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109.美味しいものに好かれる男


途中グリーンディアに遭遇したが、ほぼ予定通りにモタクオ湖に馬車は到着した。


モタクオ湖はカルデラ湖で、周囲が山の稜線と森に囲まれた場所にある。カルデラ湖としては国内で二番目に大きいと言われていて、昔は湖畔に神殿が建っていたらしい。しかし200年以上前に起きた地震によってモタクオ湖の底に沈んでしまったそうだ。長らく伝説と言われていたのだが、50年程前の日照りによって水量が減り、沈んだ神殿の一部が露出したことにより伝説ではなくて実在したのだと判明した。今はその神殿は引き上げられて、別の場所に復元されている。


「わああ!広い!」


馬車から降りる前に、窓から身を乗り出しそうな勢いでユリが外を見つめて歓声を上げた。


多少弱い魔獣が出没することもある場所だが観光地として貴族も訪れることが多いので、湖畔に建つ水上コテージや馬車留めなどがある周辺には魔獣避けの魔道具が施されている。ボートや釣り具の貸し出しや、コテージの管理の為に数件の家も建ち並んでいるので、完全な森の中というよりは寂れた田舎町といった風情だ。



「ユリさん、足元が少しぬかるんでるからまた抱えて降ろしても?」

「…ええと…はい、お願いします」


昨日の雨はこの付近でも随分降ったらしく、湖畔の周辺は全体的にぬかるんでいる。馬車を停める際に大きな水溜まりは避けてくれたが、レンドルフが先に地面に降りると、靴底の裏で少しグシャリとした感覚がした。ユリも湖畔を歩くことを想定したブーツを履いて来ているが、レンドルフが手を差し出して来たので、少しの間の後に頷いてその上に自分の手を重ねた。しっかりと安定していてまるで設置された手すりのようなレンドルフの手に少し力を入れると、差し出していない方の手をフワリと腰より少しだけ上の辺りに回されて馬車から数歩離れた場所に降ろされた。そこは土の上ではなく短く刈られた草の上だったので、足元がしっかりと安定していた。


「ありがとう…」

「どういたしまして」


早めに到着するように来たせいか、まだ馬車は他に停まっていなかった。もしかしたら昨日の雨のせいで、こちらに来る予定を変更した人もいたのかもしれない。


「この土の状態だと歩き回るよりは、コテージを拠点にした方がいいかな」

「じゃああたしが手続きしてきますよ」


レンドルフが周囲を見回して思ったよりも水溜まりが残っていたのでそう呟くと、サファイアが軽快に管理人の常駐している建物まで駆けて行った。

レンドルフもここに来るのは学園を卒業して以来数年ぶりだったが、あまり変わっていないようだった。はっきりとした言葉では言い表せない懐かしい匂いが、風の中に漂っている気がした。


「懐かしい?」

「そうだね。ここに来てたのはいつも夏だったんだけど、季節は違うけど同じ匂いがする」

「そうなんだあ」

「あの湖畔をずっと…ほら、向こう岸に背の高い木が見える?あの辺が隣の領との境なんだけど、あそこまで身体強化なしで全力で走らされて、またここまで戻って来るのを何往復もやったなあ」

「…それ、やっぱり合宿よね」


レンドルフが指し示した木はちょうど湖の反対側にあり、ここから行くと半周くらいになるだろう。身体強化を使えば何とかなりそうだが、それを禁じられていたとなると気が遠くなりそうだ。


「旦那!お嬢さん!一番奥のコテージが借りられましたよ!釣りをするなら一番おススメだそうっす」

「ありがとう」

「あのコテージの奥にも馬車留めがありますね。そこまで移動しましょう」

「ユリさんはどうしたい?良かったら少し湖畔を歩かない?」

「いいの?歩きたい!」


サファイアが手続きをしてくれたコテージは、数件立ち並ぶ場所から少し外れにポツンと建っていて、荷物などを持って運ぶよりは馬車で移動してしまった方がよさそうな距離だった。レンドルフはもう一度馬車に乗ろうとユリに顔を向けると、彼女はキラキラした目で水面を見つめていた。その様子に、レンドルフが散策を提案すると、ユリはすぐに顔を輝かせてコクコクと頷く。


「それじゃあ…」

「わたくしが先に行って荷をコテージに運び込んでおきます。サファイア、鍵を」

「はいよ。あたしはお二人の護衛ってことで少し離れて付いて行くんで、居ないもんと思ってやって下さいよ」

「よろしく頼むよ」


足場があまり良くないのでレンドルフがユリに手を差し伸べると、その小さな手をチョコンと乗せて来る。一瞬、先程の馬車の中で妙な雰囲気になってしまったことを思い出してしまったが、レンドルフは心を無にして考えないように努める。


「まだレイクブルーにはなってないのよね?」

「そうだね。この天気なら、昼前くらいには見られると思うよ。その頃にボートに乗ろうか」

「うん!楽しみ!」


湖の近くに行くと、少し風があるので岸には波が打ち寄せている。砂浜よりも少しだけ粗い砂利の湖畔を歩くと、靴の裏で石の触れ合う音が響く。レンドルフのゆったりとした大きな音の後に、ユリの細かく小さな音が並ぶ。普段は気にならない歩調の差が、やけに耳に残った。

湖の上を風が渡って湖上にさざ波を起こした。少し湿った水の匂いと、木と土の匂いが混じり、少しヒヤリとした空気が頬を撫でた。


「ユリさん、寒くない?」

「大丈夫。気持ちがいいくらい」


遠くでパシャリと音がして目を向けたが、波紋が広がっているだけで魚の姿は確認出来なかった。つま先が濡れないギリギリの波打ち際まで近寄ってユリが湖面を覗き込む。


「あ、あれ、淡水ホタテじゃない?」

「どれ?ああ、そうみたいだ」

「さすがに届かないわね」

「ここじゃなくても、コテージの方が穫りやすいよ。荷物の中に網も入れて来たんだし」


それでも少し残念そうに水の中を見つめるユリの横顔を、レンドルフは無意識に頬を緩ませて眺めていた。その視線に気付いたのか、ユリは少しだけ照れくさそうに顔の脇に落ちた髪を耳に掛けるようにして視線を逸らした。その仕草もよりレンドルフの笑みを誘うだけだった。彼は再びそっとユリに向かって手を差し伸べてごく自然に手を繋ぐと、並んでゆっくりと湖畔を歩き始めた。


その二人の様子を少し離れたところで気配を消しながら眺めていたサファイアは、「やっぱデートじゃん」と思いながら微笑ましい気持ちで見守っていたのだった。



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一日借りることにした水上コテージは、半分以上湖面にせり出した広いテラスのある作りで、そのテラスから釣りをすることも、湖を眺めながら食事を楽しんだりすることも出来るようになっていた。釣った魚をその場で食べることが出来るようにバーベキューも可能な簡易キッチンまである。宿泊することも可能で二階には寝室もあるが、今回は日帰りなので使う予定はない。


「ここから直接ボートの乗り降りも出来るみたいだな」


テラスの端に階段が付いていて、そこから湖面に降りられるようになっている。ここのボートを寄せれば出入り出来るようだ。


「レンさん!この真下に淡水ホタテがいる!」

「ああ、本当だ。ちょっと掬ってみる?」

「うん!」


テラスに付いている手すりの上から湖面を覗き込んだユリが、真下に淡水ホタテの白い姿を発見してはしゃいだ声を上げた。湖に刺さるテラスとコテージの柱に藻が生えているようで、それを食べに集まっているらしい。ざっと見ただけでも五つくらい白いものが見える。馬車から降ろしてコテージ内に運びんでもらった荷物の中から網を取りに行こうとすると、既に組み立てて柄を最大に伸ばした網をサミーから手渡された。


「ありがとう」

「いいえ」


見ると、サファイアが湖面に繋がる階段を降りて、バケツに水を汲んでいた。護衛というよりもお世話係のようなことまでしてもらっている。


ユリがやりたそうにしていたので網を渡すと、迷わず手すりの上から身を半分乗り出すようにしたのでレンドルフが慌てた。


「ユリさん!危ないよ」

「う…届かない…」


網は長いが、小柄なユリでは手を伸ばしても水面を僅かに掬うだけで、水中にいる淡水ホタテには届かない。今度はテラスに直接腹這いになるようにして手すりの下から顔を出そうと試みて、さすがにレンドルフに止められた。レンドルフ達が来る前にサミーがテラスにモップをかけて軽く掃除をしてくれたのだが、それでも寝そべる程までは綺麗になっていない。


「じゃあレンさんが私の足を持って逆さまにして水面近くまで降ろしてくれれば…」

「それは勘弁して欲しい」


不満そうに口を尖らせるユリだったが、いくら頼まれてもレンドルフには女性を逆さ吊りにする気はない。ボートに乗ってから掬わせるから、と宥めて、取り敢えず代わりにレンドルフが網を受け取る。今度はレンドルフが身を乗り出すようにして網を水面に深く突っ込む。それなりに距離があったが、片手で手すりを掴んで大分身を乗り出せばちょうどいい場所にいた淡水ホタテを二つ同時に網に入れることに成功した。


「すごいすごい!二個いっぺんに!」


思ったより重量があって網の柄がかなりしなったが、強引にそのまま持ち上げる。体を起こしてからスルスルと引き寄せ、ユリの前に差し出すようにするとパチパチと拍手をして嬉しそうに顔を輝かせた。

それから手が濡れるのも気にせずに網から掴み出すと、足下に置いてもらった水の入ったバケツの中にポチャリと入れた。殻はユリの片手を広げるよりも一回りは大きかった。身の方は開いてみないと分からないが、それなりに重さがあったので期待は出来そうだった。


「網焼きにしたらいいかしら」

「そうだね。昼に焼いて食べよう」


うっとりとした顔でバケツの中を眺めている表情は、まるで宝石でも鑑賞しているように見えなくもないが、実際視線の先にあるのはホタテである。


「そろそろボートで出ようか。太陽がいい位置になる」

「分かった」


空を見上げると、そろそろ太陽が湖に差し込む時刻が近くなっていた。雲が少し浮かんでいるがよく晴れているので、レイクブルーが起こるには絶好の機会だ。湖面が真っ青に変わる瞬間をユリにボートの上で見せてあげたいと、レンドルフはボートに誘った。そのまま釣りをしてもいいと、ユリが持って来てくれたひいおじい様秘蔵の魔動疑似餌を取り出したときは、その価値を知っているらしいサミーが一瞬息を呑むのが聞こえた。


ボートと餌以外の釣り道具一式を借りて、水を感知すると浮き具になる魔道具も首から下げる。少々値は張るが、レンドルフとユリが乗ることを考慮して、転覆を防ぐ付与魔法の掛かったものを選んだ。というより、貸しボートを扱う管理人が二人の体格差を見てその申込書しか出さなかったのもあるが。


「久しぶりだから、上手く漕げなくても目を瞑ってて」

「その時は私が漕ぐから安心して!」

「…一刻も早く思い出します」

「えー」


先にレンドルフが乗り込んで、ユリは彼の手を借りて身軽にヒョイと飛び乗るように着地する。軽いユリが飛び乗っても付与が掛かったボートはびくともしない。向かい合わせに座り込むと、レンドルフはオールを握りしめる。サファイアはコテージの方で荷物番と全体を見守る担当で、サミーは別のボートで共に漕ぎ出すことになった。

オールに力を込めて回すと、ボートがグイッと進む。思ったよりも体が覚えていたようで、比較的スムーズにスピードに乗ってあっという間に中央近くに到着する。


「すごい、完全に貸切ね」

「全然人が来ないとは思わなかったな」


冬場でも天気の良い日はレイクブルーを見にモタクオ湖に来る観光客がいるので、今の暑くもなく寒くもない季節にこんなに人が居ないのも珍しいだろう。幾度もここに来ているレンドルフも、こんなに人気のない状態は初めてだった。



サァ…と山の稜線から太陽の光が斜めに差し込み、一瞬にして目の前が輝くような鮮やかな青に染まった。元の湖面も深い青い色ではあったが、光が差し込んだ瞬間の青はもっと明るくて、湖全体が発光しているかのような感覚になる。そして風でさざめいて細かく揺れる波が反射して、金色の粉をまき散らしたかのようにキラキラと弾けていた。


視界一杯に広がる鮮やかな青と金に包まれて、ユリは息を呑んで声もなかった。目を見開いたまま、瞬きも忘れたように目の前の光景に見入っていた。レンドルフもこんなに最高の状態で色が変わる瞬間に立ち会うのは初めてのことで、ユリと同じように風景に見惚れる。



どれくらい無言で見入っていたのか、雲の塊が半分程太陽を遮って青の輝きが薄くなったので、ユリはようやくゆっくりと息を吐いて肩の力を抜いた。


「すごい…」

「うん、すごかったね」

「レンさん、連れて来てくれてありがとう」

「この場所を勧めてくれたのはユリさんだよ。こっちこそありがとう」


まだ余韻が残っているのか、ユリはうっとりとした様子でまた湖面に視線を向けた。雲の流れが早く、広い湖面に幾つもの影が落ちて様々な青色が湖面を彩っている。反射する金の光も、波の動きに合わせて寄せては返している。そっとレンドルフは湖面に見入っているユリの顔を見て、その深い緑色の瞳の中心にある金の虹彩が、湖面の反射を受けて鮮やかに光を帯びているのに思わず見蕩れた。


「あ!あそこ、魚が跳ねた!」


湖面を見つめていたユリは、遠くで何かの魚が跳ねたのを目敏く見つけて指を指した。


「レンさん、そろそろ釣りをしましょう!」

「うん、そうしよう」


もう一つの目的を思い出して、ユリはいそいそと箱に入った魔動疑似餌を取り出した。それを取り付けるべくレンドルフは釣り竿を準備しながら、もう少しだけユリの表情を見ていたかった、と内心こっそり残念に思っていたのだった。



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「わあ!さっきより大きい!」


ユリがリールを引いてかかった魚をボートの近くまで誘導して来たので、レンドルフが網を差し込んでザバリと掬い上げた。金色の魚体が網の中でピチピチと跳ねている。30センチは越える大きさで、力強い動きで逃れようと最後の足掻きをしていた。ユリはサッと釣り竿を脇に置いて、レンドルフが持ち上げてくれている網の中に躊躇いなく手を入れて、魚の上顎にガッチリと刺さっている針を外そうと頭を掴んだ。しっかり刺さっていたので少し手間取ったが、どうにか外すのを確認してから、レンドルフがボートからロープに繋いで浮かせてあるスカリを手繰り寄せてその中に魚を放す。


「すごいね、ユリさん。これで五匹目だ」


スカリの中を覗き込んで、金色の魚体が三匹と、赤紫色の魚体が二匹泳いでいるのを確認する。そしてその魚と一緒に、レンドルフの片手程もある大きな黒っぽい色の貝が三つ底に沈んでいる。


「何で俺は貝しか釣れないんだろう…」

「ま、まあ貝も美味しいから…」


釣りを開始してから、ユリは立て続けに五匹釣り上げていた。が、何故かレンドルフは貝を釣り上げていたのだ。レンドルフが釣り上げたのは、通称お化けシジミと呼ばれる魔貝の一種だ。食用可能で、砂抜きの手間はかかるがバター焼きや酒蒸し、スープなどに入れると美味しい食材だ。美味しいのはいいことだが、それでも魚を釣りに来て貝ばかり釣り上げるのはやはり少々悔しい。


「あ、何か掛かってる」

「ホント?今度こそ魚?」

「……いや、多分これも貝だ」


竿を持ち上げると重たい手応えがしたのでリールを巻いたのだが、何か掛かっている感触はあるが動く様子がない。魚ならばもっと動き回るだろう。カリカリとリールを巻き上げて行くと、何か白っぽい影が見えた。


「……淡水ホタテって、藻を食べるんじゃなかったっけ?」

「その筈、だけど」


ボートの側に来たものを今度はユリが網で掬い上げると、中には大きな淡水ホタテが入っていた。狙いは金岩魚なのでそれが好む虫を模した形になっている魔動疑似餌に、何故かガッチリと淡水ホタテが食らいついている。普通ならあり得ないくらい貝に好かれているらしいレンドルフは、この後も貝を釣り上げては「解せない」と首を傾げていた。



結果的に釣果は、金岩魚が五匹、ニジマスが二匹、ヒメマスが四匹という上々の内容で、うちレンドルフが釣り上げた魚は金岩魚一匹だけだった。その分お化けシジミは六個、淡水ホタテを二個釣り上げ、ある意味貝はレンドルフ一人が大漁ということになったのだった。


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