136.隣にいる資格
いつもお読みいただきありがとうございます。
最後にイラストを掲載しております。イメージと大きく異なることもありますので、閲覧にはご注意ください。
尚、名義が違いますが中の人は同一人物です。
「一体何をなさったのですかっ!?」
来た時と同じように、大きめの馬車でパナケア子爵別荘まで送ってもらったレンドルフとユリは、心配してわざわざ待っていてくれたミリーの盛大な悲鳴を出迎え代わりに聞くことになった。
「ああ〜これはね…色々と」
「色々!?レン様!!一体何が起こったのですか!まさかユリちゃんが口にも出せないようなことを…!?」
「何でレンさんに聞くの!?」
パーティーから帰宅した二人が、着ていた服がほぼ全部変わっているし、ユリに至っては髪型からメイクから全取っ替え状態なのだ。これで何もなかったという方が無理がある。しかし、それでミリーがユリではなくレンドルフに質問をする辺り、ある意味レンドルフに対する信頼度が伺える。
どこまで話して良いか分からず、レンドルフはざっくりとした概略をぼかして伝えた。ユリはテンマ絡みで違法薬物のことは知っているが、ミリーはどこまで把握しているか分からない。その為、ビーシス家とミダース家の婚約を良く思わない者が騒動を起こして、その捕縛に協力したという話に留めておいた。そしてその際にレンドルフが苦戦していたところをユリが庇ってくれた為に、せっかくのドレスが汚れてしまったと説明した。
ミリーは、既にユリから違法薬物の売人がパーティーに入り込んで悪さをする可能性があることと、騎士団が極秘裏に動いていることなどユリとは情報を共有はしていたのだが、あまり詳細を知っていてはレンドルフも不審に思うかもしれないと彼の説明で一旦納得した様子を見せておく。それに対処するのは主催者側で、レンドルフが協力する形だと聞いていたので、ユリが参戦するのは全く想定外だ。その辺りの詳細は、後でユリにこってりお説教をした後に聞き出すつもりだった。
「私のドレスは修復が終わったらエイスのギルドに送ってくれるって」
「はあ…修復可能で良かったですね…」
正しくドレスの価値を知っているミリーは、その程度で済んで本当に良かったと溜息を吐いた。主に相手が、である。ユリ自身はほぼ夜会には出ないので、ドレスへの執着も拘りもない。もし修復不可能になっていても、「大丈夫大丈夫」と笑って済ませそうなのだ。実際、アスクレティ大公家からすれば、本当に大したことがないのであるが、伯爵クラスだと領地の年収半分くらいが飛ぶ恐れもあった。
「色々あったようですけど、ご無事で良かったです。お疲れでしょうから早くお着替えを…」
「あ、あの!ちょっとだけ…待ってくれる、かな?」
「待つんですか?」
すぐにそれぞれが着替える為の部屋に案内しようとしたミリーを、ユリが軽く袖を引いて止める。そして側に立っているレンドルフをチラリと見上げた。
「レンさん、その…もう一曲、踊ってもいい、かな…?」
「ここで?」
「うん。疲れてるところ悪いんだけど…ダメ、かな」
「いや、喜んで」
遠慮がちに見上げて来るユリに、レンドルフが断る筈もなかった。
ユリはミリーの耳に顔を近付けて「ちょっとだけ二人にして」と耳打ちをする。ミリーが少々不満げに眉を寄せたが、ユリの懇願には弱いし、レンドルフの誠実さと紳士さは大公家に仕える者達の間では既に有名だ。渋々ではあるが頷いて、軽くユリの背をレンドルフの方へ押し出した。
「私は奥でお着替えの準備を整えておきますね」
「ありがとう」
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レンドルフに手を引かれてダンスの練習をしたエントランスホールに行くと、まだ練習用のオルゴールが置いてあるままだった。
ユリはそれを手に取って、これ以上回らないところまで目一杯ネジを巻いた。少しでも長く時間を取りたかったので、もう硬くて動かなくなっても力を込め続けて、しばらく挑戦してからやっと諦めた。
「じゃあ、掛けるね」
オルゴールの蓋を開けると、耳に馴染んだ優しい曲が流れ出す。そのままスルリと手を組んで、柔らかなレンドルフのリードでユリの体が浮き上がるような感覚になる。背中が大きく開いているホルターネックなので、直接肌に触れないようにレンドルフの手の位置は通常よりも少しだけ低い。そのせいでレンドルフ側は少し大変そうな姿勢になってしまっている。手袋をしているので背中に手を置いても一応問題はないのだが、その気配りとドレス越しの手の温かさにユリは思わず微笑んだ。そのユリの微笑みに、レンドルフも柔らかく笑う。彼のヘーゼル色の瞳が、ホールに斜めに差し込む光に照らされて、いつもよりも褐色の色味が強くなる。
一杯にネジを巻いたオルゴールは、一曲分回ってもまだ鳴り続け、二人はそのまま足を止めずにフワリと回る。しかし二回目は半分程のところでカチリと小さな音を立てて止まった。レンドルフはゆっくりと足を止めて、ユリの肩の高さに組んだ腕をそっと下ろしかける。が、ユリの方からその手をギュッと握りしめられた。
「まだ止まってない」
「…ユリさん」
「まだ、鳴ってるわ」
「……うん、そうだね、鳴ってる」
どこか泣きそうな顔で強引にユリの方からリードをされて、レンドルフは放しかけた手を再びしっかりと握りしめた。お互い何度も聞いているので、曲は頭に入っている。
しばらくの間、無音のホール内に足音と衣擦れの音だけが響いていた。しかしそれでもやがて終わりは訪れる。次第にユリの足の動きが緩慢になって行きゆっくりと立ち止まると、それに合わせてレンドルフも動きを止めた。組んだ手も、放していないがゆるりと下げられる。
「ユリさん」
ユリは無言のまま、レンドルフの胸に額を押し付けるように立っていた。その顔は見えないが、レンドルフは彼女にゆっくりとした口調で静かに話し掛けた。
「また今度、二人で一緒に参加しよう。気楽などこかの祭でも良いし、ちゃんとしたところがいいなら伝手を探すよ。その時はちゃんとユリさんにドレスを贈るから」
「…いいの?」
「ユリさん?」
ユリはレンドルフの手を硬く握りしめると、胸元に埋めていた顔を上げた。靴のせいでいつもよりも互いの顔の位置が近い。顔を上げたユリの目が、濡れたように潤んでいて、まるで縋るような不安そうな感情で揺れていた。
「私は、レンさんに何も言ってない。たくさん、たくさん隠してることがあって…隠してることだらけで…」
「別にいいよ」
「え…?だ、だって、私はレンさんのこと、色々知っちゃってるのに」
「俺だってまだ隠してることいっぱいあるけど?恥ずかし過ぎてこの先も絶対秘密にしておきたいこととか、沢山あるよ」
「それとこれとは…」
「変わらないよ」
レンドルフは、ユリの腰の辺りに添えていた手を離して、彼女の顔に掛かっている髪をそっと避けた。ユリが思わず目を瞬かせると、不意に睫毛の先からポロリと水滴が零れ落ちた。それを見て、レンドルフは少しだけ困ったように眉を下げながらその水滴を指先で軽く拭う。
「秘密や隠し事なんて、言いたくなければ言わなくていい。親や兄弟だって、お互い知らないことは沢山あるし、全部知ってることが良いことだとも正義だとも、俺は思わない」
「レンさん…」
「ユリさんのことは、ユリさんが言いたくなったら教えてくれれば良いし、嫌なら一生黙っててもいいよ」
「そんなでもいいの?私、それでもレンさんの隣にいても、いいの?」
「うん。いてくれたら嬉しいし、その…許されるなら、俺もユリさんの隣にいたい」
答えを返す代わりに、ユリはレンドルフの手を放して胸に再び顔を埋めて抱きついた。レンドルフの分厚い胸板では、ユリの腕は背中に届くのがやっとだったので、そのまま肩からかけているマントを掴むような格好になる。
「…良かった」
「え?」
長い沈黙の後、レンドルフは息を大きく吐き出しながらポツリと呟いた。
「実は、今日で冒険者パーティを解散しようって言われるかと思ってた」
「え!えええ!?何で!」
「俺の休暇が終わったら、ユリさんと採取にも行けなくなるし、依頼とかも受けることのない名ばかり冒険者になるから、そうなっても仕方ないな、って覚悟してた」
「そんなこと!ある訳ないじゃない!!」
ユリは眉を吊り上げてレンドルフの胸を何度か叩いた。多少力を込めて叩いても、レンドルフからすると全くダメージを感じていないのか、何故だかくすぐったそうな顔になっている。身体強化魔法を全力で掛けて殴ればダメージも通るかもしれないが、そこまで理性が飛ぶほど怒っている訳ではない。
「最初はミキタさんとかクリューさんとかに勧められたのが切っ掛けだけど、レンさんとパーティ組めて良かったと思ってるし、今後も絶対解散しないからね!たとえレンさんが泣いて土下座して頼み込んだって、解散してあげないんだから!」
「うん。ごめん」
顔を赤らめて怒っているユリは、興奮のあまり少しばかり目が潤んでいる。いつもよりもきちんとメイクをしていたので、時折別人のように見えてしまうこともあったが、こうして怒っている顔は紛れもなくユリの顔であったと思うと同時に、いつもこんなふうに怒らせてばかりいたのかとレンドルフは改めて自覚した。レンドルフは少しだけ頭を下げて、自分の額をユリの頭に付けるようにする。その行動に、ユリは思わず固まって言葉を止めた。視線を上げると、レンドルフの髪色と同じ長い睫毛が伏せられた状態でユリの目の前にある。
「うん、嬉しいな」
「レ、レンさん…!?」
「何だか、必要とされてるみたいで嬉しい」
「みたいじゃなくて、必要なの!レンさんはいてくれるだけでいいの」
「ありがとう」
レンドルフはずっと騎士を目指して、騎士団に入って正騎士になった。騎士以外の自分は思いもしなかったし、考えもしなかった。しかしユリにとっては何気ない一言だったかもしれないが、レンドルフには騎士以外の道があることを示してくれた。騎士ではない自分でも居場所があるのだという当たり前のことを教えてくれた。今でも自分は騎士だし、辞めるつもりもないが、騎士であろうとなかろうとユリの隣にいることを許されたような気がして、それがとても嬉しかったのだ。
レンドルフはそっとユリの頭から額を離して顔を上げた。少し顔が近過ぎたことに驚いたのか、ユリの目はもう潤んではいなかったが、目元の辺りが赤く染まっていた。
「多分、今度の配属先は魔獣討伐がメインになると思う」
「…大丈夫?ってレンさんなら大丈夫よね」
「魔獣相手なら得意分野だしね。でも急な遠征とかも入るだろうから、休みが不定期になると思うけど、必ず連絡するから」
「待ってるね。でもレンさん、無茶しないでよ」
「ユリさんも、採取とかで無理しないようにね」
「う…」
思わず言葉に詰まってしまったユリの反応が可愛らしくて、レンドルフはつい背中に回した腕にほんの少しだけ力を入れてしまったのだった。
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着替えも終わって、レンドルフは少し暗くなり始めた中を、ノルドに乗って帰って行った。その背をユリは見えなくなるまで見送っていた。
「お嬢様、お屋敷に戻りましょう。お疲れでしょうから、あらためて湯浴みを致しましょう」
「…うん」
「本当は色々とご注意したいことがありましたが、そんな顔をしているうちはダメですね」
「…うん」
ユリは目にいっぱい涙を溜めて、着替えた服の裾を力一杯握りしめていた。
ユリは郊外にはなるが王都内に住んでいる。レンドルフも基本的には王城の騎士団員寮に入るだろう。馬車だと半日くらいは掛かるが、ノルドに乗れば二時間程度で会える距離だ。それに伝書鳥を使えばすぐに手紙のやり取りも出来る。それでもやはりレンドルフが騎士である以上、今後は気軽に会うことは難しいだろう。休みの日には会いに来ると言ってくれてはいるが、ユリとしてはきちんと体を休めて欲しいとも思う。それにユリも、薬師の資格を取る為に学ぶことはまだまだたくさんあるのだ。
期間限定とは分かっていても、レンドルフと顔を合わせていた日々はユリにとって温かな日だまりに包まれているような毎日だった。勿論、別邸の使用人達や護衛騎士達、レンザもユリを守ってくれているのは分かっている。けれど上下関係でもなく、雇用主と雇用者でもなく、ただ彼の隣は心地好かったのだ。それが無くなってしまうことが寂しかった。頭で納得はしていても、心の方は否定出来ない。
別邸に戻ったユリは、湯浴みを手伝ってもらいながらもずっとベソベソと泣き続け、湯上がりなのに全くスッキリしない顔のまま夕食も食べずに眠ってしまったのだった。
ユリが貰って帰って来たビーシス商会の生地を使ったドレスは、彼女が眠っている間に色々と調べられ、超特急で手直しされたことを差し引いてもきちんとユリの良いところを引き出していることに感心していた。ユリが選ぶドレスはオフショルダーのものが多い。胸にボリュームがあるので、変に隠そうとすると全体のバランスが悪くなり、かといって出し過ぎると妙にイヤらしくなってしまうのだ。その許容ラインがオフショルダーだったのだが、背中の露出を工夫すればホルターネックも悪くないと実際身に付けたところを見たミリーが力説していた。
未婚の貴族女性として色々と逸脱している行動を取る為にお説教されがちなユリではあったが、別邸の使用人達は心からユリを愛していた。それ故に、普段はシンプルなものや白衣ばかりを来ているユリを美しく装わせたくてウズウズしていたのだ。
これからもレンドルフとの関係が続けば、以前よりもずっとドレスやメイクなどに手をかける機会が増えるのではないか、と彼も色々な意味で大公家の使用人達に歓迎されていたのだった。