閑話.レミアンヌ
「うわぁぁぁぁぁん!マリさーん!!どうしようどうしようー!!」
『ちょっと、そっち夜中でしょ?近所迷惑じゃない』
「…グズッ…それは防音の魔道具使ってるからだいじょぶですわ…」
『変なとこだけ用意周到なんだから』
ここは、オベリス王国が誇る、高度な学問を学べる専門院が無数に集い、一つの地区が丸ごと学び舎となってる学園都市と呼ばれる場所。その一角の、学生寮にあたる建物。
学生寮と言っても、身分や希望に応じて様々な広さの部屋が用意されていて、使用人も入れるような一軒家タイプのものから、ワンルームの集合住宅タイプのものまである。学生や研究員は、補助金などにより相場の半額以下の部屋代でそこを使うことが出来るのだ。
彼女はそこまで広くないメゾネットタイプの寮に暮らしていて、本来の身分であればもっと広いものを選択してもよいのではないかと言われていた。だが、実は彼女の中身は現代日本のちょっとしたオタク女性であったという、異世界の記憶を持つ所謂転生者であった。そのため広すぎる屋敷は落ち着かなかったのだ。というか、前世の感覚からすれば今の寮も十分すぎる広さではあるが、これ以上狭い部屋では周囲の許可が下りなかった。
彼女は、ヴァリシーズ王国公爵令嬢レミアンヌ・ユリアネ。祖国で優秀な成績を修め、更に高度な学問を学ぶ為にこの学園都市に留学して来ていた。
そして留学早々、王族もいる謁見の間で人事不省に陥り、危うく重大な国際問題を起こしかけた件の令嬢であった。
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「わたくし、またしても失敗してしまったようです…」
『また?何、何なの?これ以上やらかし過ぎると、宰相様の御髪がピンチなんですけど?』
「ううう…それでしたら先日知り合った薬学科の研究員の方が良い毛生え薬をお持ちだと伺いましたわ…」
『だから用意周到が過ぎる!』
レミアンヌは、自室で遠話の魔道具を使って、故郷ヴァリシーズ王国にいる親友マリエールに泣きついていた。
マリエールは強い聖魔法を持ち、教会から聖女と認定されている女性だ。そして彼女もレミアンヌと同じく転生者であった。あることが切っ掛けで互いに転生者と知り、同級生だったこともありすっかり意気投合して親友となっていた。
「先日、レンドルフ様に謝罪の手紙を送りましたの…」
『ええ…それ、どう考えても悪手じゃん…』
「いきなりダメ出し!?」
彼女達が転生者だと知り、自分達の通っていたルーミナ学園がとある乙女ゲームの舞台だと気が付いたのはほんの偶然だった。しかし、気が付いたところで起こるべきイベントは起こらず、ダブルヒロインの設定でライバル関係にあった筈のレミアンヌとマリエールは固い友情で結ばれた。確かにゲームに出て来たキャラクターにあたる人物はいるのだが、全く性格が違っていたりした。
その為彼女達は「世界観だけ同じの全く別物の現実」と悟り、前世の記憶は便利な知恵袋くらいに思うことにして、この世界で自分達の人生を精一杯生きると決めていた。
そしてレミアンヌは、乙女ゲーム的な恋愛エンディングを誰とも迎えることもなく、もっと学びたいと留学を決めた。しかし彼女に取っての誤算は、この学園都市はその乙女ゲームの続編の舞台であり、レミアンヌの最推しが存在している国だったことだった。
勿論、彼女はこちらの国もゲームとは違う現実なことは重々承知していた。が、それでももしかしたらリアルな最推しに出会えるかもしれない、とほのかに期待してしまったのだ。
レミアンヌの最推しは、近衛騎士団副団長レンドルフ・クロヴァスだった。
ゲーム内の彼は、母親似の美しい顔立ちに細身で優美な出で立ちでありながら、父親譲りの強力な魔法と天才的な剣技の才能を持ち合わせた、要は攻略対象者であった。
が、現実は確かに母親似の顔はそのままであったが、その体躯は父親を越える筋肉量の多い巨漢であったのだ。本人でさえ時折顔と体が合っていなくて気持ちが悪いと評するほどである。普段ならば別に動揺はしなかったであろうし、最推しでなければ多少の驚きはあっても貴族令嬢の気合いで押さえ込めただろう。だが折しも予想を越える長旅と、国を代表して他国の王族と謁見しなければならない緊張感という悪条件が幾つも積み重なり、レミアンヌは自分史上最悪の反応をしてしまった。
彼女はレンドルフを見た瞬間、衝撃のあまり卒倒するということをやらかしてしまったのだ。
旅の疲れも手伝って、ほぼ丸一日意識がなかったレミアンヌが目覚めた時には事態は想定以上に大事になっていて、危うく国際問題が勃発する寸前であった。
慌てて相手に非はないと主張したものの、その原因が前世の乙女ゲームで最推しだったからなどと言える筈もなく、その理由は曖昧なものになってしまった。それでも何とか国家間の問題に発展する前にどうにか収めることが出来たのだが、そのとばっちりでレンドルフが副団長を解任され、近衛騎士団からも異動することが決まってしまったのだった。
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「どうしても、わたくしの口からお詫びをお伝えしたかったのですが、そうもいかなくて…」
『そんな元凶からの不幸の手紙みたいなのいりませんから、マジで。まあ、会いに行かなかっただけミリでマシですね』
「お父様とお母様にも相談して、レンドルフ様への謝罪として公爵家で出来ることならば何でも希望を叶えるとお手紙でお伝えはしたのですけど…」
『前言撤回。一気にマリアナ海溝並の最悪手』
「そんなぁ!」
容赦ないマリエールのツッコミに、レミアンヌは半ば悲鳴を上げた。
『それで?あちらからのお返事は来たのですか?』
「ええ…ちょっと読むわね」
『読むんですか…ええ、はい、どうぞ』
魔道具の向う側で何やらゴソゴソボリボリと音が聞こえて来たが、レミアンヌは構わず今日届いたばかりのレンドルフからの手紙を音読した。少し四角張った丁寧な文字と言葉で綴られた手紙は、それほど長いものではなかった。
『ええと、要約すると「謝罪は受け取るが、これ以上は何もいらん」って事ですかね?ものすごいオブラートに包んでくれてますけど』
「やっぱりそうですわよね?そういう意味ですわよね!?」
『いやもう、他に言いようが』
マリエールの呆れたような声が返って来る。この魔道具は音声だけで映像は届けることは出来ないが、長年の親友だけに完全に半目のジト目になっているであろうことはレミアンヌでも想像がついた。
『まあそれでも、さすがに全年齢型乙女ゲームの攻略対象者ですねー。対応が紳士的』
そう言いながら、声の途中で「ングングング、プハー!」という明らかに何かを飲み干している音声が挟まる。
「そう、でしょうか」
『そうですよ!だってアンヌ様「何でもする」って書いたんですよね?それを楯に公爵家の全財産寄越せとか、婿になってやるから公爵家を継がせろとか、そんなこと言って来ない辺り紳士ですよ、超紳士!』
「うっ…」
『ひょっとしてその辺想定してませんでした?アンヌ様をお飾りの妻にして仕事させて、自分は愛人侍らせて遊び放題とか。完全にドアマットヒロインジャンルじゃないですか』
レミアンヌはゲームと現実は違うと分かっていても、やはり心のどこかで「最推しのレンドルフ様はそんなことしない」と思っていたのだろう。マリエールの言うような危険性については全く思い当たらなかった。
『と、取り敢えず、今はしばらく様子見で静観しましょうよ。少なくとも、休暇が終わってからの処遇はまだ未定なんですし。それが分かった時点で、陰ながら手を回すなり援助するなりして行きましょうよ』
すっかり黙ってしまったレミアンヌに、言い過ぎてしまったことに気付いたマリエールは慌てて言い聞かせる。
「…そうね。そうしますわ」
『ほら、何だったら私が今作ってる人気商品「聖女の清浄」もいっぱい送りますから!人気沸騰で品薄状態のレアものですよ!それをあちこちにバラまいて根回ししましょう!』
「ありがとう、マリさん」
マリエールの言葉に、レミアンヌはクスリと笑った。その目尻には僅かに光るものが浮かんでいたのだが、幸い音声だけのマリエールには気付かれなかった。
マリエールの言う「聖女の清浄」とは、小さ過ぎて使い道のない魔石に浄化の聖魔法を入れ、浄化したい物や場所に共に使うだけで簡単に浄化や消臭まで出来るという便利グッズだ。人気の使い方は洗濯洗剤で、ビーズのような粒の魔石がスプーン一杯程度で驚きの白さを実現する…という前世の知恵袋より拝借したアイデアだ。他にも台所の水回りやトイレ、飼っている観賞魚の水槽などにも使えるし、うっかり河原で拾って来た苦悶の表情が浮かび上がって呻き声がする石などに振り掛けても効果は抜群だった。
『今はまずご自身のすべきことに集中してください。アンヌ様だって慣れない土地で色々大変でしょうから、気を付けてくださいよ』
「ええ、お気遣いありがとう、マリさん。貴女と話してると気持ちが上向くわ。ちょっと楽になりましたわ」
『また相談に乗りますから!いつでも…一応、時差は考慮してください!』
「分かったわ。本当にありがとう」
そう言って魔道具を停止させると、途端に部屋の中が静かになった。今までは屋敷の中には大勢の使用人がいた。一人になりたいと人払いをしても、どこかで人の動く気配は常にしていたのだ。しかし、今は通いの家政婦を頼んでいるだけなので、夜になるとたった一人になる。レミアンヌの暮らしている区画は女子寮になるので、特に夜は耳が痛くなるほどに静かだ。聞く所によると、男子寮は比較的騒がしくて、防音の魔道具を購入する人が多いらしい。
「少し、レポートを読み返そうかしら」
わざと声に出して呟くと自分の耳にはやけに大きく聞こえてしまって、より寂しさが増すような気がしたが、レミアンヌはそんな気持ちを追い出して鞄の中にしまっておいた紙束を取り出して机の上に置いた。
その紙束と入れ替るように、遠話の魔動具とレンドルフからの手紙は引き出しの奥にそっとしまわれたのだった。
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遠話の魔道具を停止させたマリエールは、つい声の調子は良さそうだったからレミアンヌに言い過ぎてしまったことを猛省していた。やはり声だけで顔が見えないと細かい感情は読み取りにくい。公爵令嬢として貴族のマナーを叩き込まれているレミアンヌはそういったことを隠すのが上手いのだが、親友であるマリエールには他では見せない緩んだ表情を見せてくれる。特に目の動きはそれが顕著だ。
マリエールは、早く映像と音声が同時に通信できる魔道具が開発できないかしら、と切に願っていた。
「にしても、アイツは余計なことばっかりしやがって…!」
マリエールの言う「アイツ」とは、レミアンヌと共に留学をした宰相の次男の侯爵令息だ。
彼は何故かレミアンヌを女神のように崇拝しており、マリエールの中では「アンヌ様強火担」に分類されている。マリエールもその一人ではあるが、幸いにも同担拒否派ではない。その彼が卒倒したレミアンヌを心配するあまり自国に感情的な報告を入れ、それを真に受けた宰相が即国王に奏上してしまった為に騒ぎを一層大きくした節があった。レミアンヌが取りなしたおかげで表面上は矛を収めたようだが、未だに父の宰相に「レンドルフを極刑、それが駄目なら厳罰に処すべき」と訴えているらしい。
マリエールは聖女という立場をフル活用して、宰相の元を訪ねては大変いい笑顔で「あの暴走息子の事を真に受けてアンヌ様にこれ以上心労掛けさせんじゃねえぞゴルァ」という旨のことを遠回しに呟くことが日課になっている。日々バリエーションを考えるのは大変だが、レミアンヌの悩みを思えば大したことはない。
毎日顔を合わせていても分かるほど寂しさが募って行く宰相の頭頂部を観察しながら「思い込みの激しい息子を持つと苦労が絶えないのは気の毒ね…」と思うマリエールであった。が、彼女もこうして圧の強い笑顔で日参している辺り、宰相の髪が激減しているのは息子のせいだけではなさそうであった。
「玉子の国の転生令嬢」に登場したレミアンヌとマリエールです。