「問題はありませんね」

「ありがとうございます」


そっとレイは手を離して、柔らかく微笑んだ。信頼していない訳ではないのだが、レンドルフも少々緊張していたらしく、彼の笑顔でホッと息を吐いた。すぐに白衣を着た初老の男性が注射器などの器具を乗せた銀の盆を持って近付いて来て、まだ腕を出したままのレンドルフの向かい側に椅子を引いて腰をかけた。


「失礼致します」


白衣の男性はレンドルフの腕の付け根を強く縛ると、血管の浮いている腕を妙に嬉しそうに眺めていた。身の危険を感じる程ではないが、レンドルフはまるで舌舐めずりでもしそうな勢いに僅かに身を引いてしまった。


「博士」

「あ、いや失礼しました。久しぶりにこんなに採り放題の血管を見たので、つい我を忘れました」


レンドルフの様子に、まだ側にいたレイが軽く咳払いをして声を掛けると、博士と呼ばれた白衣の男性がヘラリと笑った。しかし物言いがいまいち安心出来ない気がするのは何故だろうか。レンドルフは鑑定を受けるよりも緊張した面持ちで固まっていた。


そんな不安は杞憂に終わって、博士と呼ばれた男性は手早くレンドルフの腕から血液を採取した。注射器の針を刺す時「ちょっとチクッとしますよ〜」とニヤニヤしていたが、それすらも全く感じなかった。腕は良いのかもしれない、とレンドルフは半分自分に言い聞かせるようにしていた。

その採取した血液を、側に付いていた助手らしき白衣の若い男性と二人で、無言のまま容れ物に分けて何やら試薬や紙などを差込んで様子を見ながら手元の紙に書き込んでいた。その間全く無言だったので、余程慣れているのだろうが、レンドルフからすると少々物珍しげに見えてつい凝視してしまっていた。


「これならば解毒剤は不要ですな。後遺症なども問題無しの数値です」

「そうですか。良かったですね、不味い解毒剤を飲まずに済みましたよ。いやあ、あれは長年生きていても上位に入る不味さですからねえ」

「あ、ありがとうございます」


折角急遽届けてもらった解毒剤を飲まずに済んでしまったので申し訳ないような気もするが、レイの太鼓判付きの不味い解毒剤を飲まなくて良かったとも思ってしまったので、内心複雑だった。


「それでは退出の手続きを終えればこれで自由ですよ。昨日は急ぎで宿泊の手続きも省略しましたから、まとめて書いておいてくださいね」

「はい。色々とお世話になりました」



レンドルフは泊まっていた部屋まで戻って、簡単に掃除をしてから荷物を持って受付に向かった。手続きの書類が揃うのを待つ間、ギルドカードに連絡を入れておいた。今度は即座にユリからの返信が来て、ノルドと共に迎えに行くので神殿で待っていて欲しいと入っていた。今まで連絡がなかったのは、治療などの経過を考えて様子を見てくれていたのだろう。声を吹き込んで文字にしてメッセージを送ってくれるものだが、無機質な筈の文字列が不思議と温かく感じて、レンドルフはその返信にそっと指で触れた。



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全ての手続きを終えてレンドルフが神殿の外に出ようとすると、外は霧雨が降っていた。朝から曇り空で、いつ降って来てもおかしくないとは思っていたが、あまりにも細かい雨で降り出したことに気付いていなかった。まだ水溜まりになるほどではないが、石畳はうっすらと濡れて光り出している。レンドルフは荷物を肩にかけて屋根のあるところまで下がった。大した雨ではないのだが、こういった細かい雨は思ったよりも濡れる。


「レンさん!」


今日の予定はどうしたものかと低い雲の空を眺めながら考えていると、神殿の正面に大型の馬車が停まった。随分大型な馬車なので、何人神殿に尋ねて来たのだろうとぼんやりと目をやると、馬車の扉が勢いよく開いてユリが飛び降りるようにこちらに向かって駆けて来た。驚いたレンドルフがすぐに動けずにいると、あっという間に入口に石段を上ってレンドルフの腕に飛びつくようにしがみついて来た。


「レンさん!大丈夫?腕、治った?」

「う、うん。大丈夫」


もう完治したと連絡はしていたが、やはり心配だったのかユリはレンドルフの左手をペタペタと確認している。その懸命な様子が悪いと思いつつ可愛らしくて、レンドルフは思わず笑顔になってしまう。


「ユリさん、そこだと濡れるから」


屋根のある場所のギリギリに立っていたので、ユリのいる位置では彼女が濡れてしまう。手を繋いだまま少しだけ下がって、建物の内側にユリを先導する。少しだけ触れた背中は、既に表面がしっとりとしている。

ユリを見下ろすと、白い襟と羽織った淡いピンク色のボレロが可愛らしいが、ベージュ色で細かいチェックが入った生地で裾がフワリと広がったふくらはぎくらいの丈の上品なワンピース姿だった。色が控え目なので大人が着ても子供っぽくはならず、ユリによく似合っていた。


「レンさん、食事は?」

「ああ、朝食は神殿で出してもらったよ」

「足りた?」

「…実は物足りない」


まだ神殿の入口付近なので、レンドルフは声を潜めて苦笑する。そもそも神官と騎士では運動量が違うので、量もさることながら内容も違う。神に仕えているとは言っても特に禁忌の食物はないが、神殿は人々の寄付で大半を賄っているので、あまり贅沢は歓迎されていない。その為、古くなって保管期限が切れそうな備蓄食糧などを使用することが主になり、穀物粥やスープなどが中心になる。大変体に優しく消化に良いので、レンドルフとしては腹八分目にも届いていなかった。配膳してくれた神官見習いが気を遣って大盛りにしてくれただけに、足りないとは言い辛かった。


「あのね、今日はずっとこんな天気みたいだし、ちょうど近くのレストランの予約が取れたのね。レンさんは大きな怪我したばかりだから、そこで一日のんびりしない?」

「それはありがたいけど…俺、こういう服しかないんだけど…」


ユリは品の良いワンピース姿なので、完全な貴族向けの店でなければ大抵のドレスコードは問題なさそうだ。しかしレンドルフはエイスでは冒険者で通しているのでラフな格好をしているので、予約が必要な店だと断られる可能性もある。普通ならどこかで買うか借りるかしてドレスコードに合った服を入手も出来るが、レンドルフの場合サイズ的にオーダーしないと着られるものがない。


「大丈夫!前にレンさんが連れて行ってくれたみたいな貸切のレストランなの。だから人の目も気にしないでいいよ」

「それなら大丈夫か。ありがとう」

「ううん。ええと、温室で花とか見ながら食事が出来るところでね、まだ出来たばかりだから一日居ても良いって」

「そうなんだ。温室なら天気にも関係ないね。そんなに良い場所を一日貸切ってすごいね」

「ちょっと、ツテがあったから」


ユリに促されて半分駆け下りるように神殿を出て、大型の馬車に乗り込む。霧雨から粒が大きくなって来たので、僅かな距離でも少し濡れてしまった為、既に馬車の中に控えていたエマがタオルを手渡してくれたので、ありがたく使わせてもらう。



「ノルドはこの天気だし、オヤツを貰ってご機嫌だったからいつものところにそのまま預けて来たよ。あと、念の為蛇が潜り込んでないかってことで、警邏隊に荷物とかの点検を許可しちゃったけど、大丈夫だった?」

「全然問題ないよ。代わりに色々とありがとう」

「それで、保存袋の中身も点検してたから、鮮度が心配だから薫製肉とジャーキーはミキタさんのところに持って行った。もし他に渡すところがあるならミキタさんにそのことは連絡しとくよ」

「それも大丈夫。何から何までありがとう。あ、でもジャーキーはユリさんに取ってもらってからにするつもりだったんだけど…」

「そうなの?じゃあそこはちゃんと連絡しとかなきゃ」


馬車の中でレンドルフが神殿に入ってからのことを、ユリは色々と報告してくれた。比較的元気な様子だったので、昨日襲われたことに関してはそこまで響いていないのかと思ったが、その元気が少し上滑りしているような気もする。あまり落ち込ませたくはないが、少し注意した方がいいかもしれないと心の隅に留めておく。


レンドルフはまさか自分が狙われたとは思っていないので、昨日の襲撃者はユリを攫ってあの共同研究の情報を得ようとしたのだと考えていた。きちんと護衛を付けていてくれるが、もし王城とエイスの街の往復であまりにもそう言ったことが多いようならもっとユリに護衛を増やしてもらえるように進言した方がいいかとも思っていたのだった。



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色々と話すことが多かったので、レンドルフはあまり外を見ていなかった。ただ、何となく以前に拠点として貸してもらっていたパナケア子爵別荘の方角のような気がする。そちらの方だと、エイスの街から出て貴族の別荘などが多く立ち並んでいる区域になる。レンドルフは、案内されるレストランは本当にドレスコードは大丈夫なのか少々心配になって来た。


「到着致しましたが、傘をご用意しますので少々そのままでお待ちください」


窓の外を見ると、雨は大分強くなっていて遠くが白く霞んで見える。周囲は特に建物がなかったが、植物園のように整然と手入れされた庭園が広がっている。そして馬車の近くに大きな温室がそびえ立っていた。小さな馬車の窓で全景は見えないが、随分と背の高い温室のようだ。


「お待たせしました」


反対側から一旦外に出たエマが、馬車の外で傘を構えている。レンドルフ用に大きな傘を用意してくれたのだろう。レンドルフが差せば通常の大きさに見えるが、女性が持っていると三人くらいは余裕で入れそうな大きさだ。


「ありがとう」


先に馬車から降りて傘を受け取ったレンドルフだったが、ふと足下を見ると大分ぬかるんでいることに気が付いた。一応飛び石のように足場は置いてあるが、地面にめり込んでいるのでその上に泥水が流れ込んでしまっている。


「ユリさん、ちょっとだけ触れるけど」

「え?ええ!?」


ユリは動揺して声を漏らしただけなのだが、それを肯定の返答と取ったのかレンドルフは馬車を降りかけていたユリの膝裏に腕を回してヒョイと持ち上げた。片手には傘を持って、片手にユリを抱える格好になり、ユリはレンドルフの胸に凭れ掛かるような体勢になって思わず彼の肩の辺りに手を置いた。レンドルフはユリが濡れないように彼女の方に大きく傘を傾けたので反対側の肩が少し雨に当たるが、全く気にしない様子で大股に温室の入口に向かう。

温室の入口にはまだ真新しい看板が掛かっていて、「本日貸切」となっていた。周囲は美しい寄せ植えの鉢が並んでいて、雨のせいか花の甘い香りが濃く漂っている。


入口の乾いた石の上にそっとユリを下ろして、彼女を濡らさないように離れて傘を折り畳む。後ろから来ていたエマがそれを回収してくれたので渡して振り返ると、ユリがハンカチ片手にすぐ側まで来ていた。


「レンさんちょっとしゃがんで」

「あ、自分で…」

「いいから」


ユリを濡らさないように傘を傾けていたせいで片方の肩と髪に雨が掛かってしまっているレンドルフに、ユリが何とか拭こうと試みていたが、全く届かないのでとうとう強引にユリが袖を引いた。遠慮していたレンドルフは、全く引きそうにないユリに仕方なくその場にしゃがみ込む。小さな手でせっせとレンドルフの肩や髪を拭いている姿を正面から見て、レンドルフはついそのまま先程のように再び抱き上げたくなる気持ちが沸き上がって来て、慌てて思い直す。こんな時に何と考えているのだと、内心自分を叱咤していた。


「ようこそいらっしゃいました」


あらかた水分も拭き取ってもらったレンドルフが礼を言って立ち上がったタイミングで、入口の扉が開いて、側には初老の執事のような姿の人物が立っていた。



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中に案内されると、温室という割に湿度が低く、外と少しだけ気温が高いようだがあまり気にならない快適な空気だった。足元の土は十分水分を含んでいるせいか、歩く場所は木道が設置されていた。その先にウッドデッキのような広い場所があり、木製のテーブルと椅子が置いてあった。


「わあ…」


ウッドデッキの周囲を取り囲むように背の高い木が植えられていたのだが、花の季節なのか一面にピンク色で染まっていた。盛りから少し過ぎているのか、風もないのにハラリハラリと音も無く花弁が降っている。まるで夢のような現実離れした美しい光景に、毎年見慣れている筈のユリでも思わず声が漏れた。


ヒラリとレンドルフの目の前に落ちて来た花弁を手の平で受け止めて眺めると、一見ピンク色かと思ったのだが、白い花弁の中心部が少しだけ濃い赤い色をしていた。ユリの指先よりも小さな花弁なので、花自体もとても小さい。それが一斉に咲くことで全体がピンク色の霞みのように周囲を覆い尽くしている。


「こちらはヤマアンズという花で、少し盛りは過ぎておりますが、散る様も美しいのでこちらにお席をご用意致しました」


座席に案内されると、何かの魔道具を使用しているのかテーブルの上には花弁は落ちていなかった。テーブルが広いので、完全な向かい合わせではなく少しはす向かいになるように椅子が並べられている。座ってみると思ったよりもお互いが近くに感じる。


「ヤマアンズの実を漬けた果実酒を炭酸水で割った食前酒でございます」


細いシャンパングラスに注がれた食前酒は、花と同じような淡いピンク色をしていた。グラスの内側に付いた細かい炭酸の泡が光を反射してキラキラと輝いている。共にサーブされた細長い平皿の上には、円筒形の小さなガラスの器が幾つか乗せられていて、その中に色とりどりのピンチョスが入っていた。ピンチョスにはオリーブやピクルス、チーズや小エビ、蒸し野菜などが刺さっていて、器の底に食材に合わせた違うソースが注がれているので、見た目にも美しく食べやすい。


「ええと、乾杯、する?」

「うん。何にしようか」

「そうね…レンさんの快気祝い?」

「そこまでじゃないと思うけど…お互いの無事で」

「うん。お互いの無事を祝って」


互いに持ったグラスの縁を微かに触れさせると、鈴の音のような可愛らしい音が耳をくすぐった。


一口飲むと、炭酸水で割ってあっても思ったよりも甘酸っぱい味と花のような香りがしっかりしていた。花自体は香りはしていないのだが、実の方は味も香りも強いようだ。レンドルフは初めて見るヤマアンズの花を眺めながらゆっくりと果実酒を味わった。こうして花を見ながらの食事でこんな風に楽しめる機会はあまりなかったので、とても贅沢をしているような気分になる。


ふとユリの髪に、花弁が一枚引っかかった。一瞬、レンドルフはそれを取ろうかと思ったのだが、彼女の黒髪に美しく映える白から濃い赤へのグラデーションをもうしばらく見ていたくなって、そのまま魅入ってしまった。


「レンさん?」

「あ、ああ…髪に、花弁が」

「あ、ありがと」


じっと見ていたことにさすがに気付かれて、ユリが首を傾げたのでレンドルフはすぐに手を伸ばして髪に付いていた花弁をそっと払った。


「この花、散るときが一番好きなの」

「あまり見ない花だよね」

「うん。異国の花で、ここよりも季節の寒暖差が大きい場所で育つ植物なの。その国では季節になると山が丸ごとこの色になるんですって」

「綺麗だな…」


ユリは、レンドルフの言葉にニコニコしながら頭上の花を見上げた。ヤマアンズは、オベリス王国の気候では栽培が少し難しい植物だ。その為、こうして温室などで気温を調節しないと花を咲かせることが出来ないのだ。


頭上を覆い尽くすようなピンク色の花をユリはうっとりと見上げていたので、レンドルフが言葉を呟いたときの視線が上の方ではなく横を向いていたことに気付いていなかったのだった。



ヤマアンズと言いつつ、イメージは桜です。

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