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128.追加デュエリスト


テンマに化けてパーティー会場に戻ったレンドルフは、エリザベスの隣に立った瞬間にあちこちから手袋を投げ付けられた。一応そのつもりで構えていたのだったが、思った以上に多かったので目を丸くしてしまった。顔に向かって飛んで来たものは辛うじて当たる前に全て掴み取ったが、二つほど胸に当たったものはそのまま足元に落ちた。掴んだのは三つなので、合計五人から決闘を申し込まれたことになる。


「…盛況だな」

「すみません…」


レンドルフが苦笑混じりに小さく呟くと、隣にいたトーマがすまなさそうに軽く頭を下げた。


手袋を投げ付けたのは、どれもレンドルフと同世代くらいの貴族令息のようだった。全員これ見よがしに黒の礼服に淡い緑のタイやチーフを身に付けていて、我こそがエリザベスの想い人だと言わんばかりの出で立ちだった。一人だけ緑の礼服の人物もいたが、エリザベスの目の色よりも鮮やかで光沢のある緑色の生地だったので、レンドルフは内心「アマガエルみたいだな」と大変失礼なことを考えていた。


しかし、レンドルフは手袋を投げ付けた令息達が周囲から応援をされているような空気が気になった。まるで彼らを英雄か何かにでも見立てているかのような雰囲気だ。儚く薄幸な伯爵令嬢に、無骨で元平民の成り上がり男という組み合わせに、貴族令息が割って入る図が物語か歌劇のように思っているせいだろう。テンマとエリザベスが互いを想い合っていることは鈍いと自覚している自分でもすぐに分かったのに、どうして彼らは分からないだろう、とレンドルフの胸に微かに不快感が沸き上がった。そしていつぞやエリザベスが自嘲気味に自分達のことを「見世物」と言っていたことがよく分かってしまった。

最初はアリアを納得させる為の無茶で荒唐無稽な話だったのだろう。だが今は、当人達も予想しなかったところまで話が大きくなって、止められなくなっているのだ。


「例の元婚約者は…」

「いませんね。もしかしたら変装の魔道具で顔を変えているのかも…」


再婚約をしつこく迫り、テンマの元彼女に焚き付けられて襲撃者まで雇ったというエリザベスの元婚約者も必ず決闘を申し込んで来るだろうと予想していたのだが、手袋を投げて来た中にそれらしき人物がいなかったのだ。わざわざテンマを殺さずに決闘で不利になるような怪我を負わせるような相手ならば、間違いなく決闘を申し込んで来る筈だろう。衆人の前でテンマに勝利して、エリザベスに求婚しなくては世間も納得しない。それが分かっていながらこの場に混じっていないことが奇妙に思えた。



ふと周囲を見回したレンドルフが、不意に怒りの形相になる。元のレンドルフではなくテンマの顔なので、その顔だけで前に出ていた決闘者の令息達が一瞬たじろぐほどだった。


「レ…父上!?」


レンドルフは手にしていた五つの手袋を投げ捨てると、大股にある場所に向かって一直線に向かって行った。その進行方向にいた客達がその形相と勢いに悲鳴を上げて大慌てで避ける。彼が向かう先には、数人の男とその前に必死な様子で立ちはだかるエレクトラ、そして更にその向こうにはソファに座っているユリの姿があった。



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レンドルフが席を外してしばらく経った頃、視界の隅でテンマも会場から出るのを確認した。


ユリはエレクトラを呼び寄せて、扇子で顔を隠しながら「高飛車な令嬢で対応しようと思いますので、合わせていただけます?」と囁いた。一瞬だけエレクトラは目を見開いたが、すぐに表情を引き締めて頷いた。その目の奥にはあきらかに楽しそうな光が見えた。


その後はユリに話し掛けようと近付いて来る男性がいる度に、ユリは扇子を軽く振ってエレクトラに対応してもらった。その態度は女王然としていて、丁寧な態度で接しようとする相手もけんもほろろな態度を貫いた。数人を追い払ってもらったところで、大抵は空気を読んで「あの美女の相手を出来るのはあのパートナーの男性でないと無理」と悟って近寄って来なくなった。


「何かお飲物をお持ちしましょうか」

「お願いするわ。酒精のないもので」

「すぐにお持ちします」


少しばかり喉の渇きを覚えたユリに気が付いたのか、エレクトラが申し出てくれる。先程からちょっかいを掛けて来る者もいなくなったので、少しならば大丈夫だろうと頼むことにした。それに時間的にはそろそろレンドルフに化けたテンマも戻って来る頃だ。



しかし目論見が甘かったのか、それとも如何にも女騎士と思われるエレクトラが離れるのを待ち構えていたのか、何やらニヤ付いた男性が三名、連れ立ってユリの座っているソファに近寄って来た。見るからに嫌な予感しかしなくて、ユリは思わず眉間に皺を寄せた。着ているものや身に付けている宝飾品などを見れば、貴族であることはすぐに分かる。当人達はカッコ良いと思ているのかもしれないが、どことなく着崩しているところがだらしなく清潔感が無い。贔屓目も存分に入っているが、魔獣討伐で汗だく泥まみれになってもレンドルフの方が遥かに品があるとユリは思った。


「お美しいレディ。よろしければ我々と楽しいひとときを過ごしませんか」


ユリは答えずに扇子を広げて半分顔を隠してプイ、と横を向いた。


「これは貴女の為に特別に作らせた極上のカクテルです。しかし、貴女を前にすると色褪せて見えるようです。どうぞもっと近くで貴女のお姿を見せていただけませんか?美しさも味わいも…より相応しいものをお贈りすることを約束しましょう」


リーダー格と思われる令息が、手に赤いカクテルを持って差し出して来た。彼が「味わい」と言った瞬間に僅かに自分の唇を舐めたのが視界に入って、ユリは思わず背中に悪寒が走る。だがそれを気取られないように、あくまでも強気で冷たい視線を送る。


「さあ、遠慮なさらず」


グイ、と顔の前にグラスを突き出された瞬間、微かに覚えのある匂いが鼻をつき、考えるよりも早く反射的に手にした扇子でそのグラスを振り払っていた。その匂いは、ユリの記憶の深いところを引っ掻くように刺激し、命の危機さえ感じさせるものだ。


かつて幼い頃、ユリの身分を利用しようと飲み物に混ぜられていた悼ましい薬草の香り。緩やかに思考を停止し、言われるままに動くだけの人形にされる洗脳の効果を持つミュジカ科の一つ。レンザが気付かなければ、今頃どうなっていたか分からない。


思い出したくない嫌な思い出と共にある匂いは、目の前にチカチカと幻影をも見せる。絶対に思い出したくない、普段は心の奥底に押込めて窒息するのをひたすら待っている記憶。その匂いをトリガーにして、押さえつけていた枷が緩み、表層まで上がって来て暴れ出すようだった。


(落ち着かなきゃ)


動揺しているところを悟られてはならない、とギリギリのところで記憶の手綱を引き絞る。そこで多少落ち着いたせいか、うっかり弾き飛ばしてしまったが彼らが違法薬物を使用したという証拠として受けておくべきだったと今度は後悔がよぎる。しかし、どうしてもあれを傍に置いておくことは出来そうになかった。


「なっ…なんて失礼な女だ!」

「どうせ体で男を誑し込んでいるのだろう」

「大方どこかの娼婦を上手く化けさせているのだろうな」


ユリがあからさまに拒否をした途端、彼らは急に手の平を返して口汚く罵って来た。ずっとユリは座っているので、少し大きな声で上から威圧すれば許しを請うと思っているのか、更に取り囲むように一歩前に出て来る。


「お嬢様!」


騒ぎに気付いたのか、エレクトラが走って来てソファの前に立ち、令息達の間に入り込んだ。


「お嬢様にご無礼な振る舞いはお止めください」

「はははっお嬢様だってさ」

「どう見たって男を誘う毒婦じゃないか」

「無礼な…!」


エレクトラが眉を吊り上げてユリを背に庇う形で立ちはだかる。あまり騒ぎを大きくするのは得策ではないが、雇い主のトーマからはユリを守る為なら何をしても必ず揉み消してみせると言われている。押し合い程度で引いてくれれば良かったが、彼らは相手が女性で数の上でも勝っていると思っているのか一向に引く気はないようだ。あまり目立たないように物陰のソファにいたことも災いしたようだ。エレクトラは太腿に隠しているナイフを取り出そうとドレスの裾に手を伸ばした時、向こうからすごい勢いで見上げるような黒い塊がやって来るのが視界の端に入った。


「何をしている」


黒い塊のように思えたのは、見上げるような長身と、それこそ小山のような巨躯の男性だった。茶色の髪に茶色の瞳と地味な色合いであったが、額の傷ですぐに誰か思い当たったようだ。令息達がよろめくように後ろに下がった。


「この令嬢は私の客人だ。随分と無礼なことをしていたようだが?」

「…そ、それは」


地を這うような低い声が頭上から降って来て、令息達の顔色が悪くなる。あきらかに怒りの形相の相手に、さすがに分が悪いと思ったのだろう。口ごもりながらジリジリと下がって行く。しかし、リーダー格の男だけは皮肉げに片方の口角を上げてニヤリと笑った。


「これはこれはミダース卿。ビーシス伯爵令嬢に求婚しておきながら、もう愛人までおられるとは。さすが、何でも金で買える方は違いますね」

「客人と言った筈だが?」

「このような体だけの女がですか?ははっ、なるほど。大方男をくわえこみ過ぎて、デカい男でしか満足…ぶっ!?」


調子に乗ってペラペラと喋っていた令息の言葉が、何かがすごい勢いで顔にぶつかって来たので中途半端に途切れる。何事かと思ってぶつかって来た物を払い落とすと、ポタリと足元に黒い手袋が落ちた。あきらかに固い物だと思ったのに、まさかの手袋で令息は目を丸くした。そして恐る恐る顔を上げると、目の前の男が鬼も逃げ出すような恐ろしい顔で見下ろしていて、その右手には手袋が無かった。


「まさか…」

「ああ、決闘を申し込む。後ろのお前らもまとめてだ。この方は俺の大切な友人だ。先程の侮辱は許せん」

「し…正気か!?もう他の奴らが…」

「たかが八名だ。全員まとめて相手をしてやろう。せめてもの慈悲だ」


そう答えてニヤリと笑った顔は、どう見ても魔王の如く悪役のそれで、最初に決闘を申し込んでいた五人の令息達も思わず顔色を無くしていたのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



「あーあ、完全に怒らせたな」


ユリの背後で、聞き慣れた声がそんな呟きを漏らした。


「すまないな、遅くなった」

「………」

「今、舌打ちしなかったか!?」


ソファの背もたれ越しに、レンドルフに化けたテンマが立っていた。顔も声もレンドルフなのだが、口調はテンマのものだったのでユリにしてみれば不満この上なかったので、つい令嬢らしからぬ行動が出てしまった。


「ユリ嬢…怒って、るか…?」

「ええ、それはもう」

「あ、ああ…この埋め合わせは必ず」

「そう思うのなら、少しはレンさんに口調を寄せてくださいませ。レンさんはもっと言葉遣いが綺麗でしてよ?」

「うわ…い、いや、その…申し訳ない」


怒ると丁寧な言葉遣いになるのはエリザベスでも経験済みだ。そしてその場合はこっちが思っている以上にハラワタが煮えくり返っているので、テンマは慌てて謝る。小声でそんなやり取りをしていると、テンマの顔をしたレンドルフがソファの傍らにまで来て、跪いて深く頭を下げた。


「ユリ嬢、申し訳なかった。お怪我はなかっただろうか」

「ええ、このエレクトラが守って下さいましたわ」

「詫び替わりにもならないかもしれないが、いつぞや貴女が見たいと言われていたものをお見せしましょう」

「私が?」

「はい。どうぞご期待ください」

「…楽しみにしているわ」


ユリは何かあっただろうかと思ったが、ここでいつものように聞いてしまうと先程の無礼な令息ではないが、周囲に誤解を与えかねない。あくまでも今のレンドルフはテンマの身代わりなのだ。


決闘の準備があるということで、レンドルフはその場を辞す。アリアに見抜かれたように変わっているのは顔だけなので、背を向けるといつものレンドルフと同じで、ユリは安心感と共に見慣れた彼の背中を見送った。


「何見せてくれるんだ?…じゃなかった、見せてくれるのかな」

「さあ?」

「さあって…心当たりは無いのかよ」

「分かんないけど、きっと良いものよ。レンさんだもの」

「信頼されてるねえ」


ユリは準備が整うまではソファから動かずに待つことにした。パートナー役のテンマが戻って来ているのと、先程レンドルフが決闘の申込を仕掛けたことから、ユリにこれ以上ちょっかいを掛けられる命知らずはいないようだ。


「…さっきの庇ってくれた時の台詞、レンさんの顔で聞きたかったわ…」

「俺の顔で申し訳なかったな」

「ホントですよ」


つい本音が漏れてしまったユリに、テンマが苦笑する。



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しばらくすると、準備が整ったらしく、給仕などの案内でゾロゾロと客達が演習場に移動し始める。その中からエリザベスとトーマがやって来た。


「ユリさん。貴女まで不愉快な思いをさせてしまいましたわ。ごめんなさい」

「申し訳ありません。レン様には必ず貴女をお守りするとお約束したのに…」

「悪いのはあの男達です。それに、エレクトラさんもきちんと役目を果たしてくれました」


エリザベスとトーマがそれぞれに頭を下げて来たので、ユリは微笑みながら答える。ユリの言葉に、側で顔に悔しさを滲ませていたエレクトラも、深く騎士の礼を取る。


「ユリ嬢には特別席をご用意しています。我々が周囲を固めますので、無礼な者達は絶対に近付けさせません」

「ありがとうございます。…それで、あの、エリザベスさん」

「はい?」

「私、今日はコレ、なので、どうしてもエスコートが必要なのです」


ユリがほんの少しだけドレスの裾を持ち上げて、美しいフォルムだが到底立って歩けるとは思えない靴をチラリと見せた。その場にいた全員が今までこれを履いていたことに息を呑んだが、特に女性の目から見るとその靴の無茶な作りがよく分かったようで、エリザベスはより驚きが大きかったようだ。


「一応レンさんってことですし、使わせていただきますね」

「勿論です。テ…レン様、よろしくお願いします」

「あ、ああ…」


顔はレンドルフだが中身はテンマなので、エリザベスに小声で許可を取る。テンマはユリに手を差し伸べて、その手が重ねられるとグッと引き上げた。しかしその力加減がエリザベスで慣れたものだったのか、軽いユリは半ば足が浮くような勢いでテンマの胸に飛び込むように激突する。


「…った!」

「あ!す、すまん!」

(かった)っ!胸、固っ!!」


そこまで強くはないが、鼻をテンマの胸筋にぶつける形になってしまい、ユリが思わず声を出していた。一瞬、服の下にプレートアーマーでも着込んでいるのかと思うほどカチカチの胸筋だった。


「男なんだから仕方ないだろう」

「貴方のは固過ぎでしょう!」

「…ほほう?」


何度も凭れ掛かったレンドルフの胸は、柔らかくはなかったが程良い弾力があって硬めのクッションのような感触だった。ユリは思わずそれと比較してしまったのだが、それに気が付いたテンマが少々面白そうな表情になってニヤリと笑った。


「…!レンさんの顔で変顔しないで下さい!」

「変顔って…」


それからテンマはユリをエスコートして演習場に向かったが、ユリに合わせようと努力しているのだがタイミングが合わずに引きずるようになってしまい、途中何度も笑顔を保ったままのユリに小声で苦情を受けることになった。最終的には身体強化を掛けたユリがテンマの腕を目一杯締め上げる形になって、外からは分からないようにぶら下がって運ばれる状態になっていた。



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