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134.交替の交替

怪我の表現があります。ご注意ください。


次々と話し掛けられて来て、レンドルフも段々とテンマのフリが苦しくなって来た。トーマも側でフォローしてくれているが、彼は成人したばかりで、当主も継いで間もない。やはり自分のことで手一杯になって来ている。


何とかレンドルフは休憩と称して一旦控え室に退避出来ないかタイミングを図ろうとしているのだが、一人が離れるとすぐに次が話し掛けて来る。話を切り上げて中座しようにも、レンドルフはその相手がそうしても大丈夫か否かの判断が出来ない。しばらく話を聞いていればそれなりに分かるのだが、その判断が付く頃には切り上げるのが難しくなってしまうという悪循環に陥っていた。

アリアが用事を済ませて戻ってくれば、多少楽になるのだが、彼女が戻って来る気配はない。



「申し訳ありません、伯爵様が少々来て欲しいと」


そんな中、老執事と思われる人物が器用に人の間をすり抜けてエリザベスに近寄って来た。そして彼女に耳打ちをすると、エリザベスの顔色が僅かに変わった。余程注意していなければ分からないくらいだったが、少し足元がふらついたので、レンドルフはすかさず手を伸ばしてエリザベスの肩を支える。


「わ、私の婚約者を送らせて下さい。ようやく認められたので、離れるのが忍びなくて」


咄嗟だったので多少ぎこちない言い方だったが、それを良い方に取ってくれたらしく、周囲から何とも生暖かい視線が送られる。ひょっとしたらテンマは言わないようなことかもしれないが、婚約が決まって浮かれていることにしてもらおうと、レンドルフはいい笑顔で見送られながらエリザベスを抱えて人の輪から離脱することに成功した。


「大丈夫ですか?」

「申し訳ありません…」


レンドルフとしては他に婚約者のいる女性に体を寄せるように支えるのは躊躇いがあったが、今はレンドルフがその婚約者の顔をしている。誰にも聞こえないように「すみません、あとちょっと我慢して下さい」と必死に唱えながら会場の裏手へと連れて行く。


「リズ、レンくん」


誰もいない廊下で、掛けられているカーテンの影から低い声が呼びかけて来た。その声の主が誰かすぐに分かって、レンドルフは思わずパアッと笑顔になってしまった。カーテンに隠れ切れていないそのゴツい大きな姿がレンドルフには救世主に見えたのだ。


カーテンの影から出て来たのはテンマだった。


「テンマ様!」


エリザベスがレンドルフの支えから離れてテンマに駆け寄った。


「何故治癒院を抜け出して来たのです!まだ動いていい訳がないでしょう!」

「治癒院を抜け出して来たんですか!?」

「ちゃんと退院だ、退院。……いや、ちょっと受付に退院すると言伝て…」

「それは退院とは言いません!」


テンマの怪我の詳細は聞いていなかったが、当分治癒院から動けないと聞いていた。だからこそのレンドルフの替え玉再びだったのだ。ある程度の怪我や、骨折などは回復薬でどうにかなるので、治癒院に入るのは相当な重傷の筈だ。特に出血が酷かった場合は、安静が言い渡される。暗い廊下で見ても、テンマの顔色はあきらかに悪い。先日も大きな怪我をしたばかりで完全に回復をしていないのに、追加でまた負傷したのだから血が足りていないのはあきらかだった。


「レンくん、すまなかった。君の礼服を駄目にしてしまった」


レンドルフと入れ替っていた時に怪我を負ったので、その時に着ていたレンドルフの礼服を随分と汚損してしまっていた。生地もだが、何より細かい刺繍部分に刀傷と血の染みが付いてしまった。染みの方は何とかなったとしても、切れてしまった刺繍の糸を修復するのは相当な手間がかかるだろう。そのことについて、テンマが深く頭を下げる。


「服なら修繕できますし、作り直すことも出来ます。それよりもテンマさんの体は…」

「最後の挨拶くらいなら乗り切れる程度には回復してるさ」

「ですが…」

「それに俺じゃなきゃ乗り切れん。レンくんには難しいだろう?」

「…すみません、お役に立てず」

「そんなことはない。レンくんのおかげで最後だけで済むんだ。それに、こうして生きていられるのもレンくんのおかげなんだ。本当にありがとう」


テンマの容態は心配ではあるが、彼の言う通り替え玉のレンドルフではこの先乗り切れるかどうか分からないのも確かだった。特にパーティー終わりに客を送り出す際に、得意先の名前を呼べないのは致命的だ。今後の商売に影響が出ないとも限らないし、最悪身代わりが発覚したら元も子もない。



仕方なくレンドルフは、テンマとともに服を取り替える為に控え室の一つに入った。そこは、テンマとの入れ替わりがアリアにバレて、レンドルフ用の礼服に着替えるように言われた部屋だ。そこにはまだ回収されていなかったらしく、レンドルフが脱いだテンマ用の服がそのまま掛けられていた。


「テンマさん!?」

「ぅぐっ…」


着替えるのでエリザベスには廊下で待っていてもらうことにして部屋に入ってドアを閉めた途端、崩れ落ちるようにテンマが膝を付いた。顔色は青いどころか白く、額には脂汗が滲んでいるのに慌てて支えた体の体温はやけに低かった。部屋の隅にソファが置いてあったので、レンドルフは肩を貸してテンマを掛けさせた。その時に腰に回した手に、湿っぽい感触がした。手を広げて確認すると、布越しに滲みた血が手に薄く付いている。テンマはシャツに厚手のジャケット姿なので、少なくとも布二枚分は余裕で滲みて来る程の出血が治まっていないのだ。


「回復薬追加しますか?」

「…いや、もう二時間くらい間を空けないとマズいそうだ」

「バジリスクのせいですか?」

「ああ。おかげで回復薬も治癒魔法も弱いのしか使えん」


テンマの肩の傷に残っているバジリスクの毒は、再生魔法を使ってしまうと活性化して死に至る為使用出来ない。そしてそれは上級の回復薬や上位の治癒魔法でもその危険性があると言われていた。その為、テンマに回復薬を使用する時は効果の弱いもので、摂取期間は十分な間を空けなければならないのだ。


「今は止血の処置だけします。無理はしないで下さい」

「すまない」

「そう思うのなら、きちんと然るべき手当を受けて完治させて下さいよ」

「…耳が痛いな。ユリ嬢といい、レンくんといい、俺の方がずっと年上なのに叱られてばかりだ」


まず交換する為の礼服を汚すわけにはいかないので、レンドルフが手を洗ってから自身の服を脱いで離れた場所に掛けておく。それから気を配りながらテンマのジャケットを脱がせると、下のシャツの脇腹にべっとりと血の染みが広がっていた。まだ出血が続いているらしく、血で湿ったシャツが体に張り付いている。そのシャツも脱がすと、一応包帯は巻いてあったものの、殆ど意味を成さない程に赤くなっていた。どうやら脇腹に大きな一撃を喰らったらしい。包帯も外すと、レンドルフの手が真っ赤になった。傷口を見ると、一応回復薬で一時的に塞いでいたようだが、ここに来るまでに傷口が開いてしまったようだ。おそらく傷を受けた時は、内蔵まで達していただろうと思われる大きなものだった。今は回復薬のおかげでそこまで深いところに達している部分はなさそうだが、それでも傷口が大きいので出血が思ったよりも多い。


「ユリさんに相談したいところですが」

「その時間はないな」

「そうですね。…あの、俺の実家の止血法でもいいですか?傷を焼くので結構痛いんですけど、取り敢えず血は止まるんで」

「ああ…それでいい」


クロヴァス辺境領では、日々魔獣と遭遇するような場所もあるので騎士だけに限らず領民は怪我をすることが多い。薬師ギルドから多めに回してもらって不足することはないが、保管場所から離れた場所で負傷した場合、応急措置の止血として傷を焼く方法が取られる。それはクロヴァス領は火魔法の使い手が多いのと、大抵は回復薬で火傷ごと治せるからだ。失血死するくらいなら焼いておけ、というのがクロヴァス領での日常のようなものだ。


「ひとまず舌を噛まないようにと、暴れないように拘束しますよ。土拘束(アースバインド)


レンドルフは土魔法でテンマの手足を動かせないよう数カ所を鎖状のもので繋ぎ止めた。それはかなり固く作ってあるので、壊せるのはクロヴァス家の血を引く者だけとすら言われている。もっとも、血の繋がりはないが義姉も破壊出来る。


そのまま洗面所に置いてあったタオルで猿轡をさせようと近付くと、テンマは少し慌てたように顔を振った。


「あ、あのレンくん!自分と同じ顔の男に拘束されるのはちょっと、その」

「ああ、すいません。気が付かなかったです」


確かに同じ顔の男性というのは落ち着かないかもしれない、とレンドルフは納得して魔道具を停止させた。だが今度はテンマは至近距離で思わず見惚れる程整ったレンドルフの顔を見ることになってしまい、それはそれで失敗したかもしれないと内心思ったが、何か言う前にさっさとタオルを噛まされてしまった。

単純に応急処置を行う医療行為ではあるのだが、傍目に見たら少々引かれる状況であった。何せ上裸の大男が手足を拘束されて猿轡を噛まされ、その隣では同じくらい体格のいい美形がほぼ下着姿で体に触れているのだから、はっきり言って人には見られたくない光景ではあったのだ。

その後テンマは傷を焼かれる痛みに思わず呻き声を上げそうになったが、この状態を他の誰にも見つからないように、特に外で心配しているであろうエリザベスには絶対見られないように、死に物狂いで声を上げないように耐え切ったのだった。


ちなみにレンドルフはテンマの内心など全く察することはなく、ただ彼の我慢強さに感心していたのだった。



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「やはりユリさんを呼んで来ますか?」

「いや、これで十分だ。あまり長く中座しているのも良くない」


テンマは肩で息をしながら、渡された固く絞ったタオルを脇腹に当てていた。脇腹の傷は、レンドルフの火魔法で応急的に焼いて止血している。レンドルフは火魔法を小さい方に制御するのはあまり得意ではなかったので、父や兄のように手早くは出来なくて痛みを長引かせてしまったが、最低限の表皮だけで済ませることが出来た。実のところ、あまり強い回復薬が使えないテンマに深い火傷をさせることを恐れて、レンドルフは自分の手の方に魔法を発動させて反射させる形で調整していた。おかげでレンドルフの方が手の平に重度の火傷を負ってしまったが、洗面台の下に置いてあった回復薬を振り掛けたので痛みはすぐに治まった。まだ薄く火傷自体は残っているが、後でまた回復薬を追加で振り掛ければ完治するのは分かっている。


「レンくんはこの後、上の階に行ってユリ嬢を迎えに行ってくれ」

「ユリさんを?」

「ああ。今からならラストダンスくらいは間に合う。せめて一曲は誘ったらどうだ」

「ですが…」

「ドレスなら伯爵が準備してる。レンくんもそこの礼服を着て行くといい。俺達のせいで全然パーティーを楽しむどころじゃなかったからな。せめて少しだけ」

「ありがとうございます。でも俺達のことより、ご自分の心配をして下さいよ」

「ああ、そうするよ」


まだ痛む筈だが、それを顔に出さないようにしてレンドルフに手伝ってもらいながらテンマは着替えを終える。まだ顔色は良くはないが、それでも出血が止まっただけマシなのかもしれない。テンマはやや力を込めてレンドルフの肩をパン、と叩くと、ニヤリと不敵に笑って控え室を後にした。外ではエリザベスが心配しながら待っているだろう。しかしレンドルフにはこれ以上出来ることはない。ただ無事にパーティーが終わることを祈るだけだ。


テンマに言われた通り、レンドルフは手に付いた血を丁寧に洗い流してから、変装の魔道具を髪色だけの変更に調整する。そして少しだけ袖と裾の短い黒の礼服を着て上階に続く階段を駆け上がったのだった。



「レン様、こちらです」


レンドルフが階段を登り切ると、エレクトラが離れたところから手を上げているのが見えた。グルリと回廊を回るようにして彼女の元へと到着する。


「お嬢様がお待ちです」

「ありがとう。…その、貴女は生活魔法は使えるだろうか」

「はい。上位のは出来ませんが、一般的なものなら一通りは」

「出来れば、俺に『消臭(デオドラント)』を掛けてもらえないかな。可能なら重ね掛けでお願いしたい」


一応着替えてはいるが、テンマの身代わりを務めて交替してからシャワーを浴びた訳ではない。おそらく体などにエリザベスの香水が残っているだろう。これまで練習はしていても、初めて公の場でユリをダンスに誘うのだ。身代わりを務めていたことはユリも知っていたとしても、他の女性の残り香を纏わせた状態で誘うことは良いことではない、と考えたのだ。それに、先程のテンマへの治療で血の匂いや焦げ臭いことになっているかもしれない。


「分かりました。デオドラント」


エレクトラはレンドルフの頼み通り、デオドラントの魔法を重ねがけしてくれた。自分の付けていた香水も無効化されてしまうが、無駄に色々な臭いがついているよりはいいだろう。



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「お嬢様、レン様がお見えになりました」


案内された部屋のドアをエレクトラがノックすると、中から返事がした。そしてエレクトラがドアを開けて、レンドルフを中に誘導した。


「レンさん」


広い部屋の中央に置かれたソファに、ユリがちょこんと座っていた。レンドルフの姿を確認すると立ち上がりかけたが、あの身体強化が必要な特殊な靴なので僅かに体が揺らぐ。


「ユリさん!」


レンドルフはドアの入口でユリの姿に一瞬見入ってしまって固まっていたが、すぐに大股で部屋の中に入るとすかさずユリを抱えるように支えた。


ユリは、少しくすんだピンク色のドレスを着ていた。

アリアと優秀な針子部隊のおかげで、元のVネックの胸元は背中の部分の生地と黒のレースを足してホルターネックになって項の後ろで結び、大胆に開いている背中に長めに垂らしてあるおかげで、露出の高い印象を与えない。それにホルターネックにすることで、ユリの大きめの胸が完全にカバー出来ている。そして長く引きずる程に長かった裾は、右側の腰の辺りまで引き上げられて余った部分を束ねて縫い止められていて、同布で出来た花のコサージュのように見える。たくし上げたのでスカートの両脇が深いスリット状に持ち上がっていたが、その部分に緑色のレースを細かいプリーツを入れて幾重にも重ね、透けないように覆ってある。更にそのレースの下に数枚褐色のレースを重ねることで、ちょうどヘーゼル色のレンドルフの瞳の色を思わせるようになっていた。

赤い色にしてある長い髪はキッチリ結い上げて、レンドルフが贈った髪留めでまとめてあるが、顔回りに敢えて数束下ろすようにしてあるのでほんのりと遊び心もある。それに合わせてメイクも前の時の妖艶さを押し出したものではなく、ドレスに合わせたピンク色を基調にした柔らかで可愛らしい雰囲気を優先させている。どちらかと言うと、ユリの本来の顔立ちを活かしたメイクだった。


「あ、ありがとう」

「うん…」

「あの、伯爵様に準備していただいたの。その…どう、かな?」

「すごく綺麗だ。さっきのユリさんも綺麗だったけど、今のユリさんもすごく綺麗だよ」


ストレートに躊躇いなく感想を口にするレンドルフに、ユリの顔だけでなく耳まで赤くなる。真っ直ぐに見られることに耐えられなくなって、ユリは少しだけ俯いて「ありがと」と口の中でポツリと呟いたのだった。



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