158.レンドルフの黒歴史
まだ戦闘・怪我・流血続いてます。ご注意ください。
モノに噛み付いていたナイトウルフの顎の関節を砕くようにして丁寧に外し、皮膚の中に残っていた折れた牙も取り除いた。体の中に食い込んだ牙を取り出すには、ナイフで傷を広げなければならなかったので、モノの意識がないことが幸いした。もしあれば、10箇所を越える場所を抉られる痛みに耐えなくてはならないところだった。オルトから、モノは呪いの影響で受けた傷の痛みは多少は軽減されているらしいが、それでも痛みは感じるし、傷の治りも通常よりは少し早い程度だという。多少軽減されたとしても、死を越える痛みを受けても死が訪れないというのは全くありがたいものではないだろう。
持っていた浄化の魔石は、度重なる傷口の消毒に使用したので限界を超えたようで、血まみれになったレンドルフの手を浄化させた時点で砕けてしまった。まだ水の魔石が残っているしレンドルフも浄水を作るくらいの水魔法は使えるので、浄化程ではないが清潔な状況を作るのには何とかなる筈だ。
レンドルフは手に嵌めた通信用のバングルでどうにか連絡が付かないか先程から試みているが、少しの雑音が聞こえるだけで全く役に立っていなかった。一応防水の機能も付けられているので雨に濡れたくらいでは不調になる筈がないのだが、もしかしたらオスカーとオルトが装着している方が不調なのかもしれない。無事にショーキが駐屯地から応援部隊を呼んで来て合流出来たかどうか確認してから発煙弾を使用して確実に見つけてもらいたかったのだが、これは時間を見計らって使用するしかない。手元には三発分はあったのだが、いつ傷を付けたのか分からなかったが防水の袋が裂けていて、中に水が滲みてしまっていた。多少の水ならどうにか使用出来る筈だが、きちんと打ち上がるかはやってみないと分からない。
(それにしても、迂闊だった…)
レンドルフは腰に付けているポーチに色々と備品は入れていたのだが、モノを追いかける直前にポーチに入れていた中級回復薬と清潔な布をオルトの手当に使って、そのまま補充せずに飛び出して来てしまったのだ。馬車の座席の下の物入れに入っていたのだが、オルトを座らせてしまったので手元にあった回復薬を使用したのだ。そしてすぐにモノを追いかける必要があった為に、一番重要な備品の補充が抜けてしまった。今は手元に残って治療に使える物は通常の回復薬が三本と、ユリから貰っている比翼貝の傷薬くらいだ。この傷薬も、モノの牙の傷に使ってしまったので残りは僅かだ。包帯はそれなりに持ってはいたが、モノの体が大きいのと傷の多さであっという間に無くなった。
回復薬は傷に直接掛ければその部分の外傷には効くが、経口摂取した方が全体の傷に効くのでそちらの方が効率的だ。モノには悪いが、命に関わるようなことがなければ意識が戻るのを待って飲んでもらった方がいい。しかし、モノの傷は通常ならば致命傷で即死していてもおかしくないものなので、通常の回復薬では気休め程度にしかならないだろう。中級でも厳しいとレンドルフは思っていた。しかしどちらにせよ今は手元にないので、せめて痛みを軽減させるのを期待するしかない。
(せめて雨が止んでくれればいいんだがな)
雨さえ止めば、レンドルフならばモノでも抱えて運ぶことが出来る。ただ怪我をした団員を助けに来ただけならば、雨の中でも洞窟の入口を空気穴だけ開けて土魔法で塞いで、レンドルフが救援を呼びに戻ることも可能だ。しかしモノを一人にすることは出来ない。もしレンドルフが外した時に意識を取り戻そうものなら、彼は再び姿を消すだろう。
レンドルフは懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。オスカー達と別行動をした時間は定かではないが、凡そ二時間程度は経っているだろう。確かあの位置からショーキが向かった駐屯地は馬で30分くらいだ。ショーキは悪天候の中木の上を渡って行ったが、何事もなければ到着しているだろう。
レンドルフはモノの様子見て、まだ意識が戻っていないのを確認してからそっと洞窟から出た。まだ雨足は弱まっておらず、出るとすぐに叩き付けるような雨にレンドルフの生乾きになっていた髪がたちまちずぶ濡れになる。
レンドルフは自分の体で濡らさないように慎重に発煙弾を取り出して着火の封を切ったが、燻ったような煙が僅かに出るだけで、明らかに不発だった。仕方なくレンドルフは手元の発煙弾を自力で上に向かって投げた。
「ファイヤーボール!」
高く宙に投げた発煙弾に向かって、レンドルフは火魔法を放った。この雨の中であるし、レンドルフはあまり火魔法の制御は得意ではないので、とにかく当たればいいと数発強めに放つ。辛うじてギリギリに一発が当たったが、やはり中まで不発になっていたのか、ポフン、と小さな音を立てて僅かな煙を灰色の空に一瞬だけ広げただけに留まった。それでもレンドルフ達を探して注視しているのなら、誰かが気付いたかもしれない。その希望を確実にする為に、レンドルフはもう一つ急いで封を切る。今度は内側の方でパチパチと爆ぜるような感触が伝わる。こちらはまともに反応したようだ。
これは投げずに手の上に乗せて頭上に掲げると、白い煙と甲高い音を立てながら一直線に空に上って行って、パアン!と周囲に音を響かせて炸裂した。
(これで気付くといいが…)
発煙弾の煙は白いものなので、今のような昼の曇天には大分見え辛い。しかも雨の影響で煙の拡散も弱めだ。レンドルフは祈るような気持ちで空を見上げた。
「モノ!?」
レンドルフが洞窟に戻ると、先程の発煙弾の音で目が覚めたのか、モノが体を引きずるようにして洞窟の外へ向かっているところだった。まだ止まっていない血が洞窟の固い地面を濡らして、薄暗い中微かな光でヌラヌラと光っていた。
「無茶するな!」
痛みを押して逃走しようとしたのか、レンドルフが駆け寄っても尚モノは体をよじってその手から逃れようとしていた。おそらく内蔵も傷付いているのか、口からも鮮血が流れ落ちた。
「もう、放っておいて、下さい…」
「出来るか!」
「僕は…死ぬこと、が、大手柄、なんです…」
モノの怪我は動けるような状態でない。今、レンドルフから逃げ出そうとしているのは気力だけなのだろう。しかし、そこまで気力を振り絞ってまで死に逝こうとしていたとしても、レンドルフはそのまま見送るつもりはない。
「駄目だ」
「お願いです…見逃、して…お願いです…」
「駄目だ」
ポロポロと涙を流しながら懇願するモノに言うことに耳を傾けず、レンドルフは容赦なく洞窟の中に引きずり戻し、身動きが取れないように着ていたもので彼の手足を拘束した。手も足も骨が折れているのであまり痛まないように動きを封じる程度だが、それでもモノはそのまま大人しく横たわった。普通は自害で舌を噛むのを警戒するところだが、モノもそれでは死ねないことは分かっているのだろう。ただ涙は止まらないのか、洞窟の低い天井を眺めながらこめかみから耳へと伝うのをそのままにしていた。落下の際にどこか傷でも負ったのか、片目から流れる涙に血が混じっている。
「回復薬を飲んでおくといい。その怪我じゃ気休め程度だろうが、少しは痛みも治まるだろう」
「……いいえ」
「…自分で飲むのと、俺に口移しされるのと、どっちがいい」
「……自分で飲みます」
手だけ拘束を外してレンドルフが支えて上半身を少しだけ起こす。そっと扱ったつもりだがやはり痛みは避けられないらしくモノは少し顔を歪めたが、大人しくレンドルフが封を切って渡した回復薬の瓶を受け取った。そしてゆっくりと自分でソロソロと腕を持ち上げて吸い込むように瓶の中身を飲み干す。少し口の端から零れたが、わざとではないようだったのでレンドルフはそのまま口の端をハンカチで拭ってやる。
「…少し、痛みが楽になりました」
「そうか」
そのまま再びレンドルフに支えられて横たえられると、モノは深く長い嘆息を漏らした。確かに何も飲まないよりはマシになってはいるだろうが、普通の効果の弱い回復薬なので大して軽減はしていない筈だ。だが、それでも少しだけモノの呼吸が穏やかになったような気がした。さすがに逃げる気はないようだったので、レンドルフは空になった瓶を回収すると足の方の拘束も解いた。
不意に、こんな状況なのに何故かモノがクスリと笑った。
「僕、死のうと思ってるのに、レンドルフ先輩がファーストキスの相手は嫌だって思いました…」
「まだ選択肢をやったからいいだろう。俺なんて問答無用で父だぞ」
「それは…お気の毒でしたね」
「忘れたくても、あの髭の感触が嫌でも忘れられないからな…」
あれはレンドルフが悪かったとは言え、悪夢のような黒歴史だ。
幼い頃、魔獣討伐に連れて行かれた先で誘い込まれ深追いして重傷を負ったレンドルフに、父が上級回復薬を強制的に飲ませてくれたのだ。本来、回復薬の口移しは禁忌とされている。互いが同等の怪我を負っているのならともかく、大抵は飲ませる側が無傷か軽傷であることが多い。そのバランスが取れていないと薬草の成分が過剰反応をするらしく、怪我の重い方に軽い方の生命力が取られるのだ。その原因は未だによく分かっていないが、余程のことがない限り自力で飲んでもらうか、直接振り掛けるかの二択になる。通常の回復薬程度ならそこまでの影響はないが、等級が上がる程影響は大きくなる。
レンドルフが飲まされたのは上級だったので、その直後に父が倒れてひと月は起き上がれないという事態になったと聞かされたが、レンドルフ自身も飲まされた直後からしばらく記憶が飛んでいるのでいまいち実感がない。そうでなければレンドルフが危うく死ぬところだったので、父が息子を命懸けで禁忌を破ってまで助けたという美しい話ではあるが、どうせなら飲まされた時の記憶も飛んでいて欲しかったと未だに思っている。
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「…しっ」
レンドルフは外で雨とは違う音を聞いて、声を潜めた。耳に身体強化を掛けてみたが、雨の音を余計に拾ってしまって邪魔になったので、通常の状態で耳を澄ませる。もしかしたら発煙弾に気付いた誰かが来ているのかとも思ったが、その音はどう希望的観測をしても人間の足音ではない。
「モノはそのまま動くなよ」
「放って逃げて下さいって言っても、駄目、ですよね」
「ああ、駄目だ」
「…はい」
モノは横になったまま眉を下げて笑ったが、その顔は泣いているようにも見えた。
レンドルフはスラリと自分の剣を抜くと、入口の影に隠れるようにそっと外の様子を伺った。覗き見しているので全景は分からないが、木々の間から黒く大きな何かが移動している。あの大きさはナイトウルフではない。
(ムーンベアか…?)
この辺りで出没する可能性のある魔獣の種類を思い出しながら、レンドルフは思い当たる魔獣に生唾を飲み込む。この辺りが生息域で黒い毛並みと言えばナイトウルフがムーンベアだ。体の大きさから推測するに、ムーンベアだろう。ムーンベアは熊系魔獣で、大きさはこの辺りでは最大の種族の一つだ。個体差が大分あるので、場合によってはワイルドボアの方が大きい場合もあるが、木にも上れるし泳ぎも速い。足の細い猪系には泥の罠が効果があるが、熊系は足の接地面が大きいのでそこまでの効果はなく、足の速さや攻撃力、獲物への貪欲さを考えると総合的に王都北側のこの辺りでは最強と言っていいだろう。
ただしそれは個体で考えた場合で、基本的に群れで暮らさないので遭遇したとしても一頭くらいなら問題はない。しかし、モノの影響で狂化して多頭で襲われると、レンドルフでも対処し切れないかもしれない。
「気付かれたか」
茂みの中から後ろ足で立ち上がったムーンベアの姿が見えた。黒い毛に額に三日月のような模様が入っている特徴的な顔は、ムーンベアに間違いなかった。そしてその目は赤くなっている。ムーンベアは凶暴ではあるが同時に用心深い性質も持っているので、人間と対峙した場合すぐに襲って来ることは子育て中のときくらいだ。しかし狂化している今は、レンドルフの姿を認識した瞬間、茂みから一気に走り込んで来るのと、洞窟の濡れていない地面を力の限り蹴ってレンドルフが飛び出すのはほぼ同時だった。
「ぐっ…!」
狂化している影響なのか、ムーンベアは全く躊躇する素振りも見せずに一直線に突っ込んで来たので、レンドルフは横に避けてすれ違いざまに大剣を振り下ろした。熊系魔獣は鋼のような筋肉を持っているので固い体をしているが、レンドルフのもともとの怪力と身体強化を上乗せした剣の前には、呆気無く首が落とされた。「アーマー」の名を冠する装甲を持つ魔獣は一刀で斬るのに苦労する場合もあるが、大抵の魔獣はレンドルフの剣の前に沈黙する。
首が後方に転がりながらもムーンベアはそのままの勢いで走って行って、その先にあった木を半分降りながら激突してようやく動きを止めた。
グアァァァァ…!!
「ちっ!」
息を吐く暇もなく、全く別々の方向からほぼ同時に二頭のムーンベアが飛び出して来た。最初のよりは小さい個体だが、それでもレンドルフよりは大きい。
先に近付いて来た方のムーンベアの月の模様のある額目がけて大剣を突き出す。駆け寄って来る勢いとレンドルフの力で、ガキン、とまるで金属同士がぶつかるような音と共に大剣の半分が肉も骨も貫いてムーンベアの頭に突き刺さる。レンドルフは足でムーンベアの鼻先を蹴り出して剣を引き抜き、すぐさま背後から迫って来ていたもう一頭に振り向きざまに一閃しようとした。が、雨でぬかるんでいた為に一瞬足元が取られて回転速度が足りなくなった。レンドルフは瞬時に剣を強く握って、反対側の柄でムーンベアの耳の下、人間で言うところのこめかみ辺りを強く殴打した。さすがにその一撃で脳震盪を起こしたのかムーンベアの足元が揺らいだので、レンドルフはその隙を突いて蹴りを入れ仰向けに転がして、心臓の辺りを目がけて一気に大剣を突き立てた。剣の先にガリンと固い物の感触がしたので、おそらく魔獣の心臓部の魔石を割ったのだろう。すぐに剣を引き抜いて返り血を浴びないように後ろに飛び退る。
時間にすればあっという間にムーンベア三体を始末したが、それでもそれなりに体力は削れている。レンドルフは肩で息をしながら顔を流れる雨水を無造作に袖で拭った。その時に一瞬だけ肩の辺りがチリリと痛んでそこに触れると、気が付かないうちにムーンベアの爪が掠めていたらしい。身につけている防具で殆どは防がれているが、ほんの少しだけ皮膚に届いていたようだ。
「この辺りの魔獣図鑑が作れそうだな…」
ガサリと音がして、今度は小山のような巨体を持ったワイルドボアが出現する。その後ろには小ぶりの同じワイルドボアが数体と、足元にはホーンラビットが見え隠れしている。普段ならこんな風に集まることはないのだが、やはりモノの呪いに引き寄せられているようで、見渡す限り全ての目が赤く染まっていた。
こんな状況なのに、思わずレンドルフは苦笑して口角を上げてしまった。一度短くしてもらったが、もう既に前のように伸びて来た前髪から垂れる水滴がひどく気に障る。こんな時になのか、こんな時だからなのか、レンドルフは頭の片隅で、戻ったら騎士団の理髪店に行って来よう、と考えていたのだった。
他の登場人物より(自覚してる)重い過去はないレンドルフですが、地味に残念な過去を背負ってる(笑)