161.青い空との再会
『あっちです!』
レンドルフが集中していると、微かではあるが耳慣れた声が聞こえて来る。あの声はショーキの筈だ。ハッキリした人数は分からないが、防具の触れ合う音も複数聞こえる。蹄の音に混じっているのはおそらく馬車の轍だろう。
外がどうなっているか分からないが、レンドルフが魔獣を倒した跡も残っている筈であるし、洞窟が崩れたところも発見されればもう安心だ。一緒に来ている救援部隊の中にも身体強化が得意な人間もいるだろう。レンドルフはポーチの中から短剣を出して、岩壁を一定のリズムで叩いた。これは騎士団の中で通用する救援信号だ。普通ならば聞こえないかもしれないが、向こうも身体強化をしていれば十分伝わる。
『奥から救援信号確認!』
『間違いないです!上に伝書鳥がいます。あれはレンドルフ先輩の伝書鳥です!』
身体強化を使わなくても人の声が近付いて来るのが分かった。
『クロヴァス卿!ご無事ですか!』
「ああ、無事です。新人のモノ・トーリェも共におります。彼は重傷を負っているので、すぐに治療の準備を!」
『はっ!クロヴァス卿の方はお怪我は』
「足をやられてはいますが、動けます。これより入口を吹き飛ばして脱出するので、皆下がるように伝えてください」
『了解しました!全員退避しましたら信号を送ります!』
知らない声だが、慣れた様子の男性の声にレンドルフは安堵する。駐屯部隊から派遣された救援部隊の一人だろう。その後ろで「やりました!二人とも無事です!」とはしゃいだショーキの声も聞こえて来て、レンドルフは少しだけ笑い声を漏らしそうになってしまった。オルトの方は分からないが、あのショーキの様子だとオスカーは来てくれているのだろう。
「モノ、迎えが来たぞ」
「…はい」
レンドルフが奥を振り返って横たわっているモノに顔を向けると、彼は少しだけ表情を緩めて笑ったように見えた。
レンドルフが外からの合図を受けて自分の作った土壁もろとも、新たな土の塊をぶつけて吹き飛ばすと、少し水分を含んでいるが爽やかな空気が一気に穴の中に入り込んだ。土煙が治まると同時に、担架を抱えた体格の良い騎士二名が駆け込んで来た。
「奥を先に」
「はい!」
レンドルフが道を開けるように壁に背を張り付けると、彼らは慣れた様子でモノを抱えて担架に乗せる。そして入って来た時とさほど変わらない勢いで、担架に乗せたモノを運び出して行く。レンドルフは足を引きずりながら、壁に手を付いてゆっくりと外に向かう。少しずつ明るくなって行く周囲に目を細める。
「レンドルフ先輩!!」
洞窟からレンドルフが完全に体を出すと、モノの担架の側でウロウロしていたショーキが姿を見つけて走って来た。レンドルフの手当をする為に治療に慣れている騎士が二名側に付いて、体を支えてくれて治療の為に設置された防水の布が広げてある場所に案内される。その手伝いなのか、ショーキがすかさずその上にクッションを並べる。
「ご気分は大丈夫でしょうか。どこか痛む場所は」
「こちらの足を…おそらくヒビが入っているかと思います。他は特に擦り傷と打ち身程度です」
「念の為確認しますので、ブーツを脱がせます。少々我慢して下さい」
「ああ」
レンドルフは少し離れた場所で、騎士達に囲まれて治療を受けているモノにチラリと視線を向ける。やはりオルトの姿は見えないが、側にオスカーが付いているのが見えた。モノはどう見ても死んでいておかしくない重傷なので、その辺りのフォローはオスカーがしてくれるだろう。
「あの…ブーツの替えはお持ちでしょうか…?このまま引っ張ると相当痛むかと」
余所見をしていたレンドルフは、そう声を掛けられて自分の足に目を向けた。靴紐は全て外しているのだが、中で腫れ上がっている為に脱がせられないようだ。このまま強引に引っ張ると相当痛みがあると予想されるので、替えがあるなら切ってしまった方が良さそうだと判断したらしい。このまま回復薬を飲んでしまえば腫れは治まるが、骨折の度合いによっては脱臼と同じで骨の位置を正しておかないと再度処置が必要になって、却って本人に負担が掛かる。その為、緊急時でなければきちんと確認しなければならないのだ。
「乗って来た馬車の私物入れに予備を持って来ています」
「では切って足を出しますね」
「レンドルフ先輩、準備良いですね。僕なんか、靴の予備は持って来てませんよ」
「俺の場合はすぐに履けるサイズが手に入るとは限らないからな」
「あ、そうか」
担当してくれた騎士は苦労しながらも丁寧にレンドルフのブーツを切り開いて、殆ど痛みのないまま腫れた足からブーツを取り外してくれた。それから軽く表面だけに触れるように手を滑らせる。ほんの少しだけ魔力の流れを感じたので、この騎士は弱いながらも鑑定魔法が使えるのかもしれない。鑑定魔法は、魔力量にもよるがあらゆるものの状態を鑑定出来る魔法で、使い手は稀少な上に非常に制御が難しい。人によっては骨や内蔵などの状態などが分かるそうなので、この魔法が使える者は大抵治癒院か神殿付きになること多い。
「折れてはいませんが、三カ所にヒビが入ってますね。腱の方は無事ですので、中級一本で大丈夫でしょう」
「ありがとうございます」
やはり鑑定魔法でレンドルフの様子を診てくれたようだ。そのまま中級回復薬の瓶を手渡されたので、レンドルフは封を切って一気に呷る。
「!?」
飲む為に上を向いたレンドルフは、驚きのあまり危うくせっかく貰った回復薬を吹き出すところだった。その寸前でどうにか飲み込んだが、一部気管に入ってしまってゲホゲホと噎せた。
「やっと気付きました?すごいですよねえ」
「あ、あれ…」
レンドルフの様子に、ショーキがケラケラと笑いながら背中をさすってくれる。
よく晴れた空の中、それよりもずっと深い青い色をした鳥の群れが、それこそ視界を埋め尽くさんばかりに頭上を旋回していた。一体どれだけの数がいるのか一目では分からない。そしてどこからともなく一羽、その群れに合流して共に旋回を始める。
「あれだけ大量に送ってくれたおかげで、すぐに先輩達の居場所が分かったんですよ。すごく想われてますね、レンドルフ先輩」
閉じ込められた洞窟の中で耳にした風の音だと思っていたものは、この大量の伝書鳥が旋回している音だと気付いた。一晩の間に、一体どれだけの数を送り続けてくれたのだろうか。
「ユリさん…」
レンドルフはポツリと呟いて、空を見上げた。淡い朝の空の色の中の瑠璃色の鳥の群れ。グルリと角度を変える度に朝日を反射して煌めいている。その光景の美しさに、レンドルフの目の奥がジワリと熱くなるようだった。
「クロヴァス卿?」
急に空を見上げて動かなくなってしまったレンドルフに、手当の為に側に付いていた騎士が怪訝な顔で尋ねる。伝書鳥は基本的に届け先の本人しか認識出来ない。せいぜい手元に降りて来て手紙を渡して消える一瞬だけくらいだ。ショーキは索敵魔法が使えるのと、勘の鋭い獣人の能力のおかげで特別に見えているだけだ。
「ありがとう…ユリさん」
ゆっくりとレンドルフは両手を空に向かって伸ばした。
次の瞬間、受け取りと判断した伝書鳥が一斉にレンドルフに向かって降下して来た。その姿は、幸福を運ぶと言われているハピネスバードを模している。
「なっ…!」
「何だ!?」
大量の伝書鳥は、レンドルフの手に届く直前に封筒に姿を変える。見えていたレンドルフとショーキには分かっているが、他の人間にしてみれば突然青い鳥がレンドルフの周辺に飛来して来たと思ったら、大量の封筒の束が降って来たのだ。思わず声を上げてしまうのも仕方がないだろう。
その大量の封筒をレンドルフは幸せそうな表情を浮かべて両腕で受け止め、そのまま抱きしめた。まるで現実離れした美しい光景に、周囲にいた騎士達は言葉もなくポカンと眺めていた。
後日、居合わせた騎士達は、その封筒の束はまるで美しい貴婦人が空から舞い降りたようだったと語ったのだが、レンドルフは全く知らないままだった。
----------------------------------------------------------------------------------
治療の終わったレンドルフとモノは、馬車で救援部隊を出してくれた駐屯地まで送られることになった。
モノは完治はしているが、出血と消耗が激しかった為に、傷病者用の横になったまま搬送出来る馬車に乗せられた。オスカーの指示で、魔獣を呼び寄せないように睡眠粉を使用されて眠って移動する。レンドルフは多少体力は減っているが、大量の出血があった訳ではないので普通の馬車に乗ることにした。
「レンドルフ先輩、僕、これしかないですけど破り取っていいんで、すぐに返事出してあげて下さい」
馬車に乗り込むと、ショーキにペンとセットになった手帳を手渡された。
「いや、しかし伝書鳥は…」
「送って来る封筒の中に、絶対返信用の入れてますって。早く無事を知らせないと気の毒ですよ」
「あ、ああ…」
「じゃ、僕は馭者台の方にいますんで。レンドルフ先輩は一人でじっくり堪能して下さいね」
ショーキはレンドルフの返事を聞かずに、言うだけ言ってすぐに馬車の扉を閉めた。すぐに馬車が走り出したので、レンドルフは散らさないように袋に入れてもらったユリからの手紙を一通取り出して封を開ける。
開けるとフワリと薬草の香りがした。中の便箋を取り出すと、折り畳んだ便箋の間に乾燥させた血止めの効果がある薬草が挟まっていた。そして封筒を覗くと、ショーキの言葉通り中に薄紅色の伝書鳥が残っていた。そっと取り出すと同時に、馬車の窓にコツンと何かが当たる音がした。何かと思って外に顔を向けると、追加で飛ばされたであろう瑠璃色の伝書鳥が飛んでいる。レンドルフが慌てて手を翳すと扉の隙間からスルリと入り込んで来て、一通の封筒に変わる。
このままでは、レンドルフの返信が来るまでユリは伝書鳥の続く限り送って来るだろう。レンドルフはショーキから借りた手帳の後ろの白紙のページを一枚破り、揺れる馬車の中で急いでペンを走らせた。
『ユリさん。俺は無事です。おかげで助かりました。もう大丈夫だから。ありがとう』
ほぼ単語だけの内容になってしまったが、取り急ぎ必要なことだけを書き綴る。本当はユリに対する心からの感謝と、これだけの手紙を受け取った瞬間の泣きそうになる程の幸福感、そして心配をかけてしまったことへの謝罪を際限なく書きたかったが、そんなことをしていてはまた追加でユリが伝書鳥を飛ばしてしまう。
手帳のページを折り畳んで薄紅色の伝書鳥に息を吹きかけ、それを銜えた鳥が馬車の隙間から飛び立って行く。姿が見えなくなるまで見送ってから、レンドルフは最初に開けた封筒の便箋の中身に目を落とす。
内容は短いものだったが、レンドルフの無事を案じる言葉と、帰還への祈りが綴られていた。いつもよりも文字が右に流れる癖が大きく出ているのは、彼女の不安と焦りを伝えて来るようだった。次に開けた封筒にも薬草と伝書鳥が同封され、やはり無事への祈りが書かれている。どれも短い数行の手紙ばかりだったが、全てに薬草と伝書鳥が同封されていて、そこからユリの必死な気持ちが伝わって来た。彼女には随分と心配をかけしまったという罪悪感と同時に、それほどまでに大切に思われているのだという喜びも胸に沸き上がる。
やがて封の開いた手紙が馬車の座席に積み上げられた頃、レンドルフはいつの間にか頬が濡れていたことにようやく気付いた。読んでいる途中で顎を伝った雫が便箋の上にポツリと落ちてやっと気付くくらい集中していたらしく、インクの上に落としてしまったので少し滲ませてしまったのを慌てて拭き取りながら、ショーキが気を利かせて一人にしてくれて良かったと改めて思ったのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
無事にレンドルフとモノを保護したという連絡が駐屯地に入り、ソワソワしながらベッドの上にいたオルトにもその報せが届いた。
「そうか!無事だったか!」
思わず文字通り飛び上がって喜びを表すオルトに、少々遠慮がちに接していた治癒部門の騎士にも「安静にしてください!」ととうとう大きな声を出されてしまった。
「はは…そうか、無事だった…モノ…レンドルフ…」
指摘されて大人しくなったのかと思えば、今度は両手で顔を覆って肩を震わせている姿を見て、オルトに付いていた騎士はそっと部屋を出て行った。治癒部門の彼はそこまでの詳細は聞いていないが、オルトがはぐれた新人の教育係で、怪我のせいで後を追えなかったことは申し送られていたので、しばらくはそっと一人でその安堵を噛み締めていたいだろうと気を利かせた。
オルトはしばらく後輩達の無事を喜んでいたが、やがて顔から手を離して深く長い嘆息を付いた。傷さえなければ端正と誰もに評されたであろう顔に、半分怒りと半分悲しみが入り混じったような表情が浮かぶ。
オルトとモノは、モノが領地から王都へ押し付けられるようにやって来てすぐに統括騎士団長レナードから引き合わされて以来、約五年余りの付き合いだ。オルトはレナードに最初は様子を見てからとは言っていたが、内心では機械的に知識だけ教えて距離は詰めないようにするつもりでいた。もともと家で代々受け継がれて来た呪術師の一門から逃れたくて妻とこの国にやって来たのだ。再び呪いと関わる気はなかった。だが実際顔を合わせてしまったら、まだ幼さを残す顔と、捨てられた子犬のような怯えと諦観を見せていたモノに、家と国を捨てる決断をする直前の自分を見てしまった。
そもそもオルトは顔には出にくいが、情に厚く困った存在を見捨てられない性分だ。だからこそ、依頼を受けて呪いをかけることを家業としていた一族と合わなかったのだ。魔力量と呪術の技術が高いことを至上とし、何人を呪い殺し、どれだけの規模の厄災を齎せたかを自慢する家族とは理解し合えなかった。オルトは生まれつき殆ど魔力がなかったことからずっと冷遇されて来たので、互いに家族の意識はなかったのかもしれない。
呪いを受けたことで領地では腫れ物扱いをされて、人々から遠ざけられていたが、元からの性格なのか素直なモノにオルトはたちまち絆されてしまった。レナードもそれを見越して引き合わせたのだろうと思うと少々癪には障ったが、オルトは同じ国から共に逃げて来た妻にも紹介して、家族ぐるみでモノの呪いの対処法にじっくりと向き合った。オルトよりも平民出身だった妻の方が魔力量も多かったので、呪いの制御の具体的な指導には妻も協力してくれたことも大きかった。
その決して短くはない付き合いの中で、オルトはモノの中に根深く張り巡らされている死への憧憬があるのは気が付いていた。オルトはそれを否定したり遠ざけることはせず、ただゆっくりと寄り添って向き合うようにして来た。将来の夢を語らせるでのはなく、ただ明日に少しだけ楽しみなことがある、という環境を準備して、少しずつ呪いと共存して制御出来るようにと一緒に過ごして来たのだ。モノが騎士団に見習いとして入団した後は年の近い友人も出来て、彼の中の死の影は殆ど見られないようになって来ていた。
しかし今回の初討伐で、その時を狙っていたかのようなモノの行動を見抜けなかった。
モノは呪いの関係上、近衛騎士団に入れるわけにはいかなかったが、王都から出る必要がない王城警護の第一騎士団か、中心街警護の第二騎士団に入団させる予定だった。王都内にいれば、防御の魔法陣のおかげで魔獣が引き寄せられることが少なく、王城に近ければ近い程効果が強い。しかしモノは、強く第四騎士団を希望した。自らの呪いをかつて有効利用していた先祖のように、分かっている場所に魔獣を引き付けて迎え撃つ形で討伐を行えば、街や人々の被害を少なく抑えられると主張したのだ。まだ制御は上手く出来ないが、少しずつ進歩はしている。将来的に有効な手段になりうると判断され、オルトと組むことと、魔獣を引き寄せる呪いを有しているという情報を騎士団内で共有することを条件に第四騎士団に配属となったのだった。さすがに不死の呪いというのは悪用される可能性が高いとして、そちらの方は秘匿されることになった。
だがモノから死への憧憬は薄れた訳ではなく、ただ隠すことが上手くなっていただけに過ぎなかった。おそらくモノは、不死者の呪いに掛かった自分を唯一殺すことの出来る手段、魔獣に喰われる機会を狙って、最も魔獣と遭遇する機会の多い第四騎士団を願ったのだ。
手にしていた剣を投げ捨ててナイトウルフに向かって笑っていたモノの目は、初めて会った時と何ら変わっていなかった。
「…すまない、モノ…」
オルトの苦い呟きは、昨日の大雨が欠片もない程爽やかに晴れた空に似つかわしくない程重く、ザラリと心にやすりでも掛けたかのように痛みを伴って消えて行った。