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150.【過去編】ダイス・クロヴァス辺境伯の苦悩と愛情

ちょくちょく話題に出ていたレンドルフの長兄とその妻のご本人の登場です。

レンドルフとユリと出会ってから数年後、学園を卒業する頃の時間軸のお話です。


「昨年の夏に来た時は、まだ辛うじて目線が下だった気がするのだが…」

「さすが義父殿の血筋だな」

「あれ、余分な毛が全部筋肉に回ったとしか思えん」

「良かったではないか」

「ま、まあそうなんだがな…」


ダイス・クロヴァス辺境伯当主は、顎のラインで切り揃えた茶色の髪を撫で付けてドレスではなく騎士服に身を包んだ妻ジャンヌに向かって複雑そうな顔をした。



半年ぶりに故郷に戻って来た弟が帰ってしまうと、城の中がやけに広く感じた。


末弟のレンドルフはもう学園を卒業する年になり、このまま王都の王城騎士団に入団することが決まっている。卒業式典では、成人祝いの夜会の予行演習としてパーティーが開かれる。基本的に辺境領は、国境の森からいつ魔獣が出て来るか分からない環境であるので、防衛の為に領主が王都に行くことはほぼない。本当は可愛い弟の卒業を祝う為に駆け付けたいのではあるが、そこは仕方なく堪えて自分の後継である長男が王都に行くことになっていた。彼は王都へ行く途中の領に寄って婚約者とパーティーに出席するので、今からウキウキと彼女への贈り物を選んでいた。その姿を見ると、ダイスはついお前は何の為に王都へ行くのだと問いただしたくなってしまう。


レンドルフが今回帰郷したのは、王都で直接卒業を祝うことの出来ない兄や両親に挨拶に来る為だった。

王都の学園に入学したばかりの時はまだ幼さを顔に残していて、女子用の制服を着ればそのまま令嬢で通用してしまいそうに華奢で儚気だった。それが長期休暇の合間を縫って戻って来る度、驚く程背が伸びていた。正直頭が一つ二つ分上に乗ったのではないかと思うくらいの成長期で、レンドルフが向こうからやって来ると踵の高い靴でも履いているのかと真っ先に足元を見る癖がついてしまった程だった。しかしさすがに学年が上がって来ると急激な成長は緩やかになり、縦の伸びが落ち着くと比例するかのように横幅が増大した。

決して太ったのではなく、素晴らしい筋肉が育ち始めたのだ。それまでは身長に取られていたのか、一度成長し始めるとムクムクと面白いように膨らんだ。たまにしか会わないクロヴァス領の家族や領民達は仕方ないとしても、時折毎日顔を合わせている筈の同級生ですらその成長っぷりに驚かれたこともあったそうだ。


そして最終学年の卒業前の長期休暇を利用して挨拶に戻って来たレンドルフは、とうとう兄ダイスも、父ディルダートも越える巨漢にまで仕上がっていたのだった。ただ顔立ちは母親似の美しいままで、クロヴァス家の血筋の証明と言わんばかりの熊レベルな濃い体毛が一切ない。外で鍛錬している筈なのに少し赤くなるだけですぐに白くなってしまう肌に、ひと月放置してもヒトを保てる髭の薄さは、思春期を迎えた頃からそんなに体毛が薄くて将来的に頭髪は大丈夫だろうかと家族は随分心配していた。今のところはそんな兆しはなく、兄と父、そして甥にあたる兄の息子達三人と並ぶと、皆長身巨漢なので実に暑苦しいのだが、傍目には赤熊に囲まれたたった一人の人間に見えた。


『筋肉が付き始めてから、鍛錬に集中出来るようになりました!』


華奢さがなくなってしまった為かいくら顔が良くても暑苦しい筋肉を敬遠されたらしく、レンドルフの周囲につきまとっていた令嬢達が一斉に引いていた。そしてそれを煩わしいと思っていたレンドルフは、大変良い笑顔でその事実を歓迎していたのだった。



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実はレンドルフには、ずっと内々に婚約者候補がいたのだが、それが隣国の王女だった為に確定はしておらず、公表もされていなかったのだ。幼い頃にたまたま見かけたレンドルフに一目惚れをした王女側からの打診だったのだが、隣国とは断絶した国交も正式回復していない上に、互いに幼いということもあって保留にしていたのだ。

しかし、その後見事な筋肉に育ってしまったレンドルフに失望したらしく、その縁談はレンドルフ本人にも知らされないまま打診して来た時と同じくあちらからの申し出で互いに無傷で消滅となったので、保留にしていたのは先見の明があったとしか言いようがなかった。


まだ学園に入学する年齢になっていない頃に、レンドルフは隣国に婿入りしていた次兄に誘われて、短期留学と称して三ヶ月程あちらの辺境領にいたことがあった。魔獣が出没する深い国境の森を挟んだそれぞれの国の辺境伯なので、むしろ王都に行くよりはずっと近い。そこに次兄が婿入りしてから、国交の復活はまだでも辺境伯同士の交流は再開していて、レンドルフが行くのもそこまで難しいものではなかったのだ。

レンドルフが産まれた時には既に次兄は婿入りしていたので、実際の交流が少なかった為に「可愛い弟に会いたい!」と父と兄にしつこく申込んでいて、ようやく実現したものだった。その為滞在中は留学というよりもほぼバカンスで、次兄はレンドルフをあちこちに連れて歩いた。その際に同じくバカンスに来ていた王族と顔を合わせたことが切っ掛けだったのだ。



「ダイも圧力に負けずに婚約の打診をよく撥ね除けたものだ。よく頑張った」

「へへ…そうかな」


ダイスは、溺愛している妻に褒められて、ヘニャリと相好を崩す。癖になっていつか人前でやらかすから止めるようにジャンヌはずっと注意して来たが、最近では諦めている。どうせ熊並みに毛深い髭で顔の半分は覆われているので、相好を崩したところで大差ないと気付いたこともあるが。


「母上も大反対されてたし、ジャンヌも反対してたからな。私が受ける筈がないだろう。…ただ、レンドルフには良い縁談を紹介出来るといいのだが」

「レンドルフには自由にさせればいいだろう。幸い私達の息子達も既に良い伴侶が決まっている。爵位や身分など気にせず、好きな相手と添い遂げればいい。それに、妻を娶ることだけが全てではない」

「…そう、だな。つい私が最高の伴侶に巡り会えたのだから、弟にもそうなって欲しいと思ってしまうが…考えが古いのだろうな」


サラリと惚気たダイスは、すかさずジャンヌの手を取って唇を落とした。そのまま何度か続けようと試みたが、成功したのは一度切りで、それ以降は見事に避けられてしまってダイスの眉が下がった。何せ息子が三人いて全員成人を越えているにも関わらず、ダイスは出会った時からジャンヌにベタ惚れで一切ブレたことがない。ジャンヌの方もとっくに慣れていて、しつこい愛情表現を適度に躱す技に長けているのだ。とは言え、互いに愛情表現が違っているだけで、仲睦まじい夫婦には違いなかった。


「レンドルフは大丈夫だ。きっと良い相手に巡り会うだろうさ」

「そうだな!あいつは私によく似た男前だからな!」

「それはどうだろう」

「そんなぁ」


レンドルフとダイスは体格は近いものがあるので、シルエットにすれば似ているかもしれないが、顔立ちも体質も一切似ていない。ジャンヌに容赦なくバッサリと否定されて、ダイスはますます眉を下げて情けない表情になったのだった。



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レンドルフの王女からの婚約の話は、クロヴァス辺境伯になったばかりだったダイスに、隣国の王から直々の婚約の打診を持ちかられたことから始まった。通常ならば断れる筈はなかった。だが、過去に一方的に言いがかりに近いことであちらから因縁を付けて来た国の王族なので、オベリス国王に報告をしたところあまり良い顔はしなかった。既にクロヴァス家から次兄が隣国の辺境伯に婿入りしているので、これ以上クロヴァス家だけが隣国との繋がりを深めるのも国のバランスとしてはよろしくなかった。もし他の家門への打診であれば、国交回復を引き換えに交渉のテーブルに乗せる余地もあったかもしれない。しかし、あちらは断固としてレンドルフを求めて来たのだ。


あまりにもしつこいので、一度詳しい話を聞こうと親同士、つまりレンドルフの両親の前辺境伯夫妻と、隣国の国王夫妻が非公式の場で話し合った。その際に、レンドルフの母アトリーシャが淑女の仮面を決して外すことはなかったが、隣にいた父ディルダートが震え上がる程に怒っていたとダイスは聞いている。

最初は、王女の一方的な一目惚れではあるが、まだ幼いので互いに交流を密にして関係を育んで行ってはどうか、と提案された。そして交流を深める中でお互いに婚約、そして婚姻を望むようになれば話を進めればいいので、まずは婚約内定扱いで始めれば良い、とのことだった。そして王女が国を出るわけにはいかない為、レンドルフを留学生として隣国の王城に迎え入れて交流を図るべきだろうと言われた時点で、アトリーシャはその場で話にならないとばかりに上手く丸め込んで切り上げてしまった。


王族との縁談であるし、三男のレンドルフには継がせる爵位も領地もない。王女には兄の王太子がいるので、将来的には伴侶と共に臣籍を得ることになるだろう。その下賜される爵位や資産も、決して低いものではない筈だ。クロヴァス家に交流が偏ってしまうのは多少問題はあるが、話としては決して悪い条件ではない。そう思って何が妻をそこまで怒らせたのか今ひとつ理解出来なかったディルダートに、彼女は非の打ち所のない美しい微笑みを見せた。そしてその顔から発せられたとは思えない程の冷たい口調でこう言われた。


『あの子はこちらの想像以上に人に気を遣う子です。もしこっそりと、兄達の辺境領に不利なように仕向ける、と囁かれれば、自分の感情を隠してでも言うことを聞いてしまいますわよ?どんな理不尽なことでも、まるで自分が望んだことのように言わされるでしょう。まだ幼いあの子に、王族相手に太刀打ち出来るとお思い?』


そう言われてしまい、ディルダートはぐうの音も出なかったのだった。彼もまた妻を溺愛しているので、その後はどんなに譲歩の条件を出されても一切頷くようなことはしなかった。そして自身が貴族の裏のあるやり口に全く慣れていないことを自覚しているので、そういった交渉の場には必ず妻か、長年仕えている家令を伴って即答は避けるようになっていた。



やがて埒が開かないと思ったのか、今度は標的をダイスに変えて来た。ダイスもまだ不慣れな辺境伯当主でありながら、周囲の忠告に素直に耳を傾けて、ひたすら隣国の王からの圧力を受け流していた。当初は次兄の方にも圧力がかかるのではないかと心配もしたのだが、実際の当主である妻の女辺境伯は武よりも文に長けた才女であった為、むしろダイスよりもきっちり圧力には圧力で返していた。


こうして長年に渡り、レンドルフの縁談の打診はしつこく行われていたのだが、彼が成長したことにより実にアッサリと解決してしまった。揉めて欲しい訳ではないが、長年剣よりも言葉で刃を交えるような交渉ごとに対して苦労して来ただけに、ダイスはどこか納得行かないものも感じていたのだった。とは言え、レンドルフに後顧の憂いがなくなったことは、歓迎すべき事案だろう。



多少複雑な思いも抱えながらも、ジャンヌに褒められて上機嫌なダイスの顔を見て、彼女は敬愛している前領主夫人、アトリーシャの溜息混じりの言葉を思い出していた。


『ディル様もダイスも、幼い頃から身体が大きくて()()()()()()()に見られることなんて考えも及ばないのでしょうけれど、あの国王のレンドルフに対する目は、どう見てもいかがわしい気持ちが隠せてなかったわ』


そう言われて実際にジャンヌはダイスと交渉の場に出向いた時に、相手の様子を注視していた。そして国王のあまりにもあからさまなレンドルフに対する劣情を読み取ってしまい、ジャンヌも気持ちが悪くなって強引に話を切り上げさせたのだった。性別云々よりも、未成年だと分かりながら隠そうともしない態度に怖気が走った。あの国王のレンドルフのことを聞き出す際の目は、かつて前領主夫人の護衛を長年務めていたジャンヌが遭遇して来た、美貌の夫人に対する絡み付くようなねっとりとした視線と同じものだった。

いくら王女の婚約者候補と言っても、相手は国王でレンドルフは他国の一令息に過ぎない。もし強引に言うことを聞かせようとされたら、幼い義弟では逆らうことは不可能だろう。それも人に気を遣う質であれば、尚更口を噤んで自分を犠牲にするのは火を見るより明らかだ。


どうにかその圧力を躱し続けて、成長したレンドルフが国王の守備範囲から外れたことで、婚約の打診は消滅したのだった。もっともその行き過ぎた成長のおかげで、国内の主だった令嬢からの縁談もまったく無くなってしまったのではあるが。ただレンドルフ当人は全く気に留めてない様子で、それなりに楽しそうだったのでジャンヌはそれならそれで良いのだろう、と思いを馳せるのだった。


「赤熊辺境伯の百夜通い( https://ncode.syosetu.com/n3726hu/)」にレンドルフの両親のなれそめ話があります。

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