163.平穏な昼食
いつもお読みいただきありがとうございます!
久しぶりにご飯食べてるだけの平和なお話。
「あら、今日はお休みなのねえ」
レンドルフが食堂に行くと、既に持ち帰り用のランチが入っている紙の手提げは残り一つになっていた。いつもは10個近く並んで食堂の隅に置かれているのだが、レンドルフが来た時間は通常の昼休憩が終わってからだったので最後の一人だったようだ。ただ、それぞれの部門で交替で昼当番をしているので、かなり少なくなっているがまだ食堂には食事をしている団員もいる。
「すみません遅くなりまして。いつもありがとうございます」
「いいえぇ。美味しく食べてちょうだいねぇ」
レンドルフが食券を手渡して手提げを回収し礼を言うと、食堂名物のシェフ姉妹がおっとりとした口調と笑顔で返して来る。見た目は中年の姉妹シェフだが、この騎士団の胃袋を支え続けて何十年と言われている。一体どれだけの古株なのか誰も知らないそうだ。いや、本当は知っているけれど、出自や年齢を詮索されないように言わないでいるだけかもしれない。
普段はおっとりとした品の良い二人だが、一旦仕事モードのスイッチが入ると誰も止められない。キッチンの中を所狭しと暴れ回る姿は、誰かが「見物人から金が取れる」と言っていた程だ。
手提げを覗き込むと、細長いパンにこれでもかと詰め込んだ具沢山のサンドイッチと、幾つかの保温のカップが入っている。蓋で中身は見えないがいつもは大体スープやフルーツなどが入っている。だが、それにしては数が多い気がした。最後だから残ったメニューをサービスしてくれたのだろうか。
こうした持ち帰りは前日までに頼めば、持ち帰りやすい別メニューで準備してくれる。当日いきなり頼む場合は、タイミングが良ければその日のメニューを容器に入れてくれるが、混み合っていたりして彼女達の手が離せない時は、定食が乗った盆と容器だけ渡されるので、自分で詰めて持ち帰ることになる。
「今日も美味しそうです」
「あらまあ、嬉しいわあ」
ご機嫌な姉妹に送り出されて、レンドルフは足早に隣の敷地にあるキュロス薬局へと向かった。
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今日はレンドルフは遠征後に与えられる休暇の一日目だった。ショーキに付き合っていたおかげで提出するレポートも終わっているので、これから三日間は完全な休暇になる。
その為、今日のレンドルフは騎士服ではなく緩やかな薄手のニットとトラウザーズというラフな出で立ちだ。
「こんにちは」
「いらっしゃい。ちょうど終了の看板を出すとこだったの。ちょっと待ってて。ユリちゃん呼んで来るから」
「ありがとうございます」
キュロス薬局は一番利用者が集中する朝と昼の時間帯以外は基本的に閉めているのだが、レンドルフが訪ねた時には時間は過ぎていてもまだ営業中の札が掛かっていた。扉を開けると店内には客は誰もおらず、カウンターの中でヒスイが在庫の確認をしていた。いつもズラリと商品が並んでいる棚の中は半分くらいになっている。どうやら売り上げは順調のようだ。
レンドルフの顔を見るとヒスイが笑顔で応対して、奥に続く扉の向こうへ消えて行く。時間にすればごく短い時間だが、レンドルフはソワソワと待つ。
「レンさん!お待たせ!」
「い、いや、全然」
ユリの顔を見るのは10日ぶりになるのだが、やけに久しぶりな気がして一瞬レンドルフの喉の奥が詰まるような妙な緊張感が走った。何だか胸の奥がギュッと掴まれたような落ち着かない気持ちだ。
「じゃあヒスイさん、お先に休憩入りますね」
「大丈夫〜私も終了の看板出して来ちゃうから。レン様、ごゆっくり」
ユリはレンドルフを先導して、薬局の脇にある小さな休憩所へ案内する。ヒスイは「終了」と書かれている看板を外の扉に掛けに行く為にヒラヒラと手を振った。もし終了の看板が出ていても緊急で回復薬などが必要になった場合は、扉の横にあるベルを鳴らすとヒスイが応対してくれることになっている。
薬局脇に設置されている休憩所は、建物の影になっていて王城側からは見えないようになっている。研究施設の薬草園が広がっているのを一望出来るので、休憩所のウッドデッキは狭いが視覚的には開放的だ。初めてここに案内された時よりも薬草が育っていて、軽い風でサワサワと揺れる音が僅かに届いて来る。こんな王城の中の敷地なのに、まるで草原にいるかのようだ。
「今、お茶の準備するね」
「ありがとう」
休憩所の片隅に置いてある箱は保存の付与が掛かっているもので、そこに冷たいお茶やユリやヒスイの持って来る昼食などが入っている。そちらはユリの管轄になるので任せることにして、その間にレンドルフはテーブルを拭いてから持って来た手提げから食事を並べる。蓋がされている容器の中をチラリと確認すると、クリームスープと食べやすいように切られたリンゴとオレンジ、そして何か赤く透き通ったもので満たされている容器がそれぞれ二つずつ入っていた。おそらく本来は一つずつなのだが、いつも大盛りを注文することを覚えられていたのか、それとも誰かと一緒なのを読んでいたのか分からないが、ありがたいのには変わりない。今度どこかに出掛けた時に、シェフ姉妹には何かお土産でも買って来ようとレンドルフは心に決めた。
「今日は豆麦茶なの。冷やしてあるから飲みやすいと思うよ」
「黄豆茶なら飲んだことあるけど、それに近いのかな?」
「それより香ばしいからもっと飲みやすいよ。豆麦の産地では一般的な飲み物なんだけど、王都ではあんまり馴染みがないかも」
「楽しみだな」
ユリが木製のカップに焦げ茶色の液体を注いでレンドルフの前に差し出す。大きなピッチャーはテーブルの中央に置いて、おかわりは各自で注ぐことにする。
「これ私が持って来たお弁当。レンさんの口に合うといいんだけど」
ユリが両手で持つくらいのハンカチに包んだ箱を取り出す。それを解いて蓋を開けると、黄色い小さなボール状のものが詰まっている。レンドルフには何だか分からなかったが、漂って来る匂いは美味しいことを約束しているようだった。
「すごく美味しそうだね」
「ええと、全部作ったって言えればいいんだけど、ちょっと手伝っただけ…」
「ユリさん忙しいのに!?無理してない?」
「うん、大丈夫。料理も息抜きになるから」
「それならいいけど」
今日はレンドルフは休みだったが、ユリは薬局受付と薬草園の手入れの仕事の日だった。普段は騎士団の昼休憩が終わるまで薬局を開けているので、互いに勤務していると昼の休憩時間は合うことがない。なので折角の機会だから今日の昼食は一緒に食べようと、こうして持ち寄って互いのランチを分け合おうと約束していたのだ。レンドルフから聞いていた食堂の料理をユリが興味を持ったので丁度良い機会だとも思い、レンドルフは持ち帰りにしてもらってこうして持って来た。ユリの方は、分けて貰うとレンドルフが足りなくなるので、いつもよりも少し大目に持参して来た。
庇があるので影にはなっているが、こうして緑豊かな景色を眺めながらだとまるでピクニックにでも来ているような気分になる。
「「いただきます」」
早速レンドルフがカップに口を付ける。初めてのものでも、まず躊躇いなく口にするのが彼らしいとユリはこっそりと微笑ましい気持ちになる。
「あ、これは香ばしくていいね」
「良かった。これ、多分近いうちに王都でも手に入るようになると思うよ」
「へえ、そうしたら買ってみようかな。淹れるのは難しい?」
「全然。元は炒った豆麦だから、上から熱いお湯注げばいいだけ。放っておいても苦くなることもないから楽だよ」
豆麦は、実は固く粉にしても水分が殆どない為保存期間が他の穀物よりも長く、備蓄用の食糧として栽培されている。しかし水分が少ないので豆麦を使用した食べ物は大抵が固い。そのせいか、豆麦はあまり美味しくない食材と思われている。最近では天候などに左右されにくい穀物が増えて来ているので、豆麦の使用量が減り、各地で余っているような状態になっている。その対策として考えられているのがこの豆麦茶だった。
「わあ、このスープ美味しいね!ジャガイモがゴロゴロ入ってる」
騎士団の人間はやはり大食漢が多いので、必ず付いて来るスープはかなり具沢山になっている。栄養面でも考えられているのでじっくり形が無くなるまで煮込まれた野菜が溶け込んでいるミルクスープに、食べごたえのある軟らかいジャガイモがたっぷり入れられている。時間差で入れてあるジャガイモは形が残っているが、口に入れるとサラリと舌の上で溶けて行く。このスープの旨味は、大鍋で大量の野菜を煮込まなければ得られない味わいだろう。
「ユリさんの方は…コメ?」
「うん。レンさん前にタキコミ気に入ってたから、味付けのメニューにしてみた」
「色が綺麗だね」
ユリの持って来た弁当箱の中から、黄色いボール状のものを取って取り皿に移す。フォークで割ると、中から赤い色をしたコメが出て来た。それを薄く焼いた卵で包んであるので、赤と黄色の色合いのコントラストが鮮やかで美しい。赤いコメの中に緑色の豆が入っているので、そちらもよく映える。
半分に割ったものをレンドルフはパクリと一口で頬張る。赤いのはトマトで、その酸味が包んでいる卵と一緒になるとまろやかになって程良い旨味が引き立つ。モチモチとしたコメ独特の食感が、口一杯に広がる。
「前に食べたタキコミとは全然違う味だね。これも美味しいよ」
「良かった!」
「これはユリさんが?」
「中のコメの味付けだけね。卵で包むのは他の人にお任せしちゃった」
レンドルフが食べている姿を食い入るように見つめていたユリが感想を言うと安心したように微笑んだので、レンドルフはすぐにユリが手伝ったものだろうと分かった。それを聞いてから、レンドルフはフォークで残っている半分の中身だけを掬って口に入れる。モクモクと口を動かして、ゆっくりと口角を上げる。
「単独で食べても美味しいね」
「…ありがと」
「やっぱり俺は味の付いてたコメの方が好きみたいだ」
「それなら沢山レシピがあるから、また今度作って来るね」
「ありがとう。楽しみにしてる」
皿の上に残ったものを卵ごと全部食べると、今度は丸いコロッケのようなものにサクリとフォークを立てる。
「あ、これもコメだ」
「コメのコロッケなの。中に入ってるのはチーズとパセリ」
「こっちもいいね。ボリュームがあるし、衣のサクサクとコメがよく合うね」
時間が経ってもまだ歯ごたえの残る衣の中から、少し柔らかめのコメが出て来る。濃厚なチーズに黒胡椒も入っているのか、少し刺激のある香りが鼻を抜ける。
「本当は揚げたてが一番美味しいんだけど」
「これも十分美味しいよ」
今度はユリがレンドルフが持って来たサンドイッチを手に取る。細長いパンの中心に切れ目を入れて、そこに野菜と焼いた鶏肉を挟み込んである。これでもかとギュウギュウに詰め込んであるので、切れ目から裂けるのではないかと思うくらいだ。手で千切って食べられるような状態ではないので、ユリは思い切ってパンにかぶりつく。フワフワのパンなので噛み切るのは苦労しなかったが、具沢山なのでこぼさないようにすると思った以上に口一杯になってしまう。何とか口を動かそうとすると、レンドルフが嬉しそうな顔でユリの様子を見ているのに気付いて、ユリは慌てて片手で口を覆って咀嚼する。
ドレッシングに入っているのか、フワリとオレンジの香りと、香ばしく焼き目を付けた鶏肉の皮と身の間から滲み出る脂の甘さが口の中に広がった。鶏肉はよく脂が乗っているが、多めの野菜と爽やかな風味のドレッシングのおかげでいくらでも入ってしまいそうだ。
「美味しい…美味しいよ、レンさん!」
「それは良かった」
「いつもレンさんはこういう美味しいもの食べられるのね。さすが王城の騎士団ねえ」
「うん。食事が充実してるのはありがたいよ」
かつてこの国の人口が半分になるほどの流行病が襲った時、騎士のなり手が激減した。
貴族は爵位や領地の継ぐことのない後継者以外の者が騎士になることが多かったが、その頃は大半の貴族が一人の子供をもうけるのがやっとであり、複数の子供がいた家は他家に婿や妻に望まれたので、殆どの貴族が騎士の道に進むことを選べなかったのだ。平民は貴族よりは出生率は高かったが、働き手が圧倒的に足りなかった。その為家業に就く者ばかりだった。
国としてはどうしても騎士を増やしたくて、待遇面を良くしてようやく人員を確保したという背景がある。その為、今も王城の騎士団は食事と休息に関しては特に充実するように気を遣われている。特に体の大きなレンドルフにもきちんと休めるように特注のベッドが与えられているのは、先人のありがたさを噛み締めるばかりだ。
ユリはスープにサンドイッチ一切れと、自分の持って来たコメの卵包みを一つでお腹一杯になってしまった。いくらでも食べられそうと思ったサンドイッチだったが、やはり実際食べるとボリュームがすごかった。
「ユリさんフルーツは…無理そうだね」
「ゴメン…」
「騎士用の食事だからね。こっちのデザートっぽいのは…」
「うぅ…一口だけでも味見したい…」
見ただけではよく分からなかったが、赤い透明のものはブラッドオレンジのゼリーだった。器から出せない程に軟らかく滑らかで、口に入れると生で食べるよりもさらに濃厚で甘酸っぱい味が広がる。そこまで甘くしていないので、多分ユリは好みだろうとレンドルフは思ったのだが、食べるのは厳しそうな様子だった。
「じゃあそこの保存の箱に入れておく?少しこなれたら食べればいいよ」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
元から保温の付与付きの容器に入っていたので、まだ効果は持続してひんやりしている。ここにおいてある保存箱がどの程度効果があるかはレンドルフは分からないが、多少は保つだろう。ユリも素直に受け取って、すぐに箱の中に大切そうにしまった。
「でもそれだと夜はミキタさんの店に行くのは厳しいかな?」
「ううん、大丈夫!それまでに別腹作っておくから!」
「あはは、無理はしないで」
ユリは明日は休みで、明後日以降はしばらく大公家別邸に戻ることになっている。その為、今日の夕方にレンドルフと一緒にエイスの街まで移動して、ミキタの店で夕食を食べようと計画していた。そして明日は朝からフィルオン公園に出掛ける予定を立てている。フォルオン公園はピクニックに向いた広場もあるし、博物館などの屋根のある場所も多数あるので、どんな天候でも楽しめる場所だ。
「じゃあ、また夕方にこの前の待ち合わせ場所に迎えに行くから」
「うん。待ってる」
ユリの昼休憩がもうすぐ終了するので、食べたものを二人で片付ける。
この後ユリは薬草園の手入れに向かう。レンドルフは休みなのでこのまま中心街に出て、ユリに詫びと感謝のプレゼントを探しに行く予定だ。そして夕刻には以前待ち合わせたところまで迎えに行って、そこから手配した馬車でエイスの街に向かう。馬車は研究施設側から出してくれるそうなので、先日のように侍女と護衛が付くだろう。レンドルフは久しぶりにスレイプニルのノルドに乗って並走する形で行くので、実質護衛のようなものだ。
レンドルフは薬局を後にして、ユリへのプレゼントを何にしたものか真剣に考えていたのだった。
食堂姉妹は阿佐◯谷姉妹さんのイメージです。