155.遠征の夜
「地より出て呑み喰らえ『飽食の土竜』!」
レンドルフの扱える中で最大級の上位魔法、精霊獣召喚に残っていた魔力をゴッソリと奪われる。全部使い切ることはないと目算はしていたが、それでも一気に残り僅かになるほど吸い取られるとさすがに目の前の景色が一瞬歪む。膝を付いている体勢なので倒れることはなかったが、体を支える為に両手両膝を地面に付けてどうにか堪える。
「うわ…」
感覚が鋭敏なショーキは、足の下をザワリと気味の悪い感触が舐めて行ったような気がして思わず声を上げた。気が付かないうちに、フワフワした質のショーキの髪がハリネズミのように逆立っていた。
暗くなって分かりにくいが土槍の向う側、何がヌメヌメとした黒く蠢くものが見え隠れしている。そしてそれが波打つ度に、バキバキと何かが折れるような嫌な音と「ギャッ!」と断末魔としか思えない悲鳴が立て続けに聞こえて来る。その声の上がる場所が移動していることから、この波打つ真っ黒な異物が周囲を回っているのは分かった。時間にすればほんの一瞬のことだっただろうが、何かが引きずるような音と断末魔が消えるまで、それは随分長い時間のように思えた。
やがて全ての音が消えると、レンドルフは大きく息を吐いてドサリ、と座り込んだ。
「レンドルフ」
「大体はいなくなったと思いますが、打ち漏らしがないか確認お願いします」
「ああ。ショーキ」
「は、はいっ!」
オスカーに声を掛けられて、呆然としていたショーキが慌てて周囲に索敵魔法を展開する。ショーキの魔法はそこまで範囲と精度は高くないが、それでも注意する程近くに危険は迫っていないのは分かった。先程の「何か」が通った後は空気なのか魔力なのか妙な乱れはあったが、大きなものが通り過ぎた後という感じで、既に消えつつあった。
「大丈夫です」
「そうか。…レンドルフ、そちらは大丈夫か」
「魔力が半分以下になりました。回復薬使用の許可をお願いします」
「ああ、構わん」
動き回った訳ではなかったが、レンドルフは既に汗だくになっていた。こめかみから顎を伝って滴り落ちた汗が地面に点々と染みを作っていたし、シャツの襟回りは濡れて色が変わっている。しかしそれだけ汗をかいているのに、彼の顔色はいつも以上に白い。
「僕が持って来ます。紫の瓶ですよね?」
「ああ、頼む」
立ち上がろうと足に力を入れたが、すぐには立てない状態のレンドルフを見てショーキが先に動いた。レンドルフの確認を取って、魔力回復薬の瓶を馬車に取りに行く。その瓶を手渡されて、レンドルフは中身を一気に飲み干した。基本的に回復薬は美味しいものではないが、口の中がカラカラになっていたので水分がありがたかった。
「ありがとう」
「い、いいえ!僕は何にも。レンドルフ先輩が大活躍だったじゃないですか。あれ、もしかして精霊獣ですか?初めて見ました!」
「消費魔力の割に扱いにくいから使い手は少ないしな」
レンドルフの召喚する精霊獣は、自分の口に入るサイズの魔獣は何でも飲み込む悪食の習性を持っている。毒があろうが刺があろうが全くお構い無しだ。その為中型以下の魔獣が群れで押し寄せて来た時に絶大な効果を発揮するが、口に入らないサイズになると全く反応しないので使いどころが難しい。しかも召還後は魔力をごっそり持って行かれるので、レンドルフがしばらく戦力にならない。すぐに魔力を補充出来てフォローしてもらえる状況でないと却って危険になる。
おそらくもっとレンドルフの召喚レベルが上がれば、大きな魔獣も飲み込めるようになるだろうが、召喚魔法は恐ろしくレベルを上げるのが難しい魔法だ。極めれば無敵とも言われる程の強力な魔法だが、そこに至る前に割りに合わないと諦めてしまう者も多いので、使い手は非常に少ないのだ。
レンドルフは自分の主な属性が土だと分かった時から、強力な火魔法の使い手の父や兄に見捨てられるのではないかと思い込んで必死に調べ上げ、土魔法でも役に立てると証明の為に密かに召喚魔法を練習し始めたのだ。その為、習得をしようとレベル上げをしていた期間は魔法士を目指していた訳でもないのに相当長い方だ。もっと成長してから、魔法の属性に関係なく家族は見捨てる筈がないと理解出来るようになったが、その後もレベル上げは怠らずにいたおかげで、そこそこ使える状態にまでなった。おそらく現役の騎士の中で使えるのは片手くらいしかいないし、王城付きの魔法士も効率重視のところがあるので二桁いるかどうかという程度だろう。それでもまだレンドルフの扱うのは召喚魔法としては下位の方だ。
「後を任せられるからああして大きな魔法も使えるんだからな。持ちつ持たれつ、だ」
「…先輩、人が良すぎるって言われません?」
「そうかな?」
回復薬のおかげで顔色が戻って来たレンドルフは、怪訝な顔をして首を傾げるショーキが何だか可愛らしく見えて思わず微笑んでしまった。
「ショーキ、ここで野営にする。周辺に結界を設置するんだ」
「はい!」
「レンドルフはそのまま休んでいろ!回復も重要な任務だ」
「はい…」
オスカーの指示に立ち上がって小走りに去って行くショーキに続こうとレンドルフが立ち上がりかけると、すかさず叱責混じりの指示が飛んで来た。回復薬のおかげで動けなくはないのだが、実際魔力の回復は半分程度だ。怪我などの体力的な消耗も魔力の消費も、回復薬でどうにかなったのは強引に引き上げているので、自覚はなくても体のどこかに負担はかかっている。それを回復させるのは休息が一番なのだ。レンドルフもそれは嫌という程承知しているので、オスカーの指示通り再びその場に腰を降ろした。
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「レンドルフ」
「オルトさん。…モノは」
「強引に眠らせた。すまん、まだ時期尚早だったようだ」
「初遠征ならあんなものですよ。モノは学生の時に演習を受けていなかったなら尚更ですよ」
「……ならいいんだがな」
レンドルフが座り込んでいる場所はちょうど馬車に阻まれて良く見えなかったが、その向こう側からオルトがノソリとやって来た。その顔には、少しばかり憔悴の色が浮かんでいる。オルトはモノの側に付いていただけで特に戦闘はしていないが、行動が未知数な初遠征の新人の傍らにいるというのはそれだけで消耗するものだ。
「さて、どうしたもんかな」
オルトはレンドルフの言葉にも渋い顔をしたまま、ガリガリと頭を掻きむしった。レンドルフはチラリとしか見ていなかったが、馬車から降りたモノは、降りるなり馬車から遠ざかろうとしてオルトに掴まれていた。他の新人ならば魔獣の群れに怯んで及び腰になったのかとも思うが、モノの場合は自身が魔獣を集めてしまうのを分かっているので他の仲間から遠ざけようとした可能性もある。
その行動は一般人ならば自身で責任を取ろうとした行為にも見えるかもしれないが、騎士で、しかも新人が取る行動としては最悪手だ。今は落ち着かせる為に眠らせているのだろうが、目が覚めたらどう指導するかをオルトは悩んでいるのかもしれない。
「取り敢えずここで野営ならメシの準備だな。携帯食の他に何か温かいものでも欲しいな。俺が火を起こすから、レンドルフはこの前飲ませてくれたヤツ、頼んでいいか?」
「はい」
「準備出来たら知らせる。お前はそれまで休んでてくれ」
「ありがとうございます」
レンドルフはまだ実際の討伐任務も始まっていないので、体力魔力を回復させる為にオルトの言葉に甘えることにした。持参して来ている回復薬や魔石などは、討伐任務中に使用する数を想定している。が、始まる前に一つ消費してしまったのだ。この先のことを考えると、少しでも節約はしておきたい。
レンドルフは腰に下げている水筒からガブリと水を飲む。この水筒には水の魔石が埋め込まれていて、減った分だけ補充されるようになっている。無限に補充される訳ではないが、この水筒が開発されたおかげで遠征がかなり楽になった。水の確保は重要だが、重く嵩張る上に、現地で調達使用に飲用に適した水が簡単に手に入るとは限らない。この水筒だけで、命を繋いだ者がどれだけいるか分からないだろう。
再び腰の定位置に水筒を戻した際に、レンドルフの胸元辺りでカサリとした感触があった。
行き掛けにユリから届いた手紙の封筒だけをお守りがてら持って来ていたことを思い出して、レンドルフは上着の上から封筒と伝書鳥を入れたポケットに手を当てた。もともと伝書鳥はそれ自体に防水の付与が付けられているし、防水の袋に入れてあるので汗で湿ってしまうことはないだろうが、動き回ったので多少皺にはなっているだろう。それを見越して封筒のみにして持って来たのだが、それでもそっと服越しに硬い紙の感触を楽しむ。傍から見ると、何もないのに胸の辺りに手を当てて微笑んでいるという誤解を招きそうな行動ではあるが、幸いなことにそんなレンドルフを見ている仲間はいなかったのだった。
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「あ〜やっぱ旨いな」
レンドルフの作ったスープをカップの縁ギリギリまでよそって、すぐに啜ったオルトがしみじみと声を上げた。
夕食は携帯食の固い乾パンと干し肉とピクルスだったが、レンドルフが持参して来たユリ謹製の昆布の粉末を溶いたスープが付けられたので、それだけで満足度が全く違っていた。粉末だけでは物足りないので、切り分けた干し肉の端と干したキノコを放り込んだので、はからずも海と山の出汁の風味豊かなスープが出来上がっていた。これはもう目分量で作ったので、再現は出来ない。
「レンドルフ先輩、このスープの素、貰った言ってましたけど、どこかで売ってます?」
「あー、これはくれる人が作ってるって言うか…」
「えー残念。というか、その人、これで商売すればいいのに。絶対売れますよ!」
「俺も売ってないか聞いたことあるよ。でも、故郷では各家庭で作ってるらしくて、売るって感覚じゃないみたいだ」
「どこなんです?そこ」
「アスクレティ領って聞いてる」
「ああ〜なるほど。先輩の使ってる傷薬の人で、僕といた時に薬局で会った人ですよね?」
「え、な、何で!?」
「そりゃ分かりますよ」
アスクレティ領と言えば、昔から医師や薬師を多く輩出している土地で、医療技術や医薬品などが進んでいるミズホ国と国内唯一取り引きのある領として有名だ。それに領主であるアスクレティ大公家も、国内の半分以上の薬草の栽培と流通を主産業としているし、薬師ギルドの創設にも深く関わっている。医療や薬と切っても切れない程有名な領なので、そこが故郷であるなら、「仲の良い薬師見習い」と薬局で再会したユリを紹介しているので、ショーキはそれはもう簡単に同一人物だろうと予測が付いた。
「何だ、レンドルフ、医者か薬師と付き合ってんの?」
「い!いえ!その、付き合ってると言うか…その、薬師見習い、です」
オルトに面と向かって言われて、焚火を囲んでいるのだがそれに照らされているのにもかかわらずレンドルフの顔が赤く染まるのがハッキリと分かった。レンドルフの片手で余るように小さく見えるカップを両手で抱えるようにして、照れながらスープを啜る姿は何故か皆の目には微笑ましく映った。
「見習いとは言え、キュプレウス王国との共同研究に関わっているとはなかなかの才媛なのだな」
「オスカー隊長!?」
オスカーにまで話題に出されて、思わずカップを取り落としそうになったレンドルフが慌てて握り直した。ユリと直接薬局で会ったのはショーキなので、レンドルフは思わずショーキに視線を送る。するとショーキは全く悪びれていない可愛らしい笑顔で、ペロリと舌を出して肩を竦めた。
レンドルフの動揺ぶりに、オルトは完全に面白がってカラカラと笑った。
「別に疾しいことねえんだから照れんなって。あれ?それとも相手が人妻?」
「ち、違います!」
「じゃあ問題ねえだろ。レンドルフはすげえ美女と付き合ってるって有名だぞ。第四は爵位のないヤツとか平民とかが多いからな。他人のパートナー情報とかが気になるんだよ」
「有名…いやその…確かに綺麗な人、ですけど…」
「ま、単に人の色恋話を楽しんでるだけってのもあるから、あんまり気にすんな」
「はあ…」
貴族は嫡男だけでなく、高位貴族になるほど個人の感情ではなく家に有利な政略で相手が決まっていることが多い。近衛騎士団は伯爵以上の出身が必須であるし、第一騎士団も爵位のある貴族が配属されるのは暗黙の了解だ。他の騎士団は平民でも特に制限はなく実力や素質によって配属が分けられているが、団長になるには爵位が必須だし、副団長や部隊長などに任命されるのもやはり爵位があった方が出世しやすいという不文律は存在する。
ずっと近衛騎士団にいたレンドルフの周辺は、大抵相手が決まっているか、決まっていなくても家同士で話が進んでいたりする為に迂闊に噂を立てると後が怖い者もいるので、そういった恋愛話は避けられている節があった。そして貴族は基本的に成人を迎えると同時に婚姻をすることが多いので、周囲の大半が既婚者だったというのもある。どちらかというと、レンドルフの方が少数派であった。
そういう意味では、今の第四騎士団に来て、自分にそんな注目が集まっているとはレンドルフは予想だにしていなかった。
「お、そろそろモノが起きる頃だな。ちょっと行って来る」
オルトは猫舌らしいモノの為に既に注いであったカップを片手に、馬車の向う側に向かった。あまり見ていては却ってモノが萎縮してしまうだろうと、馬車の影になるように寝かせて結界を張っていた。目が覚めた時に真っ暗なのも恐怖心を煽るだろうと、側にランプも置いてある。口調は荒いが、オルトは細やかな気遣いを忘れないタイプだ。
「…今回は、モノを参戦させるのは厳しいかもしれんな」
オルトが席を外した後に、オスカーがポツリと呟いた。
食後に銘々のカップに、持参していた目の細かいガーゼに一杯分の茶葉を入れて包んだものを飲んでいた。レンドルフは眠れなくと困るので、ユリに貰った気分を落ち着けるハーブティーにしている。野営の見張りは大体二時間ごとの三交代制にして、最初はモノとオルト、次がレンドルフ、最後がショーキとオスカー、と経験と体力を鑑みて決めていたが、レンドルフの回復を考えて順番を最後に変更していた。休息的な観点から考えると、睡眠が細切れになる二番目の担当が一番きつい。最初の見張りはショーキとオスカーにして、次はオルト単独になった。そしてもしモノが落ち着いていたならば、様子を見つつ見張りをさせるということにしたのだ。
「オルトも言っていたが、時期尚早だったか」
「でも、僕の初遠征の時よりはまだマシです」
「ああ、ショーキの時は大騒動になったな」
「あの時はご迷惑をお掛けしました」
「ショーキの初遠征もオスカー隊長だったのですか?」
「そうだ。あの時は応援部隊を呼んだりして、始末書が膨大になったな」
「あはは。僕、もう騎士団辞めようかと思いましたもん」
あっけらかんと言い放つショーキにレンドルフは目を丸くしたが、オスカーは少しだけ眉を下げて苦笑した顔になっている。
「僕、偵察の為に木の上に行ったのはいいんですが、トラツグミの巣を壊して、集団で襲われたんです」
ショーキが言うには、抱卵中だった巣を踏み壊してしまったので、一斉に猛攻を受けてしまったそうだ。しかし話はそこで終わらず、ショーキが必死に逃げているうちに群れを振り切ったらしく、近くに待機していたオスカーを始めとする騎士達に襲いかかったらしい。とんだとばっちりというやつだった。そしてどうにかトラツグミを殲滅させてショーキはどうなったのかとやっと気付いた時には、ショーキは逃げ回っているうちに高い木の上に逃げ過ぎて、降りられなくなっていたのだった。
「近くの駐屯部隊に猿系の獣人がいたので、わざわざ来てもらって救出されました」
「わざわざ来てくれたのに、お前はパニックになって引っ掻いただろ…」
「そんなこともありましたね〜」
「思ったよりも大事だったんですね…」
人から聞けば笑い話かもしれないが、当事者、しかも騒動の中心人物が笑って話して良いものだろうか…とレンドルフは少々悩んだのだった。