145.【過去編】騎士未満と姫未満
お読みいただきありがとうございます!
読んでくれる方も、評価、ブクマ、いいねもジワジワ増えてるの嬉しいです!
過去編は少々重めの話が続きますが、お付き合いいただけたら幸いです。
まだ細い時代のレンドルフとユリです。
現在とは大分性格も違います(特にユリ)
ユリに関しては、この頃の周辺環境があまり良くないので辛い表現もあります。ご注意ください。
「マリアは、馬車で迎えに来て」
「ですがお嬢様…」
「大丈夫……あの、騎士様。お願い…出来ますか」
「はい」
来賓を迎えるのは大きな正門で、馬車で来たのならその脇の馬車留めに待たせてある筈だ。北門に出るのなら、正門から馬車を回すように手配しなければならない。この中でその手配が出来るのはマリアしかしない。しかし、侍女としては令嬢を見知らぬ男性と残して行くのはさすがに抵抗があるようだった。
「あの、こちらを」
レンドルフは咄嗟に思い付いて、必ず付けていなければならない襟章を外してマリアに差し出した。これは学園の生徒全員が付けていなければならないもので、謂わば学生証のようなものだ。読み取りの魔道具で見れば、どの家の者でどの科に属しているかなど全て分かるようになっている。
「必ずご令嬢を北門まで安全にお送りします。それまでこちらを預かって下さい」
「…畏まりました。よろしくお願い致します」
マリアも襟章の意味を分かったのか、両手で恭しく受け取ると頭を下げた。
「失礼します」
レンドルフは被せた上着ごと少女を抱き上げる。そこまでレンドルフの体格は大きい方ではないが、少女はすっぽりと上着に包まれているので必要以上に触れずに済みそうだった。身体強化魔法は得意なので、彼女を抱き上げても全く揺らぐことはない。しかしそれでも不安に思うのか、被った上着で表情は全く伺えなかったが抱き上げた体は固まってしまっていた。
「お嬢様」
「…大丈夫。後はお願いね」
「はい。……騎士様、どうかお嬢様をお願い致します」
「承知しました」
マリアは落ちていた壊れてしまった靴を拾い上げると、一礼して小走りに去って行った。
「ええと、揺らさないようになるべく急ぎます」
レンドルフはどう言っていいか分からなかったが、何とか言葉を紡ぐと、上着の一部がコクリと頷いたように動いた。
----------------------------------------------------------------------------------
この休憩所から北門へと向かう道が繋がっていることをレンドルフが知ったのは、ほんの偶然からだった。
学園の案内図には、道は繋がっていなくて、植え込みで完全に分断されているように見える。しかし実際に行ってみると、行き止まりと思っていた場所が正面からは分からないように脇に繋がっていたのだ。最初は植え込みの木の一部が枯れて出来た隙間かと思ったが、またしばらく行くと同じように実際は繋がっているという箇所が再び出て来たのだ。それを確認して、レンドルフは誰が何の目的かは分からないが抜け道を敢えて作ったのだと確信した。
レンドルフが何故そんなところに行ったかと言うと、学園に来る前から母譲りの美しい顔と中性的で華奢な体付きで、お茶会や街に出ると令嬢達に囲まれてしまっていたのだが、学園に入学してからも同じように追いかけ回されていたからだった。基本的に男子学生が多い騎士科にいればそこまでではなかったが、どうしても他科との共通授業や場所に行かなければならない時などは混乱が起こる程だった。教師達も気を配っていてくれたが、休み時間になるとなかなかそうも行かない。その為、レンドルフは他科の令嬢達をまく為に学園中の抜け道や隠れ場所を把握していたのだ。
今、レンドルフが少女を抱えて移動しているのは、学園の中でもあまりまだ知られていない抜け道だった。ここで遭遇したことがあるのは、学園内の神殿で神学を教えている神官長だけで、思わず固まってしまったレンドルフに笑いながら「頑張ってね」と声を掛けてくれたくらいだ。
植え込みが入り組んで狭くなっているところは、自分の体を押し当てるようにして抱きかかえた少女に当たらないように細心の注意を払って通り抜け、気を遣いつつなるべく急いで北門へ向かう。
「こちらです」
門の脇の辺りに繋がっている茂みを抜けると、既に馬車を回したマリアが待っていた。馬車はあまり大きくなく、質素で紋章も付いていなかった。
「令嬢を乗せますので、扉を開けて下さい」
「はい」
傍に付いていた馭者に頼んで扉を開けてもらう。レンドルフは広くない扉の隙間に注意深く体を滑り込ませて、少女をそっと座席の上に置くことに成功した。レンドルフは思っていた以上に緊張していたらしく、額にうっすら汗をかいているのに気付いた。ホッと息を吐いて半分身を乗せていた馬車から引こうとした瞬間、被せた上着の隙間から彼女の片目がこちらを見ていたのに気付いた。髪色と同じ真っ白な睫毛の隙間から、透き通った湖水色の瞳が不安げに揺れながらもレンドルフに視線が向けられている。馬車の扉から入る光の具合なのか、一瞬星のような金の光が反射する。
「騎士様…りがとう…ございます…」
小さく掠れたような声だったが、確かに彼女からの礼だった。レンドルフは、まだ見習いにもなっていないただの学生の身分ではあるが、少しだけ彼女の役に立てて「騎士」と呼ばれたことにほのかな喜びが沸き上がる。
「こちらこそ」
レンドルフは頭を下げて馬車から出た。
「ありがとうございました」
「いいえ。あ、あの、申し訳ありませんが、ご令嬢に掛けている私の上着を取っていただけますでしょうか」
「ですが、土で汚れてしまいましたのでお洗濯をしてお返し致しますが」
「その、あれは学園からの支給で、手元に置いておかないとならないものですので」
「左様でございましたか。少々お待ちください」
馬車の外で待っていたマリアに頼むと、すぐに馬車に乗り込んで一旦扉を閉める。さすがに彼女に被せたものをレンドルフが脱がせるのはよろしくない。
実のところこの式典用の騎士服は、終了後に回収されてしっかり確認される。預けて手元にないよりも、汚してしまったと報告した方がまだ反省文が短い筈だ。それに本来は決められた持ち場を離れることは報告してからでないとならないのだが、うっかり慌てていて報告を忘れていたことに今頃思い当たってレンドルフは内心冷や汗をかいていた。これはどんな理由があろうとも間違いなく反省文確定だ。しかしせめて最後まで彼女には立派な騎士と思われていたかったので、そこは必死に表情に出さないように努めていた。
「本当によろしいのですか?」
扉が開いて、手に騎士服を持ったマリアが済まなさそうな顔で手渡して来た。上着の内側は、思っていたよりも湿った土がついていたが、レンドルフは平然とした様子を心掛けて鷹揚に頷いてみせた。
「構いません。その…当然のことをしたまでですから」
「本当にありがとうございました。騎士様のおかげです」
マリアが何度も頭を下げてから馬車に乗り込んだ。レンドルフは走り去って行く馬車をを見送って、未熟な対応はあったかもしれないが、何だか大きなことをやり遂げたような清々しい気分になった。
が、レンドルフはこの時にマリアに預けておいた襟章を返してもらうのを忘れていた為に、その後教師に大目玉を食らうのだが、この時は全く知る由もなかったのだった…。
----------------------------------------------------------------------------------
「お嬢様、アスクレティ家の本邸へ行って手当をしましょう」
「……いいえ。コローニス家へ帰ります」
「あちらではきちんと手当の出来る侍女はおりません!大公家の方が近いですし…」
「帰れと言われたのです。だから帰らなくては」
「ユリシーズお嬢様…」
馬車が走り出してから、マリアは準備してあった水筒の水でハンカチを濡らして、出来る限り彼女の手足に付いた土を落とそうとしていた。生活魔法が使えれば良かったのだが、彼女は魔力が高過ぎて使うことが出来ず、マリアは逆に魔力がなかったのでどうすることも出来なかった。せめて生活用の魔石があれば良かったのだが、それすら与えられていない。平民の中には魔力がないか、殆どない者もいるので、そう言った場合は生活を補助する為に生活魔法を充填した魔石を持っている。平民が使いやすいようにそれらの魔石は安価で手に入れやすくなっているのだが、彼女はそれを持つことも許されていないのだ。
「ではせめて、途中の薬局へ寄らせて下さい。そこで回復薬を買います」
マリアの懇願に、彼女、ユリはコクリと頷いた。出る時はきちんと結い上げられていた髪も、すっかり緩んで白い髪が頬に掛かっている。しかしユリはそんなとこに全く頓着しない様子でぼんやりと窓の外を眺めていた。
----------------------------------------------------------------------------------
ユリシーズ・アスクレティ。当主は国王と同等の権利を有していると言われている特別な家門、アスクレティ大公家の現在の唯一の直系だ。本来ならばアスクレティ家を継ぐことになるのだが、幼い頃に遭った事故の影響で体が弱く、実質大公家の実権を継ぐのはその婿だと言われている。しかも迷信とは言われているものの、未だに貴族社会では忌避される「加護無し」の「死に戻り」だ。社交面でも期待はされていないお飾りの大公女と言われ、その姿を見ることは殆どない。
彼女は現在母方の実家であるコローニス侯爵家で暮らしていた。彼女の父方の祖父であり大公家当主のレンザは多忙を極めていて、滅多に王都に戻る機会がない。そこでコローニス侯爵家から、子供の教育には家族の繋がりも大切であると説かれて、ユリは侯爵家に預けられていたのだ。
コローニス侯爵家当主は、ユリにとっては母方の祖父に当たる。コローニス家当主とアスクレティ家当主レンザとは従兄弟同士という近しい血縁だった。レンザの息子でユリの父は、周囲の反対を押し切ってコローニス家長女のユリの母と強引に結婚したのだ。当時は互いに別の婚約者がいたのだが、親戚として付き合う中でいつしか愛を育み、「真実の愛」を貫いたのだった。ユリの父の婚約者は王家からの推薦で決まっていたのだが、それを覆してでも強い絆を結んだ二人の前に、それぞれの婚約者は身を引いて彼らを祝福した。
レンザは烈火の如く怒ったのだが、大公家の今後の後継問題に関わらせない為に息子夫婦に子を成さないことを条件に結婚を認めた。そして余っていた男爵の爵位と領内の一部の経営を預けたのだった。人によっては甘い処遇だと言われたが、勘当していきなり市井に放り出すことはさすがに出来なかったようだった。
母方のコローニス侯爵家は大公家程の権力は持っていなかった為に、王家や他の貴族達の手前長女を勘当する以外に方法はなかったので、余計に大公家で面倒を見るしかなかったのだった。
だがその後すぐにユリが生まれたことで、なし崩しに侯爵家の勘当も解かれ、大公家も孫可愛さに怒りを緩める気配が漂い出した。しかしユリは生まれながらの特殊魔力持ちで、世話をする人間も限られたし、高額な魔道具で制御しなければまともな生活も出来なかった。
そこでユリの両親は、大公家に唯一の孫としてレンザに引き取るように懇願したのだ。男爵位にまで落ち、慣れない領地経営の上に産後の状態があまり良くなかったユリの母は満足に世話をすることが出来なかった。仕方なく話し合いの末、彼らはユリの将来の為にレンザに任せることを決めたのだった。そしてせめて最後の別れは自分達の手で、と無理を押して領地からレンザのいる王都に向かい、そこで不幸な事故に見舞われて二人は亡くなり、ユリだけが生き残る結果になったのだった。
さすがにレンザも両親を失った幼い孫を放置はしておけず、今後は成長次第としてユリを仮の大公家後継に据えた。だがその頃のレンザの周辺は、前大公家当主や筆頭分家当主が急逝したことを受け、幼子に目をかけられる状況になかった。
その為、同じ孫であることは変わりないと、コローニス侯爵家で預かる形で現在の状況に至っていた。
ユリは事故の後遺症からか時折魔力を暴発させることがあり、更に魔力を持つ他者に悪影響を及ぼす特殊魔力を持っていた。その為彼女は侯爵家の本邸で暮らすことは出来ず、別邸を生活拠点にしていた。それにその魔力に耐えられる使用人や教師などは極めて少ない上、癇癪を起こすと魔力暴発を引き起こすユリに恐れをなして彼女の周辺にはたった一人の侍女しかいないことが常だった。その影響で、大公家からもたらされる潤沢な養育費に見合うとは思えない簡素な生活を送っていた。もし、レンザがもう少し彼女のことを大公家後継として目をかけていたならば違っていただろうが、年に一度手紙で確認するだけで顔も見に来ない状況に、侯爵家の者達はたった一人の孫なのに実の祖父に見捨てられた哀れな娘と考えるようになって行ったのだった。
何年経ってもユリの魔力暴発が落ち着くことなく、特殊魔力で他の人間に影響を与える彼女の使用人の成り手はおらず、たった一人の侍女でギリギリ最低限の世話はさせていたが、それ以外の教育や交流などは全く進んでいなかった。侍女も年を重ね、次第にあちこちの手入れが疎かになってはいた。が、いくら高待遇を保証しても他に使用人の成り手がいなかったので、侯爵家でもそれ以上はやりようがないと、有り余る大公家からの養育費は手間賃として侯爵家の運営に消えるようになった。
やがて魔力暴発の被害を抑える為に当人の許可なく幾つもの誓約魔法を結ばせて、コローニス侯爵家の者の命令は必ず聞かねばならないという誓約で縛り付けた。更に感情の動きと魔力暴発は連動しがちなことから、思考や判断力が鈍くなる薬草も併用されていた。本来ならば許可のない誓約魔法も併用されている薬草も違法なものであったが、違法であろうが何だろうが彼女は危険過ぎて外に出すことすらままならないので、そうせざるを得なかったのだ。
これは、大公家にそこまでの心労を掛けてはならない、と侯爵家が判断してレンザには伏せられていた。誓約魔法の属性である闇魔法を扱い薬師としても優秀なレンザがユリと直接顔を合わせていたならば、彼女が置かれている状況にすぐに気付けただろう。しかしもう何年もレンザがユリを訪ねて来たことはなかった。そして誓約魔法でコローニス家の命に背けないユリは、その事実をレンザに報せることもなかったのだった。
このことは非人道的な行為として咎められることであるが、あまりにもユリの魔力が大きいので万一暴発すれば被害が甚大になることと、天下の大公家の唯一の直系がそのような状態なのを世間に知られるのは国の威信にも関わるとして、王家ですら「影」を通じて事実は知っていたものの見て見ぬ振りをしていた。
彼女の唯一の侍女であるマリアは、かつて彼女の父の乳母だったことと、魔力を持たないことから大公家より派遣されて来ていた。魔道具で制御していないユリの特殊魔力は、魔力量が多い程拒絶反応が大きくなるので、魔力のないマリアが彼女の世話をするには最適だったのだ。
そして彼女も口外しないように誓約魔法を結ばされていた。迂闊にそのことが外に漏れると、彼女の魔力を狙った他国の人間が攫いに来るかもしれないため、徹底して漏洩を防ぐという理由だった。もしユリのことが外に分かってしまえば、人間扱いされずに兵器として利用されるだけだと言われてしまい、マリアは誓約を結ばざるを得なかった。そんな状況でマリアはユリを気の毒に思いつつも、誰に言うことも許されず彼女の世話をすることしか出来なかった。
----------------------------------------------------------------------------------
「お嬢様、今手当を致しますので、足を出して下さい」
「ええ……落ちてしまったのね」
「はい?靴でしたら私が拾っておきましたが」
「ハンカチ。……あの騎士様が、冷やして下さったの」
先程レンドルフが土で汚れるのも構わず冷たく濡らしたハンカチを腫れた足に当ててくれたのだが、運ばれている途中に落ちてしまったようだ。普段からあまり表情がなくぼんやりとした反応しか示さない彼女が、ハッキリと落胆していた。
「セレウス様も騎士様の欠片くらいお嬢様に気を掛けて下されば…」
「仕方ないわ。あの方と私は政略で、本当はカトリーヌ様の婿になる筈だったのですもの」
「ですが!今だって!」
「マリア」
言ってはならない言葉を紡いでしまいそうなマリアを、ユリはやんわりと制する。この馬車は二人の他に乗ってはいないが、どんな経路で誰の耳に入るかも分からない。もしコローニス家の耳に入れば厄介なことになる。
「ふふ…それでも、今日はおかげで良いことがあったもの」
「あの騎士様でございますか?本当に良いお方でしたね」
「ええ。それに、不思議な方だったわ」
マリアが彼女の足を動かさないようにそっと拭いてから、力を入れないように丁寧に軟膏を塗る。なるべく効能の高いものを求めたので、彼女の折れそうに細い足首は倍近くに腫れ上がっていたが、すぐに赤みは引いて来た。一晩もすれば腫れもほぼ引くだろう。
「不思議な方、とはどのような…?」
「……ゾワゾワしない方」
「ゾワゾワ?」
「男の人に触られると、体の内側が、ゾワゾワするの。すごくする人と、ちょっとだけする人」
「お嬢様は男の方が苦手ですから…それでは?」
ユリは昔から男性に触れられると拒絶反応を示していた。身分が大公女であるのでそうやって触れられるような男性は極めて少なかったが、そのほぼ全員にそういった拒絶反応が出ていたのだ。
「あの騎士様は、全然平気で、でもカトリーヌ様はゾワゾワしたわ」
「カトリーヌ様は女性ですのに?」
レンドルフがユリを見つける前に茂みから出て行ったのは、ユリの婚約者で義理の従兄のセレウスで、そしてその彼に張り付いていたのは、従姉のカトリーヌだった。
カトリーヌはユリの母の弟、叔父カイン・コローニスの一人娘だ。そしてセレウスは、カインの再婚相手の連れ子だった。本来セレウスはカトリーヌの婿に迎える予定だった。しかしセレウスの血統はユリの伴侶にも相応しいと言うことで王命によってユリの婚約者に選定され、後ろ盾になる為にコローニス侯爵家が共に伴侶を亡くしていたカインと夫人と再婚させて義理の息子として迎えたのだった。そのため、血の繋がりはなくても戸籍上はセレウスとカトリーヌは兄妹となっている。
しかし、いつまでも子供のように小さく成長が遅いユリを婚約者として見られないのか、それとも元からカトリーヌと思い合っていたのか、セレウスはユリを隣に置くことは決してしなかった。その代わりにこれ見よがしにカトリーヌを傍に置き、彼女も常にユリに勝ち誇ったような目を向けた。ユリ自身はセレウスのことは何とも思っていないので、そんな目を向けられても何とも思わないのだが、敢えてそれを口に出すのも面倒なので放置していた。
本当ならば身分的には侯爵家のカトリーヌよりも、義理の従兄セレウスよりもユリの方が上であるが、彼らがユリを見下すのを侯爵家の面々は止めもせず、むしろ一緒になってユリのことを粗略に扱うか、最初からいなかったように無視を決め込んだ。
どうせ今日も婚約者として出席する筈だった卒業式典も、ユリが癇癪を起こして危険だから帰らせて、カトリーヌが立派に代役を務めたということになるだろう。
「お嬢様、他にその、ザワザワするような方は分かりますか?」
「ええと…」
ユリは首を傾げて、ぼんやりとした様子で黙り込む。彼女が考え事をまとめるのに時間がかかるのを分かっているので、マリアはドレスの土などを落としながら答えを待つ。
やがて、ユリがポツリポツリと該当者の名前を挙げる。その名は全くとりとめもないようだったが、マリアはふとある共通点に思い当たり、そしてその中に決して入っていてはならない筈の名を耳にして顔色が変わった。
「ユリシーズお嬢様、そのことはどなたかに…?」
「?…いいえ。さっきの騎士様に会って気が付いたわ」
「…そうですか」
「……花のようだったわね」
「はい?」
「あの騎士様の髪の色。花のように綺麗な色だったわ」
ユリは、まるで物語の中から出て来たような薄紅色の髪色とヘーゼルの瞳の美しい顔立ちの騎士の姿を思い浮かべた。細くて華奢な体型なのに、ユリを抱えて歩いても安定していた。いつも誰かに、特に男性に触れられると悼ましい寒気しか感じないのに、彼に抱えられた時は温かい体温に不思議と安心感しか感じなかった。そんな人間がいるなんて、ユリは今まで知らなかった。
(レンドルフ・クロヴァス様…)
口に出してしまうのも勿体無い気がして、ユリは心の中でそっと彼の名を呟く。それだけで、再び胸の中にフワリと先程の熱が蘇って来るような気がして、ユリはほんの少しだけ口角を上げたのだった。
ユリの金の虹彩は、変装の魔道具などでも変更出来ないのですが、正面からしっかりと目を合わせていないとはっきり分かりません。
今と違ってレンザがユリに塩対応なのも理由はあります。その詳細エピソードは次回に。