166.何者かの襲撃
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戦闘、怪我の表現があります。ご注意ください。
「レンさん、大丈夫かしら…」
馬車をエイスの街へ向けて走り始め、少しずつ外の喧騒が間遠になって行った。中心街から離れると、一気に建物や民家が減る。街道沿いには多少店が点在してはいるが、中心街と違って店じまいが早い。まだ空には残照があるが、既に殆どの店が閉まっている。一応王都内なので、全く何もない荒野を行く訳ではないが、建物がある分物陰が出来ているので見通しが悪かった。王城から繋がっている大きな街道沿いならばそれなりに栄えているのだが、その道ではエイスの街には行けない。
途中、大きな工房が立ち並ぶ地区があり、国内最大の家具などの木製品を加工する工房と、それに付与を施す為の魔動工房、魔石を加工する為の魔石工房などがまとまっている。全て違う商会が所有しているのだが、互いに繋がりの深い業種である為に同じ街に敷地を購入して提携しているので、この街は一大工房街として栄えている。しかしその分住人は少なく、昼間はそこで働く人々で賑わっているが、夜になって工房が業務を終了するとほぼ無人の街になる。
「お嬢様、『草』の第二部隊がこの先で五名の盗賊に扮した男を捕縛したそうです」
「こちらは『根』の部隊長より、推定三家の『影』を捕縛。首領格は神の地への逃走を許しましたが、数名は繋ぎ止めているそうです」
「……今日は随分派手じゃない?」
「ヒマなんですかね?」
馬車の中にいる侍女二人は、ピアス型の通信の魔道具で入って来る情報をユリに伝えて来た。報告の中の「神の地」とは神やその眷属が住まう場所、つまりは死後に人の魂が行く場のことだ。「草」と「根」は大公家が使っている諜報員や護衛などを務めている「影」の名称だ。常に彼らはユリの護衛を陰ながら務めていて、こうして移動中にちょっかいを掛けて来る者達を撃退する役割を担っていた。
侍女のうち、先日レンドルフとの食事にも同行した方はエマといい、ユリが外出する際に側に付いている。背が高めでキリリと隙なく暗めの茶髪をまとめあげて、つり目がちの大きな目をした女性だ。もう一人の小柄で黒髪、淡い緑の目をした侍女はサティと言う。レンドルフの見立て通り、いざという時はユリの身代わりになるように役目を負っている。彼女達はどちらも「草」に所属していて、並みの男性よりも遥かに腕が立つ。
「最初の二回は相手を絞り込む為の様子見だったと考えるべきね。あと、こちらの戦力を探ってもいたのでしょうね」
「でもまあ良さそうなのを生け捕りにしてあるんでしょう?どの辺が大公家にケンカ売ってるか分かるじゃないですか」
「サティ、貴女は能天気が過ぎるわ」
「ねえ、それよりも、こっちへは来ないわよね?」
二人のやり取りを聞いていたユリは、我慢出来ずに口を挟んだ。普段ならば護衛達に任せて大人しくしていることが最善だと理解しているユリだが、聞かずにはいられなかったらしい。
「特にこちらに向かっている者がいるという報告は入っておりません」
エマがピアスに手を当てながら答える。馬車の中は防音になっていて、音を拾うことが出来ない。窓も安全の為に閉ざされているので、どうなっているかも分からないのだ。外の様子は、馭者を務めている二人から何かあれば報せて来ることになっている。
「レンさんもいるから、来ないで欲しい…」
「お嬢様、かーわいいー」
「ちょ…!サティ!揶揄わないで」
無意識的に祈るように両手を組んで見えない外に目をやるユリに、サティは何だか嬉しそうに言った。どちらかと言うと思わず本音が漏れたといった感じだったのだが、ユリは真っ赤になって言い返す。サティは口を尖らせて「揶揄ってないのにぃ」と口の中でブツクサと零した。
「お嬢様、何か来ているようです。備えてください」
エマの固い声が、一瞬にして馬車の中をピリリとした空気に変えた。
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まだ完全な夜の闇が覆う前の、街中に設置された街灯が点灯される少し前の時刻。目も完全に慣れておらず、下手をしたら街灯が点く夜中よりも暗さが際立つ隙間のような時間帯だ。よりにもよってその時に、人通りがない工房街に差し掛かっていた。本当ならば、この辺りを通りかかるのは従業員が帰る最も人通りが多い時間帯に合わせる予定だった。しかし出発時に馬車に何か仕掛けられたかもしれないということで、丹念に確認していた為に時間がズレてしまった。それに、道中で荷を崩した馬車があった為に少しばかり迂回をさせられたのも影響していた。ただの偶然の積み重ねならば良いのだが、どうにも一番不利な状況で不利な場所に誘導されたような気がして、レンドルフは強めに身体強化魔法を全身に掛けておく。
不意に、ノルドの鬣がブワリと逆立った。
「ノルド!?」
ほんの一瞬ではあるが、ノルドがたたらを踏むように足並みを乱した。レンドルフは手綱を握り直して体勢を整える。
「ぐわっ!」
「敵襲!」
レンドルフが体勢を立て直したのとほぼ同時に、馬車の前方で閃光が走った。馭者台にいた騎士と暗器使いの男性二人が声を上げる。
(閃光弾か!)
足元に急な光が炸裂した為に、馬車を引いている二頭の馬が驚いて竿立ちになる。レンドルフはノルドが少し体を傾けたような形になってくれたおかげで、閃光の直撃は免れた。片目の視界の半分程度が強い光を受けた名残で染みが明滅しているような状態になっているが、距離感を失う程ではない。馭者台の二人は、まともに喰らってしまったのか視界が奪われた状態になっているようだ。周囲が暗い状況で、周辺を警戒して身体強化の視覚を上げていたのかもしれない。そこに強い閃光を浴びせられたのでは堪ったものではない。
「耳を塞げ!」
視界が利かない状態でも、手綱を握っている騎士はどうにか馬達を宥めようと必死に対処している。その中で、馬の足元に転がって来たボールのようなものがレンドルフの目が捉えた。それが何かを瞬時に気付いたレンドルフは、咄嗟に叫んだ。
次の瞬間、耳をつんざくような破裂音が鼓膜に突き刺さった。
「ノルド!」
追加で破裂したのは、大きな音が出る空砲だった。さすがに至近距離で大きな音を聞いたノルドも驚いたのか、その場でグルグルと回ってしまう。ただ回るのではなく、跳ねるように回っているので、気を抜くと振り落とされそうになる。レンドルフは力を込めて強く手綱を引いた。咄嗟に知らせることを優先したため、レンドルフはギリギリ身体強化を解くことは出来たが耳を塞ぐのは間に合わなかった。痛みまではないが、耳がキン、としたまま音が拾えない。
ノルドを落ち着かせる為に跨がる足に力を込めてとにかく押さえ込もうとしていると、視界の端でパニックになって暴れている馬と馬車を繋いでいる綱を暗器使いの男が切断するのが見えた。このまま強引に馬を走らせてこの場を離脱させる方法もあるが、馭者台の二人の視覚と聴覚が奪われているのならば、却ってこのまま馬を繋いでいるのは危険と判断したのだろう。周囲には幸か不幸か誰もいない状況だ。このまま落ち着くまで馬を勝手に走らせても被害は出ない筈だ。いざとなれば、足は遅くなるだろうがノルド一頭で馬車を引くことも出来る。
(強盗か…いや、誘拐のセンが高いな)
強盗ならば、閃光弾や空砲などの直接的な攻撃力のないものではなく、炸裂弾を使ってしまえばいい。余程貴重な品を扱っていない限り、荷物だけ強奪するならそちらの方が手っ取り早いし確実だ。しかしこの馬車はそんな貴重な品を運んでいるようには見えない。狙いはおそらく乗っている人物、ユリだろう。
レンドルフは、一度解いた身体強化魔法を自分に強く巡らせる。その影響で、彼の短い髪がユラリと逆立つように揺らいだ。しばらく耳が使い物にならないので、他の感覚を極限まで上げる。全身に魔力が行き渡った瞬間、レンドルフの鼻は生臭いような埃のような、覚えのある臭いを捉えた。ノルドもその気配を察したのか、ばたつかせていた足がピタリと止まる。
「狩るぞ」
ノルドが大人しくなると同時にレンドルフはスルリと手綱を緩めて、ただ手に持っているだけにする。そして腰に下げている長剣をスラリと抜いた。
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グアァァッ!!
人ではない雄叫びが背後から迫って来た。先程避け損ねてまだ影が明滅している死角から黒い塊がレンドルフ目がけて飛びかかって来た。しかし一瞬早くノルドが体を斜めにして、レンドルフのクリアな視界の中にその黒い塊が飛び込んで来る。それが何かを認識するよりも速くレンドルフの剣が一閃斬り上げる。僅かな手応えと同時に、肩の辺りにバシャリと何かが当たり、目の前を首のない巨大な犬のような体が通り過ぎて行った。一拍遅れて、レンドルフが跳ね飛ばした首だけが血混じりの涎を口からまき散らしながら地面にポン、と落ちて転がる。
「やはり女神の猟犬か!」
全ての魔獣の母とも呼ばれる女神フォーリが連れていると言われる、真っ黒な毛並みを持つ犬系魔獣だ。見た目はナイトウルフと似ているが、見た目よりも更に大きく首の辺りまで裂ける巨大な口が特徴だ。その大きな口で大抵の獲物を一呑みにすることが出来、人間も子供どころか並の女性くらいなら軽く口に入ってしまう。クロヴァス領でも出現するが、その棲息範囲はオベリス王国ほぼ全土と言ってもいい。しかし、通常ならば王都には寄り付かないし、いたとしても王都の端くらいだ。こんな場所に出るのは通常ならばあり得ないが、それを疑問に思うよりも目の前にいるという事実の方が優先だ。
最初に首を弾き飛ばしたフォーリハウンドの巨体が制御を失って馬車に突っ込みそうになる。が、馬車にぶつかる寸前に暗器使いの男が上からたたき落とすように殴りつけ、馬車の真下に落ちた。落とされた首から飛んだ血は避けられず馬車の側面をべったりと染め上げたが、本体には傷一つ付いていない。馬車の扉も窓も固く閉じられて、中からは悲鳴一つ聞こえない。ユリもだが、同行している侍女二人も護衛対象としての居方を知っているようだ。
レンドルフはまだ耳に妙な残響があって完全な状態で使えないので、動きはノルドに任せる。
クロヴァス家で調教された馬や魔馬は、どんな魔獣が来ても取り乱さないように訓練されている。そして緊急時に主人から手綱を自由にされたら、自己判断で行動すると教え込まれているのだ。それは各個体に因るが、その場から一直線に逃走するもの、人の多い場所まで引いて救援を求めようとするものなどが大半だが、中には戦うものがいる。そして飼い馴らされてはいるものの、やはり魔獣の本能がそうさせるのか、スレイプニルは全て敵に立ち向かって行くのだ。
敵が人間であった場合智恵で上回られることがあるので騎乗している主人が判断した方が良いが、相手が魔獣の場合はスレイプニルの本能に任せた方が良い。
ノルドは一切の溜めもなくブワリと跳躍し、馬車の上を軽々と飛び越えた。背に乗ったレンドルフはノルドの動きの邪魔をしないように最低限落ちない程度に足を締める。ノルドが飛んだ先に、今まさに馬車の上に飛び乗ろうとしているフォーリハウンドと空中で正面から向かい合う形になった。レンドルフは躊躇いなく剣を振り下ろすと、その黒い巨体が真っ二つになる。噴き出した血を頭から被り、レンドルフもノルドも半身がベッタリと濡れる。暗い中なのでノルドの青黒い毛並みには分かりにくいが、浴びた部分がヌラヌラと光る。
着地をした瞬間、即座に身を反転して前方の馭者台のある方へ走り込む。暗がりの中で騎士の護衛が剣を振るっているのが見えるが、視界が戻っていないのか近寄らせないようにするのが精一杯のようだ。
「伏せろ!」
レンドルフは暗がりに目を凝らして、騎士に向けて叫んだ。彼も反射的にレンドルフの声を理解したのか、その場に伏せる。紙一重の差で、今まで彼の体があった場所をガツリと極端に弧を描いた刃が突き刺さった。
「テイマー!?」
「くたばれぇっ!!」
フォーリハウンドの背に、黒ずくめの男が乗っていた。本来はフォーリハウンドは騎乗可能な魔獣ではない。しかし、一部の魔獣を手懐ける才を持った者が存在して、彼らは「テイマー」と呼ばれている。テイマーならば、犬系のフォーリハウンドくらいなら操ったり服従させたりは可能だろう。
ノルドが騎士に飛びかかろうとしたフォーリハウンドの脇腹に突っ込むような形で回り込んで、スピードと巨体の力押しで体当たりを喰らわせた。宙に浮いていた隙を突かれたので、フォーリハウンドも回避も反撃も出来ずにまともにノルドの頭突きが脇腹に直撃する。そしてその体の上、ちょうど背に乗っている襲撃者の体がある場所へ、レンドルフの剣が振り抜かれる。
襲撃者の首元にピタリと狙いを違わずレンドルフの大剣が通過する刹那、彼は敢えてその切っ先を僅かに下げた。時間にしてみれば瞬きをするよりも短い一瞬だったが、その判断が襲撃者の首ではなく右腕を落とし、脇腹に深い傷を負わせた。すれ違い様だったのでレンドルフは返り血を浴びることはなかったが、振り抜いた剣先に付いた血が跳ねて、レンドルフの白い頬に数滴の紋様を描いた。
腕を落とされた襲撃者は悲鳴を上げてフォーリハウンドの背から転がり落ち、騎乗していたフォーリハウンドはノルドに体当たりと同時に踏まれたらしく、あらぬ方向に首が曲がり血を吐いて絶命していた。
すかさずノルドが反転し、再び馬車に向かって行く。
「ひっ…!」
ノルドが竿立ちになって、一番前の脚を馭者台に掛けた。巨躯を誇るノルドの脚の間にちょうど先程の剣戟を避けた騎士が残っていて、踏みつけられることはなかったのだがさすがに恐怖のあまり声が漏れていた。しかしノルドはお構い無しに走って来た時の勢いそのままに馭者台を踏み台のようにして、馬車の屋根の上に飛び乗った。背に乗っているレンドルフの視界も一気に高くなる。そして飛び乗った瞬間、真正面にフォーリハウンドと背に乗ったテイマーと相対していた。
牙を剥いて巨大な口を開いて来るフォーリハウンドにノルドは怯むことなく、馬車の屋根を蹴って頭から突っ込んで行った。レンドルフは少し体を低く傾けて、真横に剣を構える。そして一気に速度を上げたノルドに合わせて、腕に力を込める。
低めに構えたレンドルフの剣は、大きく開いた口に真横に容赦なく差し込まれる。びっしりと並んだ鋭い牙もバキバキと砕きながら押し込むように力を込める。
「ぐううっ!」
レンドルフから低い声が漏れる。さすがに固い魔獣の体と勢いに剣が押し戻されそうになって、手綱から手を放して両手で剣の柄を握る。レンドルフは足の力だけでノルドにしがみつく形になるが、少しだけならばどうにか耐えられると踏んだ。
ゴリゴリと嫌な感触を伝えながら、レンドルフの剣が押し通る。
「ギャァッ!!」
フォーリハウンドの顎の奥から真横に薙いだレンドルフの剣は、その背に跨がったテイマーの足ごと切り裂いた。フォーリハウンドは体の半分以上切り裂かれて、血飛沫を上げながらテイマーごと屋根から転がり落ちて行った。すぐにノルドも別方向に飛び降りた。これだけ重量のあるノルドとレンドルフが乗っても、全く軋む音すらしなかった馬車の頑丈さをありがたく思った。しかし揺れは相当なものだったろうが、それでも馬車の中は沈黙しているし、出て来る気配はないのは非常に護りやすくありがたかった。
ノルドは興奮状態で鬣を逆立てたまま、フーフーを荒い鼻息を漏らしている。カツカツと前脚が地面を蹴っているが、どこかに走り出す様子はない。どうやら襲撃の脅威は去ったようだと、レンドルフは胸を撫で下ろした。