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104.リモネラとマルベリー


翌日は朝から低い雲が立ちこめ、湿った風が吹いていた。


「天気のせいか思ったよりも空いてるね」

「うん、そうだね。降り出す前に真っ直ぐリモネラのあるエリアを目指そうか」

「そうね。降り出したら温室のイチゴかブドウの方に行けばいいしね」


レンドルフとユリはフィルオン公園の果樹園がある入口で待ち合わせて、チケットを購入して中に入る。今日は魔獣が出没するような場所ではないので装備は付けて来ていないが、動きやすい身軽な格好で来ていた。

果樹園は季節ごとに収穫出来る果物は違っているが、温室の中にあるイチゴとブドウだけは年中楽しめるように調整されているそうだ。入口では手荷物を鍵の掛かる箱の中に入れて、園内の地図と浄化魔法が付与された魔道具と園芸用の分厚い手袋、それが入った小さなポーチが渡される。大人用にはそのポーチの中にハサミも入っていた。この果樹園は、園内ではどの果物をどれだけ食べても構わない。だが持ち帰ることは禁止されているので、持ち込めるのは渡される小さなポーチだけなのだ。もし持ち帰りたい場合は別料金を払ってお土産用の袋を購入するか、入口の売店で買うことになっている。


「リモネラのエリアは空いてるわね」

「誰もいないみたいだ。肩車、どうする?」

「う…やっぱり止めとく。気になるけど、止めとく!」


地図を見ながら目的のリモネラの木がある場所に行くと、オレンジ色の実が大量に成っていた。周囲を見渡してみたが、リモネラはいまいち不人気らしく誰もいなかった。


「収穫したものはちゃんと食べないといけないルールだから、やっぱり避けられるのね…」

「普段なら俺もちょっと別のところ回るかも。今回はユリさんから有益な情報もらったから」


果樹園の中では好きな果物が食べ放題だが、一度収穫したものは全て食べるように定められている。もし食べ切れない量を穫ってしまった場合は、後からお土産用の袋を買わなければならないし、あまりに悪質な場合はペナルティが科せられる。ただし見た目には分からないが収穫したら腐っていたり、虫が付いていたりした場合は、近くにいる職員に見せれば咎められることはない。

しかしこのリモネラの場合、熟してなくて酸っぱいというのは免除にはならない。未熟な実が酸っぱいのは有名なので、その覚悟を持って挑んだと判断されるのだ。だからそんな危険な賭けに出てまで挑戦するよりは確実に食べごろが分かる果実に行く為、リモネラの周辺にあまり人はいないのは仕方のないことだろう。


「早速収穫してみるよ。ユリさんはどの辺がいいと思う?」

「今日は曇ってるから思ったより難しいかも…だいたい太陽はあの辺だから…」


晴れていれば日が差している枝を中心に選べばいいのだが、生憎と今日の天気は曇りである。ユリは真剣な表情で空と木の枝となっている実を真剣に見比べていた。


「この辺りはどうかな?」

「そこだと隣の木が少し掛かってしまうかも」

「じゃあこっちはどうかな」

「その辺なら遮るものはなさそう。その枝からレンさんが好きなのを捥いで」

「…何だか、責任重大な気がして来た」


レンドルフが手を伸ばして触れた枝には、大量の実がなっている。枝の根元はレンドルフの手が届かないような高さの場所なのだが、実の重さで枝がしなって少し背伸びをすれば十分届くところまで降りて来ているのだ。ハシゴや収穫用の長い持ち手のハサミなどがあればもっと上のものも収穫が出来るが、さすがにここではそんなものは使用は許可されない。そしてここの果樹園内では魔法の使用も禁じられている。生活魔法も、代わりの浄化の魔道具が貸し出されるので、緊急事態以外では許可されないのだ。園内には魔力感知センサーが設置されているので、魔法を使用するとたちまち職員が駆け付けて場合によっては退園となる。


レンドルフは手に触れる果実を幾つか迷って、一番上にありそうな場所の実を手に取った。その実を鷲掴んで軽く手首を捻ると、あっさりと枝から離れる。


「まずは一つ。味見してみるよ」

「レンさん、そんなに体張らなくていいから。一緒に食べて、もし酸っぱくても半分こして食べよう?」

「…分かった」


浄化の魔道具で手とリモネラの実の表面を洗って、レンドルフは外皮ごと手で半分に割った。割れたところからたっぷりの水分が吹き出して来て、辺り一面柑橘の良い香りが充満した。リモネラの香りは、中身の味に関わらず爽やかでありながら濃厚で甘そうな香りが強いのだ。この香りに騙されて、つい食べてみて悶絶するパターンは誰もが通る道だった。


中の薄皮が破れていない方をユリに渡し、外皮を剥いて中の果実を取り出す。薄い皮に包まれたオレンジと似た房は、剥いた時に少し穴が開いてしまったのか中から水分が指を伝ってポタポタと地面に落ちて来る程だった。


「じゃあ一緒に食べましょう」

「うん、いただきます」

「いただきます」


手にした房をパクリと口の中に入れる。


「!」

「…美味しい…」


レンドルフが収穫したリモネラは当たりだったようで、口に入れた瞬間大量の水分が溢れ出し、酸味と甘味がどちらもバランスが取れている上に味の濃さが想像以上だった。まるで濃縮したジュースを飲んでいるかのようだ。二人とも思わず夢中になって無言であっという間に食べてしまった。とは言えたいして大きくない果実の半分サイズなので当然だろう。


「ねえレンさん、もう一個穫ってもらえる?」

「うん、任せて。…今度はどこがいいかな。さっきの実の近いところの方が外れないかな」

「どうせなら全然違うところの方が面白そう!」


大胆なことを言うユリに、レンドルフはその通りに全く違う場所へ回って、慎重に高い場所からまた一つリモネラの実を捥いだ。手にした感覚は、大きさも重さも最初のものと殆ど変わらない。食べてみないと分からないのがこの果実の怖いところだ。甘さを数値化して測る魔道具もあるのだが、実はこのリモネラは甘さ自体は殆ど変化しないらしい。変化するのは酸味の方で、熟すに連れて酸味が弱くなるので甘さが強く感じるのだそうだ。その為、現在でも魔道具などで事前に完熟期を知ることは出来ず、食べてみる以外に方法がないのだ。


リモネラをを出荷している果樹農家は、枝に開花日を書いたリボンを巻き付けて、そこから収穫日を確認しているそうだ。確実に熟しているが、出荷中に腐らないギリギリのところを見極めるのがプロの技だ。とは言っても、同じ枝の中で熟し切れていない実も混じることがあるので、籠の中で一つだけ外れが混じっていたりすることも珍しくはない。



「〜〜〜〜〜〜」

「………ぐっ!」


次のリモネラは、頭をガツンと殴られたかと思う程に酸っぱかった。一房食べただけで、お互い声にならない状態で悶絶する。ユリは足をばたつかせて地団駄を踏んだような状態になり、レンドルフは思わず握りしめた拳に血管が浮き出る程だった。


「高くて日当りがいいところなら大丈夫って、迷信だったみたい…」

「ごめん、やっぱり目利きは無理だった…」


二個目も、二人とも無言で食べた。しかしそれは単にあまりの酸っぱさに口を利いている余裕がなかっただけで、半分飲み込むようにして完食し終えた後は、お互いに涙目になっていた。


「……どうする?」

「このまま終わるのは何か悔しいわね…」

「もう一個だけ行ってみようか」

「うん。今度が甘くても酸っぱくても最後にしよう。ほら、他の果物も食べたいし」

「そうだね」


またレンドルフは違う枝を見極めようと木の間をウロウロした。ユリも一緒に回って二人であれこれと考え込む。その中で、高さはレンドルフの目の位置くらいであったが一本だけピョコリと飛び出して伸びている枝を見つけた。目の位置と言ってもレンドルフの身長なのでそれなりに高さはあるし、飛び出している分確実に日の光をたっぷり浴びている筈だ。


「今度はユリさんが選んでくれる?」

「え…ええ…どれにしよう…」


リモネラの木は柔らかくてしなりが強いので、レンドルフが少し力をかけると枝は折れることなくユリが手を伸ばせば届くくらいの位置まで下がって来た。たわわに実を付けた枝の中から、どれにしようか悩んだユリの手がウロウロしている。


「よし、これ!」


ようやくユリが一つに定めて、その実を掴む。レンドルフの手だとリモネラの実はすっぽりと収まるので片手で軽く捻ればすぐに枝から離れるのだが、ユリの小さな手では片手では上手く捩じれなかったようで、両手で挟むようにして枝から捥いでいた。その仕草が少し子供のように可愛らしく見えて、レンドルフは思わず頬を緩めていた。


「今度は甘い実でありますように!」


両手の平の上に捧げ持つようにして、ユリがリモネラに祈りを捧げていた。その必死さがおかしくてレンドルフは笑いそうになったが、それを堪えて一緒に手を合わせて拝んでおく。傍から見たら奇妙な構図である。


「「いただきます」」


今度はユリが綺麗に半分にしてレンドルフに差し出した。レンドルフはまるで宝物でも授与されるかのように、両手でそっと受け取った。先程の二個と同じように、強く甘い香りが鼻をくすぐる。


「ん〜〜〜!美味しい!」

「今までで一番美味しい…」


先程のこともあるので少々用心してソロリと口に入れたのだが、すぐに顔が輝いて言葉が漏れる。今回の実は最初の物よりも更に味が濃く、大当たりと言える最高の味だった。全ての柑橘類の良いところだけを集めたような濃い甘味と程良い酸味に、体中に染み渡るような爽やかな香りにうっとりと目を閉じて噛み締めてしまった。


「こんなに美味しいリモネラ、初めて食べたよ。ユリさんの目利きはすごいね」

「いやいやいや、偶然だって。でも本当に今までで一番美味しいかも」


食べ終わってもまだ舌の付け根に美味しい余韻が残って、手に残った香りだけでも浸っていたくなるような気分になる。


「俺はこの思い出だけで、この先一生リモネラを食べられなくてもいいような気がする…」

「大袈裟だなあ、レンさんは」


あれだけ美味しいリモネラなら再び食べたい誘惑に駆られたが、またしてもガツンと殴られるようなインパクトのあるものに当たらないとも限らない。少しばかり後ろ髪は引かれるものの、ここから離れて別の果物を味見しに行こうと意見が一致した。



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次はどこにしようかと、近くに設置されていたベンチに腰を降ろして地図を広げる。この地図は生えている果樹の種類だけでなく、食べ頃になる季節も記載されているので目的を決めやすい。


「イチゴとブドウは食べておきたいんだけど…他にも味見はしたいわね。レンさんは食べたい果物はある?」

「俺は何でも…」

「リモネラは私の希望だったんだから、今度はレンさんが決めてくれる?」

「あ、ああ…」


思ったよりもベンチが狭くて、必要以上にユリとの距離が近い為にレンドルフは緊張気味であまり考えていなかった。ユリの体に触れないように端に座ったのだが、ユリはあまり気にしていないらしく寄って来るので、レンドルフは分からないように移動し続けてジワジワとベンチからはみ出しかけている。


「え、ええと、ここは何だろう」

「『ワイルドエリア』 森の恵み…ってなってるけど。ああ、木イチゴとかワイルドベリーって書いてある。果樹園で育てない森のような感じなのね」

「ここ、行ってみてもいいかな?」

「うん!今はベリー系が多いみたいね。…へえ、マルベリー何かはジャムでは食べたことあるけど、実は食べたことがないわ」


ギリギリ尻が半分以上はみ出す前にレンドルフはベンチから立ち上がって、地図を見ながら目的の方向に足を向けた。ユリもレンドルフに先導されるように後から付いて行く。


「俺は実家にいる時はおやつにしょっちゅう食べてたよ。ここなら『モドキ』もないだろうし、安心して食べられそうだ」

「『モドキ』?」


辺境領の集落と森の境辺りにジャムなどの保存食になる木を森の奥から抜いて移植していることが多かったのだが、素人の見分けなので中には食べるのに適していない種類のものが混じっていることがあった。しかも見た目は食用のと良く似た実を付けるので、それらは「モドキ」と呼ばれて食べないようにと言われていた。が、人が食べない実でも毒性さえなければ家畜用や肥料に利用が出来たので、切られたりすることなく放置されていたのだ。ジャム作りをする大人達はその木の位置を覚えていたので影響はなかったが、そこまで気にしない子供達は毎年のように誰かしらが「モドキ」の実を食べては口中シブに見舞われていた。


「レンさんも引っかかったクチ?」

「うん。大きな瓶を持って行って手当たり次第詰めるから、どこで混じったか分からなくなるんだ」



摘み取る端から食べていれば分かるのだが、みんな瓶に溜め込んでそれを木の枝で上から突ついて潰し、ジュースのようにして飲むのが子供時代の最高の贅沢だった。見た目がワインに似ていたので、何となく大人になったような気分が味わえるのも楽しかったのかもしれない。全部混ぜても「モドキ」の量が少なければ大した影響はないのだが、大人がジャム用に摘まなかった実ほど沢山残っているので、毎年味に影響が出る程度には混ざっていたのだ。そしてそれを強引に飲み干して、その日の夜に腹痛を起こすことが風物詩のようになっていた。



「今となってはあの渋さも懐かしい気もするけど」

「レンさんも昔は割とやんちゃな子だったのね」

「そうかな?兄達から比べると大人し過ぎて心配されるくらいだったんだけどな」

「基準が分からない…」

「田舎と王都じゃ違うからね」


そう言われてレンドルフは、王都の学園に入学してから、実家では普通だったことを色々やらかしてその度に同級生に引かれていたことを思い出していた。そして兄達が学園にいた頃を知っている古株の教師達は入学当初は華奢だったレンドルフを三度見くらいしていたのだが、しばらくしてから「やっぱりクロヴァス家なんだなあ…」としみじみ呟かれたこともあった。



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「割と近くにあったね」

「そうね。あれはマルベリー?」

「うん。あの実は黒い方が甘いよ」


地図は色々な情報を書き込んであるせいか離れているように思えたが、思ったよりもすぐに「ワイルドエリア」と書かれた看板のある場所に到着した。もうその看板のすぐ隣には、覆い被さるようにマルベリーの木が生えている。そしてその枝には、赤から紫や、黒い色をした小さな実が鈴なりになっていた。

レンドルフは枝に近付いて、ヒョイと黒い実を指で摘んで捥いだ。クロヴァス領でなっていたものより小ぶりな気がしたが、見た目は間違いなく良く熟れたマルベリーだ。つい懐かしくなってレンドルフはそのままポイ、と口に放り込んだ。舌の上で潰すとプチプチした種の感触と、ほとんど酸味のない甘い味が広がる。


しかしその直後に、つい浄化もしないまま口に入れてしまってユリに引かれはしなかっただろうか、と思い当たってユリの方に顔を向けた。だがそんなレンドルフの心配を余所に、ユリは木の真下に潜り込むようにして枝の隙間から良さそうなマルベリーの実を吟味しているようだ。


「ユリさん、こっちの枝が熟してるのが多いよ」

「わあ!ありがとう!」


少しユリには高い位置にあった枝を掴んで下ろすと、ユリは喜んで黒い実を摘む。先程ジャムしか食べたことがないと言っていたので、実を穫るのは初めてなのだろう。少々力が強かったのか柔らかな実が潰れて、指先に紫色の汁が垂れてしまう。ユリは慌てたのか、指をペロリと舐めとってそのまま摘んだ実ごと口に入れてしまった。レンドルフが浄化もせずに食べてしまったのを気にしたのに、ユリは全く気に留めてもいないように迷わず食べてしまったのが少々おかしくて、レンドルフは微かに笑い声を漏らしてしまった。


「…見てた?」

「それは、まあ」


レンドルフの声でユリも自分のした行動に思い当たったのか、たちまち顔が真っ赤に染まった。さすがに木から直接浄化もせずに食べてしまったのを見られたのを気恥ずかしく思ったようだった。


「ごめん。俺と同じだったから嬉しくなったんだ。それに俺の他に誰もいないから大丈夫だよ」


思わず俯いてしまったユリも可愛らしいのだが、このまま恥ずかしがらせたままにしてしまうのも気の毒になったので、レンドルフはすぐに黒い実を摘んですぐに口の中に入れた。ユリに引かれていないのならレンドルフは気にならない。どうせクロヴァス領でも、大抵の木の実はよほどのことがなければ木から捥いでそのまま食べていた。


「う…うん、そうね。同じ、だもんね」


まだレンドルフが枝を押さえてくれているので、ユリは手を伸ばしてそっと実を一つ摘むと、今度は形を保ったままそのまま口に入れた。


「ふふ…甘い」


まだ頬の赤さは残っていたが、ユリは嬉しそうに顔を上げて笑った。



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