111.急な予定変更
ゆったりといつもよりも時間を掛けて食事を終えて、手分けをして片付けを終える。
「ギルドの依頼をこなしておかない?」
「そうだね。ボートで出る?」
「ここのテラスからも試してみたい!いいかな?」
「いいよ。俺はまた淡水ホタテを釣らないといいけど…」
再び竿を出して、レンドルフは少し勢いを付けて魔動疑似餌を投げた。足元には淡水ホタテがいるので、それを釣り上げないためだ。
それから二時間程テラスから金岩魚に挑んでみたが、釣果はユリが金岩魚を二匹ヒメマスを二匹釣り上げ、レンドルフはナマズを一匹とお化けシジミを二個、という結果になったのだった。特にお化けシジミの一つはレンドルフの両手を広げたものよりも一回りは大きく、ボートとコテージの鍵を返しに行った際に管理人がこれほど大きなものは今まで見たことがないと驚かれてしまい、レンドルフは複雑な気分になったのだった。
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帰る頃にはグリーンディアの角からも魔力が抜けていたので、他の荷物と同じ後方の収納場所の中に収納した。釣った獲物はレンドルフが内蔵だけ抜いて、保冷の付与が掛かっている箱の中に入れる。金岩魚以外は相談して、レンドルフが全て引き取る事にした。
馬車に乗って出発する前に、サミーとサファイアは何か難しい顔をして顔を突き合わせていた。何か問題でもあっただろうかとユリと顔を見合わせていると、サミーが眉間に皺を寄せて近付いて来た。
「あの…帰りのルートですが、多少時間は掛かりますが、裏ルートを回って行こうかと思うのですが、よろしいでしょうか」
「ああ、俺はそちらの道は詳しくないので、それは任せるよ」
「…理由を聞かれないのですか」
「ここまでこの場所に人が来ないのはさすがにおかしい。下の道で何かあって封鎖か何かがあったと思った方がいいだろう」
「気付いてましたか」
「まだここまで連絡が来ていないようだからそこまで深刻じゃないと思いたいが」
コテージなどを管理している事務所には遠話の魔道具が置かれていて、何かあれば連絡が来ることになっている。もし土砂崩れなどが起こって道が封鎖された場合などは連絡が入る筈だ。先程鍵を返しに行った時に管理人は何も言っていなかったので、道を封鎖するような事態にはなっていないと思いたいところだ。
「レンさん、気付いてたの?私、そういうの全然気付いてなかった…」
「俺は何度もここに来てるしね。さすがにこれだけ誰も来ないのはおかしいとは思ってたよ。ただ、何か分かれば管理人が報せに来るし、帰る頃には解決してることも結構多いんだ。だからユリさんには教えてなかった。ごめん」
「わたくしもご主人様と同意見です。ただ、現時点で何も分かりませんので、念の為よく使うルートではない裏ルートを使わせていただこうと考えております」
「分かりました。そちらはお任せします」
ユリも納得して頷いた。
そして馬車に乗り込もうとして、ふとレンドルフが思い付いたように言った。
「ああ、そうだ。ユリさん、念の為にサミーさんに麻痺粉か睡眠粉を渡しておいた方がいいかも」
「そうね。回復薬も要ります?」
「いえ、そちらは持参しておりますので」
「じゃあ強力睡眠粉を渡しておきますね。防止の装身具は大丈夫です?」
「あ……はい、大丈夫です」
「ちょっと待ってて下さいね」
一応自分用に持ってはいるが、予備として持参して来たものが馬車の座席の下に備えてある。それを取り出すのを手伝ってもらう為に、サファイアに協力を頼んでユリは馬車の中に乗り込んだ。
「それで、ご用命は?」
ユリが馬車の中に消えたのを見計らって、サミーはレンドルフに近付いてコソリと耳打ちをした。レンドルフは読まれていたか、と半分苦笑、半分感心したように笑った。護衛ならば雇い主を守る為にあらゆる準備を整えているので、レンドルフが敢えてユリに席を外してもらう為に言い出したのだろうとサミーは察したようだ。
「彼女の安全を最優先で」
「畏まりました」
レンドルフが低い声で短く囁くと、サミーはこれまでの整った笑みとは違うどこか感情のこもった表情で、片方だけ口角を上げて丁寧な所作でレンドルフに向かって頭を下げた。
「今度、こういう事ありそうなら教えてね」
「うん。本当にごめん」
「封鎖とかってそんなによくある事なの?」
「割とね。ほら、ここって王都だけじゃなくて他領も隣接してるから、微妙に自治法が違うんだ」
「ええと、スターツ領だっけ」
「モタクオ湖の一部があるのはね。あと、湖は入ってないけどホーシーズ領にも接してる」
基本的にどの領もオベリス王国の国法で定められた法律を守る事にはなっているが、それぞれの領地では気候や人口、産業などの差で全てを同じにする事は出来ない。その為各領地では特性に添った自治法が定められていて、時折隣り合った領同士でその差異で揉めることがある。あまりにも差がある場合は互いの領主が意見をすりあわせて特例法を作る事が多い。よくあるのは、狩猟の解禁日などだ。日にちがズレていると、隣り合った領でも獲物の量に大きな差が出てしまうことがある。そのためその他領と隣接している森だけ狩猟日を合わせるなどの特例法を制定したりするのだ。
このモタクオ湖周辺は、王領、スターツ領、ホーシーズ領の三つが隣接していて、特例法で何かあった時は各領の騎士団や自警団の協力や情報共有をすると定められていて、別に敵対している訳ではない。ただ逆に、きちんとした協力体制を作り上げているが故に初動が遅い。領が接しているモタクオ湖周辺は三領が平等に協力すると決められているので、その中で何かが起きた場合三領からの実動部隊が全て揃うまで待機しているのだ。その為モタクオ湖に続く街道に何かあった場合、一番最初に到着した領の実動部隊が一旦街道を封鎖して他の二領の応援の到着を待つという、端から見ると面倒なやり取りがある。もっともそれで各領の摩擦が避けられるというメリットもあるので致し方ない、ということになっている。
「三つの領で協力体制を取っているから、取り敢えず、ってことで割とすぐに封鎖されるんだ。その分解除もすぐだけどね」
「面倒なのね」
「領同士の仲が悪いよりはいいんじゃないかな。大規模災害が起きた時には王領が主権を持つことにはなっているし」
普段あまり使われない裏のルートのせいか、来た時よりも少々揺れが大きい道を馬車が進んで行く。しかし、大して先に進まないうちに馬車が何もなさそうなところで静かに止まった。
「ちょっとサミーに聞いてきますね」
サファイアが馬車を降りて外に出て行く。何となく嫌な予感がしてレンドルフとユリは顔を見合わせた。外でボソボソと何か話し合っている声が聞こえる。その会話をレンドルフは身体強化で聞き取ろうかと思っていると、すぐに終わったらしくサファイアが再び戻って来て扉を開いた。
「旦那、お嬢さん。どうもこの先が封鎖されてるみたいなんす。サミーが言うには騎士団が出てるくらい物々しい感じらしいんすけど、どうします?念の為に今サミーが探りに行きました。けど騎士団が出て来るってことは、通るには身体検査とかされると思うんすけど、女性騎士がいないとチョイとお嬢さんが嫌な思いするかもしれねえっす」
「こちらの馬車には?」
「まだ気付いてねえみたいっす」
「引き返そう」
「了ー解」
即答したレンドルフに、サファイアは軽く手を上げて扉を閉じた。
「あ、ごめん。ユリさんに確認しないで勝手に」
「ううん。私もそうしてもらおうと思ったから。女性騎士は少ないし、いない方が確率高そうだし」
騎士団が出て来ているという事は、通過する馬車などの検問を行っている筈だ。そして何か怪しいものはないか馬車の中を検分されたり、身体検査もされる可能性が高い。変装などの魔道具を使用している場合は停止を求められる。レンドルフは王族の護衛をしていた為に全身身体検査をされる事は慣れているし、当然の事だと思っている。ただやはり女性がそれを受けるのは抵抗があるだろうし、女性騎士がいなければ男性が担当することはレンドルフも知っている。いくら仕事とは言え、配慮される筈でもそれは避けたい。
「このまま封鎖がどのくらいで解けるか分からないけど、時間によってはかなり帰るのが遅くなるな」
「そうしたらモタクオ湖のコテージに泊まればいいんじゃない?」
「…とっ…!」
ユリの発言にレンドルフが動揺して馬車の座席から滑りそうになったが、よく考えたらコテージは複数あるので二軒借りればいいだけのことだと思い当たって気持ちを鎮める。しかし一瞬にして跳ね上がった鼓動はすぐに治まらずに、レンドルフは自分を落ち着けようと胸を押さえた。
「ユ、ユリさん、は、大丈夫?家の人に連絡は…」
「あのコテージの管理人さんの事務所に遠話の魔道具があったから、それで連絡すれば」
「ユリさんのところに遠話の場道具があるの?」
「え!?え、ええと…家の近所の…商家!商家に設置されてるの。いつも薬草を卸したりしてるから、そこに連絡をして伝言をお願いするから」
遠話の魔道具は高価なもので、重要な拠点や役所などには国から設置されているが、個人で持っているのは大きな商家など裕福な家か貴族が多い。大公家の別邸にも当然設置されているが、レンドルフには知られていないのでユリは慌ててごまかした。大分しどろもどろになっていたが、その直前の衝撃から完全に立ち直っていないレンドルフにはそれを疑問に思うだけの余裕がなかったのが幸いした。
「家の人に心配させてしまうね」
「ああ…すっごく怒られそう…」
「何か、ごめん」
「そもそも勧めたの私だから、レンさんが謝る必要はないって。今回は仕方ないよ。ほら、タイミングが悪いと言うか、間が悪いと言うか」
それでも専属メイドのミリーやメイド長にみっちりお説教されるであろう未来しか見えなくて、ユリは思わず軽く身震いしたのだった。
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「旦那、お嬢さん、サミーが戻って来ました」
馬車の扉を外から叩いてサファイアが声を掛けて来たので、レンドルフは扉を開けた。彼女の後ろにサミーが立っていて、軽く頭を下げる。
「この先で、第三騎士団が街道を封鎖して検問を行っています」
「第三騎士団が…」
第三騎士団は王都中心に対人の犯罪などを取り締まる組織だ。その役割は第二騎士団でも担っているが、第三はどちらかと言うと王都だけでなく他領なども含めたような広域で組織的な犯罪を扱い、相手が貴族であっても捕縛可能な権限を持っている。その第三騎士団が街道で検問を行っているということは穏やかな事態ではないだろう。
「領地から王城に送られて審問を受ける筈だった貴族が逃げたとのことです。誰かが手引きしたとの話で、その行方を追っているそうです」
「この短時間でよく拾えたな」
「耳の早さが一番の取り柄ですので」
「やはり引き返した方が良さそうだ」
「はい。こちらの存在はまだあちらには認識されておりませんので、面倒事を避けるのならその方がよろしいかと思います」
「よろしく頼むよ」
引き返す事も想定してか、サミーは大型の馬車でも楽に反転出来る場所に一時停止していたらしい。最初は少しばかりグラグラと揺れたが、無事に反転して元来た道を引き返した。馬車の中では、少しばかり深刻な顔をしてレンドルフが考え込んでいた。
「レンさん、何か気になることでもあった?」
「あ、ああ、ごめん。ちょっと明日も検問してたらどうしようかと思って」
「確かにそれは困るね。疾しいことがある訳じゃないんだけど、何となく…」
「普通はそうだよ。せめて確実に女性騎士がいてくれるといいんだけど」
ユリからしてみれば、複数の魔道具でガチガチに固めてある上、特殊魔力を押さえている魔道具を停止させられたら周囲にどんな影響が出るか分からないので何としても避けたいのだ。ユリが大公家の息女だと証明出来れば第三騎士団でも強引に身体検査をするようなことはして来ない筈だ。しかし、そこで身分を明かしてしまうとレンドルフに知られることになるだろう。
ひとまずモタクオ湖まで戻ったら遠話の魔道具で、レンドルフは統括騎士団長レナードに繋いでもらって明日まで検問が行われるなら女性騎士の手配を、ユリは別邸に連絡をして裏から手を回してどうにかやり過ごせるように頼もうとそれぞれ考えていたのだった。
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何事もなくモタクオ湖に戻り、再度二軒のコテージを借りた。管理人に勧められて、建物は分かれているがテラスで繋がっているタイプのものなった。最初はレンドルフが大分躊躇っていたが、護衛の視点で考えると守りやすいということもあり、最終的には勧められるままになっていた。管理人としては、恋人同士で夜の湖を二人きりで眺めるのにはもって来い、という意味の方が大きかったのではあるが。
幸いにも、万一服が濡れた時の為にということで着替えを持って来ていたのと、宿泊客用にタオルや夜着などの貸し出しがあったので、急遽泊まることにしてもそこまでの不自由はなさそうだった。
「急な延長で大丈夫だったのかな」
「問題ありませんよう。あたしらちょうどヒマだったんで、いい稼ぎになりましたよ」
管理人に頼んで料金を支払い、サミー達に遠話の魔道具で貸し馬車の商団へも延長の連絡をしてもらった。運良く馬車も護衛の二人も翌日の予約は入っていなかったので、延長の申し出はスムーズに終わったようだ。
昼をたっぷりと食べたので、夕食は商店で買って来たサンドイッチと卵のスープで済ませた。卵のスープは、ユリがソイと溶いた卵で作ってくれたもので、シンプルだがふんわりとした卵の優しい味わいで、ソイは初めてだというサミーもサファイアも残さず食べていた。
「レンさん、明日の朝ごはんは本当に任せちゃっていいの?」
「うん、構わないよ。と言っても簡単なものしか出来ないけど。サミーさんも手伝ってくれるって」
「じゃあよろしくお願いします。楽しみにしてるね」
「あんまり期待しないで欲しいんだけどな」
夕食のスープのお礼に、とレンドルフは明日の朝食の準備を申し出ていた。簡単なスープなのに、とユリは戸惑っていたが、レンドルフが作ってくれる朝食という誘惑には勝てなかったようで、すぐに承諾していた。更にサミー曰く「自分の目の届かないところで万一サファイアが手を出すのは避けたい」と主張したのもあった。以前に「女神フォーリの祝福」と言われたらしいサファイアの料理は色々な意味で気にはなるが、今はそんな冒険はしない方がいいだろう。
「じゃあまた明日ね。おやすみなさい」
「うん、お休み。何かあったらすぐに呼んで」
「ありがとう。レンさんもね」
建物は違うとは言え、期せずして泊まりになってしまった実感が今更ながら湧いて来て、レンドルフは思わず顔が熱くなるのを感じていた。しかし夜のテラスなので、それぞれのコテージの窓から漏れる灯りくらいなので頬が赤くなっているのは分からないだろうと思いながら、ユリがコテージの中へ入って行くのを見送った。
レンドルフもコテージの中に入る前に空を見上げると、王都よりも空気が澄んでいる空は満天の星で、明日もよく晴れそうな空模様だった。
「サミーさん」
コテージの中に入って、テーブルの上に色々と隠し持っていた武器や回復薬などを並べて確認しているサミーに声を掛ける。サミーはすぐに手を止めてレンドルフに顔を向けたので、懐から小さな包みを出してテーブルの上に置いた。
「これは…」
「情報料。もし足りなかったら遠慮なく言って欲しい」
レンドルフが置いた包みを手に取って中を確認すると、サミーが目を見開いた。もう既にレンドルフには自分の目の色が分かっていると察しているのだろう。もう目を細めるようなことはなく、探るような薄紫の目をレンドルフに向けて来た。
「あの短時間で検問の理由を聞き出すにはこれが手っ取り早いからね」
「…敵いませんね」
「騎士団のことなら、多少は知ってる」
レンドルフがサミーに渡した包みの中には、金貨が三枚入っていた。先程の探りに行って戻るまでの短時間で逃亡した貴族の情報を聞き出すには、誰か見習い騎士などに金を握らせて話を聞いたと予想したのだ。騎士団の給与は良い方だが、見習いはまだそこまでではないし、正式な騎士になったらなったで、品位を保つ為に出費も増えるのは事実だ。その為、小遣い稼ぎにちょっとした害のない情報などを売ることもあるのだ。
騎士は清廉で誠実であることを求められるし、本来はそうでなければならないとレンドルフも思ってはいる。しかし色々な人間が集まっている以上、清濁が混在しているのも知っている。レンドルフがかつて所属していた近衛騎士団も、表向きは実直で品行方正な人格を求められるが、それだけではあらゆる策を弄する暗殺者から王族を守ることは出来ない。知識として知りつつ清廉を保つように、と上司の騎士団長に何度も言い聞かされて来た。
「足りないかな?」
「…十分でございます」
サミーの言葉にレンドルフは笑って、そのままキッチンへと向かった。明日の朝食の下拵えをしてしまおうと思ったのだ。何せユリからの期待を受けているのだ。慌ただしく準備して失敗はしたくない。それを見たサミーが手伝おうと腰を上げかけたが、レンドルフはそれを制する。
「それも重要な仕事だよ。あと、それが終わったら先に湯浴みを済ませておいて欲しい」
「しかしご主人様より先には」
「俺は寝る直前の方が都合がいいんだ。まあ抵抗があるかもしれないけど、頼むよ」
「…はい。お言葉に甘えまして」
レンドルフは保冷の箱の中に入れておいたヒメマスを取り出して、手早く三枚に下ろした。その上から塩を振るところまで済ませると、後は明日調理するとして再び保冷の箱の中に戻し、残った頭や中骨などのアラは熱した網の上に乗せた。焼いている間に、商店で買い足した小タマネギの皮を剥いて半分に切って鍋の湯の中に放り込む。しばらくして焼けたアラをトングで鍋の中に入れた。沸騰した湯の中に沈めるとサッと湯に白い旨味と細かい脂が広がる。しばらくこのまま煮込んでスープにする予定だ。
ヒメマスの身は、一晩塩を馴染ませておいてから明日に焼いて、ほぐした身を商店で見つけたクリームドレッシングと和えるつもりだ。以前にユリに作ってもらったイトゥーラ鱒のオープンサンドの真似をしてみようと思っていた。昼に食べたヒメマスの塩包み焼きが似ていると感じたのだ。
先日は美味しさのあまり殆どを一人で食べてしまったので、今度はユリとちゃんと分け合おうと考えながら作業を続ける。彼女が少しは驚いて目を丸くしてくれるだろうか、とその表情を想像しながら、レンドルフはいつの間にか楽し気に微笑んでいたのだった。