162.遠征最終日
レンドルフにとって第四騎士団に配属になって初の討伐任務は、半分失敗、半分成功ということになった。
本来は繁殖期で増え過ぎている鹿系魔獣を間引き、それを狙って普段は現れない危険度の高い熊系魔獣も可能な限り討伐するという任務だった。鹿系魔獣は討伐出来なかったが、ナイトウルフやムーンベアなどの厄介な肉食の魔獣をかなりな頭数駆除したことと、最近この辺りを荒し回って被害が増えていた大型のワイルドボアも討伐したことで、今後の討伐の負担がかなり軽減されたらしい。メインであった鹿系駆除は失敗ではあったが、それ以外では大成功ともいえる結果だったので、それなりの成果であったと評価が下された。
とは言うものの、悪天候だったのを差し引いても重傷者多数という結果については、今後の課題ということで全員レポートの提出が言い渡された。特にモノについては色々な規律違反を幾つも重ねているので、もう一度騎士としての心構えを見直しが必要ということで、10日の謹慎と期限を定めない再教育となった。この再教育に関しては、オルトが担当する。この期限を定めないとしたのは、騎士団を辞することも視野に入れておくようにという意味も含まれていた。
後日判明したことだが、モノは密かに魔力を遮断する薬を服用していた。自分を魔獣に喰わせる際に、無意識に攻撃魔法を使用して魔獣を殺してしまわないようにする為だった。結果的に誰も死なずに済んだが、一歩間違えば仲間や一般人を巻き込みかねない行為であると重く見られたようだ。
ただモノの背景を鑑みて、自ら進退を決めるだけの余地は残された。
「レンドルフ先輩〜、レポートの枚数、全然足りないんですけど、何書けばいいんですか〜」
「どれ……これは…」
ショーキがテーブルの上に突っ伏して、もだもだと不可解な動きをしながら蠢いていた。テーブルの上に散らばった紙の中で、たった一枚だけ書き込まれたものがあって、他は白紙だった。レポートは最低五枚と言われているのだが、ショーキはどうにも一枚以上先に進めないようだ。レンドルフがどんなことを書いているのかとペラリと手に取ったが、あまりにもシンプルすぎる単語しか羅列されていない状態で、そっとそのまま戻してしまった。
モノとオルトは先に王城へ戻されたが、レンドルフ達は二日ほど色々な後始末をして帰ることになった。もう完治はしていたがレンドルフも決して軽傷ではなかったので討伐への参加は認められなかったものの、他の討伐隊のサポートに回っていた。ショーキは魔獣の偵察と、レンドルフは仕留めた魔獣の解体や遺骸を埋める作業を主に担当していた。オスカーは団長代理の副団長ルードルフに報告と今後に付いての話し合いに随分時間を取られていたので、ほぼ用意してもらった猟師小屋に籠り切りになっていた。
今は夕食の後、レンドルフは個室に戻らず王城に帰還後に提出するレポートをショーキに付き合って書いていた。猟師小屋と言っても、一階にキッチンとダイニング、二階には個室が三つある作りになっている。当初の予定では個室は隊長のオスカーが一人部屋、レンドルフとショーキ、オルトとモノの組み合わせで同室に振り分けられていた。三人になってしまった今は、それぞれが個室になっている。レンドルフは体格を考慮して、一番広い部屋を使わせてもらっている。
レポートは別に帰還に間に合わせて書き上げる必要はなく、帰還後から一週間以内に提出すれば良いのだが、書類作業全般が苦手なショーキが誰かと一緒に書いた方が捗ると主張したのでレンドルフが一緒に書いていたのだ。レンドルフも書類作業はそこまで得意ではないが、近衛騎士団で副団長に昇格するまでに色々と通って来た道なのでショーキとは経験値が違う。
「いつもなら一枚で済むのに…」
「これも経験のうちだと思えば良いだろう」
「そんな経験いりません〜」
すっかり飽きてしまったらしいショーキは、手よりも口の方が動いている。レンドルフは規定枚数はさっさと書き終えてしまったので、それを封筒に入れて席を立つ。
「レンドルフ先輩、ここにいてくださいよ〜」
「俺はキッチンの方を片付けてるよ。その間にもうちょっと頑張れ」
「書き上がるまでいてください…」
「それだと朝になるだろ…」
明日の朝には王都へ向けて発つことになっている。来た時と同じ状態にして出るので、明日の朝はキッチンを使わない携帯食で済ませる予定だ。レポートを書く時の眠気覚ましのコーヒーを淹れたので、それに使った食器が残っている。レンドルフは既に洗って籠の中に伏せてあった食器を取り出して、綺麗に水滴を拭き取った。食器一式は備え付けで用意してもらったものなので、置かれていた棚に戻す。
キッチンの壁にある小窓の外で何かコツリと音がしたので、レンドルフは思わず口角が上がってしまう。幸いキッチンに立っているとダイニングのテーブルに背を向けるような形になるので、ショーキには見られていなかった。レンドルフは軽く手を差し出すように掲げると、音がした窓の方からカーテンも揺らさずに青い小鳥が入って来る。その鳥はユリから送られて来る伝書鳥なので、レンドルフの手に留まる瞬間にフワリとクリーム色の封筒に変わった。隅の方に小さく緑の蔦と水色の小花が描かれている可愛らしい意匠で、中央には見慣れた文字でレンドルフの名が綴られている。
「あー…僕、あとは一人でガンバリマス…」
「そうか?じゃあ俺はこれで引き上げるからな」
「はぁい。あとの消灯とかは僕がやっときまぁす」
「よろしく」
レンドルフの手元に手紙が来たことを目にして、ショーキが力のない声で言った。あの手紙が来ると、もうレンドルフに相手をしてもらうのはさすがに罪悪感がある。レンドルフに公私混同される訳ではないのは分かっているが、ショーキの方が落ち着かない。
明らかにいそいそと嬉しそうな気配を駄々漏れにして階段を上がって行くレンドルフの背中を見送りながら、ショーキは思わず「いいなあ…」と本音が声に出ていたのだった。
レンドルフは自分の個室に戻って、壁に吊り下げられているランプに灯りを点す。部屋の中はベッドと小さな机だけしかないが、基本的に夜に眠りに帰るだけなので十分だ。明日の朝には引き払うので、既に荷物は必要なもの以外はまとめてある。備え付けのベッドではレンドルフでははみ出してしまうのでマットを床に敷いて寝ていた為、机の椅子が引けない状態だ。その為レンドルフはマットの上に座り込んで、届いた手紙を開封する。
レンドルフが遠征任務中は互いに伝書鳥は送らないとしていたのだが、今回のこともあったので、レンドルフが手紙の受け渡しが問題なく出来る状況の時にはやり取りをすることにしたのだ。野営時や移動中などは出来ないが、今のように安全が確保された場所にいる時にはレンドルフが伝書鳥を送り、ユリに受け取り可能な時間を知らせるおく。ユリの方もその時間内に可能なら返信を送ることになった。今のところそれを取り決めてからの二日間は、必ずユリから返事が届いている。
封を開けると、すっかり馴染んだハーブの香りが気持ちを和ませてくれる。そこまで長い手紙ではないが、ユリの気遣う気持ちが言葉の端々に感じられて、レンドルフは毎回届く度に三回以上は読み返している。それだけで日中の疲れが抜けて行くようだった。
(いつかギルドカードが持てるようになればいいんだがな…)
冒険者や平民などは身分証替わりにギルドカードを持っていて、登録した相手と簡単なやりとりではあるが連絡を取ることが出来るし、自分の万一のことがあった場合の身元証明にもなる。便利な機能なのだが、王城所属の騎士はこうした任務中は持つことは許されていない。潜入捜査などで冒険者などに扮する場合は、ギルドの協力を得て偽のカードを作ってもらうくらいだ。もともと王城の騎士は所属を表わす襟章を支給されているので身元証明はそれで十分であるし、ギルドカードで任務の内容を簡単に外部の人間に漏洩することが出来てしまうことを危惧されている為だ。
それに騎士団から支給される武器や防具には、補助金もあるので一般的なものよりも多数の付与魔法を施していることが多い。自分が使いやすいように微妙な調整をしていることもあるので、極稀だがギルドカードが多少なりともそこに干渉する場合もあるとの報告がある。護衛対象や自身を守る為の道具に不具合が出る可能性があるのならば、いくら便利であっても持つことは選択しない。
私的で持つことは禁止されていないので、街に買い物に行った時などの支払いなども重い硬貨を持ち歩かなくて済むし、家族などと手軽に連絡が取れるということで、最近では騎士団内でも所有者が増えて来ている。そのうちに任務中でも持つことの出来るカードが開発されるかもしれないが、それはまだ当分先だろう。
もう就寝時間が近くなって来たので、レンドルフは名残惜しそうにユリからの手紙を防水の袋の中に丁寧にしまった。ユリが一晩中時間をずらして送り続けてくれた手紙は40通を越えていた。伝書鳥は送り先の相手が死亡していた場合、送り先不明で戻って来る。ユリは送られて来たレンドルフの手紙に異常事態を悟り、それこそ夜が明けてレンドルフの返信が来るまで色々なことを想定して、レンドルフが生き延びられるように薬草を同封して送り続けていたのだ。
その送られて来た薬草も別の保存袋に分けて入れている。薬草は乾燥させているものなので抽出して配合されている回復薬よりは性能は落ちるが、伝書鳥で送れるのはそれが限度だ。薬草は血止めのものが多かったが、他にも化膿止めや解熱、解毒など色々な効能のものを送ってくれたのだ。今回はユリに心配をかけてしまったが、おかげで助けられた。
王城に帰還した後、三日間の休暇が貰える。残念ながらユリの休みとは一日しか合わせられなかったが、この休暇は余程のことがない限り急遽呼び出されることがない完全な休暇なので、一緒に出掛ける約束を取り付けている。レンドルフは今回のお詫びとお礼に、その時に何かユリが喜びそうなものをプレゼントしようと色々と思いを巡らせたのだった。
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馬車の中は、重苦しい沈黙で支配されていた。
石を踏んだのか馬車がガタリと大きく傾ぎ、モノがバランスを崩して上半身が大きく傾いた。咄嗟に壁に手を付こうとしたのだが、その前に向かいに座っていたオルトに襟を引っ張られて強引に立て直された。
「…ありがとうございます」
「まだ無理はするな。休憩を入れてもらうか?」
「いいえ、大丈夫です」
傷も塞がって増血剤も投与されてはいるが、すぐに効果が出る訳ではない。特にモノは死んでもおかしくない傷のまま、一日近く応急処置だけの状態だったのだ。レンドルフもその時に出来る限りの適切な処置をしてくれてはいたが、完全な止血が出来る道具も回復薬もなかったのだから、モノの体から多くの血が失われている。体に力が入らなくても当然だった。
「…まだ五年だもんなあ」
「え…?」
「俺が焦り過ぎたな」
「あの…それって…」
「お前は10年以上、ずっと領地で呪いと向き合ってたんだよなあ。たった五年程度で上書き出来る筈ねぇや」
また再び馬車が大きく揺れて、モノの体がフラリと揺らぐ。その体をオルトが抱きかかえるように支えた。大柄で厚みのあるモノの体はオルトの片手では抱え切れないが、まるで子供でもあやすように背中に回って軽くポンポンと叩いた。
モノは呪いを受けてから、屋敷の周辺に張り巡らされた結界から出ないようにきつく言い含められた。幼かったモノも何となく察して、屋敷とごく周辺の場所しか出なくなった。やがてモノの成長とともに呪いの範囲は広がり、強固な結界を築く為にモノの行動範囲が小さくなって行った。やがてそれでもモノの力を押さえ切れなくなったトーリェ家が王家に助けを求め、王都で呪いを抑えさせる為に領地から出されるまで約10年はモノはずっと孤独だった。
衣食住はきちんと与えられたが、モノと接する人間は殆どいなかった。辛うじてそれまでに習ったことで文字は読めたので、少しずつ兄が所蔵していた書物から知識を得て、密かに物陰に隠れて使用人達から自分の置かれている状況を知った。そして時折義兄が気まぐれに新聞や雑誌を置いて行ってくれたおかげで、モノはそこまでの世間知らずにならずに済んだ。
イレイザから貰った木刀も、体が大きくなって合わなくなってもしばらくは使って、毎日基礎鍛錬も欠かしていなかった。あまりにも同じ動きを繰り返していたので持ち手が抉れて、とうとう折れてしまう程まで使い込んでいた。
その中で、自分がどのような呪いを受けたかを知ると同時に、モノは兄が何を求めていたかも知った。しかしそれを知ったところで、呪いの魔道具はモノを選んだし、兄は既に神の国に行ってしまった。
その後モノは、魔獣について調べ始めた。どんな魔獣がどこに棲息し、どのような特性を持つか。中でも獰猛で人を群れで襲うような肉食の魔獣で、捕らえた獲物を骨も残さず喰らい尽くす特に貪欲な種類を。そんな魔獣を調べて知見を得る度、モノはいつの間にか自分が笑っていることに気が付いた。殆ど感情も表情も動かすことのなくなってしまったモノは、いつか自分を喰い殺すであろう魔獣にだけ心躍らせるようになっていたのだ。
「また、最初から始めようぜ。まずはまた五年だな」
「え…?だって、自分は…」
「それでも駄目なら、もう五年。続けて行こうな」
「ほ、ホントにっ…!」
暗く生気のなかったモノの目に、一気に涙がブワリと浮かんだ。
「だ、だって!自分は、オルトさんをっ…裏、切って…」
「悪ぃな、気付いてやれなくて」
「も、うっ、見限られ、たと…!」
「するかよ、バーカ。俺も、妻も、お前を気に入ってんだ。また三人で一緒に飯、食おうな」
「……はい!」
モノは自分からもオルトに抱きついて肩口に顔を埋めた。オルトはたちまち肩口が生暖かくなるのを感じたが、ほんの少し口角を上げただけでモノの好きなようにさせていた。
今のモノはまだ大きく「死」に振れているが、それでも五年で少しずつ「生」にも揺れ始めていた。いつか呪いを解いてくれるかもしれないと待ち望んでいた魔獣を目の前にして再び大きく「死」に振れてしまったが、まだ「生」にも振れる余地は十分にある。オルトは泣きじゃくるモノを抱きしめながら、またモノに沢山の「生」の場所を作ってやろう、と考えていたのだった。