閑話.サミー(サムエーレ・トーカ)
しばらく馬車を走らせていると、隣からヌウ…と手を差し出された。
「何の手だよ」
「さっさと寄越せ」
「だから」
「お前が持ってんのは分かってんだよ。煙草呑みの嗅覚舐めんな」
サファイアは、隣で眉間に皺を寄せて苛ついているサミーに冷ややかな目を向けた。
レンドルフ達の前で見せていた丁寧な物腰はすっかり姿を消し、髪を束ねていた紐を外して襟とタイを思い切り緩めただけでここまで崩れるかとサファイアは感心するレベルだった。
「はいよ」
商団の事務員に、万一サミーと雇い主の反りが合わなくてサミーが手を出しそうになった時の保険として、彼のいつも吸っている銘柄の煙草を一箱サファイアに預けていたのだ。分からないように香りを遮断する付与の掛かった布に包んでいたのに、その嗅覚と執念に少々引きながら、サファイアは胸の間から包みを引っ張り出した。サファイアの胸に挟んでいい感じに人肌になっている煙草を渡されて、サミーはこの上もなく渋い顔になった。
「そんなとこに入れんな」
「アンタに取られなくていいだろ」
「別にお前の肉塊なんぞ気にしねえよ」
「そんなこたあ知ってるよ。でも強引に取りに行ったらあの二人には間違いなく引かれるだろ。レンの旦那は紳士だからねえ。下手したらアンタ、斬られたかもよ」
「ちっ」
文句を言いながらもサミーの手はもどかし気に布を解いている。一刻も早く中身にありつきたいようだが、嫌がらせのようにでたらめに巻かれた布はなかなか解けてくれない。それでも根気強く挑んだ結果、ようやく中から紙の箱に入った煙草が出て来る。目一杯布でぐるぐる巻きにしていたので、紙の箱も中の煙草も歪んでいたが、それに文句を言う間もなくサミーは一本を口に銜え、火種の魔道具を切り口に当ててジワリと火を点した。
「あーーー旨ぇ」
「ちょっと!こっちに煙寄越すな!目に染みるんだよ!」
「悪ぃな。頑張って避けてくれ」
「何だよ、偉そうに」
立て続けに深く吸って大量の煙を吐くサミーに、煙が顔に掛かったサファイアが苦情を言った。サミーは全く悪びれない様子で肩を竦めると、それでもいつもの持ち手ではない方の指に煙草を挟むと、馬車の外側にその手を下ろした。馬車が進むので、その煙は後方にたなびいた。
「サミーはこれからどうすんのさ」
「…別にどうもしねえよ。予想外に稼げたからな。いつもの仕事が再開するまでどうにかなるだろ」
「いいのか?コレ、バレてんだろ」
サファイアは指で自分の目を指し示した。サミーはなるべく目を眇めて分かりにくくしているが、王族の血筋に出ると言われている薄紫の目をしている。それはレンドルフも確実に見ていた。もしレンドルフが悪気なく誰かにご注進した場合、それなりに厄介なことになる。
「ああ…まあ、何とかなんだろ」
「呑気だねえ」
「あの男、あんな風だがそれなりに融通が利くタイプだった。余計なことはしねえだろうよ」
「へえ。何かいかにも清廉潔白!不正は見過ごせない!って純粋培養の騎士様かと思ったけど」
「そんなキモチ悪い奴、芝居か吟遊詩人の頭ン中だけだ」
立て続けに吸ったのであっという間に短くなった煙草を処分しようとサミーは服のポケットをまさぐったが、よく考えたら全部取り上げられていたので吸い殻入れも持って来ていない。仕方なく靴の裏に押し付けて丹念に火を揉み消した後、ポイ、とそのままポケットに放り込んだ。
そしてすぐさま二本目の煙草に火を点ける。今度は静かに浅く口の中で煙を転がすようにゆっくりと味わっていた。
「あたしみたいに目に印象操作のガラス入れりゃいいじゃないか。今回はレンの旦那は黙ってくれるみたいだけどさ。この国にいる時だけでも安心だろうが」
「あの魔道具は気に入らない」
「慣れりゃどってことないのに。臆病だねえ」
サファイアが挑発するように鼻で笑ったが、サミーはまるきり無視して煙草を銜えたまま手綱を握り直した。
必ずではないが「加護」持ちの人間の瞳は、太陽の光の元では色が変化する特徴がある。よく見ないとわからないくらい僅かな者もいれば、建物の外に出ただけでもハッキリと分かる者もいる。サファイアはそこまではっきり出る訳ではないが、普段の濃い茶色の瞳から赤みが強い茶に変化するのは天気の良い日などは誰が見ても分かる。「加護」持ちなのを隠してはいないが知らない人間にとやかく言われるのも面倒なので、サファイアは瞳の色の印象をぼやけさせる印象操作の付与が付いた特殊な薄いガラスを目に装着していた。姿や顔自体をぼやけさせる物は悪用を防ぐ為に使用許可を得るのは難しいが、目の色くらいなら装飾品感覚で簡単に手に入るのだ。
サミーは魔力の強さから色を変えることは困難だが、印象をぼかすくらいなら色を変える訳ではないので可能だ。何度か勧められてはいるが、目の中に異物を入れることに抵抗があって断固拒否し続けていた。
「なあ、サミー!あれ、あれ!アンタがいつも墓に供える花じゃないのか?」
「あ?…ああ、そんな感じだな」
「なんだ、摘んで行かないのかい?」
「ありゃ野生種だ。供え物には向いてねえ」
ゆっくりと馬車が進む先に太い木の幹に絡むような蔓状の細い木があり、白い花が咲いていたのを見つけてサファイアが指差した。
その花は中心は小さな花弁のようだが、外側に向かってレースのような網目状に広がっていて大人の男性の手の平くらいの大きさにまで広がっている形状をしていた。レースフラワー、または花嫁のベールと名付けられた花は、今から30年以上前に異国から持ち込まれた植物だ。鉢植えに入れて手入れされていると繊細で可憐な植物だが、ああして野生種になると花は繊細に見えるが木には刺があり、非常頑丈で簡単に折れたりもしないので伐採は困難という少々扱いにくい植物だ。このオベリス王国の気候に適して根付いたのか、最近ではもともとあった植物だと思っている者も多いだろう。
このレースフラワーを持ち込んだ国は、サミーの顔も知らない母の生まれた国であった。
----------------------------------------------------------------------------------
先王の時代。
海を二回越えてようやく辿り着く程遠い異国から、貿易をする為にその国を代表した商団がやって来た。その国の大臣と長らく書簡のやり取りをして、ようやく実現した数年越しの計画だった。全く文化も言葉も違う国同士ではあったが、幾多の苦労を乗り越えて交わした貿易路は、今では互いになくてはならない程に発展している。船舶や街道の発達、遠話の魔道具の開発などでかの国とこの国は随分と近しい存在になった。これは先王の功績の一つとしても有名である。
初めてその商団を迎えるにあたり、国王も参加する歓迎の宴が開かれた。言葉の壁はあったものの、互いの文化や歴史などを披露し合い、様々な交易品を交換した。その中に、鉢植えのレースフラワーがあった。
今でこそ知られているが、その国には「花」というのは「美しい女性」という意味も含んでおり、鉢植えの花を持たせた女性ごと贈ることが高貴な者への礼儀という文化があった。その為、商団が沢山のオベリス王国の品を持って帰国した後、見たことのない鉢植えの花を持った女性が五人残されていたのだ。
これにはオベリス王国も困惑したのだが、調べてみると彼らにしてみれば最上級の礼儀であって、これを断っては後々の貿易に影響が出ないとも限らないとして、彼女達の中で最も身分の高かった女性を国王の側妃として迎えることにして、他の女性は故郷との貿易に関わる家門で面倒を見て、留学生という扱いにしたのだった。
側妃に選ばれた女性は、最初は言葉や文化の違いに戸惑ってはいたが、元々あちらでも高貴な血筋だったこともあり、不慣れながらも国王との交流を深め少しずつではあるがオベリス王国に馴染んで来ていた。が、そのことが一つの衝撃的な事実を発覚させた。側妃で娶った女性が、オベリス王国ではまだ成人年齢に達していなかったのだ。あちらの国の人間は、民族的にオベリス王国民よりも大人びた妖艶な顔立ちをしており、全体的に肉付きも良かったので外見では全く気付かなかったのだ。そして何より、互いの国が使用している暦が異なっていた為に、彼女の生年がハッキリしていなかったのも災いした。
あちらの国も、オベリス王国が未成年の婚姻を固く禁じていることは理解していた。その為、あちらの国では成人を迎えている女性を連れて来ていたのだ。が、そもそもオベリス王国との成人年齢が違っていた。側妃となった彼女がオベリス王国の言葉を覚えるに連れ、実際はまだ成人年齢に達していなかったことが分かったのだった。
更に間の悪いことに、その事実が発覚した直後に彼女の懐妊が判明したのだ。未成年の婚姻は認められていないこの国で、子供まで出来たとなると世間はその親に対しての風当たりが非常にキツい風潮にあった。それが国王だと知られれば一大事である。
国王を始め重鎮達は必死に奔走して、秘密裏に彼女は隣国の貴族に見初められたことにして丁重に国から出すという方向になった。その頃は彼女自身もオベリス王国の事情を理解していて、素直にそれに従う手筈になっていた。だが、運命はどこまでも皮肉なもので、彼女を国から出す直前、月足らずの早産で母子ともに命を落としてしまったのだった。
それを知らされた国王は彼女の短い人生を思って嘆き、国内外には「成人を待って側妃に迎える筈だった女性が、その前に病を得て儚くなってしまった」と発表した。正式に嫁いだとは公言は出来なかったので王家の霊廟に入れることは適わなかったが、すぐ側に立派な墓を建てて丁重に弔った。子供がいたことは隠されたが、せめてもと赤子は密かに彼女と同じ棺に入れられて埋葬された。
慣れぬ土地で暮らし、初めての妊娠だった上、当人も承知していたとは言え再び他国に出されることが全く影響がなかったとは言えないだろう。その責を感じてなのかは明言はされていないが、先王は王太子が成人すると同時に王位を退いたのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
実はサミーはその時に生まれ、攫われるように秘匿された赤子だったのだ。
事実は不明だが、生まれたのは双子であって、母親ともう一人は死亡したが、辛うじて生き延びた唯一の一人だったそうだ。その時の産婆がトーカ家縁の者で、禁忌の魔法を使った疑いで家門が取り潰されるかどうかの瀬戸際だった。その為、王家の醜聞にもなりかねない未成年の側妃の子供を切り札にして、何とか生き残りを図れないかと連れ去ったのだ。生まれた時からすぐに分かる程の膨大な魔力量と、王家の血筋の証でもある薄紫の瞳を持ったサミーは、そのままトーカ家の領地の奥深くに匿われ、いつか来る日の為に秘密裏に育てられた。
ただ結局のところ、色々なタイミングが重なってサミーは運良く当時オベリス王国とは国交のなかった国へと逃れてトーカ家の切り札にはならず、トーカ家は断絶した。
その国でサミーは一風変わった養父母に育てられた。
養父は海の男だったので、船の扱いや海での生き方、荒事などは全て養父仕込みだ。サミーの出自については、養母が調べて教えてくれた。養母はかの国でも相当な力を持っていた女性だったので、普通なら知らない情報まで入手していたのだった。そしてサミーの貴族にも通用する所作と物腰は、その養母に叩き込まれた。必要ないと当時は突っぱねたものだったが、今思うと仕事の選択肢を増やしてくれたことをありがたく思えるようになった。とは言え、養母の壮絶な教育は今でも時折夢に出て来て魘される程ではあるが。
サミーは、本当の両親については正直何も思うところはない。顔も知らないし、それどころかおそらく生まれたことも知られていない人間に、何かを思えと言う方が無理な話だ。ただ、サミーの戸籍がトーカ家に紐づいていることだけはどうにも出来なかった、と亡くなる直前まで養父母が気にしていたことだけが心残りだった。徹底的に断絶された家門なので、血の繋がりはなくても迂闊に戸籍を動かそうとすると寝た子を起こすことになりかねない、と養母でも手が出せなかったのだ。養父母は最期まで、サミーを正式な養子に出来なかったことを気にしていた。
サミーは養父母の厳しくとも大きな愛情に満ちた教育のおかげで、本当の両親への感情が微塵も無いのだと思っている。
----------------------------------------------------------------------------------
王領の北にある王家の霊廟が立ち並ぶ場所に、一人の貴人が訪ねた。
一線は退いたものの、まだその存在は貴き身である彼は、数名の護衛騎士とその場所に降り立った。
王家の霊廟は、年に一度王族とその親族だけで慰霊の為に訪れることになっていて、その時期はまだ大分先であった。彼が訪れたのは、その霊廟に隣り合った小高い丘で、そこにも白い墓標が立てられていた。周囲は柵に囲まれていて、中に入れるのは彼だけである。
ここには、遠い異国から嫁いで来たが正式に婚儀を迎える前に儚くなってしまった姫が静かに眠っている。今ではその国から多くの商人や留学生が来るようになったが、彼女はその道を拓いた一人として敬愛され、墓の入口には同郷の者が花を捧げに訪れているらしく、常に幾つかの花が供えてあった。
「…また鉢植えがあるな」
護衛騎士が扉を開けた墓の入り口に差し掛かった彼は、供えてある花束の中に枯れかけた鉢植えがあるのを見つけた。花が散らずにそのまま枯れたのだろう。茶色くなった花弁が、網の目のように垂れ下がっているのが辛うじて分かった。その特徴的な形は、彼が抱えている鉢植えと紛れもなく同じものだった。
「誰が、供えておるのだろうな」
彼はそう呟いて、ほんの少しだけ口角を上げた。その鉢植えを見つめる薄紫色の目は、柔らかく緩んでいたのだった。
一応血筋だけでいえばサミーは現国王の異母王弟にあたりますが、母親が成人前に生まれているので王位継承権やら相続権は一切ありません。
先王は、かなり後になってサミーの存在を一応認識はしていますが、トーカ家の戸籍に入っているので下手に突つくとサミーが処断対象になりかねないので、見なかったことにしています。