110.レンドルフクッキング
昼食分には十分な程の釣果だったので、ボートをコテージのテラスにまで寄せる。
「お嬢さん、かなり釣れてましたね!」
「こんなに釣れたの初めてだから楽しかったわ!」
コテージで待機していたサファイアが手を貸してユリをボートから引き上げた。釣果についてレンドルフに触れないのは、仕方ないことだろう。
「この魚はどうするんすか?」
「折角だから昼に食べようと思って。ユリさんのおかげで全員分は釣れたしね」
「は…?食べる!?」
レンドルフの言葉を聞いて、サファイアは目を丸くした。サファイアの中で知っている貴族はまず料理などしないし、まさか釣ったのをそのまま食べられると思ってやしないかと不安になったのだ。
「あ、サファイアさん魚苦手です?もし釣れなかった時の為に肉も持って来てますからそっちを焼きましょうか」
「いや…あたし達護衛は、自分の食べる分くらいは持って来てますんで」
「無理にとは言わないけれど、食べられそうなら。そんなに手の込んだものは出来ないけど」
ユリとレンドルフに挟まれるように言われて、サファイアは思い切り眉を下げて後からテラスに上がって来たサミーに助けを求めるような視線を向ける。しかしサミーは「仕方ない」とでも言いたげな表情で軽く肩を竦めるだけだった。もはや諦めモードである。余程倫理に反することを命じられなければ、基本的に雇い主の言うことには従わなくてはならない。それに相手が貴族だと、下手に断ろうものなら機嫌を損ねて後々の仕事に影響が出ないとも限らない。冒険者ギルドなら国から独立した機関なので貴族とのトラブルもこちらに非がなければ守ってもらえるが、二人はこの国で商売をしている商団付きの護衛だ。厄介事は死活問題になりかねない。
サファイアのサミーもこの世界ではベテランなので、トラブル回避は慣れているが、今回のようなケースは初めてなのでどうしていいか戸惑っていた。まさか貴族のお忍びの護衛をしていて、貴族が作ったものを食べさせられるとはさすがに想定していない。
「このコテージの向かいにあった木の大きな葉で包んで蒸し焼きにするのと、山の斜面に生えているモウチクという植物で焼く調理法があるんだけど、ユリさんは抵抗ない?もしあるなら塩で包んで焼くっていうのも…」
「全部食べたい!塩も!」
「分かった、全部だね」
ユリの主張にレンドルフが笑いながら答える。そのやり取りに、サファイアとサミーは無の顔で立っていた。
「レンさん、何か手伝えることはない?」
「じゃあ持って来た野菜と淡水ホタテの浄化を頼んでもいいかな。俺は葉とモウチクを取って来るから」
「お化けシジミはどうする?」
「浄化の魔道具だけじゃ砂抜き出来ないから、今日は止めておいた方がいいかも」
「分かった。あと、折角だし肉も焼いちゃおうか。火起こしはしとくから」
「うん。よろしく」
レンドルフがコテージを出たので、サミーが後を付いて行く。それを見送ってから、ユリが圧縮の魔道具から持参した野菜とキノコを取り出した。他にも調味料や鍋なども用意はしていたが、コテージに基本的なものは揃っていたのでそちらを利用する事にした。
「お嬢さん方、料理出来るんですね」
「簡単なものなら。私より多分レンさんの方が出来ると思いますよ」
「へえ。あたしはそっちはさっぱりで。サミーなんてあたしの料理は『女神フォーリの祝福』を受けてるなんて言うんですよ」
女神フォーリは、夜を司り魔獣の母と伝えられる最高神の一柱だ。魔獣の母、つまりは魔獣を産み出すという事で、その彼女に祝福を受ける程の料理を作るという事は、サファイアの料理の腕前は何となく予想がついた。とは言え火くらいは熾せるので、ユリが野菜やキノコを浄化して皮を剥いたりほぐしたりと下拵えをしている間にバーベキュー用の網の下に火種を移したりしてくれた。
「この魚は旦那が捌くんですよね?」
「ええ。レンさんは昔ここによく来てて、その時に美味しい食べ方を教えてもらってるって聞いてます」
しばらくして、材料を抱えたレンドルフとサミーが戻って来た。
「ユリさん、ありがとう。すぐに捌くから、もう少し待ってて」
「うん。どの魚をどうやって調理するの?」
「どうしようかな…金岩魚はシンプルに塩焼きにしようか。一番大きなのは木の葉包みにして…ニジマスはモウチク焼きで、ヒメマスは大きいのは塩包みにしよう。小さいのは野菜と炒めるか、スープにする?」
「スープがいいかな。お肉を焼くし」
「分かった。じゃあ…すみませんが、どちらかそこの商店で牛乳と卵を買って来てもらえませんか」
「わたくしが行って参ります」
「よろしく頼みます」
「サファイアには絶対に料理に手を出させないようにお願いします。絶っ対です」
「あ、ああ…」
モタクオ湖の近くには牧場があるので、そこから入荷する新鮮な牛乳や卵、肉などが多くはないが湖畔唯一の商店で購入出来るのだ。サミーが申し出てくれたので、買い物を頼んだ。デザート的なものは持参していなかったので、もし何か甘い物が入荷していたら、とついでに頼む。
レンドルフは浄化の魔道具で魚のぬめりを取ってから、ペディナイフで器用に腹を割いて内蔵を取り出して洗い流す。色々と下拵えを整えるレンドルフを、ユリはスープ用に野菜などを切りながら楽しそうに眺めていた。料理に手を出させるなとサミーに厳命されたサファイアは、それを後ろから見守るだけに留めていた。
下拵えが終わった頃にサミーが紙袋を抱えて戻って来る。幸い牛乳も卵も入荷したてだったらしい。更にちょうどシュークリームが箱で入荷していたので、それも一箱購入して来てくれたので、レンドルフはつい良い笑顔で迎えてしまい、僅かにサミーに引かれていた。
「蒸し焼きはちょっと外でやって来るよ」
「見に行ってもいい?」
「うん。…あの、オーブンの火を少しの間見ててもらえますか」
「サミー、任せたよ。あたしも何すんのか見たいしさ」
「ああ」
オーブンの中には、モウチク焼きと、塩包み焼きの準備が終わったものが入っている。少し時間がかかるので、蒸し焼きをしている間に同時進行で焼いておきたかった。
モウチクは、木の幹に当たる部分が筒状になっていて、幾つも節に分かれている少々変わった見た目の植物だ。これが多く生えている土地ではその節を切り出して穴を開け、水を入れて水筒代わりに使用していると言われている。サミーに手伝ってもらってその節を切り出して来て、それを縦に割っていた。その空洞の中に塩を振ったニジマスを入れてあり、モウチクの筒ごと焼くのだ。モウチクは焼くと爽やかな香りが出て来る植物なので、それを利用して中の食材に香りを移すのだ。
オーブンのスイッチを入れ更にスープ用の鍋も弱火にかけて火の番をサミーに頼み、レンドルフ達はコテージの外に出た。レンドルフの片手には、先程釣った中で一番大きな金岩魚が大きな茶色い葉に包まれたものが乗せられている。反対の手には、包んでいない葉が何枚も抱えられていた。
「あの辺で良いかな。ちょっとだけ離れてて」
建物から少し離れた場所を選んで、レンドルフは地面に向かって土魔法を放つ。いつも魔獣を埋める時のように地面に穴が空いたが、そこまでは大きくも深くもない。そして近くにあった石をゴロゴロと放り込むと、今度は火魔法を使って一気に石を高温に熱した。その中に葉に包んだ金岩魚を入れ、上から持っていた葉を被せた。これで再び土魔法を掛け、魚を埋めてしまった。
「これでしばらく放っておけばいいよ。結構簡単なんだ」
「これ、レンさんの為にあるような調理法だね」
「あはは、これ教えてくれた人にも同じこと言われた。だから来る度に作らされてたから、すっかり腕が上がったよ」
ほのぼのとした空気で笑い合ってるレンドルフとユリから少し離れたところで、サファイアはあまりにも自分と違う感覚の二人に若干顔色を悪くしていた。
(いやいやいや、おかしいだろ!?複数属性魔法持ちを調理に?しかも作らされてた!?)
表面上は平静を装ってはいたが、サファイアの頭の中には大量の疑問符が浮かんでいた。が、それを誰にも聞くことは出来なかったのだった。
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オーブンの中のモウチク焼きと塩包み焼きが完成する頃、金岩魚の塩焼きやヒメマスのミルクスープ、網焼きにした淡水ホタテや野菜やキノコがテラスに設置されたテーブルに並んだ。細かいセッティングはユリ達に任せて、レンドルフは蒸し焼きにしておいた金岩魚を掘り出しに行った。土魔法と浄化の魔道具を合わせて使用すれば、魚を包んでいる葉の回りの土は完全に落とせる。何度も調理しているので、今回もふっくらと蒸されているのは葉に包んだままでも分かった。木の葉を開く瞬間が一番楽しいので、今回はユリに任せようと思いレンドルフはそのままコテージに運んだ。
コテージに戻ると、テラスの大きなテーブルの上には所狭しと料理が並んでいる。だが、見ると並んでいるのは二人分のカトラリーしか乗っていない。見るとコテージの建物の中にあるテーブルの方にも料理が並んでいる。
「あたしらは護衛は、雇い主と同じテーブルには付かないことにしてるんで。こんなご馳走食べさせてもらえるだけでも身に余る光栄っす」
「ご配慮、ありがとうございます」
「そう、ですか」
人数分あるものはそれぞれのテーブルに乗っているが、木の葉包みの蒸し焼きや塩包み焼きのような分け合うようなものはテラス側のテーブルに乗っているので、コテージの中の方は少々地味に見える。レンドルフもユリも別に同じテーブルで構わないとは伝えたのだが、それでも相手が辞退している以上尊重しなければならないだろう。レンドルフとしては、馬車の中で少しだけ聞いたサファイアの話がなかなか興味深かったので、サミーにも話を聞いてみたいと思っていたので、少々残念にも思えた。
レンドルフの気持ちが顔に出ていたのだろう。スープを取り分けようとレンドルフが鍋の脇に立っていると、空の皿を抱えたサファイアが隣に立って「あたしら仕事中は酒が飲めないんで、同席してると辛いんすよ」とこっそり耳打ちして来た。確かにテラスのテーブルの方にはユリが持参した付与付きワイングラスの隣に、昨日果樹園で購入したワインボトルがセッティングされている。
「それは気が付かなくて申し訳ない」
「これが終わったらいただいた料理の思い出を肴に、浴びる程飲みますよ」
小さな声で返したレンドルフに、サファイアは白い歯を見せて屈託なく笑ってみせた。
「これ、開いていいの?」
「うん、是非。開いた瞬間が一番香りが良いから」
ワクワクした様子でユリが料理を前にしている。ユリが目の前にしているのはモウチク焼きだ。外側が少し焦げてまだ熱を持っているので、布巾で上の部分を軽く押さえてそっと持ち上げた。開いた瞬間、ハーブのような植物の香りではあるが、それよりも控え目で柔らかい爽やかな香りが鼻をくすぐる。
「わあ…良い香り…」
「良かった、気に入ってもらえて」
「こっちも開いてもいい?冷めちゃうかな」
「好きにしていいよ。ユリさんが釣ったんだから」
「作ったのはレンさんじゃない」
「ユリさんが喜んでくれたなら嬉しいよ」
レンドルフのストレートな物言いに、ユリは少しだけ照れたように視線を手元に落とすと、木の葉包みの乗った皿を引き寄せた。そしてこちらもまだ温かい中身に触れないように、そっと端から葉を捲った。
「すごい!こんなに綺麗なままなの?」
木の葉を解くと中から黄金色の姿が現れ、ユリは思わず歓声を上げてた。金岩魚は熱を通すと魚体は茶褐色になってしまうのだが、こうして木の葉に包んで蒸し焼きにするとそのままの色が残るのだ。詳しい理由はレンドルフは知らないが、他の調理法ではこの色は残らない。初めてこの料理を出された時に、ここに連れて来てくれた恩師もこうやって包みを開けさせてくれた。その時の感動は今でも忘れられない。レンドルフはユリにもその思い出が自分と一緒に残ってくれればいいな、と密かに思っていたのだった。
塩包み焼きは固いので、外側だけレンドルフがナイフの柄で叩いてヒビを入れた。塩が染みすぎないように紙にも包んである。取り分ける為にナイフを入れると、ヒメマスのピンク色の身が美しかった。そこまで脂は乗っていないが、軽く焼いたキャベツを添えると皿の上に花が咲いたような色合いになる。
「「いただきます」」
レンドルフは真っ先に金岩魚の塩焼きをハフリと齧る。程良く焼き目の付いた褐色の皮は表面だけ落ち着いているかのように思えたが、中は十分熱いままだった。皮の間にたっぷりと乗った脂が唇を伝って垂れそうになって、慌ててペロリと舐め取る。ほっくりとした身には甘味があって、皮の塩がより甘さを引き立てている。金岩魚は淡水魚特有の癖が殆どなく、シンプルな塩焼きでも食べやすい。
「レンさん、これ、試してみて」
「これは…もしかしてソイ?」
「さすが!これをちょっとだけ掛けてみて。塩辛いからほんの少しね」
ユリが小さな瓶を差し出して来たので、それを受け取って蓋を開けて匂いを嗅いでみる。中は黒っぽい液体が入っていて、どこか覚えのある香りだった。少し考え込んで、以前にミキタの店で出してもらった揚げ鳥だと思い出した。あの時は肉に漬け込んであったのでどんなものかは分からなかったが、こんなに黒いソースだったのかとまじまじと眺めた。その時の揚げ鳥も美味しかったので、レンドルフは抵抗なくユリの言う通りに塩焼きのほんの少しだけ掛けてみる。一見真っ黒かと思ったが、白い身に少しだけ垂らすと茶褐色をしていたことが分かる。
「あ、すごいね。一気に味が複雑になる」
「このまえレンさん、ソイの味が好きって言ってたから、持って来てみたの。淡水ホタテに掛けてもすごく美味しいよ」
「それ美味しそうだね」
網焼きにして殻ごと焼いた淡水ホタテを殻から外して、火が通ってほんのり白くなっている身にソイを掛ける。海にいるホタテよりもあっさりした味の淡水ホタテは、塩よりも香りの要素の多いソイの方が合っているような気がした。口の中でほぐれて行く貝柱を噛み締めると、中から滲み出す旨味とソイが混ざり合って上質なスープを飲んでいるような感覚だった。
「俺はこの味好きだな」
「牛肉にも合うよ。赤ワインソースとかにちょっとだけ入れるの」
「ああ、それも良さそうだ。ユリさんの紹介してくれるものはどれも美味しいから食べ過ぎるな」
グラスに注いだ白ワインを一口飲むと、より風味が引き立つようだった。最適温度に調整してくれる付与付きのグラスはそこまで冷やしていなかったが、その分柔らかく広がる酒精が魚介の味をより膨らませるような印象だ。
「このモウチクの香りでニジマスが食べやすいのね。どっちかと言うと金岩魚よりも癖のある魚の方が合うのかも」
「それなら良かった。この作り方を教えてくれた人にも言われたんだ。モウチクの香りは匂いが強いとか癖のあるものと合わせた方がいいって」
「ああ、分かる気がする。臭み消しじゃなくて、上乗せして美味しくなる感じ」
嬉しそうに次々と自分の作った料理を平らげて行くユリの顔を見て、レンドルフは胸が熱くなるような気がしたのは、ワインのせいだけではないような気がしていた。
護衛二人も口に合っているかとチラリと横目で確認すると、サミーは美しい所作でありながらかなりの勢いで次々と皿を空にしていて、サファイアは「あー酒欲しい…」と呟きながら豪快に大口を開けて頬張っていた。
(今度、レシピ本とか買ってみようかな…)
こんなにも嬉しそうなユリの顔を見られるのなら、もっとレパトリーを増やしてみるのもいいかもしれない、とレンドルフは密かに考えていたのだった。
モウチク焼きは青竹焼きのイメージです。