13.甘いパンとほろ苦い贈り物
この後予定している冒険者パーティとの顔合わせの時間には少し間があった。まだ昼時には早すぎるので、待ち合わせ場所のミキタの店にあまり早く行っては邪魔になってしまうだろう。
当てもなく歩いていると、ふと甘い匂いが鼻をくすぐった。周囲を見回したが、目に入るところにそれらしき店舗はない。しかしこの匂いは絶対に美味しいものの匂いだと確信して、レンドルフはほんの少しだけ鼻の感覚に身体強化魔法を掛けて、匂いの元を探った。どうやら少し先の辻を曲がった向こうから漂って来ているようだった。
位置を把握すると、レンドルフは迷わずその方向へと足を向けた。
角を曲がると、細い路地の少し入ったところに小さな店があった。クリーム色の壁の可愛らしい雰囲気の店構えで、まだ開店前なのか看板は見当たらなかった。道に面した側に大きな窓があって、そこから覗くと中には所狭しと焼き上がったパンが並んでいる。全体的に小ぶりのパンで、フルーツのコンポートや上にクリームを絞った飾り付けをしているものなどの甘いパンの種類が見るからに多かった。レンドルフの目には、もうそれらがこちらを見て買ってくれと囁いているように見えた。
店内では店員と思われる一人の女性がせっせとパンを並べていたのだが、外から眺めているレンドルフに気付いたのか並べる手を止めて扉を押し開けて顔を出した。
「ごめんなさい、看板まだ出してなかったわ!お店は開いてますから良かったらどうぞ!」
彼女が扉を開けると、更に甘い香りと香ばしい焼き立てのパンの匂いがフワリと広がった。
「ありがとうございます」
もう匂いに引き寄せられる虫の如くレンドルフは店内に足を踏み入れた。
店内は4、5人も入れば一杯になってしまうくらい狭かったが、幸いまだ誰も来ていない。少しでも沢山の種類を並べられるように工夫された棚には、隙間がないくらいパンがひしめき合っている。ワクワクした気持ちで店内を見回すと、奥の厨房では男性が一人せっせとパン生地を成形しながら、時折焼き釜の方を見やっていた。
「こちら初めてですよね?何かお好きなパンはありますか?」
「ええと…甘いパンが好きです」
「それでしたら、こちらとこちらの壁の棚のパンは全部甘いです!」
やはり甘いパンを中心にした品揃えの店なのだろう。表から覗いたよりも更に多くの種類が並んでいる。
店員の女性は、レンドルフより少し年上くらいだろうか。少しくすんだ色味の紫の髪をキッチリと隙なく結ってあるのと、真っ白なエプロンが清潔感があって好感が持てた。
「こちらは季節の果物を中に入れたもので、こちらはパイの中にミルククリームをたっぷり詰めてあります。うちの店ではこれが人気です!」
「どれも迷うなあ…ええと、甘いのを…10個、お任せでお願いします」
「はい、お土産用ですか?」
「いや、自分で…」
つい甘いものに囲まれてぼんやりしていたせいか、素直に口をついて本当のことを呟いてしまった。レンドルフはすぐに我に返り一瞬身構えたが、彼女は「沢山お買い上げありがとうございます!」と満面の笑みで返して来ただけだった。
いつもレンドルフが甘いものが好きだと言うと何ともいえない顔をされていたのだが、もしかしたら平民の間では男性が甘いものが好きだというのは存外普通のことなのかもしれない、と考えていた。
彼女はすぐに崩れてしまいそうな表面にクリームが乗っているものは避けて、袋に詰めても味が混ざらないものを中心に選んでくれた。一応商品の説明はしてくれたが、見ただけでは中身がなんだったか分からなくなりそうなものばかりになってしまった。しかし、どれが当たるか分からないというのも食べる時に楽しいだろう。
「良かったらこちらもお持ちください」
パンを袋に詰めてもらっていると、厨房から男性が出て来て皿を差し出して来た。平均よりも少し背の高い細身の男性で、年の頃はやはりレンドルフより少し年上のようだった。この国では比較的珍しい黒髪に黒い瞳をしている。髪と目がどちらも黒いのはミズホ国の人間に多い特徴だが、顔立ちはこの国の人間のようだった。少しばかり口角が上がって笑って見える口元が印象的だ。
「クリームを詰める時に崩れたものなので店頭には出せませんが、味の方は問題ありません。日持ちしないので、本日中にお召し上がりください」
「いただいていいのですか?」
皿の上には、女性の指くらいの大きさの細長い形の菓子が10本ほど並んでいた。見たところ小さなエクレアか細長いシュークリームといったところか。そしてその男性が言ったように、表面に僅かにヒビが入っていたり、端からほんの少しだけクリームがはみ出している。レンドルフの目から見れば、全く崩れているようには思えないのだが、そこが職人の拘りなのだろう。
「ええ。よろしければ是非これからもご贔屓に」
「ありがとうございます」
他のパンにクリームが付かないようにその菓子は油紙で出来た小さな別の袋に詰めてもらい、二つを受け取ってレンドルフは店を出た。全体的に小ぶりなのはおやつやデザート用なのだろう。その分価格は低めに設定してあるのか、思っていたよりも安かった。まだまだ購入していないパンもあったし、季節の商品もあるらしいので、全種類制覇するにはしばらく掛かるだろう。もう次に来ることを考えながら嬉しくなって袋を胸に抱えると、フワリと香ばしい匂いが鼻先に届く。
レンドルフは歩きながら途中で瓶入りの水を購入し、街の中心から少し離れた公園へ向かう。今日はやや曇ってはいるが、気温は暑くもなく寒くもない。公園のベンチで食べるには丁度良さそうだった。
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公園の中央にある噴水が見えるベンチはやはり人気なのか埋まっていたので、レンドルフは目立たない場所で気付かれにくい公園の端の方のベンチを見つけてそこに腰を下ろした。傍には植え込みで作られた簡単な迷路の遊び場が作られているが、今はそこで遊ぶ子供達はいないようで静かだった。
ふと少し離れたところに目をやると、あまり人の来なさそうな場所にもきちんと手入れをされた花壇があった。噴水の周辺のような華やかで明るい色の花壇ではないが、薄紫色の小さな花が満開のようだった。
いつも身に付けている浄化の魔石を入れた魔道具で手を清めてから、早速袋の中のパンを取り出す。レンドルフは生活魔法全般が全く使えないので、代わりの魔道具は必須だ。魔力量の少ない平民でも殆どの者が使える魔法で、簡単な浄化や手を洗う程度の水の発生、かまどに点火する小さな火種など多岐にわたるがごく弱い魔法だ。ある程度魔力量が多いと広い場所での清掃や大量の洗濯なども可能になるので、能力次第ではかなり良い給料の職に就くことが出来る。しかし反面、魔力量が多すぎると全く使えなくなる場合もあり、貴族などにはよくある話だった。
袋の一番上に乗っていたパンを摘んで、一口ハムリと齧る。何層にも重ねたデニッシュ生地がサクリと良い歯ごたえを伝え、中からはしゃっきりとした林檎の果汁が溢れて来た。軽く火を通してあるだけなのか、瑞々しい林檎の甘酸っぱさが爽やかな味わいだった。レンドルフならギリギリ一口で食べられそうな大きさなのだが、美味しいものは大事にいただきたいので三口に分けて味わう。
間を置かずに次のパンを取り出す。今度は色が黒っぽいのでチョコレートの生地のパンのようだった。食べると中にもチョコレートクリームが入っていたが、オレンジの風味がふんだんに効いているのでクドくなりすぎずにあっという間に口の中に消える。
どれも美味しく、レンドルフは次々とパンを平らげて行った。その様子を遠くから何組もの親子連れが目撃していたが、あまりにも幸せそうにレンドルフが食べているので、子供にねだられるままにパンを求めに戻って行ったのには全く気が付いていなかった。
殆ど手を止めないまま夢中で食べて、袋が空になってから少しばかり喉が乾いたことを自覚してようやく瓶の蓋を開けた。中の水を半分ほど一気に飲んで落ち着いてから、自分の胸や膝の上にパンやパイの粉が大分落ちていることに気付く。まるで子供のようだな、と少々気恥ずかしくなりながらパタパタと落とすと、それを狙っていたのか小鳥が数羽、サッと急降下して来て欠片をくわえて飛び去って行った。最初は何度かそれを繰り返していたが、そのうちにレンドルフが安全であると悟ったのか、足元までやって来てその場で落ちたパン屑を啄み始めた。
時折警戒なのか小首を傾げてレンドルフを見上げて来るが、その仕草がただ愛らしくて思わず微笑んでいた。
少し離れたところでは、見るからに大柄な男性が公園の隅で幸せそうに小さなパンを頬張り今度は足元に来た小鳥達を微笑みながら眺めている、というまるで絵本の一場面のような光景に思わず見惚れる人が続出していた。側で立っていると体の大きさに目が行きがちなレンドルフだが、遠目で座っている姿は物語から抜け出して来たような麗しの騎士様そのものだ。
だた、当人はそんな微笑ましい理由で注目されているとは夢にも思わず、ただ足元の可愛らしい存在を飽きずに眺めていたのだった。
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「あれ?レンさんだ」
聞き慣れた声に顔を上げると、そこにはユリが立っていた。
明らかに何か作業中だったのか、つばの広い帽子に大きめな肩掛けカバンをたすき掛けし、手には軍手を装着して中に草が入った大きな篭を下げている。
「まだ時間じゃないよね?」
彼女は一瞬慌てたように噴水の側に建っているモニュメント型の大時計に顔を向けた。
「ああ、俺が早く来ただけ。ユリさんは…何か採取とか?」
「これ?今日はちょっとだけ花壇の手入れをしようと思って」
「ここの!?」
「全部じゃないわ。ほんの一部よ。あとはレンさんの後ろの二区画だけ」
彼女が指し示した場所は、小さな薄紫の花が咲いている花壇だった。
「何か手伝おうか?」
「いえ!これは専門家の仕事ですから!」
ユリはキリッとした表情で言い切ると、張り切った様子でフンス、と胸を張った。なんだかその様子が妙に先程の小鳥のように愛らしくて、レンドルフは思わず口元が緩んでしまった。
「ここで最後だから、終わったらちょっとだけお話ししても大丈夫?」
「うん、待ってる。さっきおまけで貰った菓子もあるから、良かったら一緒に食べよう」
「なるべく急いで終わらせるわ!」
大きな篭を花壇の脇に置いて、彼女は花を傷めないように足を置く場所を選びながらスイスイと花壇の中に入って行く。そして時折しゃがみ込んだり、無駄な草を抜いたりしていた。その動きは普段からしているのだろうと納得が行く手慣れたものだった。
そこまで気温は高くはないが、やはり作業をしていると暑くなるのだろう。時々首に巻いたタオルで顔を拭いている。
「ユリさん、ちょっと入口で冷たいもの買って来るけど、リクエストある?」
「わー嬉しい、ありがとう!じゃあ紅茶お願い」
「分かった!」
作業中のユリに声を掛けると、パッと笑顔で振り向いて手を振って答える。今日は三つ編みだけにして背中に垂らしている彼女の長い髪が、一拍遅れて別の生き物のように跳ねた。
レンドルフは公園の入口にいた移動販売の店で飲み物を二つ購入した。
「保温付与はどうする?」
「普通のコップで」
「はいよ」
店主は紙のコップに冷えている紅茶を注ぐ。こういった店は、紙コップに保温の付与魔法がついたものでも販売もしている。大体二時間程度の弱い効果で、効果が切れればただの紙コップだが、少々値段が高くなる。
ベンチに戻ると、ユリはまだ作業を続けていた。レンドルフが戻って来たのに気付いて顔を上げる。
「ごめん、もうちょっと掛かるわ」
「大丈夫。まだ時間はあるから」
ユリは、枯れた花を摘み取ったり、変色してしまった葉や茎を切り取ったりと細かい作業に没頭している。レンドルフはその作業を眺めているだけなので、少々落ち着かなくてソワソワしてしまったが、自分が花壇に入れば広範囲の植物を踏みつぶすのは目に見えている。なので邪魔はすまいと、ただ彼女の作業を興味深く眺めていた。
それから30分ほどで、ユリは作業を終えてレンドルフの元へやって来た。やはり暑かったのか帽子を脱いでつばでパタパタを顔を煽ぐ。
「結構時間掛かってごめんね。すぐに荷物置いて来るからもう少し待っててもらえる?」
「うん、いいよ。その前にお茶、飲む?」
「ありがとう!」
レンドルフが差し出したコップを受け取って、ユリは一気に半分以上飲み干した。その紅茶は程よく冷えていて、心地好く喉を滑り落ちて行った。
「冷たくて美味しい!あ、お茶代払うね」
「別に…」
「そういうのはちゃんとしないと!あんまりそうやって色々してもらうと、申し訳なくてレンさんに近寄りにくくなるでしょ」
「う…」
ユリはそう言って鞄の中から巾着を取り出して、その中から硬貨を差し出した。レンドルフはその手の上から、紅茶代だけをつまみ上げる。
「え、だって」
「それ、普通のコップだから」
「でも結構時間経ってたのに冷えてたよ?」
「俺の魔法。そんなに強くはないけど一応水魔法使えるから。その温度変化使っただけ」
「そんな気軽に…」
「魔力量は多い方だから。大したことないよ」
「レンさんが万能過ぎる…」
何故かユリがレンドルフを拝み始めてしまった。
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そのまま残った紅茶を飲み干すと、ユリは公園の管理室に荷物を返しに行くので、と荷物を抱えて小走りに行ってしまった。大きな篭は半分以上草が入っていたので手伝おうかとレンドルフが申し出たが、大丈夫と軽々と担いで行った。小柄なユリだと大変そうに思えたが、あの動きの様子だと見た目ほど重くないのかもしれない。
彼女が戻って来るまで、レンドルフはベンチに腰を下ろして待つことにしたのだが、先程の紅茶代のやり取りを思い出して思わず頭を抱えてしまった。
レンドルフの胸ポケットには、ユリから借りっ放しになっていた防毒のチョーカーと、お礼のつもりで選んだ魔鉱石のペンダントが入っている。自分としては大したことではないと思っていたのだが、もしかしたらやり過ぎてはいないかと急に不安になったのだ。
(これは…冒険者パーティを紹介してもらうお礼もかねて…なら大丈夫か?あ、あとレンカの花も見せてもらうお礼の先取り…って、いざ見せてもらった時に何もしないってのもどうかと思うし)
ぐるぐると悩んでいるうちにユリがすっかり着替えも済ませて戻って来た。初めて出会った時のような、シンプルなワンピース姿だった。
「お待たせしちゃってごめんね」
彼女はレンドルフの座っているベンチにピョンと飛び乗るように腰を下ろす。子供並に小柄な彼女は、キッチリとベンチに座ると僅かに足が浮いてしまうようだ。
「これ、まだ口付けてないから」
急いで身支度を整えて来てくれたのか、ユリの顔はほんのりと紅潮していて、うっすらと額に浮いた汗をハンカチで拭っている。その様子にレンドルフはもう一つ手にしていた紅茶のコップを差し出した。
「いいの?レンさんの分は…」
「俺はまださっき買ったのが残ってるから。良かったら飲んで?」
「ありがとう。喉カラカラだったの」
「大丈夫?」
「うん。よく薬草園とかで夢中になってたらフラフラになっちゃっておじい様に叱られるのよね。いい加減気を付けないと」
ユリは植物の手入れをしていると、つい時間を忘れて作業に集中してしまい、食べることも飲むことも疎かにしてしまうらしい。ユリは肩を竦めてレンドルフに手渡された紅茶をゴクゴクと飲んで、満足そうに大きく息を吐いた。そしてまた巾着から小銭を取り出して差し出す。今度は最初にレンドルフがもらった紅茶代分ちょうどだった。レンドルフも、今度はそのまま素直に受け取った。
「あ、これユウキさんの…あの中央通りから一本入ったクリーム色の壁のお店のでしょ?」
「うん。知り合い?」
ユリは、レンドルフがおまけでもらった小さな菓子を一目見てすぐに店が分かったようだ。手軽に摘める程度の大きさなのだが、しっかりと焼き色がついてサクリとした固めの皮の中に濃厚なクリームが詰まっているので、見た目に反して食べごたえがある。サクリとした食感とトロリとしたクリームの差が堪らなく、中のクリームには贅沢にバニラの粒がこれでもかと目視できた。
「あ、そっかレンさんは紹介されてないか。ユウキさんは、ミキタさんの息子さん。この前試作品のケーキ作った人」
「ああ!あの人がそうなんだ。今度店に行ったらお礼言わないとな」
店の奥の厨房にいた男性はユウキと言って、ミキタの次男だそうだ。本当はパン職人で若くして自分で店まで持てるような評判のパンを焼いているのだが、以前に王城で開かれた職人コンテストで見かけた美しいケーキの虜になってしまった。そして今はパン職人を続けながらも、中心街の有名ケーキ店に頼み込んで週に二日、ケーキ職人の修行をさせてもらっているらしい。
「道理でデザートみたいなパンが多いと思ったよ」
「すごい種類だったでしょ」
「夢のような空間だった…」
思い出すだけでレンドルフはうっとりしていた。今日買ったパンもどれも美味しくて、おそらく今店に行ったら今日選んでもらったものと、まだ食べていないもののどれにしようか悩む自信があった。
「あの…レンさんに、みんなと顔合わせの前に確認して置きたいことがあって」
「あ、うん。何?」
「レンさんが貴族なの、隠しておいた方がいい?それとも話しても大丈夫?」
「ああ…ええと…」
レンドルフとしては、貴族と分からない方がいいかと思って平民風を装っていたつもりでいたのだが、他の人の話を聞くとどう見ても貴族で騎士というのは隠し切れていないらしい。それを必死に隠しているのも、相手に見て見ぬ振りをさせるというのも却って気まずい気もする。
「詳しくは言わないけど、聞かれたら答える、って感じで…」
「ん、分かった」
「まあ、ただの新人冒険者だから、そんなに気を遣わないでもらえたらありがたい、かな」
「新人…うん、間違ってないけど、新人……」
レンドルフの答えに、ユリは何だか納得が行かない表情で呟いたのだった。
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「ええと、ユリさん…」
「なあに?」
「ええ…と。その…さっきの会話からだとちょっと言いにくいんだけど…」
「さっき?私、何か失礼なこと言っちゃった?」
「いや!そうじゃなくて!さっきのお茶の代金で『あんまり色々してもらうと近寄りにくくなる』って…」
「ああ、ごめんなさい。随分偉そうな言い方だったわね」
「そうじゃなくて…その」
レンドルフは上手く言葉が紡げなくて、ひとまず彼女から借りていた防毒のチョーカーが入った布袋を懐から取り出した。
「これ、この前返すの忘れて持ち帰ってしまったから。貸してくれてありがとう」
「あ、すっかり忘れてた。わざわざありがとう」
ユリは布袋を覗き込んで中を確認して思い出したようだった。
「それで…これを…」
レンドルフは続けて懐から細長い箱を取り出して、そっとユリに差し出した。彼女はキョトンとした顔で何度か目を瞬かせて、箱とレンドルフの顔を交互に眺めた。
「ええと、これは…」
「その、借りたお礼と、持って帰ってしまったお詫びと言うか…」
「お詫びって言われても…私、今の今まで忘れたんだけど」
「うん、それに多分これも『あんまり』『色々』だと思うんだけど、その…そう言われる前に用意したものだから、今回は、その、見逃してもらえたら」
レンドルフとしては、まだ数回しか顔を合わせていないのに隣にいると心地好いと感じているユリに距離を置かれたくなかった。自分の姿を見ても恐縮することもなく、貴族であることが分かっても態度も変わらず気さくに接してくれる存在は貴重だった。それに、体が成長してからはあまり好きではなかった顔や髪色を褒めてくれた身内以外で初めての相手だったのだ。
嫌われたくないと思っているのに、どうして裏目に出てしまうのか。そう思うと、箱を差し出した先のユリの顔が見られなくなって、レンドルフは俯いたまま固まってしまう。
「レンさん、ありがとう」
スルリ、と手にした箱が引き抜かれる。受け取ってもらえたことにレンドルフは一瞬安堵したが、彼女がどんな表情をしているかを確認ができなくて、そのまま両手を膝の上に下ろしてギュッと握りしめた。
そのまま俯いていても何の解決もしないのは分かっているのだが、顔を上げて次の言葉を紡ぐことが出来ないでいた。
「?」
「これ、レンさんにあげる」
俯くレンドルフの目の前に、先程返したチョーカーを入れた布袋が差し出された。反射的に顔を上げると、目の前のユリは少しだけ困ったような表情をして微笑んでいた。やはり困らせてしまった、とレンドルフは再び顔が下を向きそうになる。
「これじゃ私が得をし過ぎだから、交換ってことで。それでも新品貰ったから私の方が断然割が良いけど」
「え?あの…ありがとう?」
「どういたしまして!」
戸惑いながらも礼を言うレンドルフに、ユリは屈託のない顔でにっこりと笑った。
「レンさん、お礼の気持ちは嬉しいけど、これじゃ釣り合いが取れないよ。だから友人同士のプレゼント交換、ってことにしよう?」
「う、うん。その、気を遣わせてごめん」
「私こそ、さっきはきつい言い方したから、レンさんに謝らせたみたいになっちゃってごめんなさい」
いつの間にか二人とも謝罪合戦のようになっていて、それが何だかおかしくなって顔を見合わせて笑っていた。
「ねえ、これ開けてみてもいい?」
「うん。何がいいのかよく分からなかったんだけど、ユリさんに…合うかなと思って」
本当は芯になっている金色の魔石がユリの虹彩の色だと思って選んだのだが、さすがに重すぎるような気がして正直には言えなかった。パッと見にはシンプルで付けやすそうだから選んだと思われるだろう。いや、そう思って欲しいとレンドルフは願っていた。
箱を開けて中を確認した瞬間、ユリが一瞬硬直したように動きを止めた。その様子にレンドルフは不安になってソワソワと挙動不審になってしまった。
「あの、ユリさん?その…気に入らなかった、かな?」
「え?違う…ううん、そうじゃなくて!あの、すごく高級そうだから、ビックリしちゃって。ホントに、いいの…?」
「そこまで高いものじゃなくて、宝石しょ…店で、気軽に普段使い出来るものって聞いたし。それ、魔鉱石っていって、魔石の一種だから付与が一つ付けられるんだって」
一瞬正直に「宝石商」と言いかけてごまかす。宝石商を呼び出して選ぶとなると、基本的に店に行くより高価なものになる。レンドルフからしてみればそこまで高価とは思っていないのだが、あまり気を遣わせては行けないと思って咄嗟に言い換えたのだった。
「うん、中に説明文が入ってる…好きなのを付けられる…?」
「何かユリさん色々と魔道具とか持ってそうだから、変に被るよりユリさんに選んでもらおうと思って。あ、付与魔法も全部込みだから。追加料金とかないから、好きな付与付けて…ユリさん?」
レンドルフの説明が耳に入っていないような様子で、ユリは箱の中から目を離さないでいる。
「これ、今、付けてもいいかな?」
「うん…でもまだ付与が」
「付与は…付けないでおくわ。付与を付けると微妙に色が変わることがあるから。この透明感のある白い色、すごく気に入っちゃった」
「そう言ってもらえたら、嬉しいな」
ユリにそう言ってもらえて、レンドルフにやっと笑顔が戻った。だがその笑顔は、ユリが箱からペンダントを取り出して、お任せにしていた鎖の色が自分の髪色を思わせるピンクゴールドだったことが判明した瞬間に、再び固まってしまったのだった。
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箱を開けた瞬間、ユリは表情を取り繕うのを忘れるほど焦っていた。
芯に金色の魔石を封じた半透明な白い魔鉱石。
これは紛れもなく変装をしていないユリシーズの纏う色だ。透き通るような純白の髪に、青い瞳の中心の虹彩は金色。もし変装をしていないユリが身に付けたら、送り主を勘ぐられることは間違いないだろう。
これまでのやり取りで、レンドルフはユリも変装の魔道具で髪と瞳の色を変えているとは思っていない筈である。それなのに見事に自分の本当の色を贈られて、思考が一瞬停止してしまったのだ。
そしてペンダントに使われている鎖の色を確認して、更に動きが止まってしまう。その鎖の色は赤みの強いピンクゴールドだった。その色味は、レンドルフの本来の髪色を知っていれば、これが彼の色を意識したと誰もが思うくらい近い色だった。
(これは、偶然じゃないわよね…もしかして、彼が選んだものなの!?)
意中の相手や恋人、婚約者に自分の髪や瞳の色の宝石がついた宝飾品を渡すのは、愛情と同時に他者への牽制や独占欲を示すという意味もある。宝石ではないのでそこまでではないのだろうが、何か意識させる駆け引きだとしたら、なかなか手の込んだテクニックではある。
どんどん顔に熱が集中して行くのをどうにか押さえ込みながら、ユリは箱の中からペンダントを取り出した。そしてそっとレンドルフの顔を盗み見したところ…彼は鎖を確認してから一拍遅れて、一瞬で耳まで真っ赤になっていた。
(あ、これは当人も知らなかったのね)
その反応を見て、ユリは、スン…、と一気に落ち着いた。きっとお抱えの宝石商か古株の使用人辺りが気を利かせたのかもしれない。これまでの態度から、どう考えても女性と縁がないレンドルフがペンダントを贈ると言い出したので、彼のことを思った者が先走っただけに過ぎなかったようだ。
「あ、あの!それは、俺がちゃんと確認してなくて!」
ペンダントトップだけ選んで、宝石商に鎖は任せてしまったと慌てるレンドルフに、ユリは妙に微笑ましさを感じてしまった。最初は気を遣って宝石店と言っていたのに、慌てたせいか宝石商とバラしてしまっている上に、自分が言ったことも自覚がないくらいに焦っている。変に鈍いところもあれば、こうして察しのいいところもある。そのアンバランスさが可愛らしさに変換されて、何だか頭を撫でたくなるような気持ちに駆られてしまった。
勿論ベンチに座った状態でも彼女には届かないのではあるが。
「レンさんの髪色みたいで綺麗じゃない」
「いやその…いいの…?」
「うん。それに今のレンさんとは色が違うし」
「あ、そ、そうか」
お互い魔道具で色を変えてある同士が、偶然にも本当の色を集めてしまったペンダント。
何だか面白くなってしまって、ユリはクスクスと笑ってしまった。彼女の内心は分かっていないだろうが、レンドルフは彼女が笑ったことで安心したようだった。