169.迷う者と守りたい者
神殿で待っていたベテランで毒を専門にしていた薬師二人に氷漬けになっている蛇を確認してもらったところ、寄生蛇には間違いないが、二人とも見たことがないとの見解だった。オベリス王国では資料が少ないので、ただ図鑑に載っていないだけかもしれないが、変異種という可能性もあるのでこのまま解剖はせずに学園都市の研究室に送って確認してもらうべきだと判断された。ここで解剖しても機材や専門的な道具が圧倒的に不足している。万一毒に触れてしまったら大事になってしまう為、仕方なく諦めたのだった。
そうなってしまうとユリにもやれることはない。結論が出た頃、神殿からレンドルフの治療が無事に終わったことと、経過を見る為に今夜は神殿に泊まるという連絡がギルドカードに入っていたのを確認した。それを見た瞬間、ユリは安堵のあまり思わずその場に座り込んでしまってエマとサティに心配をかけてしまった。
レンドルフも神殿に泊まるし、寄生蛇についてもすぐには結果は出ないということで、今日のところはユリは大公家別邸にそのまま帰ることにした。レンドルフは翌朝に取り寄せてもらっている解毒剤を投与して、問題がなければ出られることになっているようだ。本当は明日はフィルオン公園まで出掛ける予定だったが、もっと近くでゆっくり出来る方がいいだろうと、ユリは帰り道の馬車の中でぼんやりと考えていたのだった。
(レンさん、折角の休暇なのに巻き込んじゃった…)
王城の研究施設と別邸の往復生活を始めて三度目の移動だが、前の二回もちょっかいを出して来る存在はいたが、大公家の精鋭がいつも以上に付いているので事前に処理をしていたし、今回も大丈夫だと思っていた。しかしそれは単に様子見をされていただけで、今回はユリのところにまで襲撃者が到達してしまった。そのせいでレンドルフが怪我をして、しかも一歩間違えば命に関わるような毒蛇まで使われていた。
ユリはここで落ち込んでいても何も解決しないと分かっているので、なるべく明日のことを考えようとしているのだが、振り払おうと思えば思う程思考が暗い方向へと沈んで行く。レンドルフからの連絡に無事で良かったことへの喜びを返信したいが、その一言すら送ることを躊躇ってしまう。
(ごめん…レンさん、ごめん…)
ユリは目の奥がジワリと熱くなって視界が歪んだが、必死に堪えて服の奥にいつも身に付けている魔鉱石のペンダントをキツく握り締めたのだった。
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レンドルフはふと目が覚めて、一瞬自分がどこにいるか分からずに数回瞬きをした。しかしすぐに思い出して、ムクリとベッドの上に起き上がった。窓の方に顔を向けると、まだ暗いままだった。王城内の団員寮は警備の関係や街の街灯などの明るさがあるのだが、神殿内は殆ど明かりがないのでより暗く感じる。
時計を確認すると日は変わっているが、まだ深夜と言う時間帯だ。このまま寝てしまおうかと思ったのだが、どうにもいいタイミングだったのかスッキリと目覚めてしまっている。少し眠気が来るまで起きようと枕元のランプを点して、ベッドから降りた。サイドデスクに置いた水差しを取ってカップに注ぐ。そのついでに隣に置いておいたギルドカードに目をやったがユリからの返信はないままだったので、少しばかりレンドルフは気落ちする。もしかしたらあの毒蛇や襲撃して来たテイマーの件で色々と忙しかったのかもしれない。本来ならばレンドルフが状況説明しなければならないのだが、治療の為に神殿に運ばれて隔離されてしまった為にユリ達が後処理を引き受けてくれているのかと思いあたり、大変申し訳ない気持ちになった。
(少し、外に出ても大丈夫だろうか…)
チラリとカーテンを開けて窓の外を眺めると、隣の敷地は中庭のようになっていて石造りの泉のようなものが見える。注意深く観察してみたが、誰もいないし危険もなさそうだった。
少しだけ夜風に当たりたくなって、レンドルフはそっと扉を開けて外に出たのだった。
外に出て数歩歩くと、足元でパキリと少々不穏な音がした。神殿が貸してくれたサンダルなのだが、一番大きなサイズでもレンドルフの足には大分小さかった。足に引っ掛けるベルトの部分が、レンドルフの足では指四本分しか収まっていない。無理に履いてみたのだが、ベルトと底の繋ぎ目が悲鳴を上げたようだ。レンドルフが履いていたのは編み上げブーツなので、ちょっと履いて出るには不向きなものだ。
レンドルフはどうしたものかしばし逡巡して、周囲を見回して誰もいないのでそのままサンダルを脱いで裸足になった。部屋の外は石造りの回廊があって、そこから中庭のような場所へは直接出られるようになっている。中庭は芝生が敷き詰められているのでそうそう汚れることはないだろうと思って、レンドルフはこっそりと裸足のままペタペタと歩いて外に出た。
外に出ると思ったよりも明るく、空を見上げると満月に近い月が空に浮かんでいる。気温も少しだけヒヤリとしているが、むしろ体温の高いレンドルフにしてみれば心地好いくらいだ。時折風が吹いて、サワリとレンドルフの軟らかい前髪を揺らした。
大きく息を吐いて、レンドルフは泉の縁に腰を降ろした。
空をぼんやりと見上げながら、レンドルフは昨日の出来事を思い返していた。
レンドルフは、故郷にいた時は魔獣討伐ばかりで、騎士団に入団してからは近衛騎士として主に護衛を務めていたが、人を斬った経験がない訳ではない。王族や要人を狙う輩はどこにでもいる訳で、襲撃者は可能な限り背景を探る為に生け捕りにするようにとの命は受けているが、護衛対象の生命が最優先事項なので、状況によってはやむなく殺めることもある。凶悪な犯罪者を追い、場合によっては自己判断で処断することの多い第三騎士団に比べれば少ないだろうが、騎士である以上避けられないことだ。
もともとレンドルフは、魔獣に対しては容赦はしないが人同士とは協力が必須な辺境領での教えが身に滲み付いている。その為、覚悟はしているもののやはり対人戦はあまり得意ではなかった。それに関しては、近衛騎士団長ウォルターに複雑そうな顔で指摘されたこともある。
『敵を行動不能にして生け捕りにするというのは確かに最善手ではあるが、優先順位を間違うな。どちらかしか取れない時に迷うな』
何度かそう言われて、レンドルフもその内容は納得していた。しかしそう頭で分かっていても、なかなか体が付いて来なかった。背後の護衛対象を庇いながら襲撃者と対峙すると、一瞬体の周辺に水が纏わりつくような感覚に陥る。自分の感覚であるし、そこまで動きには影響はなかったのかもしれないが、敵が人だと認識すると一瞬だけ狙い所がぶれるのだ。どんな状況でも、まず相手の足や腕を狙ってしまう。そしてすぐに状況を判断して修正するのだが、そこに僅かに遅れが出来る。その度に、「今回は上手く被害を出さずに生け捕りにも成功したが、ただ運が良かっただけかもしれない」と反省して鍛錬に励むことの繰り返しだった。
「今回は…迷わなかった…」
昨夜の襲撃者に対して、レンドルフは真っ先に急所を狙った。ただほんの一瞬だけ思い直してギリギリで切っ先を下げた為に、首ではなく腕を落として行動不能にすることが出来たのだ。全くいつもと逆だった。そしていつも人と認識すると感じる、纏わりつくような感覚も一切なかった。
「何か迷われていたのですか?」
不意に離れた場所から声を掛けられて、レンドルフはビクリと肩を揺らした。
振り返ると、そこにはまだ神官服をきちんと着込んで長い銀の髪を風に揺らしながらレイが佇んでいた。
「あ…あの、申し訳ありません。少々目が冴えてしまいまして」
「ああ、構いません、そのままで」
今のレンドルフの姿は、胸回りはぴったりとして丈は膝までしかない借り物の夜着姿で、しかも裸足だ。よりにもよって神官長の前に出ていい格好ではない。慌てて畏まるレンドルフに、レイは穏やかに笑いながら制しつつ泉のところまで歩み寄って来た。
「このような格好で…」
「いえ、神殿がきちんとしたサイズのものを用意出来なかったのですから、こちらが謝罪すべきことです」
「いや、その、ちゃんと一番大きなものを用意していただきましたので」
「それではもっと大きなものを作るように提案しておかねばなりませんね」
「そこまでしていただかなくても…」
「誰もが体の大きさに関わらず怪我や病の治療に来るのです。ですから誰かに不自由な思いをさせてはいけません」
「…ありがとうございます」
レイはそのままレンドルフのいる泉の縁に同じように腰を降ろした。彼の真っ直ぐで長い銀の髪が、月の光に照らされて淡い金色に光っている。まるで色が無いと見間違えてしまいそうな程に薄い水色の瞳が、少しだけ笑いを含んでレンドルフを眺めていた。
「何か、迷いは解決しましたか?」
「あ…ええと…」
「申し訳ありません。どうも年で眠りが浅いくせに耳だけは良いもので」
「いいえ。…その、こんなことを神官長様にお話しすることではないのですが…」
「私は主神キュロス様にお仕えする身ですが、今は子供は眠っている時間ですから」
主神キュロスは、太陽と昼と司り、子供の姿をしていると言われている。もっとも神に近い位置で祈りを捧げる役割の神官長にそう言われると、彼に相応しくない話題でも口にしてもいいような気がして来る。少しだけレンドルフはクスリと笑ってしまった。
「その…俺は、護衛の任に付くことが多かったのですが、人を斬るということに抵抗があったんです」
人と対峙する度に纏わり付くような感覚があった。
「けれど、それは本当は良いことではないと思っていました。いえ、人を殺めることが良いのではなく、人を護る任務にいつかは支障が出るのではないかと。ですが、昨日は…その、躊躇いなく、と言いますか…むしろギリギリで助けたと言いますか…」
傍から見れば、レンドルフの行動は何ら変化はない。結果的に襲撃者をいつものように行動不能にして生け捕りにしたのだ。けれど感覚的にはいつもの自分と真逆だったのだ。そのことについて不快感はないが、戸惑いが大きいのは確かだった。
レンドルフは上手くまとまらないままだったが、ポツポツと言葉にして吐き出していた。そうすることで、自分の中にある漠然としたものの輪郭が浮かんで来るようだった。それが分かっているのか、レイは隣で時折相槌を打つだけで、静かにレンドルフの言葉に耳を傾けていた。
「貴方の中で、その元上司の方が仰ったような、優先順位が付いたのではないでしょうか」
「…そうでしょうか」
「私は…人は、一本だけでも根差した根、夜にしか見えない動かぬ星、そういった芯になるものが必要不可欠と思っています。その芯は、帰る家や大切な人などそれぞれでしょうが、そういったものを持つ人は、より強くなれるのだと思いますよ。私はこの立場ですから、守る為に全てを排除することは勧められませんが、それでも大切なものの為に戦うことも、捨てることも、嫌いではありません」
「より強く…なれるでしょうか、俺に」
「貴方は十分お強いように見えますが、随分と向上心があるようですね」
「そういう訳では…」
レンドルフは少し照れたように頭を掻いた。
レンドルフは力も剣術も強い方ではあるし、魔法もそれなりに使える。しかし無敵ではないし、まだまだ至らないところも沢山あった。ただ単に鍛錬をして鍛えるだけでなく、もっと色々な意味で強くならなくてはならない。その方法についてはまだ分からないが、レンドルフは今、脳裏にハッキリと浮かんでいる相手を守る為にもっと強くなりたいと、そう思った。
「少しは、すっきりしましたでしょうか」
「ありがとうございます。おかげで、色々と気付けました」
「それなら良かった。それでは、私はこれで失礼しますよ。おやすみなさい」
「はい!失礼致します。おやすみなさい」
フワリと軽やかにレイは立ち上がって、軽く手を振りながら神殿の中へと帰って行った。レンドルフはもうその場からいなくなったレイに対して、しばらくは感謝を込めて頭を下げ続けていたのだった。
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顔を上げて再び空を見上げたレンドルフは、随分とスッキリした表情になっていた。
レンドルフはこの先も騎士は続けるつもりだ。任務で命じられれば魔獣を狩り、時には貴族や要人を警護することもあるだろう。それは天職だと思っている。けれどもし、誰かを選ばなければならないのであれば、自分の意志で選び守り抜きたい人が出来た。
しっかりしていて、良く表情の変わる深い緑色の大きな瞳と豊かな黒髪と小さな体。可愛らしいのに強かなところもあり、自分のこと以上にレンドルフのことを心配をしては怒らせて涙目にさせてしまうことを申し訳ないと思いつつ、それが密かに嬉しいとも感じている存在。このアンバランスな顔と体を揶揄することも怯えることもなく、躊躇わずに隣にいてくれる人。
彼女の、ユリの為に、レンドルフはもっと守れるように強くなろうと、心に決めたのだった。
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