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119.瑠璃色と薄紅色


その日の夕食の前、レンドルフは使用人達が挨拶をしたいとキャシーから申し出られたので、快くそれを受けて時間よりも少しだけ早く食堂へと向かった。

キャシーに先導されて食堂に入ると、ここに来た時のように使用人全員が並んで頭を下げていた。初日の緊張と不慣れな様子でぎこちなかった彼らも、今ではお辞儀だけですっかり使用人らしくなっていることが分かることに、レンドルフは思わず微笑んだ。


「ご主人様。短い間でしたが、至らぬところが多くご負担をお掛けしました。ですが、常に温かくご指導いただき、お仕え出来ましたことを感謝致します」

「至らぬところが多かったのはこちらの方だ。短い間だったが、皆が支えてくれたおかげで大きな怪我をすることなく、快適に過ごすことが出来たよ。どうもありがとう」

「勿体無いお言葉にございます」


代表してキャシーが礼の言葉を述べたが、その後ろにいる皆も深々と頭を下げている。その表情は様々ではあったが、全員色々と得るものがあったのか、満足そうな色を湛えているようにレンドルフには見えた。その中で、シンシアは大分前からだったのか目をまっ赤にして鼻をすすっていた。喜怒哀楽がハッキリしていた彼女らしい、とレンドルフは温かい気持ちでその様子を眺める。


「あ!あの!」


不意にシンシアの隣に隠れるように存在を消していたカチュアが、一歩前に出て来た。緊張のあまりなのか、予想以上に大きな声が出て完全に裏返っていた。それどころか全身が緊張で強張って、前に組まれた両手の指先が白くなっているし、よく見れば全身小刻みに震えている。


「お、肉!美味しかっ…た、です!ありがとうございました!!」


カチュアは半ば叫ぶようにそう言うと、ガバリと頭を下げた。普通に考えれば決して褒められたものではないが、一応カチュアの事情の大体はレンドルフも聞いている。それを考えたら彼女にすれば大きな一歩に違いない。


レンドルフは、頭を下げたまま固まっているようなカチュアから少し離れたところにゆっくりと膝を付いて座り込んだ。思わずキャシーが息を呑んだが、しかし止めることも咎めることもなくレンドルフを見守った。


「美味しかったなら良かった」

「…は、はい…」


声を掛けられて少しだけ顔を上げたカチュアは、自分の目線よりも下にレンドルフの顔があったことに驚いたらしくビクリと肩を揺らした。その弾みでヨロリと一歩だけ後ろに下がったが、それ以上は下がらずにその場で踏み止まる。カチュアは背中に冷や汗が滲んで来るのを感じたが、心の中で「この人は違う」と何度も繰り返した。


「パナケア子爵の縁戚だと聞いたよ。勿論こちらから正式にお礼はするけれど、素晴らしい別荘をお貸しいただきありがとうございました、と伝えていただけたら嬉しい」

「…は…か、畏ま、り、ました!」


(なんて優しい声…)


男性、それも特に大柄な男性に恐怖心を覚えてしまうカチュアを怖がらせないように、レンドルフはなるべく静かに柔らかい声で話し掛けることに集中していた。今更体を小さくすることは出来ないのだから、せめて他の要素で威圧感を与えないように努力を重ねた結果会得したレンドルフの生活の知恵のようなものだ。カチュアにはそれは効果があったようだった。先程まで全身が震えていたのに、今では指先くらいにまで治まっていた。


その様子を見たレンドルフは、軽く微笑んで後ろに下がってからゆっくりと立ち上がった。レンドルフが立ち上がって見回すと、キャシー以外は大きく進歩したカチュアに安堵したような表情をしていた。キャシーも一見表情がないようだが、彼女なりにホッとしているのは何となく分かった。



その日の夕食は、かつてレンドルフが特に美味しいと思ったものがズラリと並んだ豪華な晩餐になっていた。特にこれが美味しかったと告げた覚えはなかったのだが、食べっぷりからレオニードにはしっかりと見抜かれていたようだ。まるで幼い頃の誕生日の晩餐のようで、少しばかり気恥ずかしいような、それでもワクワクするような気分になった。


彼らの動きはいつものように見えるが、皿に美しく盛られた料理、飾られた花、最終日だからと解禁したワインも、全てがレンドルフに対する温かな気持ちが滲み出ているように感じられた。殆ど昼間はいないし、指導をして欲しいと言われた割に全く出来ていたとは思えない頼りない仮の主人であったが、それなりに良い関係を結べたという結果が今目の前に並んでいるようだ。

もし彼らのうち誰かがこの先が決まっていないのであれば、クロヴァス家の伝手を使って手助けしようとレンドルフは考えていたが、幸いにも全員この後のことは決まっているらしい。


レンドルフは食後の紅茶を楽しみながら、後でキャシーに人数分の伝書鳥を渡しておこうと密かに決意していた。連絡を強制するのではなく、気か向いたときのその後の報告でも、何かあった時の緊急連絡でもいい。短い間ではあったが、レンドルフも彼らの行く末を心に掛ける程度には気に入っていたのであった。



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「お嬢様…これをあの騎士様がお渡しになったのですか…?」

「うん、そうよ。私が渡す予定の数と合わせてくれたの。私の伝書鳥が屋敷に届くのって明後日だったわよね?」

「お嬢様も箱でお渡しする予定だったのですか…」

「一箱だと持ち運びに丁度いいでしょ。……少な過ぎたかしら?」


レンドルフから渡されたハピネスバードに姿を模すという瑠璃色の伝書鳥をご機嫌で部屋に持ち込んだユリに、専属メイドのミリーはやや引いていたのだが、ユリの方から渡すつもりだった数と合わせたと聞かされて今度はその目にやや諦観の色が混じった。

ユリが当然のように一箱と言ったので、よく分かっていなかったレンドルフもそういうものだと納得してしまったのだが、世間一般的にはいきなり伝書鳥を一箱分を渡すのは大分引かれる行為だった。


「あ!私の伝書鳥はいつもの色で発注しちゃったんだけど、変に思われないかしら…ミリーはどう思う?」

「…いつも使用している色、と言えばよろしいのでは?」

「そ、そうよね!自然にそう言えば…自然に…」


ユリがいつも使っている伝書鳥は、大公女が使用するということで店で売っている物よりも遥かに強い付与が多数掛けられているものだ。実際レンザとのやり取りは、気軽なものから漏れたら国家を揺るがすような重要案件も扱っている。その為使用する伝書鳥は特別発注になり、金額も通常の伝書鳥よりもかなり高額なものだ。ただ内容によって付与の強さの違うものを使い分けるのも面倒なので、ユリもレンザも使用する伝書鳥は全て最高級のものを使用している。

そしてユリはここ数年、発注している伝書鳥の色を薄紅色にしていた。もう発注先の商会も、数だけ注文すれば自動的に薄紅色の伝書鳥が届けられるようになっている。ユリはどう見てもレンドルフの元の髪色を思わせる色の伝書鳥を彼に渡すことに気が付いて、今更ながら慌てていたのだった。


(自然も何も、あの方を意識した色をわざわざ選んでますよね…)


ユリの部屋に飾られている小物などは、圧倒的にピンク色をした物が多い。ミリーが大公家にメイドとして務めるようになってしばらくの間はユリに仕えていた訳ではないので定かではないが、ある時期を境に意識的にピンク色の物が増えて来たように思う。それも濃い色や鮮やかなものではなく、淡く優しい色合いの薄紅色のものを選んでいる。それは明らかにレンドルフを意識して集められたものだった。

その時はミリーもまだユリの専属ではなく、ユリは本邸、ミリーは別邸にいたので前任者とユリ自身から聞いただけに過ぎないが、以前ユリはレンドルフと出会い、彼に助けられたことがあるらしい。それ以降彼とは特に繋がりを持つことはなかったが、その時の出会いが淡い憧れとなり、レンドルフがユリの心の中に根差していたのだ。


出会ったのはお互いに変装もしていない状態で、当時は随分外見も違っていたそうなので、再会した時はユリもすぐには気付かなかったらしい。

ただ、ユリは助けられた時からレンドルフがどこの誰なのかを調べさせていたのですぐに気が付いたのだが、レンドルフの方は騎士として当然のことだったのでそれ以上調べるようなことはしておらず、ユリがその時に助けたご令嬢だとは今も全く気付いていない。


端から見れば、レンドルフにかつて助けてもらったことくらい話しても良いのにと思わなくはないが、ユリの置かれている立場はそう簡単ではない。このままレンドルフはユリの正体を知らないままでいた方がお互いの為というのも、ミリーは何となく理解していた。ミリーは専属メイドではあるが、出身は下位貴族でアスクレティ家の分家筋にあたる。本家の特殊な立場を分かっているので、気持ちだけを優先させる訳に行かないのはよく知っているのだ。

それにユリ自身も誰よりもその立場を承知していて、ただ一時的な関係を楽しんでいる節もある。それなりに長くユリの側にいるミリーは、彼女の幸せを祈りつつもそれを応援することが出来ないもどかしさを覚えながら、あまりにも分かりやすい行動を取るユリに何故バレないのだろうか…と少しだけ突っ込みを入れながら見守っているのだった。



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翌朝、レンドルフは皆に見送られながら別荘を後にした。荷物の大半はタウンハウスに送ってあるので、ノルドに積んだのも最低限の身の回りものだけだった。


ノルドを走らせてしばらくすると、何か周辺で青いものが飛び回っているのが視界に入った。それに気付いてレンドルフがノルドを止めると、空よりも鮮やかで真っ青な羽根を持つ小さな鳥がレンドルフに向かって降下して来た。そしてレンドルフの頭上でポフンと紙の鳥に戻った。


そのままフワリと手の上に乗った瑠璃色の紙は、一瞬で溶け去ってレンドルフの手の上には蔦模様が入っている封筒が残された。その封筒には特に何も書かれていなかったが、こうしてこの色の伝書鳥が届けてくれる手紙の相手はユリだけだ。


「いいタイミングだな」


レンドルフはその手紙を一旦懐にしまおうとしたが、少しだけ躊躇してノルドを歩かせながら封筒の封を切った。中には同じ蔦模様の便箋と、それに挟んだ薄紅色の伝書鳥が三枚入っていた。ソッと畳まれた便箋を開くと、微かに甘い香りがして、美しい手蹟が目に入る。中にはこれまでのことを労う言葉から始まり、レンドルフのことを気遣うことが綴られていた。便箋一枚の短い内容だったがユリの声が聞こえて来るような言葉に、レンドルフは胸が温かくなるのを感じた。

ゆっくり歩くノルドの背でレンドルフは何度も手紙を読み返して、誰もいないのを良いことに顔が緩んでいるのを分かっていながらそのままにしていた。



実のところ、ユリは大公家別邸からレンドルフが発つのを見守っていたので、それはもう丁度良いタイミングで送ることが出来たのだが、当然のようにレンドルフが気付いてはいないのだった。



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「お嬢様、ただいまご当主様がお越しになっておりますが」

「おじい様が?これの抽出を終えたらすぐに行くわ」

「ユリシーズお嬢様。こちらの続きは僕がしておきます。早くご当主様のところに向かってください」

「分かった。セイシュー、後はよろしくね」


朝から調薬室に籠って、そこの窓から見えるパナケア子爵別荘を見守っていたのだが、その後は乾燥させた薬草を粉にして抽出作業を行っていた。最近は多量の調薬作業が続いていたので、そのベースに必要な素材が少なくなっていた為にまとめて作っておこうと思っていたのだ。

その作業は特に魔力は必要とされないのだが、あらゆる薬剤のベースとして使えるものだ。これがないと調薬出来ないものは多数あるので、大量に作っておいても決して無駄になることはない。一度抽出を開始すると、途中で手を止めることが出来ないのだが、ユリの隣で作業をしていたセイシューが交替を申し出てくれた。彼も別の作業をしてはいたが、そちらは作業を止めても影響はない。

セイシューは薬師の資格を持っているが、実験の失敗で大怪我を負い、それ以来魔力が不安定になってしまい、魔力が必要となる調薬が出来なくなってしまったのだ。しかしその経験と頭脳を惜しんだレンザがアスクレティ家で引き取り、表向きは従僕としてユリの助手と教師に付けたという経歴の持ち主だ。年齢は50代とは聞いているが、分厚い眼鏡と若い頃から研究に没頭するあまりに曲がってしまった背中のせいで、見ようによってはレンザよりも年上に見えることもある。



セイシューに後を任せて白衣を脱いで調薬室を出ると、ユリは早足で玄関ホールへと向かった。


「おじい様」

「ユリ、すぐに執務室へ」

「はい」


階段を下りて行く途中、上って来たレンザとはち合わせた。レンザにしては珍しく険しい顔をして、ユリとの抱擁も交わさないまま執務室へ足を止めずにユリとすれ違った。ユリも表情を引き締めてその後を追う。


執務室に入って、レンザはすぐに人払いをした。


「妙な者に絡まれたと聞いたが、何事もないか?」

「はい。防御の魔道具が作動しましたので問題はありませんでした」

「そうか」


ソファに座って前のめりになるような姿勢でレンザが聞いて来たので、昨日店で絡まれたことだろうとすぐに察してユリは首を振った。その答えに、レンザは大きく溜息を吐いて項垂れるように頭を下げた。


「おじい様?」

「いや、すまない。…念の為ユリの体調を確認させてもらえるかな」

「え、ええ…構いませんけど…」

「理由は後で説明する。まずは安心させておくれ」


ユリが頷くと、レンザはすぐさま立ち上がって向かい合っていたユリの隣に移動した。ソファには座らず、その足元に跪くように床に座り込むと、ユリの手を取って手首の脈を取りながら、厳しい表情でユリの手を見つめている。それから頬に手を当て、首筋に触れながら目を覗き込むように顔を寄せた。


「口を開けて舌を出しなさい」


素直に口を開けて舌を出すと、レンザは同じように真剣な顔でユリの様子を見ている。


「……もういい」


一通り見てようやくレンザの表情が緩んだ。執務室に入ってからずっと寄せていた眉間の皺がようやく取れた。そしてその跪いた姿勢のまま、ユリの背中に手を回してギュッと抱き締めた。


「おじい様?」

「良かった…」


レンザとは挨拶代わりに抱擁を交わすことはいつものことだが、今日のレンザは何だか様子がおかしかった。余程のことがあったのは理解はしたが、理由の分からないユリはされるがままではあったが不思議そうな顔で目を瞬かせていた。


「すまないね。少々余裕が無くなっていたようだ」

「いいえ。珍しいですね、おじい様が」

「可愛い孫がよからぬ輩に絡まれたのだよ。心配しない筈がないだろう」


いつもより遥かに長い抱擁を経て、ようやく腕を緩めたレンザは眉を下げながら薄く微笑んだ。そして立ち上がって正面には戻らずにユリのすぐ隣に腰を降ろした。


「あのユリに絡んで来た者は、クピド男爵令息と、プシケー男爵令嬢だ」

「どちらも貴族でしたか。身に付けているものからそんな感じでしたが…あの令嬢の方は」

「ああ、間違いなく『天上の竪琴(ハープ)』の中毒者だ。男の方は軽度だが、女の方は相当な重症だったよ」


令嬢の方は離れたところにいても、その身から香る程だ。予想していたこととは言え、そう断言したレンザに、ユリは軽く息を呑んだのだった。



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