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106.甘酸っぱい味、ほろ苦い味


レンドルフに抱きかかえられたまま木からダイレクトにブドウを丸かぶりしている豪快なミアに、母親はオロオロとどうにかしようとしているがミアがブドウから手を放す気配がなかった。そして容赦なくブドウの汁が垂れて来るので、上着とシャツを越えてレンドルフの肩がだんだん冷たくなって来た。


「ユリさん」

「だ、大丈夫?」

「ちょっとユリさんを抱きかかえるから、この子が食べてるブドウの枝、切ってくれないかな」

「え?あ、分かった。……すみません、ちょっとこれを」


ユリはレンドルフの言いたいことを理解して、側にいたミアの母親に抱えていたブドウを手渡した。


ユリはレンドルフの肩に手を掛けて、伸ばした右腕に飛び乗るように座った。レンドルフとのタイミングも合って、器用にも左腕にブドウを齧っているミアを抱えたまま右腕でユリを掬い上げたような格好になった。いくらレンドルフが鍛えているといっても、少し前屈みになった状態で両手に人を抱えている体勢では大分キツいだろう。ユリはレンドルフの頭を挟む形で向う側にいるブドウを無心で食べているミアの愛くるしさをもう少し堪能していたかったが、急いでポーチからハサミを取り出す。


「レンさん、少し動かないでね」


ユリはレンドルフの頭に手を回して向う側の頭上にある、ミアの齧っているブドウの木に繋がっている根元をパチリと切り落した。おかげでレンドルフをその場に縛り付けていた部分が無くなったので、そのままゆっくりと膝を付くようにしゃがみ込んだ。ミアは高さが変わったことも気にせず、ご機嫌にブドウを抱え込んで食べ続けていた。



ミアの母親はそれこそ真っ青通り越して真っ白になった顔でひたすらレンドルフに謝罪を繰り返していたが、借りている浄化の魔道具で紫色にベタベタになった顔と服を綺麗にしてレンドルフが丁寧に宥めると、ようやく少しだけ顔色が戻って来た。


「本当に何とお礼とお詫びと申し上げたらいいか…」

「俺から申し出たんですから、大丈夫ですよ」

「あい!」

「あんたはもう!……失礼しました」


分かっているのかいないのか、丁度良いタイミングで元気に返事をしたミアに、思わずレンドルフの頬が緩む。もう十分食べて満足したのか、ブドウを齧るのは止めてはいたがしっかりと大切そうに抱え込んでいる。レンドルフは膝を付いてもまだ目線の下になるミアに向かって微笑みかけた。


「美味しかった?」

「ん!」

「そうか、良かったね」

「ん!」


不意にミアは手にしていたブドウを一粒掴むと、房から毟り取って勢いよくレンドルフの口に差し出した。差し出すというよりはほぼ押し付けに近かったが、何やら強い意志を感じさせる表情で真っ直ぐ見つめ返して来る。かなり言葉になっていなかったが「くれるの?」とレンドルフが聞くと、ミアは勢いよく頷いた。その隣で母親が再び声にならない声で悲鳴を上げていた。

レンドルフがパカリと口を開くと、ミアは開いた口よりも大きそうなブドウをグイと押込んで来た。それでも無事にブドウはレンドルフの口の中に収まって、口をモグモグさせながらどうにか「ありがとう」と伝えると、ミアは満面の笑顔でニンマリと返して来た。やはり熊系獣人の特徴なのか、短いがしっかりと尖った牙がチラリと覗いた。



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何度も何度も頭を下げながら去って行く母親を見送って、ユリと二人になると急に静かになったように感じた。


「可愛かったわね」

「うん。父親は熊系獣人なのかな」

「あの尻尾の感じだとそうじゃない?レンさんをお父さんと間違えるなら、きっと体の大きな人ね」

「ふふっ。俺にも熊要素があったんだな」


レンドルフの父親は「辺境の赤熊」と呼ばれる程、大きな体に赤い髪に赤い体毛で、獣人の血は引いていないのに獣人から一目置かれる程の赤熊っぷりだ。そして兄二人も、父が分裂して殖えたと言われるくらいに熊成分が濃い。更に兄の子達もほぼ全員熊の眷属状態である。近しい身内で熊の呪いに掛かっていないのは、レンドルフと次兄のところの娘だけと言われていたのだ。

そんな熊要素がないと言われていたレンドルフが熊獣人に間違われるのは、少々くすぐったいような嬉しさがあった。


何気なくレンドルフが口元に手をやると、先程詰め込まれたブドウの汁なのか、少しベタついた感触を指先に感じた。


「あー…えっと、ちょっと顔洗って来ていいかな?」

「うん。じゃあ…そこのベンチで待ってるね」

「すぐ戻るよ。何だったら先にそれ食べてて」


レンドルフはブドウ棚の下を頭を下げて小走りに水場に向かって行った。その後ろ姿を見送ってから、ユリは近くのベンチに向かった。


ベンチに腰を降ろして、ユリは房の上の方の小さめな粒を一つ摘んだ。小さいといっても一口で食べるには少々躊躇う大きさである。少しだけそれを見つめて考え込んでいたが、ユリはカプリと半分程齧り付いた。たっぷりの汁気を零さないように半ば吸い込みながらツルリと口に入れて咀嚼する。噛めば噛む程濃厚な果汁が溢れて来るようで、喉がヒリつくような甘味が滑り落ちて行く。


「……先越されたなあ…」


最初の一口を飲み込んで、まだ指先に残っている半分を食べる前にユリはポツリと呟いた。そして吸い込まれるように残りも口の中に消えて行った。



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洗面所で顔を洗いながら、レンドルフはひたすら心の中で「平常心平常心」と呟いていた。心の中だけでなく少し声に出ていたかもしれないが、当人にその自覚はない。なにせ「平常心」と言えば言う程そこから遠ざかっているのだ。


「何であの体勢にしちゃったかなあ…」


ハンカチで顔を拭いて鏡を覗き込んだが、冷たい水で洗ったからか別の理由からか、明らかに顔が赤い。


先程ユリを抱えて反対側の頭上のブドウの枝を切ってもらったのだが、位置的にレンドルフの頭を挟んで抱え込むように手を伸ばさないと届かなかったので、ユリがレンドルフの頭に抱きつくような格好になった。それはもう思い切り。

今更ながら、背中から踏み台になってもらうとか、もう少しミアに寄ってもらってから頼めば良かったのだと思い当たってももう後の祭りである。


再びレンドルフは「平常心」と呟きながら洗面所を出てユリが待っているベンチへ向かって行ったのだった。



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系統の違う味のものをもう一種類追加して食べ比べようと、「ブドウの女王」と呼ばれる美しい翡翠色の品種を一房切り取る。「ブドウの王様」よりも粒が小さいが、光に翳すと透けて見えるような透明感と食べる前から漂う爽やかな香りが上品で、その名の通りの印象だった。


「これは綺麗な色だね」

「ちょっと固めの果肉で水分も少なめだからか、甘さがあっさりして香りがいいの。これで作ったワインも美味しいよ」


先程ミアに食べさせてもらったので、レンドルフは翡翠色の方の粒を一つ摘み穫る。黒い方とは手応えだけで全く違うのがすぐに分かる。香りが強いのが特徴なだけに、もう口に入れる前からはっきりとした香りが鼻をくすぐる。

噛み締めると、しっかりとした皮で少し力がいるが、シャキシャキとした歯応えが新鮮だった。酸味と甘味のバランスが良く、あっさりしているので飲み込んでしまうと口の中からすぐに味が消えてしまう。その分香りが静かな余韻を残すような感じだった。


「どっちが好き?」

「ううん…どっちも美味しいな…」

「私はこっちの『女王』の方が好き。『王様』の方はちょっと私には甘すぎるかな」

「ユリさんはそうかもね。俺は…やっぱりどっちも美味しいな」


それぞれの房のブドウの三分の二はレンドルフが食べて、二人で綺麗に食べ尽くした。


「イチゴエリアに行く前にカフェに行ってみない?ちょっと味覚を変えたいんだけど」

「うん、そうだね。今ならそんなに混んでないかな」


入口のある建物の脇にカフェが併設されていて、果物に飽きた人向けの塩味のメニューと、果樹園で取れた新鮮な果物をふんだんに使ったケーキが用意されている。

二人が入った時はランチタイムを過ぎていたので、まだ半分以上は埋まっていたがすぐに席に案内された。運良く外に向かっている大きな窓際の席で、手入れされた芝生が広がり遠くに個性的な建物が見える。確かあれは美術館だった筈だ。


「あの美術館もいつかは行ってみたいのよね」

「もし、休みが合うなら付き合うよ」

「ホント?じゃあ他にも博物館も温室も付き合ってくれる?」

「勿論。ユリさんなら温室優先じゃないの?」

「どこも同じくらい気になるの」


そんな話をしていると、注文したサンドイッチが運ばれて来た。ユリはハムとレタスのサンドイッチにコンソメスープが付いた軽めのもので、レンドルフはグリルチキンにスライスオニオンとレタス、キャロットラペがたっぷり挟まったものに、小さなビーフシチューが添えられていた。いくら甘いものが好きなレンドルフも、これからイチゴを食べに行くので甘い物は注文しなかった。


「イチゴは常時五種類はあるみたいよ」

「そうなんだ。食べ比べたことがないから楽しみだな」

「今は…このパンフレットの丸が付いてる品種があるみたいよ」


テーブルの上に置いてあった園内紹介のパンフレットを広げると、一面に色も形も違うイチゴの絵と、その中に幾つか丸が付けられたものがある。その丸の付いた中に、白い色をしたものが一際目を引いた。


「これもイチゴなんだ。形は確かにイチゴだけど」

「割と最近増えて来た品種よ。でも比較的珍しいからもしかしたら今日の分は無くなってるかも」

「あったら幸運だってことだね。それでも他のもあるし、楽しみなのは変わりないよ」


レンドルフは分厚いチキンが挟まったサンドイッチを頬張る。大きな手でしっかりと押さえているので、多少多めに色々挟まっていても零すことなく綺麗に口の中に入って行く。少しだけ口の端に付いてしまったドレッシングをペロリと舐めとるが、そんな仕草でもあまり行儀が悪く見えないのは顔立ちのせいだろうか、とユリはレンドルフの食べっぷりを見ながらそんなことを考えていた。


「もしなかったら帰りにお土産に買って行こうかな。あと、ワインも欲しいし」

「さっきの『女王』の?」

「うん。あれくらいならそんなに甘くないと思うし。他にも何が良さそうなのがあれば」

「俺も何か果物買って帰ろうかな」

「ふふ…こういうとこって、来るとつい色々買いたくなっちゃう」

「ああ、分かるな。それが狙いなんだろうけど、つい、ね」


クスクスと笑いながらゆったりと食事を楽しむ。採取などをしながらもそういう時間はあったが、やはり完全に安全な場所で過ごすというのは気持ちの感覚が違っていた。


「あ、少し晴れて来たわ」


窓の外に目をやると、雨は止んで雲の切れ間から薄く日が射していた。眩しい程ではないが、雨上がりの濡れた芝生の上にキラキラした光が踊っている。まだ空は灰色ではあったが大分薄くなっているのでもう雨は降らないかもしれない。


「明日は晴れるといいな」

「そうね。折角モタクオ湖まで行くんだものね。どうせならボートにも乗りたいし」

「雨だったら水上コテージを借りればいいと思うよ。湖面の上に半分せり出してるみたいに建てられてるから、建物の中にいて釣りが出来るんだ」

「レンさん詳しいね。前に行ったことあったの?」

「学生だった頃、長期休暇の時に毎年モタクオ湖に旅行に連れて行ってもらったんだ。ええと…両親の友人で、ほぼ親戚みたいな人達っていうのかな。家族みたいに扱ってもらって、王都の両親、みたいな感じ」


余程のことがない限り辺境領を離れないレンドルフの両親に代わって、王都の学園にいる時に色々と世話をしてくれたのだ。レンドルフだけでなく、兄二人も家族ぐるみで世話になっていた。


「今はもう引退したけど当時のご当主がすごく身体強化魔法に長けた方でね。属性魔法は使えないんだけど、生活魔法と身体強化だけで大抵のことを出来る人だったんだ。その休暇中に色々手ほどきを受けたよ……大変だったけどね」

「それ、旅行じゃなくて合宿とか言わない…?」

「そうかも。でも大変だった分、今はありがたいと思ってるよ。ほら、身体強化で索敵魔法に近いことが出来たり」

「ああ、あの気配を察知する。そういえばレンさんかなり遠くまで魔獣の数とか見えるものね。それを教わったの?」

「うん。あと、手にした武器ごと強化を掛けるのとか。父も出来るんだけど、父の教え方は感覚的過ぎて…だから教えてもらえてすごく助かってるんだ」


レンドルフの父と同級生で騎士団長まで務めた人で、レンドルフに取っては恩師、師匠と言ってもいい相手だった。体が大きくて対人戦が苦手としているところまでよく似ていて、彼が長年掛けて培ったその対処方法や技術をレンドルフに惜しみなく伝授してくれたのだ。レンドルフの王城の騎士団に勤める為の心構えの礎を作れたのは彼のおかげだろう。


「ああ、それとモタクオ湖で取れた獲物の捌き方も教わってるから、明日金岩魚が釣れたら俺が調理するよ。とっておきの美味しい食べ方があるんだ」

「それじゃ何が何でも釣らなくちゃね」

「うん。楽しみにしてて」


雲の切れ目から漏れた光がサア…とちょうど座っていた席にまで差し込んで、レンドルフの顔に当たった。少しだけ眩し気に目を細めたレンドルフだったが、そのヘーゼル色の瞳は優し気な色を湛えたままユリを見つめていた。



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食事を終えてイチゴエリアに入ると、途端にイチゴの甘い香りに包まれた。エリアの中には幾つもの温室がありまだロビーのようなところなのに、まるでもうイチゴに囲まれているような感覚になる。ここには台が置いてあって、小さな紙のカップと瓶が数本置いてあった。


「あれは?」

「コンデンスミルクよ。あのカップに入れて、イチゴに付けて食べるの。私はそのままの方が好きだからいいけど、レンさんはどうする?」

「俺もまずそのままで食べるよ」

「じゃあまずアレを確認しに行く?」

「ああ、白いのだね。うん、行こう」


温室は幾つもあって、その一つ一つに違う品種のものが育てられていて、食べ頃になった温室を開放して入れるようになっているシステムなようだ。入れる温室は、品種名の書かれた看板を入口に吊り下げているのですぐに分かる。


「あ、あれみたいだ。『真珠姫』って書いてある」

「綺麗な名前ね」


中に入ると、思ったより中にいる人は少なかった。もしかしたらもう無くなってしまったのかと思って、畝の間を覗き込む。一見すると無くなってしまったかのように見えたが、よく見ると葉の陰などに幾つか白い実が見えた。運良くまだ残っていたようだった。


「良かった!まだ残ってたね」


葉を捲って、そっとイチゴのヘタから繋がっている部分を指の間に挟み込んで下に引く。手元でプチリと切れる感覚がして、コロリと手の上に白くて丸い実が転がる。白と言っても、純白ではなくほんのりごく淡いピンク色といった印象だ。


「何だか可愛いな」

「だから『姫』なのかしらね」


二人でじっくりを眺めた後、同時に口の中に入れた。それほど大きくないので、ユリでも一口でパクリと食べてしまう。

柔らかい果肉に、味も香りも柔らかな優しい印象の実だった。


「もっと甘くないのかと思ってた」

「私も。でもちゃんと甘いし、優しい味」


レンドルフとユリは、「真珠姫」は大分数が少ないこともあったのでここでは一つずつだけにして、他の温室に移動することにした。その後、どれが一番好きかを決めようと食べ比べながら温室を三周も回った為、レンドルフはともかくユリは食べ過ぎてしまい、しばらく動けなくなっていたのだった。



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後日談


ミアの父親は漁師で、船を降りて愛しい家族のところに帰宅すると、食卓には大好物のブドウを用意してくれていた。

感極まっていつものように愛娘に頬擦りすると「ヤッ!」と拒否されてしまった。ショックで倒れそうになるのを堪えて、ミアにじっくりと話を聞き出したところ「パパよりもブドウが一番好き(意訳)」ということが分かり、彼は愛らしいミアの寝顔を眺めながら半泣きの顔でブドウを摘んでいたらしい。


ミアの母親は、娘は「ブドウを取ってくれた騎士様のお嫁さんになる」と言っているのだと正確に理解していたが、娘を溺愛している夫が号泣して寝込んでしまいかねないので事実にはそっと蓋をした。世の中には知らない方がいいことも沢山あるのだ。


ミアの父親はこの世の終わりのような顔をしながら「そうか…オレはブドウより地位が低いのか…」と豊かな毛並みをペショリとさせながらブドウを食べ続けていたのだった。


ユリは背は小さいけれどダイナマイトなボディなので、頭に抱きつかれるというとこは、埋まったり挟まったりあれやこれや(レンドルフが)大変な事態になっておりました(笑)

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