121.統括騎士団長の執務室
秘書官の案内で久しぶりに騎士団の内部に足を踏み入れたレンドルフは、まだ三ヶ月も経ってないことなのにもう数年ぶりかのように感じた。
「失礼します」
呼ばれた時間ちょうどに統括騎士団長レナードの執務室に招き入れられた。案内してくれた秘書官は一礼して部屋を出て行く。
「元気そうだな」
「はい」
一瞬、「おかげさまで」と言うべきか「ご迷惑をお掛けしました」と言うべきか悩んで、言葉が続かずに返事をしただけで終わってしまった。レナードは別段気にした様子もなく、レンドルフにソファを勧めると既にセッティングされているポットから紅茶を注いで手ずからカップを差し出した。
「恐れ入ります」
「そう固くなるな。今日は軽く話を聞くだけで、何か重要な決定を下す訳ではない」
「はい」
そう言われても姿勢を正したままのレンドルフに、レナードは仕方ないといった風にソファに深く背を預けて寛いだ体勢になる。
「…そうだな。冒険者体験はどうだった?」
「は…それは…」
「エイスのギルドから問い合わせが来たんだ。俺が知らぬ訳がないだろう」
「そう、ですね。とても貴重な体験を…したと思います」
「それは良かったな」
一歩間違えば皮肉とも取られかねない物言いだが、レナードの声は非常に優し気だった。何となくレンドルフはこれ以上言葉が見つからず、紅茶のカップを手に取って一口飲んだ。
「それで、気持ちは決まったか?」
「気持ちは…最初に申し上げた時と変わりません。国と騎士団の総意に従います」
「…本当に」
「ただ、一つだけ希望があります」
「何だ?遠慮なく言うといい」
「まだ騎士団に置いていただけるのでしたら、王都内での配属をお願いしたと思います」
「……それだけか?」
「はい。…無理を承知で申し上げましたが」
「いやいやいや」
これまで自らの処遇については何も主張して来なかったレンドルフがようやく希望を出して来たので、レナードは思わず前のめりになって聞く姿勢を見せたのだが、出て来たのはささやかとしか言いようのない小さな願いだった。
基本的に王城所属の騎士は王都が勤務先になる。護衛に付いた場合、護衛対象の視察などで地方に行くこともあるが、それでも短い期間だ。対魔獣を主に請け負っている第四騎士団は要請があれば応援という形の遠征はあるが、それも最長でひと月程度だ。かつてはどんなに遠い地方でも遠征に出ていたのだが、今は各地に駐屯地を設けて地元の騎士を雇い入れ、所属は王城騎士団でも現地で配属しているのでわざわざ王都から騎士を派遣することは少ないのだ。
何せ未だに国全体が人手が足りない場所が多いのに、貴重な戦力を慣れない土地に配属して使い潰すようなことは得策ではない。適材適所で最大限の力を発揮してもらわねば、再びすぐにこの国は危機に傾くだろう。
「全く無理など言っていない。むしろそれを希望として考えていたことのほうが驚いたぞ」
「そうでしたか。私としては、それだけ叶えていただければ問題ありません」
「ああ…」
レナードは探るように目の前のレンドルフを見つめた。見たところ鍛錬を怠ることはなかったのか、騎士服の下の体はハッキリと鍛え上げられているのが分かる。以前にこうして向き合った時より髪が短くなっていること以外、外見は変わっていないように思える。だが、彼の纏っている空気感は以前とは違うとレナードは感じていた。レナード自身も感覚的なものなので、どこが、とは簡単に言い表せられないし、それが良いのか悪いのかも判断が付かなかった。
「……これは俺の胸の内で考えていることに過ぎないが」
「はい」
「お前には第四騎士団に行ってもらおうと思っている」
「はい。承知致しました」
「随分あっさり頷いたな。察するところはあったか」
「…他に私の力を活かしていただける場はないかと」
レンドルフは魔獣の宝庫と言われる程、魔獣が大量に発生する辺境領の出身だ。魔獣を倒すことが日常となっている為に幼い頃から徹底して魔獣の倒し方を仕込まれている。が、その半面、対人戦を極端に苦手としていた。当人の性格に因るところも大きいが、模擬戦などになると相手の武器を弾き飛ばして降参を誘うような戦い方をする。その為、レナードや近衛騎士団長ウォルターなどは、暗殺者などの襲撃はあるが、余程のことがない限り生け捕りを推奨される護衛の任の多い近衛騎士団にレンドルフを推薦したのだ。しかし近衛騎士団を解任された今、レンドルフの力を活かせるのは対人が少なく魔獣討伐が中心の第四騎士団しか選択肢がない。
本当ならば、近衛騎士団以外では王城の護りを固める第一騎士団が最適なのだが、原因となったヴァリシーズ王国の留学生に同行して来た護衛や外交官が王城で暮らしている為、彼らと顔を合わせることは避けた方が良いと判断されている。第二騎士団は中心街の警護を主に担う部隊なので嫌でも対人がメインになるし、市井に紛れるのであまり威圧感のあるような騎士は好まれない。第三騎士団は、広域の凶悪犯罪者や組織などを制圧、捕縛を請け負っているが、場合によっては現場で処断することも許されている部隊なので、騎士団の中では最も対人の荒事が多い。
消去法で考えれば、王城の騎士団に残るのであればレンドルフの行き先は第四騎士団しかないのだ。
「客観的に考えれば、魔獣に慣れたクロヴァス領出身のお前に第四騎士団への辞令を出すのは自然なことなんだが…色々周囲は煩く言うだろうな。まあ、その辺は俺と第四騎士団長でどうにかする」
「お手数をお掛けします」
「詫びなど言うな。もともと俺と団長の問題だ」
第四騎士団からもレンドルフの配属希望の申請が出ているし、騎士団全体のことを鑑みれば何も問題はないのだが、第四騎士団団長のヴィクトリアがレナードの妻と言うだけでいくらでも難癖を付けて来る輩の顔が片手以上は確実に思い当たる。その筆頭は現宰相だろうな、とレナードは彼の強欲さに内心溜息を吐くが、レンドルフの負担にならないようにあらゆる感情は押し隠した。目の前の才能ある繊細な若者を潰すわけにはいかない。
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現宰相は、この国の中枢で最も権力を持つ家門の当主と言っても過言ではない。何と言っても娘は現王妃であり、孫は第二王子のエドワードだ。王太子ラザフォードは側妃の子であるので血の繋がりはないが、王太子の側妃には宰相の孫であり王妃の姪、エドワードの従姉にあたる人物が嫁いで王子を三人授かっている。今のところ二代に渡って王家に嫁いでいるのに、僅差で血縁が王位を確実に手に出来ていないという微妙な状況なのだが、宰相はそれについては「神の采配ですから」と言って表立って不服を口にはしない。
しかし、現在の王太子の後継はまだ決定していない。王太子正妃の長女が数ヶ月誕生が早かったが、宰相の孫娘の王太子側妃には同い年の長男が生まれている。この国が長子相続を推奨し始めた歴史は浅く、それまでは男子が相続することが当然の慣例だった。そしてこの国の歴史を振り返ってみると、女性が王に立ったのは緊急で臨時の中継ぎといった立場で二名いるのみだ。その為、数ヶ月の差ならば、側妃の長男が後継になるべきではないかという声も大きいのは確かだ。まだ王女も王子も幼いので後継教育は始まっていないが、国が推奨している長子相続を王家が守るのか、それとも慣例に従って男子が継ぐのか。そのことで王族の周辺は少しずつではあるが緊張感が高まっていた。
そんないつ何処で火種が燃え上がらないか分からない状況の中で、宰相派は騎士団や神殿などを取り込もうと水面下で働きかけて来ている。宰相の家門は中枢の政治に携わる文官で占められているので、武力や信仰方面に力を持っていない。それでバランスを取るように周囲が派閥の均衡をとるようにしているのだが、それを宰相派は崩そうとしている様子が見え隠れしている。
その中でレンドルフの存在は、当人は自覚していないようだが極めて危険な火種になりかねない。王太子ラザフォードは、年齢の近いレンドルフを友人として、更に頼りになる近衛騎士として重用していた。しかし近衛騎士の身分ではなくなったレンドルフが宰相派の騎士になった場合、王太子自身が宰相派に傾く可能性はかなり高い。
宰相自身が王の縁戚になって権力を得たとしても、正しく国を導き民の為の治世を行うことに注力するのであれば別に構わないとレナード自身は思っている。しかし、どうにも今の宰相とその家門の者は考え方は危うい。レナードは長く中立の立場を貫き、騎士団のトップを務めて来た。彼は、この国が滅びかけ、そして少しずつ立ち直る為に尽力して来た者達の血を吐くような努力を目の当たりにして来たのだ。それだけに、今の宰相の方向は、滅びかける以前の栄光を取り戻そうとしているかのように見える。レナードからすればあれは栄光なのではなく、一部の上に立つ者の驕りだ。そして国中を襲った厄災はその驕りが招いた罰だ。踏みにじられた人々の怒りに、たまたま神が応えたのだとレナードは身をもって知っている。
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「正式な辞令は来週にでも送られるだろう」
「はい。よろしくお願いします」
「体を慣らす為に休暇中でも演習場に来るのは構わんぞ。受付担当者にはその旨は通してある」
「ありがとうございます」
「それからこれを」
レナードは懐から折り畳んだメモをレンドルフに手渡した。レンドルフも受け取ってから怪訝な顔で開いたが、それを見てようやく微かに笑顔を見せた。この執務室に入って来てから、ずっと固い表情のまま表情が緩むことがなかったので、レナードは少し悪戯が成功した子供の気分になっていた。
そのメモは、騎士団の寮に入っている者を始め、通いの者もよく利用している団員寮内の食堂の食券だった。
「あの食堂姉妹が、お前がいないとむさ苦しくて息苦しいと嘆いていてな。今の時間なら空いているだろうから、顔を見せてやってくれ。ちなみに今日のランチは揚げ鳥だそうだ」
「ありがたくいただきます」
寮の食堂には、普段はおっとりしているが非常に仕事には厳しいベテランの姉妹シェフがいて、騎士達の胃袋を支えている。完食する騎士には勿論、まだ鍛錬に体が慣れていなくて食が進まず残してしまい謝る騎士にも優しい態度を返し、何なら慣れるまでは胃に優しい特別食を用意してくれる。が、わざと食べ物で遊んだり粗末にするような者には仕置き専用の尖ったレードルが炸裂する。普段から鍛錬で鍛えている歴戦の騎士ですら、何故か彼女達のレードルから逃れられないので、密かに騎士団最強の呼び声が高い。
レンドルフも体格は十分むさ苦しい部類には入るのだが、食堂は受け渡しをする際にカウンターを覗き込むようになるので、ある意味顔が重要になって来るのだ。その為、顔立ちの美しいレンドルフの姿が見えなくなって、姉妹からの苦情がレナードの元に相当届いてたのだった。
「それでは失礼致します」
レナードとの面談を終えて、レンドルフが退室する。
そのままレナードはポットに残った紅茶を無造作に自分のカップに注いで、それを片手に窓辺に立って外を眺めた。しばらくすると、この執務室のある建物から外に出たレンドルフが、食堂の方向へ歩いて行くのが見えた。これでしばらくは食堂姉妹からの苦情は止まるだろう。
食堂で発行される食券は数が決まっていて、前もって申請が必要だ。そして寮にいる者は一日三枚まで、通いの者は一枚しか貰えない決まりになっている。その食券も、使用する日にちと朝昼夜のいつのメニューを食べるのかも指定されている。しかも無駄に王城の魔法士の技術を使って、複製も出来ないように魔法で付与が施されているのだ。その理由は、騎士達が食べる量が多いので、きちんと数を管理していないと食材が足りなくなるからということだった。以前あまりにも人気なので不正をする者が後を絶たず、肝心の騎士が食いっぱぐれる事態になり、レードル片手に姉妹が魔法士に製作を頼んだと言われている。食券の発行分は確実に食材は準備されているので、発行済の食券は他人に譲ることは許可されている。
好物の揚げ鳥を食べ損なってしまったのは惜しいが、食堂姉妹の両脇から絶妙にハモる苦情に晒されるのを考えれば安いものだとレナードはしみじみと思っていたのだった。
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レナードがチーズクラッカーを摘みながら書類を捲っていると、来客を知らせる魔道具が鳴った。引き出しを開けてほのかに光っている魔道具に触れると、秘書官の声で『タンザナイト近衛騎士団長がお見えです』と告げた。一瞬レナードの眉間に皺が寄るが、すぐに諦めたように溜息を一つ吐くと、魔道具の表面を指先で軽く叩いてそれに向かって話し掛ける。
「お通ししろ。茶の支度はしなくていい」
それだけ言うと、レナードはポイ、と口の中に食べかけのクラッカーを放り込んですっかり冷めた紅茶で流し込んだ。
しばらくして執務室の扉がノックされたので、許可をすると案内の秘書官よりも先にウォルターがドカドカと入って来た。扉の向こうでは表情にこそ出していないが、完全に現実逃避をしている遠い目をした秘書官が立っている。レナードは少々同情を含んだ目で秘書官を見やってから軽く頷くと、彼は一礼してそっと扉を閉めて行った。
「いきなり何をしに来た」
「おお、やっぱりカリカリしてるな。人間、腹が減ると心が狭くなるもんだ」
一般の団員なら震え上がって姿勢を正すようなレナードの怜悧で鋭い灰色の目がウォルターを一瞥したが、彼は全く気にも留めない様子で手にしていた荷物をソファの傍に置いてあるローテーブルの上に並べ出した。よく見れば、片手にはここで使っているポットとカップをぶら下げている。おそらく秘書官達の勤務室から強引に持って来たのだろう。
「さっき途中でレンドルフに会ったぞ。聞けばお前に食券貰ったって言ってたからな。お前が揚げ鳥の日に食堂を使わないってことは昼メシ食いっぱぐれてると思って、俺の食券で持ち帰りを作ってもらって来た」
「変な気を回すな。お前の食べる分が無くなるだろう」
「俺は今朝娘が突然作ってくれた弁当があるからな。それをお前に自慢しながら食うから無問題だ」
ウォルターはバスケットから染みないように水分や油を防止する紙に包まれたものを取り出して、ローテーブルの上に置いた。特製のスパイスを摺り込んだ食堂でも一、二を争う人気メニューの揚げ鳥はまだ温かいようで、包み越しなのにフワリと香ばしい匂いが漂って来る。
空腹をクラッカーでごまかしていたレナードは、渋い顔をしながらもウォルターの向かい側に座る。執務室の中に暴力的なスパイスの香りが充満してしまうのはありがたくないが、しかしこの魅惑の香りには抗えなかった。長い付き合いのウォルターには読まれているようで、レナードが座った時点でドヤ顔で鼻の穴を広げていた。
「ありがたくいただこう」
「おう!どんどん食って大きくなれよ」
「俺が年上なのを忘れたのか?」
「ちょっとくらい気にするな」
実際のところはレナードはウォルターより遥かに年上で、ウォルターも分かっているのだが、時折こうして同期のように扱う。その度にレナードはムッとしたような顔をしてみせるのだが、心の奥では満更でもないとは思っている。しかし、それも全部飲み込んだ上で余裕を見せるウォルターの頭にいつか一撃を喰らわせてやりたい気分になるのもまた事実だ。
「これは俺の娘が持たせてくれた弁当だ!やらんぞ」
「別にいい」
可愛らしいピンク色の布に包まれたものを満面の笑顔で捧げ持ったウォルターを無視して、レナードは紙の包みを開けた。中身は、たっぷりの野菜と分厚い揚げ鳥が挟んであって、パンの表面はコンガリとキツネ色に炙られていた。切って間もない断面からは、零れんばかりにシャッキリとした野菜と、衣に包まれて揚げられた鶏肉がテラリと光りながら肉汁を滲ませていて、流れた分はパンに吸い込まれていた。
「あ…ああ…」
レナードは最初の一口を齧ろうとして、正面から断末魔のような呻き声が聞こえて来て顔を上げた。見ると、ウォルターの娘が作ったと言っていた彼の弁当の中身が目に入った。
「…あいつ、自分が舐めたいからこれを作ったな…」
ウォルターが眉を下げて見つめる先には、申し訳程度にジャムとピーナッツバターが塗られたパンがちんまりと並んでいた。その断面から察すると、中身はごくごく薄く、申し訳程度に中央に乗せられているだけに見える。おそらく甘い物が好きなウォルターの娘が、父親への弁当を作るという口実でパンに少しだけ塗って、掬った大半は彼女の口に消えて行った結果のようだ。
見る間にションボリするウォルターに、さすがのレナードも笑いを堪えられなかった。思わず吹き出して、自分の手元にあったサンドイッチの半分をウォルターの前に押し出した。
「…いいのか?」
「もともとはお前のだ」
「そ、そうだな!……こっちのは要るか?」
「いや。妻のいる身だからな。未婚の女性の手料理は食べないことにしている」
「お、おう。それじゃ無理強いは良くないな」
ウォルターの娘とは面識があるし、妻似の可愛らしい令嬢ではあったが、指の形がくっきりついたパンを食べるのはレナードとしても遠慮したい。それに、そんなサンドイッチでも愛娘の手料理なので、ウォルターは形式的に勧めたものの心底嫌そうな顔をしていたので、レナードは慎んで辞退したのだった。
「そういえば、レンドルフはどうだった?」
「食堂姉妹が大喜びしてたぞ。あきらかにあいつの皿の揚げ鳥の数が多かった」
「それは何よりだ」
これで彼女達からの苦情を躱せるならば、一度の揚げ鳥は尊い犠牲だ、とレナードは頷いた。
「レンドルフ、随分変わったな」
「そうだな。お前も感じたか」
「辞令を聞いてからか?それともその前か?」
「ここに来た時から雰囲気が違っていた。理由までは分からないがな」
「へええ〜そうか〜」
レナードがレンドルフの率直な印象を述べると、ウォルターはニヤリと笑ってほんのりジャム風味のパンをバクリと頬張った。
「やっぱり嫁を迎えるってセンが濃厚か」
「は…?」
「いや、あいつ、前より地に足がついたと言うか、腹を括ったと言うか…前みたいな危うい必死さが消えたと思わんか」
「まあ…確かに言われてみれば。危うさは消えたな」
「人間がそうなる時は、大抵伴侶を迎えるとか、家族が増えるとかって相場が決まってるんだ」
「必ずしもそうとは限らんだろう。あいつも年齢的には伴侶がいてもおかしくないが…ずっと騎士と騎士団のことでいっぱいだったからな」
「ああ。まあ、それは俺達がそういう風に囲い込んだせいでもあるが、良かったよ」
レンドルフは故郷から王都の学園に入学し、一途に騎士を目指していた。たまに年相応に同級生とふざけることもあったが、誰が見ても騎士以外に見えない青年だった。貴族社会に擦れないで真っ直ぐに育った環境に加え、剣の才と恵まれた体格に甘んじない真面目さも持ち合わせていた。だからと言って単純な脳筋なだけではなく、清廉さもありながら融通を利かせることも出来る柔軟さも持っていた。
まだ経験の浅さから来る貴族社会への不慣れな部分はあったが、ウォルターは自分の後に近衛騎士団長になる逸材だと卒業前から確信していた。レナードも同じように考えたようで、これまでの二年余りを騎士見習いとして研修に充てる慣習を、二人掛かりで捩じ曲げてまでレンドルフを守るように囲い込んだのだ。
一番の理由は、レンドルフの真っ直ぐな才能を途中で歪めてしまわないように育てることだったが、最終的には現在の王太子、将来の国王を支えてもらう目的があったのだ。
王太子ラザフォードには、今は正妃と側妃がいるが、もともと最初に政略で定められた正妃がいたのだ。彼女と王太子は大変仲睦まじく、無事に後継に恵まれれば次代も安泰だと皆考えていた。だが、不幸なことに彼女は若くして亡くなっている。
彼女との間に子はなかったことから、同格の側妃が違う派閥からバランスを鑑みて選ばれたのだが、ラザフォードはどちらかを選ぶことをしなかった。彼にしてみれば、平等に気持ちを向けているのだろう。しかし、ラザフォードを良く知る者からすれば、彼は亡くなった正妃以外はみな同じとしか見なしていないことはすぐに分かった。
その為、通常ならばどちらかを優先して子供の生年に差を付けることが暗黙の了解だが、それを考えなかった為にほぼ同時に両側妃が懐妊するという事態を招いた。しかもその時に彼が下した決断は、先に生まれた子の母を正妃にするとしたのだ。その一言で、側妃の二人は如何に王太子の感心が誰にも向いていないことを確信してしまった。
今はまだ正妃も側妃も互いを牽制しているだけに過ぎず、その背後の派閥も水面下で様子を見ているに留まっている。しかしそれは確実に国の中枢に揺らぎを起こしつつある。
どちらの派閥にも組していないレナードとウォルターが率いている騎士団にも、少しずつその影響が出始めていた。
騎士団を希望する者は、基本的に嫡男ではない者が多い。それは跡を継げる爵位がないため、騎士として功績を上げれば自らの力で爵位や財産を得られるからというのもある。それだけに実家の方ではどこかの派閥に属していても、騎士を目指す彼らは比較的派閥に関わる者は少ない。しかし最近では、騎士教育に携わる者や、指導官などが少しずつ、見習いの頃から派閥に引き込もうとする動きが出ていた。
それは決して悪い訳ではないのだが、派閥に属していると配属や護衛の配置などに少なからず影響が出て来る。もし対立する派閥の護衛対象に付いて万一のことがあった場合、そこに僅かでも疑念が生じてしまえば騎士団の存在自体が危うくなるだろう。そして派閥を考慮して護衛の配置を考えてしまうと、必ず手薄のところが出て来るのだ。そこを狙われればどんなに腕の立つ者を配備していてもひとたまりもない。
レナードとウォルターもそれなりに高い身分は有しているが、どこかの派閥に属することを禁止する程の力はない。それに、婚姻で縁を結んだ伴侶の実家の派閥に入ることに口出しすることは不可能だ。
それに危機感を抱いた二人は、派閥からは遠く、国の防衛の要として名高いクロヴァス家出身のレンドルフをそういった関わりから遠ざけて、ウォルターが直接指導することで防壁となったのだ。勿論、レンドルフ自身に才能があったからこそ出来た強引な策だった。
そして完全な中立であるレンドルフは順調に正騎士となり、やがて王太子の信頼も得て史上最年少の副団長にまで出世したのだった。
「脇目もふらずに近衛騎士として任を全うするように育てたせいか、あいつは騎士団以外の世界を知らずに生きて来たようなものだったからな。まさか近衛騎士を解任されることなんて、俺達も夢にも思わなかったからな」
「ああ…あの時は、な…」
あり得ない理由での解任になったレンドルフは、おそらく彼自身が感じているよりも遥かにダメージを負っていた。ずっと騎士団の中で近衛騎士として生きて来た。それが根底から崩れ去ってしまったのだ。しかも、自分自身ではどうしようもない容姿のことが遠因で。
「それで心配のあまりウォルターもレンドルフに監視を付けていたのだろう?俺の送った『影』が鬱陶しいとぼやいていたぞ」
「そりゃお互い様だ。お前んとこの『影』は神経質が過ぎると報告を受けてるからな」
「まあ…無事に立ち直ってくれたようで良かったが」
「やっぱり想い人が出来ると違うもんだな!」
「そうだといいが」
「何だよ、レナードだって知ってるだろ。豪商のお嬢さんぽい娘とかなり親しくしてるってさ」
「…俺の方は、隣国の下位貴族だと聞いているが」
二人は一瞬顔を見合わせて押し黙った。
「二股じゃ、ないよな?」
「あるわけないだろう」
思わず首を傾げて呟いてしまったウォルターに、レナードが間髪入れずに突っ込みを入れたのだった。
レナードとウォルターのレンドルフに差し向けていた「影」の情報が違うのは、ユリについている大公家の諜報員の方が上手な為です。
王太子は元々温和で優しい性格で、亡き前正妃にベタ惚れだったので、彼女ががいなくなった今は、妃も子供達も国も国民も全部同じライン上で愛情は持っています。一応彼なりに愛情はあるけれど、特別な存在はいない感じで。ただ、自分の周辺は派閥やら後継教育やらで色々煩いので、そこから距離を置いているレンドルフを癒し枠で少し贔屓しています。BL的なものではないです。