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12.平民の注意事項


「よーう、やっぱりお前さんだったか」


レンドルフがスレイプニルでエイスの街の入口に到着すると、門番の詰所からノソリとステノスが顔を出した。


「すみません、お待たせしました」

「いや、いいってことよ。どうせ暇だから早く来てオヤジさんと駄弁(だべ)ってただけだ。遅れちゃいねえよ」



先日会った時は、ヨレッとしたシャツ姿だったが、今は着崩してはいるものの騎士服を着ている。その妙に着慣れた感じに貫禄があって、やはり部隊長なのだな、とレンドルフは何となく納得する。


「いやあ、多分お前さんだと思ったんだがな、これで全然知らねえヤツが来たらどうしようかと思ったぜ。こう見えて人見知りだからな」


ステノスは人なつこい笑顔でそんなことを言いながら、いつものようにスレイプニルを預けたレンドルフを門の一番近くにある酒場へと案内した。


店は薄暗くまだ看板も出てないが、既に話が通っているのかカウンターには眠そうな顔をした中年女性が座っていた。痩せぎすの目の大きな女性で、寝不足がはっきり顔にでるタイプなのか、目の回りが落窪んで見える。


「奥借りるぜー」

「あいよ。注文はどうするね」

「一応仕事なんで、酒抜きで頼むわ。お前さんは?炭酸水でいいかい?」

「は、はい」

「あらぁ、最近見かける男前の騎士様だね。何だい、新人かい?」

「そうじゃねえよ。今暇だって聞いたから今度の定期討伐に参加してくれねえか口説き落とそうと思ってな」

「そりゃいいね。男っぷりのいいのがいるとあたしらも士気が違うからねえ。あんた、今度は夜に来てあたしに口説かれにおいで」

「先に昼の顔見ちまったら萎えちまうだろうよ」

「そりゃそうだ」



女性はステノスと親し気に話しながら、炭酸水の入った瓶を二本片手に奥の扉を開けた。そこは一応個室になっていて、古びたソファとローテーブルだけが置いてある部屋だった。酒場の個室なので窓がなく薄暗い。

女性はテーブルの上に瓶と栓抜きを置くと、壁にあるランプに火を点した。それだけで、昼間なのにこの空間だけ夜の酒場の雰囲気が漂う。



「じゃあごゆっくり。おかわりが欲しけりゃ勝手に保冷庫から出しなよ。あたしは一眠りするから、帰る時は戸締まり頼むよ」

「時間外にありがとうございます」

「あらまあ、ホントにいい男だ。今度は夜に連れて来てよ、ステノス。ウチの女の子達も喜ぶわ」


おそらく個室があるということでステノスが特別に早く開けてもらうように手配したのだろう。レンドルフが軽く頭を下げると、女性はコロコロと笑った。ランプに照らされた顔は、完全に化粧を落とした素顔であるのか、眉毛が見えなかった。そのせいか、こうやって笑った顔は少々恐い。


「ええ〜そんなことしたら俺が放ったらかしにされるじゃねえか」

「あんたの顔は見飽きてるからねえ」


女性はそう言って部屋を出て行った。


「あいつはムラサキ、ってんだ。この酒場の店主だ。まあ昼はあんなだが、夜になると腰が砕けるほど別嬪に化ける。ありゃバケモノ並だ。一度怖いもん見たさで来るといいぜ」

「はあ、ムラサキさん、ですね」


ステノスはさっさと炭酸水の瓶を二本とも開けると、一つをレンドルフの前に置いた。


「さて、と。早速だが本題に入ろうか」


そう言ってステノスは前のめりになり、顔の前で手を組んだ。レンドルフの位置からは丁度組んだ手が顔の下を覆い隠すようになっていて、ステノスの目しか見えない。いつもは柔和で笑っているような目が、一瞬にして鋭い光を帯び、探るような眼差しに思わずレンドルフの背筋が伸びた。



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「今回の討伐はちぃっとばかり厄介になりそうでな。正直腕の立つヤツ、経験者の参加はありがたい」



レンドルフが初めてエイスの街に来た日、街に近い場所に設置してある魔獣の探知機が警報を鳴らした。時折はぐれものが近くまで来ることがあるので警報自体は珍しくはないのだが、その時は反応した数が通常よりはるかに多かった。


その為駐屯部隊で待機中だった騎士と自警団の大半を向かわせたところ、かなり大きな群れの針山リスが確認された。

針山リスは小型の魔獣で性質は極めて臆病であり、尻尾に無数の針状の毛を持っているが、身を守る時にしか使われない。人里の近くで見かけても必要以上に刺激しなければ無害なので、殲滅対象にはなっていない魔獣だ。通常は人を恐れて森の奥から出て来ることはまずない。あるとしたら、何かに追われている可能性が高い。



「他にも森の浅いところでホーンラビットの目撃例も増えて来ている。つーことは、だ」

「大型魔獣の数が増えたか、厄介な魔獣が現れたか…ですか?」

「ご名答。念の為討伐の一週間前にギルドから斥候を出す予定だ。この後で参加者には通達を出す」

「はい」

「で、だ。お前さんはおそらく魔獣の討伐経験は相当あるだろ?」

「まあ、そうですね。領地にいれば毎日のように駆り出されますから」


片方の口角を上げてニヤリとした顔で見上げて来るステノスは、完全にレンドルフがクロヴァス辺境領の出身だということを把握している顔だった。

王都の学園に入学するまでは、それこそ余程のことがない限り領地で魔獣を狩りに行っていたし、入学後も長期休暇には必ず戻って父や甥達と共に国境の森を駆け回っていた。豊かな土地でも、その分辺境領は厳しい環境だ。使える人手があれば、誰でも使わなければ暮らして行けない。


「もしあまりこの辺りで見かけねえ魔獣だった場合はちょいとアドバイスをもらえねえかな。いちいち王城にお伺い立てるのも面倒でな」

「分かりました。俺で分かることであれば」

「恩に着る」


ステノスは一旦言葉を切って、グビリと瓶から直接炭酸水を飲んだ。レンドルフも同じように直接口を付けて一口飲む。思ったよりも強めの炭酸が喉にチリリと刺激を残して落ちて行く。


「ただ、協力を頼んでおいて何だが、今から騎士団の一員として参加をさせるには許可が間に合わねえ。ただの冒険者として参加してもらうことになるが…本当にいいのかい?」

「はい、そのつもりです」

「その…今のお前さんはランクもついてない超新人冒険者だ。ギルドの規定で三ヶ月は仮登録扱いだし、どこかのパーティに所属もしてねえし、万一のことがあったら全部自分で引っ被ることになるが…いいんだな?」


念を押すように言うステノスに、レンドルフはしっかりと目を見て頷いた。彼がレンドルフのことを心配して言ってくれているのが分かって、レンドルフは思わず口角を上げた。



冒険者登録をしてから三ヶ月は、実力や人となりを見られる期間で、冒険者として依頼を受けることは出来るが、依頼料の内何割かは保証金としてギルドに支払わなくてはならない。まだ新人として信頼を得られていない中で、ギルドが新人の保証を請け負っている手間賃のようなものだ。これで依頼を達成せずに問題を起こしたりした場合は、依頼主に契約違反金として保証金が支払われる。きちんと三ヶ月間依頼を問題なくこなせた場合はその保証金は冒険者本人に返還される。

そして正式な冒険者になると、任意ではあるが保証金と同じように依頼料の一部をギルドに支払って、怪我や死亡に備えた保険に加入することが可能になる。常に怪我の危険が伴う冒険者は、自分が怪我をして動けなくなった場合の治療費や生活費をそこから賄うのだ。保険に加入せずに自分で貯める者もいるが、自動的にギルドで管理してもらえるので保険制度を利用する者が大半だ。


パーティを組んでいる者はギルドの保険に加えて、メンバーと話し合って割合を決め、パーティのプール金も準備していることが多い。勿論そんなことをせずに、稼いだものは全て使ってしまうパーティもいる。だがそう言った者達は大抵長続きせず、無茶を重ねて悲惨な末路を辿ることになる。それに不測の事態に備えつつ長く続けられているパーティは、そこまでランクが高くなくてもそれだけ堅実ということで良い条件の指名依頼も入りやすい。



現在のレンドルフは、先日冒険者登録したばかりでギルドの保険にも加入できないし、パーティを組んでいる訳でもないので、もし怪我を負ったとしても治療費等は全て自分の持ち出しになる。


これが騎士の立場での参加であれば、国から治療費や生活費が補償されるのだ。しかし、全く所属の異なるレンドルフが討伐に参加するには煩雑な申請と手続きが必要となる。レンドルフが騎士として参加するのであれば、今回の討伐には間に合わないだろう。



「休暇中ですから、ただの冒険者で扱ってください。ずっと一人で鍛錬しているだけでは体も鈍りますから」

「ま、当人がそう言うんならいいけどよ。無茶はすんなよ」

「はい」


ステノスは一気に瓶を呷って中身を全部飲んでしまった。そして追加を貰おうと立ち上がってレンドルフにどうするか声を掛ける。レンドルフはまだ半分以上残っていたので辞退した。



二本目の炭酸水の瓶を開け、そちらも半分程度一気に飲んでしまったステノスは、大きく息を吐いてソファに凭れ掛かった。一見リラックスしているように見えたが、彼の探るような鋭い視線はそのままレンドルフに注がれている。


「…なあ、あんた…いや、レン、でいいか?」

「はい」

「レンは、平民との親しい付き合いはどの程度ある?」

「そうですね…」


レンドルフは色々思い返してみる。クロヴァス領では、領民とも距離が近かった。しかし、それはあくまでも領主の血縁と領民の間柄で、親しいかと言うと微妙なところだ。領専属の騎士達とは交流が多かったし出自は平民の者もいたが、やはり出自よりも騎士という扱いなので完全に平民と言えるかは分からない。学園はそもそも貴族が必ず入学することが義務付けられているところなので、爵位の差はあれ全員貴族だったし、卒業後に入団した騎士団には平民の見習いもいたが、研修期間もそこそこに誰よりも早く近衛騎士団に配属されてしまったレンドルフは同期との交流が殆どなかった。そして配属先の近衛騎士団は、伯爵家以上の身分の者しかいなかったし、警護する相手も王族や高位貴族ばかりであった。


「…言われてみると、ほぼないことに気付きました」

「ないのかよ!レン、念の為確認な。オレが聞いてる話だと、貴族、なんだよな?」

「一応」

「一応って何だよ一応って」

「確かに父は貴族の当主でしたけど、俺は三男でしたし、物心ついた時には兄が家を継いでいました。兄とは大分年が離れているので、年上の甥も三人います。なので、俺が爵位を継ぐことは絶対にないし、どこかに婿に行くなり、騎士として身を立てるなり好きにしろってことで、貴族らしい教育は最低限でした。だから貴族と言っていいのかどうか」

「なるほどな。そういう教育の賜物か」


レンドルフの言葉に、ステノスは細い目を更に細めて頷いていた。一体何が彼の警戒心を解いたのかは分からないが、先程までの鋭い視線は殆どなくなっている。


「いやあ、オレは平民だしこんな口の利き方だろ?レンは貴族なのによく怒んねえなあって不思議でな」

「ステノスさんはエイス駐屯部隊の部隊長じゃないですか。少なくとも俺よりは立場は上でしょう。父からは爵位や血筋だけで序列を判断するな、とよく言われました。怒る理由がありませんよ」

「……これならそう心配はない、か」

「今、何と?」

「いや、こっちのことだ。レンなら大丈夫だと思うがな、分かってるとは思うが冒険者は大半が平民だ。だからオレ以上に口の悪いヤツなんざゴロゴロいる。そういうのは平気かい?」

「おそらくは大丈夫、かと」

「まあ悪意のないヤツは大抵無自覚だから、その辺は大目に見てやってくれると助かる。その、まあ、出来れば、わざと突っかかって来るヤツもいると思うが…そっちも無視してくれるとありがてぇんだが」



ステノス曰く、平民には何故か上のモノに無闇矢鱈と噛み付きたくなる性格の人間が一定数いるらしい。そういう輩はどこに行っても揉め事の渦中にいて、そういう自分が他の者より偉いと思っているものだから始末が悪い。



「そういう奴らはレン自身が気に食わねえ訳じゃなく、単に貴族に絡んで大きな顔したいだけだ。ちょっと面倒かも知れんが、羽虫が飛んでるとでも思って流すのが一番手っ取り早い。あまりにも一方的なようなら自警団が来るから、丸投げしてくれ」

「分かりました」

「一番マズいのは、レンが上位の刀を揮っちまうことだ」

「上位の刀?」

「貴族の権力的な?裏から親類縁者潰しに掛かるとか?まあ無礼討ちみたいな…いや、これはオレの故郷の言い回しだったか」

「大体分かります。俺にはそんな権力はありませんが、肝に銘じます」

「頼むぜ。こうなっちまうと、いくらレンが正しかったとしても心情的に下の者に靡きやすく上の者を無条件に憎みやすい。これから冒険者をする心づもりなら、人付き合いで悪感情を持たれないに越したことはない」


ステノスの言葉に、レンドルフは深く考え込んでいるようだった。そして少しオズオズとした様子で口を開いた。


「あの、確認していいですか?」

「おう、何でも今のうちに聞いてくれ」

「俺、そんなに貴族に見えますか?」

「そこかよ!そんな基本かよ!」


当人に自覚がないようだが、レンドルフの所作は騎士そのものであり、肌や髪の艶の状態はどう見ても貴族の出身である。そして砕けた口調であっても、平民特有の荒さのない品の良い物腰から、爵位までは予想できなくても大抵の者は身分が上だと判断するだろう。ステノスは、心底納得行っていない顔をしたレンドルフを見て、ツッコミを入れずにいられなかったのだった。



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「ええと、他に何か注意しておくことはありますか」

「そうさなあ…貴族ってのは自分の血を大事にしてるだろ?」

「はい。国でも貴族の後継は家門の血を継ぐ者と定められていますし」



貴族が血を重要視するのは、魔法や魔力量が子孫に受け継がれやすいことに起因している。強い魔法や豊富な魔力量を維持することで、より多くの者を守れるという上に立つ者の精神だった。長い時が過ぎて形骸化しているところもあるが。

そして他にも、長い歴史を持つ家門には、その家の血を引いている者しか使用できない家宝を有していることが多い。その家宝は非常に強力な力や貴重な能力を発揮するものも多く、もし一度途絶えてしまったら二度とその家宝が使うことが出来ない。それは国に取っても莫大な資産を失うに等しかった。

故に貴族は自分達の血を、後世により良い形で残すことが義務となっていた。



「平民はその辺りそう拘りはねえ。そりゃあ職人とか商家とかは自分の子がいりゃあ継がせたいと思うかもしれねえが、技術や財産は血筋と関係がない。いなけりゃ弟子や養子でも済む話だ。だから貴族みてえに必ず子をもうける必要もないって訳だ」


ステノスはまたグビリと一気に残りの炭酸水を飲み干す。一瞬空になった瓶を眺めて追加をしようか思案している顔になったが、瓶をテーブルの上に置いてそのまま腰を上げなかった。


「だから平民は基本的に自分の気持ちに正直に相手を選ぶ。勿論、見合いや家の都合もなくもないが、大抵は惚れた相手を優先する。それがたまたま同性だったり、異種族だったりってこともある」

「確かにそうですね」

「だからまあ、平民と付き合いが増えれば、そういう話も耳にするだろう。レンの周りには貴族しかいなかったろうから、異性婚しかいなかっただろうし、お前さんがそういう考えなのも別にいい。ただ、そういうのも珍しいもんじゃねぇってことくらいは頭の隅にでも入れといてくれ」

「…肝に銘じます」

「ま、大丈夫だ。そう気負うことはねぇよ。どっちかてぇとレンは素直過ぎて美人局に引っかかりそうなのが心配だな。何か困ったことがあったらいつでも言いな。他にもミキタと、さっきのムラサキも信頼できる良い女だ。色々と力になってくれるぜ。特に女関係はムラサキが強い。ちょいとウルッとした目で『助けてくださぁい』って言やぁ一発でオトせるから、よーく覚えとけよ」


豪快に笑ってステノスはレンと肩をポン、と叩いた。レンドルフが「ご教示感謝します」と頭を下げると、彼は照れたように笑ってレンドルフの頭をクシャリと撫でた。そんなふうにされるのは子供の頃以来だったが、不思議と嫌な気にならなかったし、その仕草が長兄を思い起こさせたからだろう。


兄の息子達、レンドルフからすれば甥にあたるが、彼らとほぼ同年代だったので、まとめて面倒を見てくれることが多かったのだ。周囲の人間も分けて態度を取ることが難しかったのか、レンドルフのことは甥達は弟のように、長兄は父、実際の父親は祖父のように接するので、血縁での関係とは少々感覚がずれているのは自覚している。しかし、どうであれ愛情たっぷりの環境で育ててもらったことは間違いない。



話が終わると、ステノスは時間が余ったのでここで昼寝をして行くと言ってレンドルフを酒場から追い出した。規律に厳しい王城の騎士団からすれば驚くほどの緩さだが、そんな態度を取りつつステノスは部隊長として隊をまとめているのだろう。少し話しただけでレンドルフは何となく納得が行くような気がした。


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