142.待ち合わせと甘い言葉
レンドルフは終業の時間になるとすぐさま寮へ戻り、大急ぎでシャワーを浴びてから着替えて王城の裏手にあたる北門に向かって足早に歩いてた。とは言っても、長身なレンドルフなので、普通の人間の小走りに匹敵する速度だ。王城の中は緊急でもない限り走ることは許されていないが、レンドルフは速度はともかく早足なので咎めようがない。時折すれ違う文官や侍女などがその勢いに驚いたように振り返る。ぶつからないようにレンドルフ側が大きく避けているが、それでも速度が落ちないところはさすがの反射神経である。
すれ違う中にレンドルフの顔を知っている騎士もいて、珍しく私服姿で王城の外に向かっている姿に目を丸くしていた。彼らの知るレンドルフは、任務が終わると余程のことがない限り真っ直ぐに寮へ戻って、食堂で食事を済ませるとそのまま外に出ることはなかったからだ。休日であろうともレンドルフに用がある場合は、王城内の訓練場を探せばすぐに見つかるというのが常だった。そのレンドルフが、一目散に外に向かっているのだ。思わず二度見してしまったのは仕方ないだろう。
「お疲れさまです」
「はい、確認しました。お気を付けて」
「行って参ります」
城門のところに来ると門番がいるのだが、そこで通行証替わりの襟章を見せた。王城に務める者全員に支給されていて、所属部署によって色が違っているのだ。この襟章も魔道具の一種で、偽造や謹慎中などの者は通過しようとするとアラートが出る。特にアラートが出なかった場合、城門に組み込まれている読み取り機が誰が外出していつ戻って来たか、などの記録が王城管理室に送られるようになっていた。そこでおかしなことがあれば、後日に本人や上司などが呼び出されることになっている。
これまであまり外出をしていなかった為にレンドルフに門番は見覚えがなく、騎士団の新人かな、などと思っていた。彼がきちんとアイロンを当てた上質なジャケットを着て、どこかソワソワと浮き足立った表情で通過して行ったので、誰か好い人との約束なのかと微笑ましい気持ちで見送ったのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
北門を出て、石畳の道を抜けると、そこからは賑やかな中心街の街並が広がっている。王都の中でも王城の城下だけあって、店も人も多く、地方から出て来た者はまず今日は祭があるのかと聞いてしまう程だ。その北門から真っ直ぐ行ったところに水の精霊を模した石像が飾られている水場があり、ユリとはそこで待ち合わせていた。ユリの方は、王城の敷地内ではあるが別の国が治めているようなものなので出入口は別の場所にあるのだ。
ユリの姿を探して周囲を見回すと、水場に設置してあるベンチの一つにちょこんと座っているのが見えた。
「ユリさん!」
少し遠くから声を張ると、すぐに気付いていくれたのかすぐに立ち上がった。明るい街灯の元、ユリの白い頬が光っている。
「ごめん、お待たせ」
「ううん、そんなに待ってないよ」
ユリはシンプルなクリーム色のワンピースに、モスグリーンの上着を着ていた。上着の袖とワンピースの裾にピンク色の糸で花の刺繍がしてあって、控え目な華やかさを添えている。昼間はきちんとまとめてある髪を下ろしてハーフアップにして、そこはあの珊瑚の髪留めが彩っていた。
「あ、もしかして…」
レンドルフはユリの後ろに控えるように立っている二人組を見て、何となく察したようだった。
「うん、侍女と護衛。中心街に出る時は必ず付けるように、って」
「そうだね。ユリさんは重要人物だから、その方がいいよ」
「ただの助手なんだけど…仕方ないよね」
「俺としては安心でありがたいけど」
ユリが務めている先は、大国と念願の共同研究を実現した重要な施設だ。キュプレウス王国はこの大陸一の大国で、有している土地は広く豊か、何一つ不自由がない程に農業、産業、技術などが発達し、最高の国家と言ってもいい。それ故に、他国とのやり取りも厄介なマイナス面ばかりが増えるので最低限しか行われていない。他国にとっては旨味があっても、キュプレウス王国からすれば面倒事ばかりだからだ。鎖国をしている訳ではないが、キュプレウス王国と国交を持つことは非常に難しく、各国ではかの国とどれだけ繋がりを持てるかが今後の国の運営にも大きな影響がある為、虎視眈々とその機会を狙っている。
オベリス王国でも、何年も慎重に話を進めてようやく辿り着いた共同研究だ。国内外からも色々と注視されているだろう。そんな中、助手とは言っても若い女性が参加しているのだ。そこを狙われないとも限らない。
「今後ともよろしくお願いします」
レンドルフはいつものようにユリの手を取りながら、後ろに控えている二人にも頭を下げた。彼らも微笑んで挨拶を返して来る。
「今日は近いところの店なんだけど歩いて行けそう?疲れてるなら馬車を手配するけど」
「うん、大丈夫。今日は普通の靴だもの」
ユリはクスクス笑いながら、レンドルフの隣の定位置に立った。まるで打ち合わせたようにユリの小さな手をレンドルフの温かくて大きな手が包むように握りしめる。ひと月ぶりくらいの逢瀬であったが、随分久しぶりのように思えて、ユリはつい嬉しくなって手を繋いだままコテリとレンドルフの腕に頭を寄せる。ジャケット越しでもすぐにレンドルフの体温が滲みて来るようだった。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
エイスの街よりも遥かに多くて色とりどりな街灯に照らされたレンドルフの顔は、ほんの少しだけ赤くなっていたのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
「ショーキ先輩、今日は一人っすか」
「先輩なんて言わないでくださいよ〜。入団は大して変わらないでしょ?むしろ僕がトーリェ卿とか言った方がいいくらいですよ」
「それはさすがに勘弁して下さい。ええと、じゃあ、ショーキさんで」
「ん。まあ、いっか。そのうちそのうち」
ショーキが食堂で食べていると、大きめなお盆にはみ出さんばかりに皿を乗せたモノが側に立っていた。側には誰もいなさそうだったので、ショーキが向かいの席を勧めると、彼はペコリと頭を下げて遠慮がちに座った。
「今日はレンドルフ先輩は外出してるよ。ちゃんと身支度整えて行ったから、デートじゃない?」
「やっぱりそういう人、いるんすね」
「多分だけどね。でも仲良さそうだったし、あれで違うって言われたらじゃあ何だ!?って感じ」
ショーキは砕いたナッツを大目に掛けてもらったサラダをモシャモシャと頬張る。その向かいでは、大きなハンバーグが二つも乗った皿に向かい合うモノがいる。モノも体が大きい分良く食べる質らしく、ショーキは皿だけ見るとレンドルフと食事しているのと変わらないな、などと考えていた。
「噂では、色っぽい年上彼女、って聞いたんすけど」
「僕が会ったのは可愛い感じの人だったよ〜年上にも見えなかったけど…でも女の人はよく分かんないからね」
「…いいですね」
「あ、モノもカノジョ欲しいタイプ?僕もなんだけど、なかなか見つからなくてね〜。僕、獣人なせいか、同じ獣人の子に惹かれることが多いんだ。番信仰って訳じゃないけど、自然とそうなるって言うか」
「…自分は、多分、無理なんで」
モノはポツリと呟くと、ショーキの三口分はありそうな大きさに切り分けたハンバーグをバクリと口に入れた。
モノの左手の親指には、彼にしては不釣り合いな繊細な細工の指輪が嵌められている。ショーキはこれが件の呪いの魔道具だと聞いている。モノは、騎士団に入ってオルトから呪いの制御法の教えを受ける代わりに、どんな呪いを受けているか少なくとも第四騎士団内では周知しておくことを条件に出された。どんな系統の呪いなのかを知らせておかなければ、今後遠征などで組むことになった仲間を危険に晒しかねない。それに、いつかモノが完全に魔道具を制御出来るようになったら、それは騎士団に有利になる。それを前提として信頼関係を築くように、とレナードから申し渡されていたのだった。
しかし今の段階では呪いを制御出来ている訳ではないし、どんな内容の呪いかを知らなくてもやはり恐ろしく思えるらしく、モノに近付いて来る人間は少ない。特に女性に至っては壊滅的だ。騎士団に来る前に何があったのかはモノ自身も言おうとしないので誰も知らないが、彼は自分から女性に関わろうともしないのだ。一番近付くのは食堂のシェフ姉妹くらいなもので、それもカウンター越しに食券とお盆を交換する程度だ。
「ま、お互いに見つかるかもしれないし、ダメならダメでどっかで折り合いがつくかもしれないし、今から諦めなくてもいいんじゃないですか?」
「……そうっすね」
「そうそう」
ショーキは屈託なく笑って、皿の上のたっぷりとチーズの掛かったジャガイモを切り分け、まだ熱で伸びるチーズと格闘する。食堂は基本的にメインは肉か魚のどちらかを用意してくれるが、少ないながらも野菜メインの定食も置いてくれてあるのだ。ショーキも寮で暮らしているので、外で食べられるものを探すよりは食堂を利用した方が安上がりだしバランスも良い為、ほぼ三食利用している。
ここのところいつもショーキの向かい側にはレンドルフがいたので、向かいの大きな影をレンドルフかと思って通り過ぎかけた団員が、モノだったことに気付いて二度見して来るのが視界の端に入って、ショーキは何となく笑ってしまう。それをよく分かっていないモノに見られて、少々引かれてしまったので慌てて言い訳することになった。
この時の食事が思いの外楽しかったのか、その後食堂ではショーキとレンドルフとモノがテーブルを一緒にする姿が何度も見られた。騎士団の中でも特に大柄な二人に囲まれる形になったショーキに、実は猛獣使いなのではないかという疑惑が出ていたことは、当人達は全く知らなかったのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
レンドルフがユリを連れて来たのは、入口はまるで貴族のタウンハウスのようになっている、よく見ないと見落としてしまうような小さな看板だけが出ている店だった。大通りから一本入っただけなのだが、門扉から建物までに美しいガラス細工のランプが飾られているポーチがあるせいか、王都の中心街とは思えない程に落ち着いた雰囲気だった。
見るからに敷居も値段も高そうな佇まいに、ユリが目を瞬かせて足を止める。
「レンさん、ここ…」
「今日はユリさんへのお祝い」
「え?」
「あの共同研究のメンバーに選ばれたんだから、お祝いしないと」
「え…でも、助手だし」
「助手でもすごいことだって聞いたよ。それだけユリさんが功績を立てて選ばれたんだし、今日は俺にお祝いさせて?」
「あ…ありがとう…」
ユリにしてみればレンザが全て手を回してくれたようなもので、功績というよりは孫娘に甘い特別扱いだけな気もするのだが、純粋に褒めてくれるレンドルフには言えない。
レンドルフは出迎えに出て来た店員に何かを告げると、ユリに手を差し出した。
「さあ、どうぞ」
「あ…はい」
「お二人もご一緒に。テーブルも用意してもらいましたから」
ユリがレンドルフの手を取ると、その後ろに控えている侍女と護衛にも声を掛けた。明らかに二人も戸惑っているが、護衛対象のユリが行く以上、離れるわけにはいかない。
店員に案内されて、庭園に面した回廊を歩いて行く。庭園は入口と同じようにガラス製のランプが吊るされていて、池に反射して地上にも星空があるようだった。ゆっくりと庭園を眺めるように歩いて行くと、庭に向かって開かれた大きな扉のある部屋に到着した。中にはテーブルがセッティングされていて、壁には色は美しいが香りのない花が一杯に飾られていた。
「急なことでしたので、申し訳ありませんがお連れの方のテーブルは少々狭くなっております」
「いいえ、我々の席までありがとうございます」
「しかし、よろしいのでしょうか」
「構いませんよ。業務中ですからアルコールは抜きになりますが」
大きなテーブルは中央に置かれていて、開け放った扉から庭を見渡せるように椅子が並べられていた。そしてそれよりも狭いテーブルが壁際に置かれている。レンドルフが先程入口で二人の追加を告げたので、急遽準備してくれたのだろう。本来なら護衛や侍女は主人の食事中は壁際や入口付近に控えることはあっても、こうしてテーブルを用意されることは滅多にない。しかも、カトラリーまで並んでいるので、レンドルフはまとめて食事を準備してもらうつもりのようだった。二人は恐縮して深く頭を下げた。
レンドルフとしては自身が長く護衛任務に就いていたこともあるので、何となく護衛を立たせて自分が食べているという状況が落ち着かないという理由もあった。以前に護衛を頼んだサミーとサファイアは、テーブルは違っても同じ時に食事はしていた。
多少人数が増えたので食事代は張るが、そこは他に使いどころがないレンドルフなので問題はない。何せ大抵のものは、騎士団からの支給や補助で賄えてしまうというありがたい環境なのだ。
「失礼します。あの、こちらを」
レンドルフとユリが席に着くと、護衛の男性がテーブルに近付いて来て邪魔にならない隅の方にバングルを置いた。微かに魔力を感じるそれは、防音の魔道具だった。魔力を感じるということは、既に起動しているということだ。
「本来ならばこの部屋ごとで使用するべきですが、ここは防犯に優れている店のようですし、我々にお気遣いなくお食事をお楽しみください」
「ありがとう」
護衛が言うように、防音の効果は部屋の中にいる人間が把握出来る範囲まで広げるべきだろうが、そうすると護衛と侍女にも会話が筒抜けになる。彼らが他言するようなことはないだろうが、人前ということで多少気を遣った会話になる。護衛を人間換算しない貴族もいるが、レンドルフとユリは気にしそうだと判断したので、敢えて会話だけでも二人で気兼ねなく交わせるようにと気を遣ったのだ。
「…もう少し、ちゃんとした服にすれば良かった」
「その服でも十分可愛いけど」
「…!だ、だけど、こんなに良いお店…」
「ここはドレスコードがないし、完全予約の完全個室だから、気楽に楽しんでくれればいいと思うよ。それに俺だってそこまでキッチリしてないし」
そう言われてユリはレンドルフの服に目をやる。確かにレンドルフの服装は皺のないシャツとジャケット姿ではあるが、下級貴族くらいの綺麗めな雰囲気を狙ったユリの服と同じくらいの質だ。並んでも明らかに違い過ぎるレベルではない。
「身内で楽しむ為の店だって聞いて来たんだ。それぞれの個室に続く入口も道も別になっているから、他の客にも会わないようになってるみたいだよ」
「そう、なんだ。どなたかの紹介?」
「上司に聞いたんだ。俺は量の多い大衆向けの店か、ちょっと堅苦しいところしか知らないから、特別な人のお祝いをしたいって話したら、ここがいいだろうって」
「特別…」
「もし、ドレスコードがいるような店の時は予めドレスを贈るよ」
ユリは、レンドルフはこんなにもストレートに甘い言葉を囁くタイプだっただろうか、と少々混乱しながら熱くなる顔から少しでも視線を外してもらおうと俯いた。レンドルフ自身はあまり意識していなかったが、全く予想外にユリが近くに来たことで随分と浮かれていた。そのせいで照れるよりも喜びが優先してツルリと言葉が出ていたのだった。