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117.不穏な香り


ユリへの贈り物を買う予定だったのに自分ももらうことになってしまったレンドルフは、申し訳ないやら情けないやらという気持ちと、それ以上に嬉しい気持ちを抱えながら、包んでもらった髪留めが入った手提げを片手にユリが文具品を眺めている後をついて歩いていた。ユリの手にはタイピンが入った手提げが下げられている。荷物は全部持つつもりだったのだが「これは軽いし、私から渡すまではダメ」と断られてしまった。それもまたレンドルフを複雑な気持ちにさせていたのだった。しかしトータルとしては嬉しい気持ちの方が圧倒的に勝ってしまっているので、思わず緩みそうになる顔を引き締めることの方が大変だった。


「あのガラスペン…」

「ああ、綺麗だな。俺には壊しそうで使えそうにないけど」

「あれは実際使えなくもないけど装飾品みたいなものよ。私も持ってるわ」


窓辺のショーケースの中に、薄く翅を模した飾りのついたガラスペンが展示されていた。日の光を浴びて、床に落ちる影もまた美しいので長く人気がある商品だ。以前ユリが初めての店での買い物に訪れた時に、その繊細な美しさに見惚れて買い求めた物だ。それは今もユリの自室の机の上に飾ってある。


「あの隣にある青いのは、もしかして伝書鳥かな?」

「そうみたいね。あんなに色が濃いのは珍しいわね」


展示されている中に、濃い青い色をした紙の鳥が散るように並べられている。これは設定した相手に直接手紙を飛ばす魔道具で、鳥の形に切り抜いた紙束で売られている。元は普通の紙に色々な付与を施してある物で、あまり濃い色はなかった。あまり目立つ色だと飛ばしている最中に面白半分に撃ち落とそうとする者がいるので、淡い色の物を使うことが一般的だ。


「ああ、これは隠遁魔法も付与されているみたいだよ。ええと、『近くに来ると、本物の鳥の姿に見えるので、受け取るときに可愛らしい姿に癒されます』ってなってる。…鳥って、癒されるんだ」

「癒されないんだ」

「鳥って、追うか狩るか、って感じなんだけど」

「あ、そうなのね」


レンドルフの感覚では、鳥は農作物を荒らすので追い払うか、食糧として狩るかの二択だった。以前に王女が派手な色の小鳥を籠に入れて可愛がっていたことがあって、護衛の時に遠目で見たことはあったが、特に癒されるという気持ちは湧かなかった気がする。


「そうだ、ユリさん。ユリさんに渡す伝書鳥をこれにしてもいいかな」

「え?う、うん、レンさんがいいなら」

「一度『幸せの青い鳥(ハピネス・バード)』って見てみたかったんだ」


レンドルフが手にしたのは、瑠璃色をしたもので、説明書きには「ハピネス・バードに変化します」となっていた。この国では南方の一部の地域でしか見られないが、比較的暖かい地域でよく見られる鳥である。女性の片手くらいの小鳥で、この伝書鳥のように美しい瑠璃色の羽根を持つ。有名な童話の中に登場する鳥で、追い求める人の元には来ないがすっかりその存在を忘れている人の肩にとまる、と言われている。そしてその肩にとまった人には幸せが訪れると童話では語られていた。


「この鳥の出て来る童話って、実家の方では誰も理解出来なくてさ」

「理解?」

実家(ウチ)では青い羽根の鳥っていうと『クリムゾンバード』なんだ」

「うわあ…それは理解出来ないわね」


クリムゾンバードは、人と同じくらいの大きさの鳥系魔獣で、名前と違って淡い青い羽根を持っている。何故この名が付いたかと言うと、その性質が極めて獰猛で好戦的な肉食であり、その鳥の群れが飛び去った後は周囲が血の海になるからだと伝えられている。晴れた日に青空の中から降って来るように襲来するので、クロヴァス領では人が多く外に出る収穫期には畑の上に丈夫な魔糸を張り巡らせるという対策をとっている。その為、勢い良く降下して来たクリムゾンバードがそれに引っかかって別の意味で血の海になるのであるが。どちらにしろ、「幸せの青い鳥」とは程遠い光景である。


「何…枚くらい渡せばいいかな。ユリさんの数に合わせてもいい?」


レンドルフは少しだけ探るような気持ちを覆い隠すように、サラリと軽めを意識してユリに尋ねた。以前にユリに一枚だけねだってもいいかを尋ねる時も大分気持ちを振り絞ったのだが、今回も少々内心緊張していた。出来ることならユリとはいつまでもこの縁が切れないように沢山渡しておきたかったのだが、あまりにもあからさま過ぎて引かれたりしないかと心配していたのだ。何せ長兄が結婚前に王都の学園に通う際に、当時からベタ惚れだった義姉に手紙を送って欲しいと大量に伝書鳥を押し付けて引かれたという話は領内では有名なのだ。もうその頃から20年以上経っているのに、未だにその時の長兄宛てに設定された伝書鳥がクロヴァス城の倉庫部屋の一つを占拠しているのだから、当時は一体どれだけの量を渡したのか想像もしたくない程だ。ちなみにその余った伝書鳥は、辺境伯当主直行便として領民や近隣の領主などにも配られていて、レンドルフも何かあった時の為にと持たされている。


「一応一箱は準備してるんだけど」

「っ!一、箱…!」

「少なかった?」

「い、いや、ちょうど…良いんじゃないかな」


通常の伝書鳥は一束30枚となっている。そして箱になると10束入っているのだ。レンドルフとしては二束じゃ多いだろうか、もっと渡せないものか、と考えていたので、軽々と予想を越えた数をユリから提示されてしまって、自分の感覚とは当てにならないものだと思い知ったのだった。


実のところは、レンドルフの感覚が割と一般的であって、ユリはレンザと日常のやり取りだけでなく薬草や研究の成果などを頻繁にやり取りしているので、大分感覚がズレていたのだった。しかし、幸か不幸か女性と手紙のやり取りをした経験のないレンドルフは全く気付かなかった。同じ騎士団内には婚約者や恋人のいる同僚もいるのだが、レンドルフとがあまりにもそういった話題に無縁であったのも大きいのかもしれない。


「じゃあちょっと注文して来る」

「分かった。私はこの辺で商品見てるね」


レンドルフは自身に伝書鳥が届くように設定してもらう為に受付に向かった。



「登録は何になさいますか?」

「血液でお願いします」

「はい、それではこちらにお願いします」


伝書鳥を自分に直接届くように設定する為の登録は、血液を一滴だけ魔道具に読み取らせるのが一般的だ。個人を特定出来る体液が必要なので、唾液や涙、汗などでも登録は可能だが、精度としては血液が一番高いので誤配を防ぐなら血液が推奨されるのだ。受付で使い捨ての小さな針がついた道具が渡されるので、それで軽く人差し指を突ついて小さな紙の上に血液を染み込ませる。それを特殊な防水紙に挟み込んで、手の平サイズの魔道具に入れると、少し離れたところに置いた購入した伝書鳥に魔力が流れ、それで登録は終了になる。これは数箱くらいなら一気に登録出来るので、大抵の人は箱単位で購入している。束だろうが箱だろうが、登録一回の必要な血液量は同じなのだ。


「登録の確認は致しますか?」

「はい、お願いします」

「それでは三枚、確認の為にお預かりします。五分後、一時間後、一日後にそれぞれお送り致します」


登録の魔道具は殆ど誤作動を起こすことはないが、それでも絶対に無いわけではない。その為、任意ではあるが購入した数に応じて購入店が数枚を預かり送り返してくれるサービスがあるのだ。これを頼んでおくと、今後万一誤配が起こった場合は上限はあるが購入店が送った手紙の補償をしてくれるという保険のような制度があるのだ。あくまでも任意であるので、断ればその後に誤配があっても補償はされない。


ふとレンドルフは実家の倉庫部屋にみっしりと詰まっている伝書鳥を登録するのに、長兄はどのくらい血液を提供したのだろうか…と思いを馳せていた。



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レンドルフを待っている間、ユリはインクの並ぶ棚などを眺めていた。色とりどりなインクの入った瓶のラベルを眺めているだけでも楽しい。色の名は植物をイメージしたものも多いので、何となく色を想像出来るのもユリの薬師を目指す上で身に付けた知識故だろう。


不意に、微かではあるがこの場には相応しくないような香りがユリの鼻をくすぐった。普段ならば気付かないような僅かなものであったし、つい最近その名を聞かなければ思い当たらなかったであろう薬草の香り。


(この独特のメントール臭と甘さの混じった匂い…ミュジカ科の葉だわ)


ミュジカ科の薬草は、専門家が慎重に扱わなければ常用性と後遺症で身を滅ぼすような危険な薬草だ。この国では許可された場所でしか栽培は出来ないし、扱う資格を持った薬師でなければ精製前の葉や苗を所持していただけで罰せられる。そんな薬草が、最近ユリ達と妙な縁が出来たミダース家の新当主トーマの婚約者とその母親が、当人達も全く身に覚えがないのに摂取させられていたことが先日判明したばかりだ。下位貴族の子爵家とは言え、夫人と令嬢がそんな物に関わることは普通ならばあり得ない。今は彼女達の名誉を守ることと、薬草の摂取経路を掴む為に極秘裏に国の中枢が動いている。


薬師の資格を取得する為に、ユリのような見習いでも年に一度座学で危険な薬草に触れられる機会が与えられる。薬を知るには毒にも深い知識が必要だからだ。その座学でユリもミュジカ科の薬草の香りを記憶していた。


(何故こんなところに…!?一体誰が…)


あまり周囲を見回しすぎないように、さり気なく商品を見るようなフリをして周囲に気を張り詰める。しかし、周囲に人が多過ぎてどこからその微かな香りが発生してるか判別出来なかった。嗅覚を身体強化で上げることも出来るが、他の香りが多過ぎて却って見失いそうな気がする。ユリは目の前の商品を熱心に眺めるような様子で、軽く目を閉じた。さすがに耳も塞ぐことは奇異の目で見られてしまうので難しいが、身体強化を使わなくても視覚を遮断すれば他の部分が研ぎ澄まされる。


「ぐあっ…!!」


ユリが細い細い香りの糸を掴めそうなイメージになった瞬間、すぐ後ろで悲鳴のような声と、バチッという音が聞こえたのはほぼ同時だった。

振り返ると、見知らぬ男性が手を押さえて尻餅をついた状態で転がっていた。それを見て、何が起こったかをすぐに察してユリはスッと目を細めて心底冷たい表情で座り込んでいるその男性を見下ろした。レンドルフと一緒にいることが多かったのですっかりご無沙汰だったが、ユリに不埒な真似をしようと手を出そうとした場合、相手に反撃を仕掛ける魔道具が発動したのだった。


「こっ!この女!」

「どぉしたのぉ?」


何が起こったのか理解出来ていないようだが、ユリが何か反撃を仕掛けたということは分かったのだろう。男性が真っ赤な顔で唇を戦慄かせてユリを指差した。その後ろから、甘ったるい声と共に一人の女性が現れた。どうやらこの男性の連れらしいのだが、ユリはその姿を認識した瞬間にゾワリと全身から鳥肌が立ったような気がした。


(この人だ…!)


その女性は着ているものの質は悪くなく、身に付けているものなどから貴族だろうとは思われた。が、どことなく着こなしがだらしなく崩れたような印象を与える。そして座り込んでいる男性も、似たような空気を纏っているのである意味お似合いなのかもしれない。

その女性は水色の髪に、()()()()()をしていた。ミュジカ科の薬草を摂取した場合、人によっては髪の色が一部変わると言われているのだ。更に何より、先程から香っていた危険な毒草の匂いが目の前の彼女から発せられている。


「この女が突然僕に攻撃魔法を!捕まえろ!捕まえて我が家に寄越せ!罰を与えてやる!」

「えぇ〜ひどぉい。誰か警備員呼んでぇ」


声高に騒いでいるので、何事かと人が集まって来た。遠巻きにしている人垣に中に、チラリと見知った顔を見つけた。これといった特徴のない中肉中背の茶髪の青年。素顔ではないが、密かにユリの護衛に付いている大公家の者なのは分かっている。ユリは視線だけで頷いてみせると、彼は軽く頷いてすぐにどこかへ消えて行った。


「如何なさいましたが」

「この女が突然暴力を振るったんだ!」

「身に覚えはございませんが」


騒ぎを聞きつけて責任者らしい男性店員が駆け付けた。それを見て、味方を得たとでも思ったのか、男性が更に声を張り上げて主張した。しかしユリは冷静に言い返す。


「私の背後で急に大きな声を出して来たのです。それまでは背を向けていたので何をしていたのか全く存じませんが。一体なんの目的で私のすぐ後ろまで近付いて来られたのです?」

「な…!僕が何かしようとしたとでも言うのか!?そんな…そんな子供(ガキ)みたいなお前に?」


そう言われて、一瞬ユリのこめかみにピキリと青筋が走った。ユリは確かに小柄なので、身長的に子供扱いされることくらいはどうとも思わない。腹が立ったのは、子供と言っておきながら視線が自分の胸に固定されているところだった。ユリの胸はどう見ても子供にはないボリュームを持っているのだ。


「静電気でも起きたのではありません?ほんのちょっと、ピリッと」


本当はかなりの衝撃が相手の手には走っている筈だが、痛みはあっても決して傷は残さないというレンザ特製の防御の魔道具だ。いくら男性が主張しても、周囲にはただの静電気で大仰に喚いた腰抜けに映ることだろう。


「もしこれ以上騒ぐのでしたら、店側から記録画像を提出して警邏隊にお渡ししていただいても良いのですけれど」

「要請がございましたらいつでも対応致します」

「ぐっ…」


この店が防犯の観点から、店内の映像を記録しているのをユリは知っている。何か揉め事があった場合、関係者から要請があればそれを警邏隊に提出することも出来るのだ。そして警邏隊に提出すれば、どちらに罪があったかを精査されて、場合によっては有罪の記録が経歴に刻まれる。ユリはどう考えても相手に非があるのが分かっているので、いくらでも大事上等な気持ちでいた。逆に相手の方が言葉に詰まった時点で旗色は完全に悪くなっている。周囲の人間もどちらに非があるのか大体分かったようだ。


これで騒ぎは終了とばかりに、他の店員が周囲の客に詫びをしながら解散するように促して何事もなかったようにしてしまった。ただようやく立ち上がった男性はそこから立ち去らずに、ユリを憎々し気に睨んでいる。そしてその男性に腕を絡めた令嬢は、状況が分かっているのかいないのか、ユリに向かって何故か勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。駆け付けてくれた男性店員は、さすがにこの場を放置することはなくユリの近くに立っている。



「ユリさん!」


何か不穏な気配を察知したのか、レンドルフが早足で戻って来た。レンドルフの姿を見て、ユリは気持ちが緩むのを感じた。


「何かあった?」


すぐにユリを睨みつけていた男性に気付いたのか、レンドルフは自分の影にユリを隠すように立って、表情を消して相手に顔を向けた。そこには怒りや憎しみのようなものは乗せられていないが、周囲の空気が冷えるような感覚になる。


「こちらの方とお嬢様に行き違いがあったようでございます。もし今後何かお困りのことがございましたら、当店も要請に応じさせていただきます」

「何だ!この女の味方をするのか!?」

「わたくしどもは、お客様どちらからの要請にお応えする所存にございます。どうぞ、お申し付けいただければ、()()()()()証明をお持ち致します」


男性店員が深々とお辞儀をするのを、男性はギリギリと歯がみしながら眉を吊り上げていたが、腕に絡み付いていた令嬢がクスクスと笑いながらそっと耳打ちをした。何を言われたのか、急に男性はニヤニヤと笑い出して、令嬢に耳打ちすると、彼女もキャッキャと声を上げて笑った。その間にもレンドルフの方をチラチラ見ている。まるで挑発でもしているようで、ユリと男性店員は心配そうにレンドルフを見上げる。しかしレンドルフは相手には無反応で、ただ黙って見下ろしているだけだった。

それが彼らを増長させたのか、レンドルフを明らかに馬鹿にしたような態度で笑いながら近付いて来る。ユリが思わず前に出ようとしたが、目の前にレンドルフの大きな手が遮って、そのままやんわり肩を包むように触れて後ろに押されてしまった。


レンドルフに近付いて来た二人は、何やらクスクスを笑いながら互いに耳打ちをしている。その態度がどうにも苛つかせて、ユリは思わず拳を握ってしまった。そして顔を上げてレンドルフの横顔を見つめたが、彼は先程から無表情のままでユリを腕の後ろに隠している。少しだけ触れた腕の温かさに、この上もない安心感を与えられている。


「こぉんなにぃ、大きさに差があると大変よねぇ〜」

「最初はさぞや大変だったろうなあ」

「もうあの子……じゃないのぉ」

「いや、ひょっとしたらあいつの方が……じゃねえの」

「やだぁ、ありえるぅ〜」


ケラケラとより一層甲高い耳障りの声を上げて笑う令嬢に、レンドルフが一歩、近付いた。彼らはごく平均的な身長なので、レンドルフが側に立つと見上げるような形になる。それにはさすがに身の危険を感じたのか、一瞬にして顔が引きつって笑いを止めた。


「…それは、そちらでは?」

「な…!」

「頭と、肝が」

「何よ!侮辱だわ!」

「そうだ、そうだ!侮辱罪で訴えるぞ!」

「私はただ、頭と肝、そう言っただけですが、そこに何が侮辱と?」

「私達の言ったことを…」

「…さあ?小さ過ぎて良く聞こえなかったのですが。何と言ったか、もう一度仰っていただけますか?」


レンドルフは殆ど表情筋を動かさずに薄く微笑んだ。しかし相変わらず声にも目にも感情が全く乗っておらず、妙に顔の整っている分まるで人形を相手にしているような気分になる。彼らもさすがに自分達がコソコソ言っていたことをそのまま返されたようなものなので、どちらが先に侮辱したかは理解したようだった。


「もぉ行きましょう?こんな客の扱いの扱いの酷い店、お茶会で広めてやるんだから!」

「二度と来るか!」


二人は分が悪いと察したのか分からないが、これ以上はここにいられない、といった風にプリプリと去って行った。


「申し訳ありません。騒動になってしまいました」

「とんでもございません。こちらこそご不快な思いをさせていまいました。あの二人は、今後店に入れないよう手配致しますので、どうぞご安心ください」

「…分かりました」

「あの、もしよろしければお嬢様とご一緒に落ち着かれるまで最上階のカフェで…」

「ご配慮ありがとうございます。ですが、この後予定がありますので」


男性店員は何度も頭を下げながら申し訳なさそうにしていたので、レンドルフは謝罪を受けてユリと共にその場を離れることにした。また先程の二人が絡んで来ないとも限らなかったが、グルリと見回した感じだと周辺にはいないようだった。



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「ユリさん、ごめん」


店を出ると、僅かに触れるだけではあったがユリの肩と背中に手を置いていたレンドルフがその手を離して、深々と頭を下げて来た。ユリはその温もりが離れてしまったことを残念に思いながら、レンドルフの行動に目を丸くした。


「え!?レンさんのせいじゃないでしょ?」

「でも、俺が離れたせいで」

「違うって!人間、四六時中引っ付いてまわれる訳ないじゃない。悪いのはアイツらで、レンさんが謝ることは全っ然ないから!何でも背負い込み過ぎ!」


シュンとした様子で眉を下げるレンドルフに、ユリは慌てて離れてしまった彼の手をギュッと握りしめた。普通よりもずっと大きなレンドルフの手は、ユリが両手で握りしめてもまだ大きかった。先程までユリの肩に触れていたせいだろうか、指先の辺りがいつもより体温が高く感じた。


「それに、アイツらに言い返してくれた時のレンさん、格好良かったよ。なんて言うかこう…魔王様みたいな冷徹な微笑み、って感じで?」

「魔王…」

「あの!褒めてるからね!こう…クールで、頼りがいがあったって言うか」

「……アイツらがあんまりにも下品なこと言って来たからカッとなって、つい同じように言い返したんで、全然クールでもなんでもないよ…」

「そうなの?声が小さ過ぎて聞こえなかったんだけど」

「うん…聞こえなかったならそれでいいよ」


レンドルフは少しだけ赤くなった顔を、ユリに握られている方とは反対の手で覆うように隠して呟いた。


「もう、行こうか。昨日ミキタさんに頼んで、特別にランチを用意してもらってるんだ」

「うん…そうね。もう忘れて、美味しいもの食べましょう」


切り替えようと大仰なくらいに弾んだ声を出して、ユリは握っていたレンドルフの手を離してギュッとその腕にしがみついた。レンドルフとは身長差があり過ぎて、肘を差し出されるようなエスコートになるとユリの手のポジションが高すぎるのだ。その為ユリは自然に体側に下ろされているレンドルフの腕に絡み付きに行ったのだが、レンドルフは何故か動きをギシリと止めてしまった。


「あ、あの、ユリさん…」

「ん?」


不思議そうな顔でユリがレンドルフの顔を見上げると、彼はどういう訳か真っ直ぐに前を向いて固い表情をしていた。心なしか額に汗をかいているような気がする。


「その、手を…手を繋いでもらえる、かな…」

「え?…うん、分かった。じゃあ、遠慮なく…」


そう言われたので、ユリは組んでいた腕を放して差し出されているレンドルフの手に自分の手を乗せた。少しだけ手の平が固い大きな手に上から包み込まれるようにすっぽりと収まってしまうので、その温かさがユリには頼もしくて何だか嬉しいような気持ちになった。


「行こうか」


レンドルフの柔らかい声に安心して、ユリは彼の手の中包まれながらも軽く自分からも握り返し、「楽しみだね!」と笑って返したのだった。



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「お嬢様、無自覚の悪魔だ…」

「それでも防御の魔道具反応しないってすごいよなあ…最近は壊れてる疑惑あったしなあ」

「でもあのバカには作動しただろ」

「だよなあ」


二人がミキタの店に向かうのを物陰から確認していた大公家諜報員二名が、その後ろ姿を眺めながらボソボソと会話をしていた。念の為常に防音の魔道具も、印象操作の魔道具も使用している。更に念には念を入れて読唇術防止に彼らは唇を殆ど動かさないか、通常の発声ではあり得ない口の動きが出来るように訓練されている。

最近ではレンドルフと一緒にいることが大きな防壁になっているので不埒な輩の遭遇がなく、ユリの身に付けている防御の魔道具の出番はなかった。そしてレンドルフが触れても一切反応が起こらないことから、何度魔道具担当が不具合がないか確認したか分からない。


「俺、あの方がうっかり魔道具作動させても同情しかない…」


ユリは警戒心は高いのだが、一度懐いた人間には無防備になるタイプだ。当人は試し行動をしているつもりは一切なのだが、無自覚で距離を縮める節があるので、先程の腕を組む行為も容赦なくレンドルフに密着していた。まだ通常のエスコートのように肘を曲げた状態で手を添えてくれるならともかく、真っ直ぐ下ろされた腕にしがみつくのは大分問題があった。主に彼女の胸がけしからん方向で。


「お疲れ」

「ああ。どうだった、さっきの奴ら」


その二人の後ろから、先程店内に潜んでいた仲間が合流する。人垣の中でユリが見つけた諜報員だ。


「御前直行案件だ。俺はこれから報告に行って来る。一時間程補充に時間が掛かるがよろしく」

「分かった」


後から来た人物があっという間に人の波に消えて行く。基本的にユリの護衛に付いている諜報員は、彼女の身の安全が最優先と命じられているが、僅かな間でも人員を減らしてでも報告に行かなければならないというのは相当な重大案件が起こったことに他ならない。


この二人の他にも別の場所にも諜報員は配備されてはいるが、一人減って補充までの時間はいつも以上に気を引き締めなければならない。


二人は視線を交わして頷き合うと、十分な距離を取ってユリ達の後を追ったのだった。



彼らが言った侮辱的な言葉は「ゆるゆる」「小さい」です。何が、とは彼らは割と直接的に言っていますが、その辺はお察しください。

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