108.正しきヒロイン仕草
2/27 サミーは自分の出自を知らないことになっていましたが、知っていることに変更しました。大筋の流れは特に変わっていません。
グリーンディアの角は、長さも幅も中途半端に場所を取るので、仕方なく馬車の座席の間に斜めに立てかけられるように置かれていた。そうするとサファイアの座れる場所がないので、彼女は外の馭者台に移った。最初はレンドルフが馭者台に移ろうと提案したのだが、さすがに護衛対象を危険な外に座らせる訳にはいかないと断られてしまった。
躊躇うレンドルフに、ユリから「あと30分くらいで到着するみたいだから大丈夫」と言われてしまったので、仕方なく暫しの間レンドルフはユリと二人で馬車に乗ることになった。
ゆっくりと馬車が走り出すと、レンドルフは意識しないようにと思うのだが却って意識してしまって、ユリの方を見ないように窓の外に目を向けた。
「レンさん」
少しすると、ユリが妙に真剣な顔で声を潜めて話し掛けて来た。そして手の仕草だけで、窓を閉めるように促して来る。ただでさえ密室にならないように気を付けなければならないのに、ユリからそんな行動を取られたことでレンドルフは一瞬固まってしまった。しかしユリの表情は真剣なもので、何か外に聞かれたくない話をするのかと察して外には気付かれないようそっと窓を閉めた。
それでもレンドルフは妙に意識してしまうのかいつもよりも鼓動が早くなっているような気がして、大して意味はないが背もたれに強く体を押し付けて少しでも向かいのユリと距離を取ろうとした。
「サミーさんがもし魔法を使うような場面があったら気を付けてね」
「サミーさんが?」
「ちゃんとした商団の護衛だし問題はないと思うけど、かなり珍しい魔法の使い手みたいだから、万一のことだけは用心してて」
「珍しい魔法の使い手って…」
「上位の闇魔法か、毒魔法の使い手だと思う」
「それは…国に所属してない使い手なら要注意だな」
闇魔法も毒魔法も、使い手が少ないだけでなく危険な魔法が多い為に、大抵の者は国に所属する魔法士として雇われることが多い。闇魔法は精神系に作用する魔法が多く、毒魔法はその名の通り魔力から毒を精製可能なので、どちらも暗殺などに利用されたら危険極まりない。そういった危険を避ける為に、魔力が少ない人間でも高待遇で国に囲われることが一般的なのだ。そうは言っても当人が敢えて見つからないように隠れてしまえば国でも把握し切れないし、強引に囲い込もうとして却って反発心を抱かせないとも限らないのでデリケートな問題ではあった。
「でもよく分かったね。あのグリーンディアの屍骸から?」
「うん。胸の辺りに小さな穴があって、そこから血じゃなくて魔石が溶けて少しだけ流れてた」
「魔石を溶かす、か。確かにどちらかの魔法の使い手の可能性が高いな」
魔獣の魔力と生命の核と言われる魔石は、どんなに小さな魔獣でも非常に固くて頑丈だ。強化を掛けた剣などで刺したり、強力な攻撃魔法などで傷を付けることは出来なくもないが、それを狙うよりも首を落としてしまった方が確実で手っ取り早い。しかし例外的に上位の闇魔法か毒魔法が魔石を溶かしたり砕いたりすることが可能なのだ。魔石を失った魔獣は即死するので一見使い勝手が良さそうに思えるが、実際は魔石自体が高価な素材であるので歓迎されない手段だ。
「魔道具を使用したって言ってたけど、どっちも魔法も当人の魔力登録をして都度充填しないと使えない筈だし、闇魔法の使い手なら魔道具で魔石を溶かせるほどの出力は出せない設定になってると思う。だから毒魔法の可能性がたかそうかな、と思うんだけど」
「魔道具を使ってるってサミーさんが言っただけで、実際は使っていないかもしれない」
「ああ、それもそうね」
「あの人、かなり魔力が高いよ」
危険度の高い魔法を行使する魔道具は、使用者の魔力を登録していて当人以外は使用出来ない設定になっているし、それでも危険な上位魔法は使用不可になっている。もし上位魔法を使うのならば、当人が魔道具の補助もなく行使出来る程の魔力を持っていなければならない。
レンドルフは先程チラリと見えたサミーの瞳が薄紫をしていたことをユリに告げた。王族の血縁に出るその色を有していると厄介ごとを引き寄せかねないので、平民は別の色にすることが殆どだ。それを変えないというのは、王族の一員として認められているか、魔力が強過ぎて別の色に変える魔法を受け付けなかった場合くらいだ。
「信頼はしてもいいとは思うけど、一応気に留めておくよ」
「もし魔獣との戦いになった場合は距離を取ってね。レンさん今日は護衛対象なのに先頭に立ちそうだから」
「気を付けます」
ユリに指摘されてあり得そうだとレンドルフは苦笑する。そして半分無意識的に常に左耳に付けているイヤーカフに手をやった。
「…どうしたの?」
「ん…何か違和感。ちょっと熱いような…?」
そう言いながらレンドルフは自分の耳とイヤーカフに指を這わせる。その動きに釣られてユリも視線を向けると、レンドルフの耳がいつもより赤くなっていて、その周辺の目尻の辺りもいつの間にかほんのりと紅潮していた。更に耳の下の首筋は少しだけ汗ばんでいるのか、妙にしっとりとした質感で光を反射している。違和感のせいかしきりに指でその辺りを撫でているのだが、それが妙に艶かしく、何だか見てはいけないような印象を与える。
「ちょっ、ちょっと待って!」
「付け直すだけだよ…?」
レンドルフはイヤーカフを外そうと指で摘もうとしたので、ユリは慌ててそれを制する。以前にレンドルフはイヤーカフには防毒やその他の防御の付与が掛けられていると言っていた。おそらく精製してない素材のままなので、魔道具が毒や媚薬として完全に無効化する判定をしていないのだろう。レンドルフは至近距離で漏れ出すグリーンディアの角の残留魔力や香りに影響を受けているのだろうが、それに気付かずに外したらもっと影響を受けてしまう。
直接触れていなくてもこれだけ影響を受けているということは、おそらくレンドルフはグリーンディアの薬効にそもそもの耐性がない。ここで装身具を外したとしてもレンドルフがユリに何かするような真似はしないと信用はしているが、彼の名誉を損なうようなことは避けねばならないとユリは必死に止めていた。
「あ、あの!この角の薬効で血行促進があるから、その影響を受けてるんだと思うの!だから窓開けよう!」
「ああ、それで暑く感じたんだ」
「ゴメンね!閉めちゃって」
二人が同時に窓を開けようと手を伸ばしたので、その手が重なってしまう。
「あれ…?ユリさん、手が熱くない?」
いつもは体温の高いレンドルフに比べてユリの手は少しだけひんやりしているのだが、少しだけ触れた彼女の指先はやけに熱く感じられて、思わずレンドルフは彼女の手を取ってしまった。ユリの妙に熱い体温が珍しく冷えている自分の指先から流れ込んで来るようで、頭の芯が沸き立つような感覚にクラリと目眩を覚える。普段ならばこんな狭い閉じられた空間で女性の手を取るようなことはレンドルフにはあり得ないことなのだが、それすら疑問に思えなかった。
「わ、私も血行が良くなってるのかも。取り敢えず、窓を開けよう!」
「うん…」
ユリの言葉は聞こえている筈なのに、レンドルフはその手を放せないまま自分の顔に近付けていた。その熱にもっと触れたい、という思いが頭をよぎる。が、ユリの手が顔に触れる寸前、レンドルフはハッと我に返って手を放して、ガバリと窓を開けた。
窓からスッと冷たい風が入って来て、それと同時にレンドルフの頭も冷えたような気分になった。しかし、今度は密室でユリの手を取って顔に近付けようとしていたことに思い当たって、折角冷えた頭がカッと熱くなる。
「ご、ごめん!その…ええと…」
自分でも何故そんなことをしたのか分からなかったし、何を言ってもユリの手を握ってしまった事実は変わらない。
「あー、大丈夫。レンさんは珍しく手が熱かったから心配してくれたんだよね?ほら、もう大丈夫だから」
「いや、その…」
「平気、平気。ほら、ね?」
「あ…えと…うん」
ユリはレンドルフがグリーンディアの薬効のせいでのぼせたような状態になったのだと分かっているので、いつもより手を熱く感じたのを心配してもらった態で話を持って行こうとしていた。それでも根が真面目なレンドルフはなかなかそちらに乗ってくれないので、ユリは膝の上でギュッと握りしめた彼の手の上に軽く自分の手を重ねた。窓を開けて空気を入れ替えたことで影響は薄れたのか、いつものようにレンドルフの手は熱く、ユリの手はひんやりとしていた。
ユリが手を重ねると、一瞬ビクリとレンドルフの肩が跳ねて、耳を赤くしたまま俯いてしまった。余程さっきのことを失態だと思っているのか、レンドルフの目が心なしか潤んでいるようにも見える。
(何か、逆にこっちが悪いコトしてるような気分なんですけど…?)
シチュエーションとしては、二人きりで手を重ねられて真っ赤になって涙目で俯くのは可憐な乙女の役割のような気がして、ユリは少々納得行かないような気分にさせられていたのだった。
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後方の馬車の窓がそっと閉じられたのを確認して、サファイアはニヤニヤと笑みを堪えられていなかった。
「そういう顔、あちらさんの前ではするなよ」
「する訳ないだろ。あたしだってそこら辺は弁えてるよ」
「どうだかな」
馭者を務めているサミーは、普段から眇めているのですっかりクセになっている細い目をチラリと隣のサファイアに向けた。レンドルフ達の前では丁寧な物腰だったが、長い付き合いのサファイアだけしかいないので態度を崩している。
「今頃、俺には油断するな、とか何とか、あのお嬢ちゃんが忠告でもしてるんだろうさ」
「ええ〜そーかなー。あのレンの旦那が奥手だから、いいモン手に入れたついでに勢い付けさせてイイ仲に持ち込もうとしてんじゃないの?」
「お前は考えが下世話なんだよ」
溜息を吐きながらサミーは懐を探って、目当ての物がなかったことに気付いて軽く舌打ちをして、行き場を失った手でガシガシを頭を掻いた。
「お貴族様のお忍びデートの護衛だからって置いて来させられたんだろ。ヤダねえ、これだから年寄りは忘れっぽくて」
「お前と俺じゃ大差ねえだろ」
「大差はなくてもあたしの方が若いもんね〜」
「…っ」
サミーは再び舌打ちをすると、ポケットに入れていた飴を取り出して口に放り込んだ。そして味わう間もなくゴリゴリと噛み砕く。
サミーは普段はかなりの愛煙家だ。しかし今回は貴族のお忍びの同行護衛ということで、出発前に商団所属の担当事務員から体中のポケットを引っくり返されて隠し持っていたとっておきの一本まで取り上げられて、代わりに飴を詰め込まれたのだ。更に念入りにビショビショになるまで消臭剤を浴びせられていたので、初対面ならばサミーが喫煙者ということには気付かないだろう。
本来はサミーは重労働も伴う定期船の護衛を務めている。条件はキツいが、煙草が自由に吸えるというのが彼がその仕事を選ぶ理由だった。しかし、海上が荒れやすい季節な上に他国の大型船が難破して航路を塞いだ為に、今は定期船が休業状態なのだ。
予想以上に休業が長かった為に少々懐が寂しくなって来たので、短期で実入りの良い仕事を頼んだところ、今回の護衛が話が回って来たのだ。煙草は吸えないが、一日だけだし給金も悪くなかったので引き受けたのだが、予想しなかった方向で意外と厄介だったかもしれない、とサミーは思い始めていた。
サミーが聞いたのは、商団の高額出資者の家門の一つでいつもは最新の護衛付き小型馬車を定期契約をしているのだが、一日だけ大型馬車と女性護衛一名以上という希望を出して来た、というものだった。その女性護衛に顔馴染みのサファイアが決まっていたので、体が空いているならサミーが最適だと推薦してくれたのだった。チラリと話を聞いたところでは、定期契約の馬車を利用しているのは貴族女性で、行き先や迎えの場所が突然変更になることはあるが、人柄は問題がないという話だった。
サミーはどんなに高圧的な貴族でも、一日だけだし金貨だと思えばいくらでも我慢出来ると請け負ったのだが、実際に顔を合わせてみると平民の自分にも物腰は丁寧で思った以上に好印象な護衛対象だった。どう見ても貴族のお忍びだし、目的地がモタクオ湖ということで婚約者か恋人同士のデートだろうと思い、これは楽そうな仕事だな、と内心ニヤ付いていた。
立ち居振る舞いや持って来ていた武器などを見て、男の方は貴族ではあるが本業は騎士だろうとすぐに察したが、積み込んだ荷物を確認した時点で貴族のお忍びにしては奇妙だと思った。品揃えがどちらかと言うと冒険者が準備する物に近い気がしたのだ。そこでもしかして貴族のお忍びデートではないのでは?と思い始めたが、そこは詮索をしないでおくことにした。
「あのお嬢ちゃん、俺の使う魔法に気付いてたぞ」
「マジか!?まあ平然と魔獣の屍骸に近付いてたし、そういや風の攻撃魔法も手慣れてたな」
「男の方も魔獣の処理の仕方も知ってたしな。貴族の割には妙に魔獣に慣れてる。ついでにヤツは俺の目の色にも気付いたみたいだな」
「おー、完全に警戒対象じゃん、アンタ」
明らかに他人事なので気楽な様子のサファイアに、サミーは苦虫を噛み潰したような表情になった。
サミーの持つ薄紫の目の色は王族の血を引く証と言われているが、ほぼ他人と言ってもいいくらい薄い血でも出る場合があるので、却って面倒なくらいだ。その色が出てしまった大抵の者は魔法で恒久的に色を変えてもらうのだが、サミーの場合は生まれ持った魔力量が多過ぎて、変えられるだけの魔力を持った魔法士がいなかった為にそのままになっているのだ。
サミーは今更自分の出自を主張する気はないし、それを利用しようとも思っていない。ただ魔力量が豊富で王族の血を引いていると、これを切っ掛けに国に報告されたら厄介だと思っていた。
「でもなあ、さっきまで馬車ん中で一緒にいたけど、どう見てもお貴族様が清く正しくお付き合いしてる典型みたいな感じだったんだよなあ。あんまりにも甘酸っぱくて、微笑ましくてさあ」
サファイアはカラカラと笑って、サミーの上着のポケットから勝手に入っていた飴を取り出して、ポイ、と口に入れた。
不意に背後で、バン!と音がしたのでサファイアが振り返ると、先程まで閉まっていた窓が開いていた。一瞬だけ窓枠から中に引っ込められる大きな手が見えた。一度閉めた窓を強引に開け放ったのがどっちだったかは一目瞭然だ。
「おやまあ。お嬢さんの作戦は上手く行かなかったみたいだね」
言葉は残念そうだが、口調は楽し気なサファイアが軽く喉の奥で笑う。
「要注意人物の情報共有するには十分な時間だ」
隣にいるサファイアに聞こえるか聞こえないかくらいの低い声でサミーは呟くと、新しい飴を口の中に入れると、再びガリリと噛み砕いたのだった。