170.襲撃者の目的と作戦
「ユリシーズお嬢様。よろしいでしょうか」
「ええ。報告でしょう?お願い」
ユリは軽めの夕食の後に自室も調薬室にも行かず、珍しく図書室に籠っていた。机の上には爬虫類図鑑や、毒を持つ生物に関する研究書などが積み上がっている。
休憩も取らずに書物を常人ではあり得ない速度で捲っているユリの元に、執事長が封筒を片手に声を掛けて来た。ユリはすぐに手を止めて、傍らに置いてあったカップから冷め切った紅茶を一気に飲み干した。執事長は封筒から書類を取り出して、封筒ごとユリに手渡した。
「馬車を襲撃した賊は、テイマーが二名、フォーリハウンドが四頭で、全てクロヴァス卿が倒しております。内テイマーの一名は、警邏隊に引き渡す手続き中に死亡しました。ただ、その状況の異常さから即座に隔離の後、神殿からの情報で遺体は学園都市の研究室に移送されました」
「学園都市って…寄生蛇の毒で死亡したということ?」
「おそらくは。それは関してはまだ正式な報告は届いておりませんが…」
執事長は一旦言葉を切ってから、探るようにユリの顔を見た。その様子でユリはあまり聞いていて気持ちのいいものではないのだろうと察したが、レンザがいない別邸ではユリが主人になる。報告は聞いておかねばならない。ユリが軽く頷いて続きを促すと、執事長は軽く咳払いを一度してから口を開く。
「死亡したテイマーの胃の内容物から、爬虫類のものと見られる卵が複数発見されました。一つ一つが時間停止の保存の付与が掛けられた袋に厳重に包まれていましたが、おそらく斬られた時の衝撃で袋の一つが破損しておりました」
「テイマーの胃の中…寄生蛇の密輸ね」
「はい。状況からして間違いないでしょう。その袋の中から割れた卵の殻が一つ分確認されたそうです。お嬢様が提供した個体で数が合いますので、国内に放たれた可能性は低いものと思われますが、念の為周辺はしばらく封鎖して探索に当たらせることになっております」
「そう。それは幸いだったわね」
寄生蛇は、極寒の地で生き延びる為に恒温生物の体内で生き延びる生態を獲得した。そしてその進化の結果、逆に寄生蛇は極寒の地で生きる魔獣の体温でしか生きられないという体質になったのだ。研究者が長年掛けて調査をし、現段階では寄生蛇は生息地の極北の島以外の土地では生き延びられないと言われている。しかしそれは成体に関してであり、爬虫類の中には卵の時点で周辺の環境に合わせて体を変化させる種類もいることから、卵を入手して様々な環境で孵化させる研究を進めている最中だ。今のところ、環境を変えても孵化まではするらしいが、すぐに死んでしまうか生殖能力がない個体しか生まれず、やはり限られた環境でしか生殖を維持出来ない固有種だという見方が主流だ。
しかし一代限りでもその有用性を見出している者もいる。まずあまり人に知られていない毒蛇なので、その毒を抽出して使えば正体不明の毒として解毒剤も準備出来ないため、確実性の高い暗殺などに用いることが出来る。他にも、寄生された魔獣はその恩恵によって強く大きな個体に育ちやすいので、それを利用すればあらゆる用途が考えられるだろう。
その為、卵のみを密輸しようとする者が存在していた。成体を密輸するには魔獣ごと運ばねばならないし、検疫も厳しい。卵であれば、あのテイマーのように隠して運ぶことも可能だ。卵の大半は孵化しなかったり、したとしてもすぐに死んでしまったりで徒労に終わるが、たった一匹でも生存させられればその対価は莫大なものになる。そのテイマーも、万一と言う危険を冒してでも一攫千金を狙って密輸していたのかもしれない。
「あのテイマー達は、我が国も含めて八国から手配されている強盗犯でした。ここ数年は被害報告も上がっていなかったので、引退か死亡かと推測されていましたが…」
「誰かの依頼で北の島まで卵を獲りに行ってた、ってことね」
「おそらくは」
その卵を入手したので戻って来たということだろうが、最大の問題はオベリス王国にいたということだ。いくら保存の袋に入れていたとしても、万一のことがあるのだから早く取り引きをしたい筈だろう。ということは、取り引き相手はオベリス王国内にいるということになる。
「密輸に関しては、王家の『影』と第三騎士団が連携して動いております」
「それなら密輸の件はあちらに任せて大丈夫ね」
「はい。毒の件で何らかの協力要請があるやも知れませんが、それについては旦那様が対処なさると」
「分かったわ」
「それから、奴らが馬車を襲った件ですが、これは全くの偶然…とまではいきませんが、想定外のものであったと思われます。まだ調査中ですが、ほぼ確定と私は考えております」
執事長は大公家諜報隊の一つである「根」の上官でもある。別部隊の「草」については非干渉ではあるが、彼の元には優秀な大公家お抱えの諜報員の約半分の情報が集まって来る。そこから導き出したのであるならば、信頼の置ける話だろう。
あの工房街で誘拐を目論んだ者は確かに存在していた。ちょうど人通りが途切れて、街灯が点いていなくても怪しまれない最も見通しの悪い時間帯に通過するように、幾つもの小さな罠を仕掛けていた。しかもその罠を仕掛ける人間は、ただ小遣いをもらって荷を崩して迂回路を通らせたり、道に水を巻いてぬかるみを作ったりと、全く無関係な人間を関わらせることで分からないように周到に準備されていた。そうやって狙いやすい環境を作り上げて襲撃者が標的を攫う予定だった。
だが、それよりも前に大公家の「草」「根」の部隊がきっちり主犯格の身柄を確保していた。その為、本当ならばユリ達は多少暗いと思ったとしてもそのまま通過してエイスの街まで安全に移動出来る筈だった。
しかし、その捕獲した者達の中にテイマーとの顔見知りがいた。彼らから情報を引き出す為に潜り込んでいた諜報員との会話を、何か儲け話かと思ったテイマーが盗み聞きをしていたそうだ。彼らは寄生蛇の卵を密輸してオベリス王国に入り込んでいたが、王都から離れた取引先に向かうまでに一稼ぎして行こうと目論んだらしい。そして首謀者が捕縛されたのを見て、お膳立てが揃っているのならばそれに替わって自分達が美味しい思いをしようとしたそうだ。大公家の精鋭達も、主犯各全員を抑えたにもかかわらず、横から無関係の人間がその策に乗っかって割り込んで来るのは想定外だったのだ。
「しかし、想定外とはいえ対処出来なかったのは由々しき問題です。今後はこのようなことがありませんよう、改めて鍛え直すよう旦那様よりきつく命じられておりますので、お嬢様もご容赦いただけましたら」
「あ、う、うん、分かった」
ほんの一瞬ではあるが、天井の方から動揺したような気配が伝わって来た。どちらの部隊の者かは分からないが、鍛え直しは執事長がまとめている「根」だけでは済まないだろう。ユリは内心気の毒に思いながらも、どうすることも出来ないのでそっと心の中で「頑張れ」と応援したのだった。
「ええ…それから…大変申し上げにくいのですが」
「いいわ、話して」
「…今回、首謀者達が攫う標的にしていたのは、クロヴァス卿でございました」
「レンさんを!?え?何で!!」
思いもしなかった名が出て来て、ユリは思わず立ち上がってしまった。弾みでカップが転がったので反射的に広げていた本を抱え上げたが、よく考えたら先程飲み干していたことに気付いてホッと息を漏らした。
「お嬢様、落ち着いてください」
「あ、うん、ごめんなさい…あの、それでレンさんを誘拐って…」
一般的に誘拐と言われるとか弱い令嬢や幼い子供を想起させるので、成人男性でしかも極めて大柄でどう見ても騎士なレンドルフと誘拐とはあまり結びつかない単語だった。
「お嬢様は一見するとあの研究施設の中では、最も弱い立場にあると思われていることのご自覚はございますね?」
「それは承知してるわ」
あのレンザが実質最高責任者に就任しているキュプレウス王国との共同事業の施設に勤める研究員は、身分や出自に関わらず研究に携われる才能や実績を有している者が選ばれている。勿論それだけでなく、守秘義務を厳守出来ることや、他者の足を引っ張っるような性質や研究の足枷になるような事情を持つことはないかも厳重に調査された。
その上で選ばれても、身分が低い者や縁戚関係などのしがらみから取り入ったり脅したりして情報を得ようとする者は出て来る。それを防ぐ為に、研究員の出自は公表されていないのだ。全員印象をハッキリさせないキュプレウス王国特製の魔道具を付けて、人物を特定出来ないようにしている。そして自身で身を守ることが難しい者には国からの護衛が付くなど、情報漏洩や外部からの圧力などから切り離すように気を配られている。
勿論完全に情報を遮断することは出来ないが、それを逆手に取ってわざと違う情報を流していたりするので、事実に到達するにはどんなに優秀な諜報員を使っても時間が掛かる。そうやって時間が掛かっているうちに逆に首謀者を辿られて痛い目を見ることになる。
その中で、ユリは薬師見習いの助手として採用されている。多少はレンザの孫であることを考慮はされているが、試験も実績もきちんと採用基準に達していた。考慮された点は、ユリの身を守る為の護衛は全て大公家から出されていて、一人分の予算が節約されることになるくらいだろう。
しかしそんな実情を知らない者には、ユリは最も言うことを聞かせやすい隙がある立場のように見えるらしい。そのうちにユリに手出しをするのは不可能と察するだろうが、今のところ一番狙われているのはユリなのだ。
「お嬢様が王城の外に出る際や、こちらにお帰りになられる時には複数名の替え玉を用意しておりますので、お嬢様に到達出来る者は殆どおりません。しかし、目印に気付いた者がいるようで」
「目印…って、レンさん!?」
「はい、その通りでございます」
あまり隠そうとするのも却って怪しまれるということで、施設内のキュロス薬局受付担当の女性とレンドルフが顔馴染みというのは特に口止めはしていない。仲が良さそうなので、騎士団内の一部ではもしかして恋人関係なのではないかと囁かれてはいるが、せいぜい噂の域を出ていない程度だ。それにどちらかと言うと、以前に変装してレンドルフとパーティーに参加していた姿を見ていた第三騎士団の騎士達から、色々と作り込んだ姿のユリの方が恋人だろうと真しやかに言われていた。
しかしどうにかして施設の研究員と繋がりたい者からしてみると、レンドルフは格好のエサだと思われたらしい。レンドルフの身柄を抑えてしまえば顔も素性も分からない研究員に繋がる糸口になるのではないかと考え、今回の誘拐を目論んだようだった。
とは言え、盗み聞き程度で割り込んだテイマー達はそこまでの意図は理解していなかったらしく、誰かを攫うということで当然のように馬車の中にいる女性と思い込んだようで、まさかレンドルフとは考えが至らなかったようだ。
「それ…狙われたのが誰にしろ、私のせいじゃない…」
ユリは執事長からの報告を聞きながら、生かして捕らえた襲撃者の調書に目を通す。彼女の湖水のような澄んだ青い目と金の虹彩が左右に揺れる度、眉間の皺が深くなって行く。
レンドルフは騎士としての実力は上の方だし、魔法もかなり使える。それを攫うのは困難ではあるかもしれないが、手段がない訳ではない。それに厄介なのは彼自身の力だけであって、権力、政治的な意味では脅威ではない。辺境伯の生まれではあるが、兄が家を継いでいて既に後継の甥もいる為、レンドルフには継ぐような爵位も領地もない。そして厳重に秘匿されて真相は伏せられているので、就任して僅か半年で重大な国際問題を引き起こして近衛騎士団副団長を解任されて、騎士団の中では一番地位が低い第四騎士団に左遷されたと周囲には思われている。
調書を読み進めると、彼を攫ってユリに脅しを掛ける為なら多少痛めつけても、最悪それで命を落としたところで簡単に揉み消せるという意識が透けて見えた。
ユリは読んでいる調書を幾度も握り潰しそうになって、どうにか堪えた。当たるのは苦労して短時間でこれだけの情報を集めてくれた調書ではない。
「どうもありがとう。引き続き詳しい捜査をお願い」
「畏まりました。…ところでお嬢様」
「何?」
「明日のご予定はどうなさいますか」
「あ、明日…」
明日はレンドルフと出掛ける予定だったが、完治したとは言ってもあれだけ大怪我をしたのだから予定通りにするわけにはいかないだろう。ユリとしては、レンドルフの無事を直接確認したいという気持ちもあるが、自分のせいでレンドルフを危険に晒したかと思うと顔を合わせ辛い。
「取り敢えず、神殿から連絡が来たら、迎えに行くわ。その後は…疲れてるかもしれないから、レンさんがゆっくり休めるような宿を手配して。安全面でも、サイズ面でも、寛げるようなところにしておいて」
「承知致しました」
「それから…」
そのままユリは黙り込んでしまった。明日は一緒の約束をしているのだから、急にユリが顔を合わせないと言い出したら余計な心配をかけてしまう。かといって遠出は止めてエイスの街を散策して、また狙われないとも限らない。エイスの街は自警団や駐屯騎士団などがこまめに目を光らせているので治安の良い地区だが、騒動になることは避けたい。
「南の薬草園の温室は如何でしょう」
「温室?でもあそこは」
「今はヤマアンズの花が散り際ですが、見事ですよ。あの場所に食事の出来るような場をお作りしましょう。池の側にはベンチも設置しておきましょうか」
「え…あの」
「そうですねえ、あの温室は、最近出来た予約制のレストラン、にしましょう。明日は雨模様のようですから、丁度良いレストランの予約が取れて良うございましたね」
「……うん。ありがとう」
大公家別邸の屋敷は、地位の割にそこまで大きなものではない。それは護衛の目が届きやすく、全員が互いを良く知る人数で調整されているからだ。あまりにも人が多いと、諜報員が入り込んでも分からなくなることを避ける為だ。しかし有している土地は広く、大きな薬草園や実験用の畑、温室などを幾つも作っている。敷地内の温室ならば、レンザが命じて王族の居住空間に匹敵する程の厳重な防犯の魔法と魔道具を設置しているし、周囲を護衛で固めるのも難しいことではない。
そこをレストランと称してレンドルフを連れてくれば、他から狙われるようなこともなく、人の目も気にせずにゆっくりと過ごすことが出来るだろう。執事長の勧めてくれた南の薬草園の温室は、別邸から最も離れている。おそらく同じ敷地内とは思われない筈だ。
「明日のランチの準備を料理長が張り切って準備しておりましたから、ガッカリさせなくて済みます」
「そうね。じゃあ、準備はお願いね」
「お任せください」
ユリは幾つか明日の打ち合わせをして、調書を封筒に戻して執事長に返した。これはきちんと清書されてレンザの元にも送られる。そのまま執事長はお辞儀をして図書室を出て行った。
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「お嬢様、そろそろお休みになるお時間です」
「もう?もう少し…」
「寝不足でもございませんのに既に酷い顔色をしておいでです。今日はこのままお休みください」
「う…分かったわよ」
ユリの側に控えていて今まで全く気配も出していなかったミリーに声を掛けられて、ユリはバツの悪そうな顔をして様子を伺った。しかしミリーは譲りそうもないので、ユリは机の上に並べた本を棚に戻しに行く。ミリーもテキパキと高い棚の上の本を戻して行く。その手には迷いがない。
「あ…レンさんに返信してなかった…」
「明日にお願いします」
「一言だけ!無事で良かった、って言うだけだから」
「お嬢様は10文字送るのに一時間は悩む方ではありませんか。今日はもう諦めてください」
「すぐに済ませるから!」
「おそらくもうお休みになっていると思いますよ。大きな怪我をなさったのでしょう?それに神殿にお泊まりでしたら、する事もなくて寝るしかありませんよ」
「…そうよね」
ミリーに言いくるめられて、ユリは渋々納得して手にしたギルドカードを手放したのだった。