126.パーティー会場へ
「え、ええと…今日はよろしく…」
「うん…じゃなかった。ええ、よろしく」
翌日、ユリは早朝から徹底的に磨かれて、完全な別人になってレンドルフの前に降臨した。ユリはやって来たレンドルフにいつもの調子で返事をしかけたが、あらためて飾り立てた容姿に相応しい少し低めの声を意識して微笑む。それだけでレンドルフの耳が赤くなって、少し視線を逸らされてしまう。その反応に、ユリは満更でもないような、少々寂しいような気分になった。
真っ赤な色にした髪は複雑に編み込まれてわざと左右非対称にして、片側だけをレンドルフと揃いの髪留めを付けてアップにしていた。そしてもう半分は胸元に垂らすように下ろしている。半分だけ項を見せつつ、髪が揺れる度に鎖骨が見え隠れするというヘアメイクが得意なメイドが頑張った凝った髪型だった。
メイクも妖艶さをテーマにしたので、普段は引かないアイラインをしっかりと入れて、目尻の辺りをシャープな印象になるように少しだけ跳ね上げるラインを加えている。睫毛は敢えてカールはさせず、伏し目がちで物憂げな視線を意識する。アイメイクをしっかりした分、唇の縁はふんわりとさせて、艶に重点を置いた。更にいつもより下唇がふっくらして見えるように描き足している。
普段から日焼け対策程度にしか薄いメイクをしていないので、髪も目の色も変えてしっかりとフルメイクを施されたユリは、レンドルフの目から見れば完全な別人だった。しかも例の靴を履いているので、身長も体型も違う。もしどこかの夜会で会って声を掛けられても、すぐにユリと分かるか自信がないくらいだった。
レンドルフも朝から再びパナケア子爵別荘に来て、置いて行った礼服に再び袖を通していた。昨日のダンスレッスンですっかり汗だくになってしまったのだが、ミリーが上位の生活魔法で浄化してくれると言うのでそれに甘えてそのまま置いて行ったのだ。今日はここでユリと待ち合わせて、ビーシス家から馬車の迎えが来るのを待つことになっている。
「レンさんは今日は前髪上げないの?」
「この服だしそうしようかと思ったけど、テンマさんがいつも前髪上げてるって言ってたし、なるべく印象違ってた方がいいかと思って。…変かな?」
「う、ううん!全然変じゃないよ!キッチリし過ぎてないところがいいかも」
「それなら良かった」
本当のことを言うと、ユリはレンドルフがきちんと前髪を上げて固めているスタイルは遠目でこっそりと覗き見しかしたことがないので、今回は堂々と近くで見られるのを期待していた。言葉の通り、キッチリし過ぎていないのも悪くないが、違うスタイルを見たかったというのもあった。
(何でこうもテンマさんに邪魔されるのかしら…呪われてる?それなら呪い返しでも仕掛けておこうかしら…)
テンマからすると理不尽な誤解ではあるのだが、ユリは至って真面目に考えていたのだった。
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「どうぞお気をつけて。ユリちゃんを、よろしくお願いします」
「畏まりました。必ずお守り致します」
ビーシス家から大型の馬車が到着したので、ユリをエスコートして先に乗せる。そのタイミングを見計らって、見送りに来ていたミリーが頭を下げた。レンドルフも胸に手を当てて丁寧な礼を返す。
以前にユリに、幼い頃に両親を亡くしたが、親戚に囲まれて寂しいことはなかったというような話を聞いていた。その中にはきっとミリーも入っていたのだろうと思えるくらい、彼女はユリに対してたっぷりと愛情を持って接していた。そのミリーに頼まれると言うことは、レンドルフにしてみたら光栄であると同時に責任の重みを感じていた。
馬車が走り出すと、向かい側に座ったレンドルフは目のやり場に困っていた。昨日の時点ですでにドレスを身に纏ったユリとは会っているのだが、今日が本番であるので全ての気合いが違うと言うことが分かりやすく滲み出ていた。普段はどちらかと言うと可愛い寄りなユリだが、今回はミリーの狙い通り妖艶な印象に仕上がっている。時折漂って来る香水もいつもと違うようだ。
「レンさん、今日は気を付けてね」
「あ、ああ…」
馬車の中はしばらく沈黙が続いていたが、ポツリとユリの方が呟いた。メイクのせいか、あまりに印象が違っていたが、その心配する声は変わらずユリのものである。どんなに外見が変わっても中身は変わらないのだ。
「ユリさんも気を付けて。その…違法薬物を売ろうとする人間を捕らえる計画があるみたいだし、巻き込まれないように…」
「気を付けるわ。…それから、これをレンさんに」
ユリはポーチの中から金色のバングルを取り出した。出した瞬間、そのバングルから魔力を感じたが、すぐに霧散する。
「これは、今回のことを踏まえて改良してもらった解毒の装身具。試作品で色々機能付けてもらったら直接皮膚に触れてないといけない構造になっちゃったんだけど、それは後で改善研究するとして…レンさん、付けてみてくれる?」
「うん。ちょっと待ってて」
皮膚に直接触れていないとならないと言うので、レンドルフは一旦上着を脱いで、カフスボタンも外して左腕をまくった。日に焼けてもすぐに戻ってしまうレンドルフの腕は眩しい程に真っ白だったので、それを晒すことに捲ってから気付いて少し恥ずかしくなった。
「あんまり見えない方がいいから、少し上に付けるね」
「え、あ、あの…」
「この辺でいい?」
「う、うん…」
レンドルフはユリから受け取って自分で付けるつもりだったのだが、ユリは自らレンドルフに装着しようと手首の辺りにそっと手を添えた。そして袖から見えない方がいいだろうと肘の方に向かってスルリと手を滑らせた。装着をする為にユリも手袋を外していたので、彼女の少し冷たい指が腕の内側の皮膚をスルリと撫でて行った。その感触に、思わずレンドルフはフルリと身震いをしてしまった。
「ごめんね、くすぐったかった?」
「いや、大丈夫…」
バングルの太さと腕の位置を確認しているのか、ユリの手が直接肌の上を滑るのでくすぐったくないと言えば嘘になる。が、そう言ってしまうのは何となく勿体無い気がして、レンドルフはグッと腹に力を込めて堪えた。
バングルは金属のプレートをリング状にしたものだったので、腕に巻いても上から袖を被せてしまえば殆ど外には響かないだろう。
「もし体に付けてる装身具とか魔道具に異常があったら教えてね」
「分かった」
場所を決めたのか、プレート状のバングルを引っ張って板状にして、今度はそれを包帯を巻くような要領でレンドルフの腕にぴったりと貼り付けるように巻き付けた。伸ばした時に見えた内側の部分には、小さいながらも色とりどりな魔石が多数並んでいるのが見えた。
「どう?動かしてみたりして違和感とかない?気分が悪くなったりは?」
ユリが心配そうに顔を覗き込んで来る。普段のユリならともかく、今はほぼ初対面感覚にまで作り込んだ妖艶美女が上目遣いで顔を近付けて来るので、レンドルフは変に緊張してしまう。なるべくそちらを見ないようにして巻いてもらった装身具の様子を見る。何度か手を閉じたり開いたり、左右に捻ってみたりと動かして見たが、何かが張り付いている感覚はあるが、特に動きの妨げにはなっていない。念の為、いつも付けているイヤーカフとチョーカーにも触れてみたが、特に異常は無かった。
「特に何もないよ。大丈夫」
「良かった。昨日の夜にギリギリで仕上がって来たものだから、ちょっと検証が少なくて心配だったのよ」
「これ、随分魔石を使ってるよね?」
「うん。防毒の他に、麻痺や睡眠、媚薬とか魅了とか基本的なものは当然なんだけど、今回は体に異変を感じるようなものをなるべく排除出来るようにしてあるの。たとえば血行促進の薬とかでも、平静時から一定以上の数値になると分解するように、薬にも対応するようにしたの」
「薬にも?」
「うん。通常なら設定されないんだけど、今回は試作として一時的なら使用してもいいって。例の違法薬物ってね、本来は薬草だったのよ」
まだ薬師ギルドもなく、薬師も明確な資格として認識されていなかった頃、ミュジカ科の薬草はもっと効能も弱く、民間医療や呪術的なものとして使われていた。疲れた時や落ち込んだ時に服用すると元気になる。少しだけ寝付きを良くする。逆に頭がスッキリする。能力のあるものが服用すると死者の声を聞くことが出来たり、神の預言を授かることも出来た。
やがて人々はどの薬草がどんな効能があるかを研究し、品種改良を積み重ね、より純粋な成分を抽出可能な技術を磨いた。その大半はもっと多くの人々の役に立てようという想いからだったのに、少しずつ混じり込んだ悪意がやがてそれを取り返しのつかないモノに変貌させた。
「その違法薬物が広まって多くの人を苦しめた一因に、それが元は薬草だったっていう理由があってね。成分が毒として認識されないから、防毒の装身具が体内に取り入れても反応がなかったからなの。今でも研究者の間で、どうにかその成分を除外出来ないか検証されてるけど、今のところあまり良い結果は得られてなくて」
「この装身具はその薬物を排除出来るようになってるの?」
「その筈…なんだけど。でもあくまでも試作品だから、完璧じゃないとは思ってて」
「分かった、気を付けるよ。ユリさんも付けてる?」
「うん。試作品は二つだけだから…他の人には申し訳ないんだけど、もし使って来るなら決闘の時かと思ったから。一番危険なのはレンさんだし」
「ありがとう。そんなに貴重なものを」
特に異常は感じられなかったので、レンドルフは捲った袖を下ろした。特にそのつもりは無かったのだが、ユリがごく自然に外したカフスボタンを付け直してくれる。その行動が嬉しくてレンドルフは思わず笑みが浮かんでしまったが、慌てて右手で口元を覆ってごまかした。
「多分向こうで準備してくれるとは思うけど、もし怪我をしたらすぐに治癒魔法を頼ってね」
「回復薬は…あ、そうか、薬も除外するのか」
「そうなの。その違法薬物の大半の有効成分が、回復薬と共通してるの」
「だから防毒の装身具には使えないのか。厄介だな」
「本当に、気を付けてね」
「絶対大丈夫、とは言えないけど。なるべく心配をかけないようにするよ」
「ん…」
ここで大丈夫と言うのは容易い。しかし、身代わりで決闘に臨む以上は無傷で済ませることは難しい。しかも攻撃魔法の使用は禁止されているので、どうしても剣技や体術などで勝負しなければならないのだ。前もって聞いている予想される相手にはそうそう負ける気はしないが、どんな手を使って来るかも分からない者もいる。もう分かり切っていることでユリに見え透いた嘘を吐きたくないレンドルフは、正直に答えたのだった。ユリも既に承知しているのか、多くは語らずに少しだけ眉を下げて頷いた。
しばらくして、ガタリと馬車が止まり、静かに扉が開けられた。
レンドルフ達は招待状を確認されて、パーティー会場の大広間に案内される。念の為状況や招待客の様子を見る為に少しだけ早めに到着していた。その為、まだそこまで人は多くなく、開始まで顔見知り同士が歓談などをしながら軽めの飲み物などを手にしていた。
もうお馴染みになっている顔ぶれが多いので、通常の夜会程堅苦しい空気は無い。招待を受けているのは平民の商人や商会を持っている下位貴族が大半ではあるが、高位貴族も数名来ているのは商会の関係というよりは決闘の噂を聞いて伝手を辿った者達だった。
比較的和やかな空気であることに安堵して、レンドルフはしっかりとユリを支えながらゆっくりと広間に足を踏み入れた。
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入口に目立つ大きな影が入って来たのを見て、広間にどよめきが走った。
見上げるような長身で、礼服の上からでもはっきり分かる程に鍛え上げられた立派な体格の青年が颯爽と入場して来た。纏っている赤い礼服は金糸の刺繍が施されて非常に目を惹くが、上質な生地と糸を惜しげもなく使用しているせいか落ち着いて見えた。そしてその青年がエスコートしているのは、目の覚めるような美女だった。一歩ごとに匂い立つような大人の色香と艶かしい曲線を惜しげもなく見せているドレスであるが、重ねたオーガンジーが肌の露出を押さえていて上品にすら見えた。彼女の赤い髪は青年の礼服と全く同じ色味で、蠱惑的な金色の瞳に刺繍糸も合わせたのだろうとすぐに分かる。彼女のドレスの方は、金茶の光沢のある生地に緑のオーガンジーを重ねて複雑な色合いを醸し出しているのだが、よく見ると青年の瞳の色がまさにそれだった。
その場に居いた者達は、その二人が何者なのか脳内の貴族名鑑と出席した夜会の顔ぶれを必死に思い出していた。所作からして貴族と思われるが、どちらもこれと言った確信のある該当者は見つからなかった。もしかしたらあまり公には出来ない関係で、お忍びで変装して来ている高位貴族の可能性があると察した目端の利く者達は、もう少し状況が分かるまで静観を決め込むことにした。
広間の奥でシャンパングラスを傾けていたある侯爵も、どよめきに釣られて入口に注目した一人だった。
「ち、父上、あの美しい女性はご存知ではありませんか」
すぐ隣にいた息子が、興奮を隠せない様子で耳打ちして来た。その視線は赤い髪の美女に釘付けで、少々荒い鼻息が耳にかかるので侯爵としてはもう少し離れて欲しいと反射的に思ってしまった。
「分からんな。おそらくどこかの貴族が変装しているのだろう。そんなことより、間違っても近付こうなどと思うな」
「ええ!?何故ですか!少なくともあの連れの男より僕の方が高貴な…」
「馬鹿者。主導権はどう見てもあの女性の方だ。下手をしたらお前よりも身分が高いかもしれん」
侯爵は自分の息子の察しの悪さに、帰ったら後継の勉強の為の教師を更に増やさなくては、と心に決めた。確かに息子の言う通り、王族を除けば同年代の貴族令息の中では最も家格が高いと言っても過言ではない。数名、同格の令息はいるが、少なくともあれほど体格の良い者はいないし、王族にも該当者はいない。
しかし、数メートルエスコートされている様子を見れば、あきらかに女性の方の格が違う。侯爵は実際の経営は任せているが、領地では王族にも気に入られている上質のシルクを産出しているおかげで、ドレスに対する目は誰よりも肥えていた。上に重ねたオーガンジーは並の品質であるが、その下のドレスの生地の輝くような光沢と、気が遠くなる程細かく丁寧に仕上げられた刺繍に、彼女がただ者ではないと見抜いていた。
しかも彼女の余裕のある態度に対し、青年の方は女王に仕える騎士のように献身的に尽くすことに喜びを感じているようだった。挙動の一つ一つが全て彼女優先に動いている。彼女の方も、そんな青年の態度に満足げな様子が見え隠れしている。どう考えても息子にあれだけ献身的にエスコート出来るかと言うと、完敗だろう。元の身分が高いこともあるので、ああして尽くすような行動は慣れていないどころか壊滅的だ。迂闊に近付いて、下手に高圧的な態度を取って不興を買うことは避けた方が良い。
「国内には該当の女性は思い浮かばんから、もしかしたら外国から来ているのかもしれんな。そうなるとパートナーが夫の可能性もある」
「しかし…」
「夫のいる女性に迫ったと知れたらいらん恥をかくだけだ。下手をしたら外交問題にもなりかねんことぐらい察するんだな」
「……はい」
この国では、結婚している者同士がそれぞれの魔力を込めた魔石を指輪などにして揃いのデザインにすることが一般的だが、外国では違う風習がある。外交官などはどんな小国でも各国の風習は頭に入っているが、侯爵は主だった取り引きのある国程度だ。国の中には夫や妻を最優先に考える国民性の所もあるので、婚姻していることに気付かずにちょっかいを掛けると命取りになりかねないのだ。
「いいか、話をしたければまずパートナーの男の方と親しくなってからだ。そうすれば挨拶くらいはさせてもらえるだろう」
「…はい」
見るからにシュンとしてしまった息子を気の毒に思いつつ、侯爵はチラリとまだ注目を集めている二人に目をやった。
(気持ちは分からんでもないが…いや、駄目だ駄目だ)
二人は移動して、最近跡を継いだばかりのミダース男爵と親し気に挨拶を交わしていた。ミダース家の持つ商会は、国外にも積極的に取り引きをしているので、ますます国外の貴族の可能性が高まった。
しかしながらどうやら侯爵の女性の好みは息子にも遺伝したのか、侯爵自身気が付けば彼女の魅惑的な姿に見惚れていたらしい。随分離れた所にいた筈なのだが、彼女の隣にいた青年が一瞬だけこちらを見たかと思うと、スルリとその大きな体で彼女の姿を隠してしまった。ほんの一瞬だけであったが、彼女に向ける蕩けるような眼差しからは想像もつかない程の剣呑で冷たい視線を送られたような気がして、侯爵は背中にヒヤリとしたものが走った。
「ああ…隠されてしまった…」
その視線に気付かなかったのか、侯爵が言ったことが全く響いてなかったのか、残念そうに呟く息子に、侯爵はまだパーティーは始まる前だが早々に息子を連れて退出した方が身の安全ではないかと思い始めていたのだった。
レンドルフは王女を護衛していた時のイメージで動いているので、侯爵の見立ては割と正しいです。
そしてレンドルフが覚えられていないのは、王族の護衛に付く職務だったので、この会場に来ている商人や下位貴族の身分では、王族の参加するような夜会に出席する機会があまり多くなかった為です。中にはそういった夜会に参加していた参加者もいますが、護衛は壁みたいなものなのであまり記憶に残っていません。
そして侯爵を始め他の人間がユリを知らないのは、彼女はどうしても断れない王家主催の夜会に一瞬だけ出席して(それも一曲だけレンザと踊って即引っ込んだ)ほぼ引きこもりなので、知っている人がいない為です。