146.【過去編】消えた侯爵家
ユリ側の過去と、レンザ側の視点の過去とは齟齬があります。ユリ側の方は、コローニス侯爵家が語っている視点です。真実としては、レンザ側の視点の方が近いです。
レンドルフは卒業式典の際によりにもよって襟章を人に預けたまま返却を忘れたというやらかしに、10枚の反省文と学年末の休暇中の神殿の清掃を命じられた。報告も無しに持ち場を離れたことと、騎士服を汚してしまったことに関しては、思ったよりも怒られなかった。担当教師が説教の後でチラリと、どうやら助けた令嬢がかなりの高位貴族だったらしく、本人から直筆の礼状と共に襟章が学園に届いたので、レンドルフの罰が軽くなったと伝えてくれた。
色々と事情があるとのことでどこの家門の令嬢だったかは教えてもらえなかったが、レンドルフは最後に格好悪いことになってしまった、と少々落ち込んだのだった。
「おー、レンドルフこれから掃除?」
「見れば分かるだろ。お前もだろ」
「中庭担当だ。今日は天気がいいからなー。楽勝だぜ」
レンドルフがバケツと雑巾を片手に回廊を歩いていると、向こうから箒を持った同級生がやって来た。短い黒髪を後ろに撫で付けた青い瞳の大柄な彼はネイサン・バーフルといい、南の辺境伯の自称五男だ。北の辺境伯と呼ばれるクロヴァス家と共に、国の防壁として名高い武門の家だ。何故自称かと言うと、現バーフル辺境伯当主は公認されているだけでも八人の妻がいる。そして子供は10名を越えて、正確な数が分からないというのは有名な話だ。
もともと南の辺境領は独立した小国だったのだが、二百年以上年前に起こった天災とスタンピードで国としての体裁を保てなくなり、唯一国境を接していたオベリス王国に救援を求めて併合された領地だった。そのためオベリス王国とは少々異なる文化を持っている。かつてその国には、伴侶を失って生活に困った未亡人と遺児を王の後宮に側室として引き取って、王の妻と庶子という身分を与えて相応しい部下に下賜するという風習があった。もとは魔獣の出る森林と嵐が通過しやすい海に面した国で、男手を失いやすかった為に出来た風習なのだが、今もその名残で領主は領内の未亡人と遺児を迎えて面倒を見ている。その為に気が付くと、兄弟の順番が入れ替るので自称となるのだ。
ただネイサンは第一夫人の二番目の子供で、辺境伯の息子なのは間違いない。
ネイサンはレンドルフが羨やむ程に体格に恵まれていて、並んで歩くと同級生には見えない。彼はしょっちゅう街に遊びに行っては門限を破るので、罰の掃除をさせられるのは常連だった。入学してから一年の間で、掃除していない場所はないと謎の自慢をしている。
「なあ。ちょっとヤバい噂を聞いたんだが」
「また街に出たのか?外出禁止にされてなかったか」
「街には出てねえよ。ちょっとした伝手からだ」
ネイサンは親し気に肩を組んで、レンドルフの耳元に口を寄せた。背も体もレンドルフよりも二回りは大きいネイサンに肩を組まれると、レンドルフは身動きができない。それは端から見れば仲の良い学生がじゃれ合っているようにも見えるだろう。
「侯爵家が一つ、消えるぞ」
「…!」
何か楽し気なことを囁いて悪巧みを唆しているような表情のまま、ネイサンは思いもよらないこと口にした。レンドルフも表情を動かさないように気を付けたが、思わず目を見開いてしまった。
「王命に逆らった…というか、偽りで王命を賜ったんだと。で、ここ最近侯爵位が減ってるから、次にウチが陞爵されるってさ」
「…そうか」
レンドルフは、ネイサンが自分のその話をした理由を察して平然とした顔を保ったまま頷いた。今のところネイサンとは実家は同じ爵位の辺境伯だ。しかし陞爵して侯爵になれば身分としては上になる。お互いに嫡男ではないので当人同士はあまり関係がないような気もするが、周囲の態度は変わって来るだろう。
「しばらくは周辺が煩そうだな」
「全くだ。俺達にゃ関係ねえってのによ」
レンドルフもネイサンも、嫡男ではないのと当人達があまり気にしていないこともあって婚約者が決まっていない。高位貴族の中では比較的珍しいこともあって、有益な婿候補として令嬢達から虎視眈々と狙われている。特にレンドルフは見目も美しいとあって、隙あらば追いかけ回されている日々だ。一応レンドルフは昔から打診されていて半ば内定した相手はいるようなのだが、何故か両親からは絶対に他言しないようにと言い渡されていた。レンドルフ自身は会ったこともなければどの家門の令嬢なのかも知らされていないので、他言のしようもなかったのだが。
バーフル家が侯爵に陞爵したという情報が流れれば、見た目が騎士らしくゴツいためレンドルフよりも令嬢のアプローチが少なかったネイサンの周辺も煩くなって来るのは予想がつく。
「どうも最近高位貴族がきな臭くて敵わねえな」
「ウチはそういうのと無縁だけどな」
「そうしててくれよ」
ネイサンは組んだ手を離して白い歯を見せて笑顔になった。北と南の辺境領なので学園に入っていなければ会うこともなかったであろう貴重な友人だ。当人達が仲違いしたのならともかく、家の都合で疎遠になるようなことはあって欲しくないと互いに思っていた。
ちょうど回廊の分かれ道になったので、レンドルフは神殿の方へ、ネイサンは中庭の方へそれぞれ分かれた。
(消える侯爵家か…そのうち嫌でもどこか耳に入るだろうけど…)
レンドルフは、元から王都や社交界から遠いクロヴァス家の影響からか、自分でも世情に疎いことは承知していた。先程のネイサンのように詳しい友人達が教えてくれるおかげでどうにかなっているようなものだ。もしこのまま騎士を目指して王城の騎士団に所属することになれば、生活拠点は王都になる。しかし自分には圧倒的に情報網が足りないことは承知していた。同じ騎士を目指すにしても、故郷で兄の為にクロヴァス家の専属騎士にでもなった方がいいのではないか、とレンドルフは少々後ろ向きなことを考えていた。
(あのご令嬢…その侯爵家と関係がないといいけどな)
卒業式典で助けることになった「死に戻り」の彼女のことを不意に思い出して、レンドルフは少しだけ祈りたくなるような気持ちになった。どこの家門かは分からなかったが、直筆の礼状が届いてレンドルフの罰が軽くなったことを考えれば、かなり身分が高い家門の出身だろう。まだあんなに小さくて幼い令嬢が、家門の罪の巻き添えになってしまうのは胸が痛む。
そんなことを考えていたせいか、レンドルフはいつになく丁寧に神殿内に設置されている主神キュロスの像を磨いたのだった。
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レンドルフが反省文を提出して神殿の掃除から解放された頃、侯爵家の一つが爵位と領地を返還したという話題がレンドルフの耳に届いた。ネイサンから聞いた話だと王命絡みで家を潰されたような話だと思っていたが、重い病で後継もいない現当主が療養の為に特別に王領の一部と屋敷を下賜されて完全に隠居するのだという話だった。違う話なのかと戸惑ってネイサンにその話を向けると、彼は渋い顔をして「王領と言う名の島だ」と呟いた。どうやら療養の為に自ら隠居したと世間には公表しておいて、その実一族を島へ流罪にしたということらしい。真実は分からないが、やはり国の意向で潰されたようだ。
その後、とある高位貴族の令息に婚約者がいるにも拘らず横恋慕した令嬢が、メイドを買収して晩餐のワインに毒を盛り無理心中を図ったという噂が流れた。その令息が自身の婚約破棄をちらつかせて令嬢に迫ったとか、他の家族も分かっていて見て見ぬ振りをしていたことが原因とも言われた。幸いにも死者は出なかったようなのだが、その毒が原因で一族が子を成すことが難しくなり、令嬢を含む関係者全員が療養と称して幽閉されたということだった。そしてその貴族が、最近領地を返還して王領に隠居したという侯爵ではないかと囁かれた。
レンドルフにしては珍しく、そういった噂について自分から色々と聞いて回っていた。それを見た同級生などは奇異な目で見ていたが、その噂が落ち着く頃には、どうやらその中に幼い令嬢は含まれていなかったことを確認して、レンドルフは密かに胸を撫で下ろしていたのだった。
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「デュオニス、この結果を説明してもらえるかな?」
レンザはパサリと書類を放り投げて、真っ青を通り過ぎて白くなっている男の前に滑らせた。
レンザの目の前の男の人となりを好ましいと思ったことは全くなかったが、自分の従弟としてそれなりに付き合いを続けて来た。それに個人だけではなく、家としても十分すぎる程の援助をして来た筈だ。しかしこの男は、許されざる罪を犯した。その罪については、レンザも知ろうと思えばすぐに知れたのに放置してしまったことに一端の責があると思っている。だが、今は自分のことよりも、汚らわしいこの男の率いる一門を断罪することの方が優先だ。
「君も我が家の婚姻に付いては、王命を賜って結ばれるのは知っていただろう。それを一度破って、二度目も許されると思ったのか?しかも更に悪質極まりない、反逆罪そのものだ」
「い、いや…それは…」
「仮に百歩譲って、王命に背いたことは今回も許されたとしよう。しかし、我が大公家を蔑ろにした報いは、どのように償うつもりかね」
レンザは、コローニス侯爵家当主の執務室において、当主しか座れない椅子に座って微笑みを浮かべていた。しかしその顔は、相手にとっては笑っているようには到底思えなかった。レンザの前には、当主であるデュオニス・コローニス侯爵が立ち、その後ろに次期侯爵で息子のカイン、その二人目の妻ディーテが並んでいる。更にその後ろには、カインの先妻の娘であるカトリーヌと、それに寄り添うように腰の辺りに手を添えているディーテの連れ子であるセレウスがいた。彼ら五人は一様に顔色を無くして、カトリーヌなどは立っているのがやっとという風情だった。しかしレンザはそんな令嬢を前にしても、決して着席を許す言葉を口にしなかった。
「もしかして知らないのなら、我が大公家の禁忌を説明してやろうか?」
「それは…存じております…」
「おや?そうかな?その割には君の亡き娘も分かっていなかったがね。君も理解していないのではないのかい」
レンザは喉の奥でククッと軽く笑って足を組み替える。
「我が大公家は、建国の頃からの歴史ある一門だからね。どうしても血が濃くなる。しかし一定以上濃くなると、膨大な魔力と引き換えに、人に対して影響を及ぼす特殊魔力を持って生まれて来ることが多い。そしてその魔力は王族を越えることもあり、王家はそうならないように我が家の婚姻を調整する必要がある。どうだね、知らなかっただろう?」
「は…それは…」
知らない筈がないと分かっていて、わざとレンザは言っている。デュオニスもそれは十分な程分かっていた。
デュオニス・コローニス侯爵には、二人の子供がいた。姉のマーガレット、弟のカインだ。このマーガレットが、アスクレティ大公家嫡男と真実の愛を貫いた相手だったのだ。
当時、レンザの一人息子には王命で結ばれた婚約者がいた。それは大公家の血が濃くなり過ぎて次代に影響が出ないように、そして国内の勢力バランスも考えられた上で慎重に選ばれた相手だった。しかし、親戚付き合いを隠れ蓑に目を盗んで仲を深め、その王命に背いてまでマーガレットを伴侶として選ぶと衆目の中で宣言してしまったのだ。マーガレットの父デュオニスはレンザの従弟にあたるため、この二人が結ばれてしまった場合、次代に王族を越える特殊魔力を持った子供が生まれる確率が非常に高い。本来ならば絶対に許される筈のない婚姻なのだ。
しかし宣言してしまった以上それを覆すことは難しく、仕方なくレンザは子供を設けないことを条件に二人の婚姻を許した。その際に、王族を越える魔力を持つ子が生まれる危険性を滔々と説明して彼らも納得したにもかかわらず、その後すぐに子供が出来たとの報告が入った。マーガレットが、愛の力があればどんな魔力の子供でも大丈夫、という謎の論理で、更に楽な方に流されやすい性格の息子が賛同してしまった結果だった。
その時の王家とのやり取りの苦労を思い出すと、未だにレンザのこめかみは痛みを伴うようだった。あの時程、どんなに非人道的と言われようと、物理的に子が成せないように切り落としておけば良かったと思ったことはなかった。
しかし謎の理論は謎のままで、結局特殊魔力を持って生まれた娘は両親共に触れることすら出来ない状態だった。魔力を抑える為の高額な魔道具の準備や、近隣から距離のある広大な土地のある家を借りて魔力の無い子守りを捜さねばならないことなど、娘の存在は彼らの生活をすぐに圧迫した。元々生まれながらの高位貴族の彼らに、生活苦への耐性は無かった。
自分達が条件を守らずに設けた子供であったのに、すぐに子供が自分達を不幸にしていると嘆き、レンザに後継を与えてやる代わりにこれまでの養育費と慰謝料を支払うように求めて来た。そしてレンザが自分勝手な理由に呆れて言葉を失っていた頃、その返答も待たずに強引に王都へ押し掛けたのだ。全く無計画で、やはり子供を設けた時と同じ謎理論で「顔を見れば情が湧く」「子供を預けてしまえば金を出す」と自信満々で領地から向かう途中、不幸な事故に遭ったのだ。
レンザとしても孫ではあるが一度も会ったことがなかった為に、孫娘に対しては何の感情も無かった。しかも彼らが亡くなったことで秘匿させていた孫の存在があちこちに知られてしまい、大公家の後継として養子を取る方向に動いていた話がその影響で潰えてしまった。むしろ迷惑な存在でしかなかった見ず知らずの孫に、義務感で仕方なく大公家の血縁として認知したこともレンザにしてみれば大きな譲歩と慈悲であり、それで自分の役割は終わったと思っていたのだった。
後は大公家の財力で環境だけ整えて、将来的にはどこかの修道院に入れるか、血筋的に問題の無い家門に嫁がせてしまえばいいと考えていた。そこに、母方の実家であるコローニス侯爵家が亡き娘の忘れ形見として引き取りたい、と申し出たのだ。
レンザは、正直なところコローニス侯爵家はあまり優秀ではなかったマーガレットを冷遇していたし、レンザの支払う養育費と大公家の後ろ盾が目当てだろうとは思った。しかしこれ以上孫娘に振り回されるのは終わりにしたかったレンザは、そこまで酷い目に遭わされることは無いだろうと判断してコローニス家に委ねることにしたのだった。
そこでレンザは、大公家の「影」を付けて情報を集めれば結果的にいつまでも気にし続けてしまうと考えて、ただ身の回りの世話をする魔力無しの侍女を一人だけ付けるに留めた。そして彼女には、孫娘に命の危機がありそうな場合にだけ連絡をするように命じたのだった。
「さて…私はデュオニスがユリシーズに持ち込んだ縁談は、王家も納得した上での王命だと聞いているが、間違いないかな?」
「は…はい…」
「では、君の義理の孫であるセレウスは、大公家の人間と婚姻を結んでも問題ない血筋だと王家に進言した訳だね?」
「そ…れは」
「おかしいねえ。それなのに何故、この結果のセレウスはそもそも婚姻の禁じられている三親等以内の数値が出ているのかね?」
レンザは放り出した書類をトントンと指先で叩いて、あり得ない数値を弾き出している箇所を指し示していた。
「ディーテ夫人。セレウスは貴女の前夫との子で、アスクレティの血は一切入っていないと聞き及んでおりますが…何故セレウスは前夫でも、現夫であるカインでもなく、義父であるデュオニスの息子になっているのです?」
レンザに視線を向けられたディーテは、とうとう耐え切れなくなってクタクタとその場に座り込んでしまった。その妻の様子に、夫である筈のカインは表情を凍らせたまま立ち尽くしていた。
レンザが持ち込んだ書類は、コローニス家の血縁関係を調査して数値化した結果だった。
ユリは色々あって成長が極めて遅れていたので、レンドルフは幼い子供扱いしていますが、実年齢は13歳くらいなのでそこまで幼くはありません。
レンドルフが噂で聞いていた「死に戻り」令嬢はユリのことで、目の前にいたのも当人だったのですが、見た目が幼く見えたので同一人物とは気付きませんでした。