102.未来の約束
「レンさんは、これが終わったら滅多に会えなくなっちゃうね」
「どこに配属されるか分からないからね…もしかしたら王都外の駐屯地に派遣されるかもしれないし」
「じゃあエイスの街の駐屯部隊を志願したら?」
「それはいいな。ステノスさんの部下になるのも勉強になりそうだ」
「ミキタさんの店でしょっちゅうご飯が食べられるよ」
「良いことずくめだ」
ひとしきり笑ってから、レンドルフは少しだけ息を吐いて軽く微笑んだ。その表情には寂し気な影が隠し切れていない。その顔だけで、ユリはその志願は通らないのだと察する。
「一応俺の希望は聞いてもらえることにはなってるけど、上司の目が届かないところは難しいと思う。ほら、表向きは大きな失態で降格処分になった不良騎士だし」
「でもそれは、レンさんが悪いんじゃないのは上司の方も分かってるんでしょう?」
「分かってるから余計に、なんだよ。俺ひとりが泥を被る形になったから、それを恨みに思って良からぬことを企む…いや、反対勢力が近付かないように見張らないと」
どこに配属されるかの決定は、まだレンドルフの元に通達されてはいない。現在の上司にあたる統括騎士団長レナードに一任した状態である。それを変更してエイスの街の駐屯部隊への配属を望んだとしても、話だけは聞いてくれるだろうが実現はしないと思われた。
レナードや、元上司の近衛騎士団長ウォルターはそう思っていない筈だが、降格処分を不満に思ったレンドルフが近衛騎士時代に得た情報をどこかに流すのではないかと疑っている者もいる。勿論そうならないように他言しない誓約魔法は掛けられているが、その魔法を強引に解く抜け道もない訳ではない。
「レンさんはそんなことしないのに…」
「それを分かってくれる人はいるよ。でも、そうじゃない人もいるから」
爵位は継がないとは言っても、前クロヴァス辺境伯の三男で、現当主の弟だ。レンドルフを政治的に利用しようと目論む者が現れた場合、直属の上司がそれを庇えない立場の人間では危険すぎるのだ。ステノスは実力や人望はあるかもしれないが、平民上がりの雇われ部隊長だ。貴族の横槍が入った場合庇い切れない。
それに、いくらレンドルフが本気でステノスの下で働きたいと希望したと言っても、平民の部隊長の下に近衛騎士の副団長まで務めた者が入るなど、酷く厳し過ぎる処罰だと断ずる者も、それだけ大きな失態を犯したと邪推する者も出て来る。それはどれもマイナス要因にしかならないし、ステノスにも迷惑がかかる。
もしレンドルフがどこかの駐屯部隊に派遣されるとしたら、国内でも主要な地方都市で、政治的にも問題のない派閥で侯爵以上の部隊長がいるところに限られるだろう。
レンドルフがこの先平和に暮らして行く為には、配属先の上司の元で騎士として真面目に実直に任務をこなすことだ。それならばレンドルフに取っては難しいことではない。
「しばらくは信頼を取り戻す為に真面目に務めないとね。幸いなことに、俺の得意分野だ」
「レンさんってば…」
「今度、ユリさん宛の伝書鳥一枚だけ貰えないかな?配属場所決まったら連絡するよ」
簡単な連絡ならギルドカードでも可能だが、レンドルフはもっときちんとした形で伝えたかったのでユリの伝書鳥をねだってみた。この魔道具を使用すれば相手の住所を知ることもなく本人に直接届くので、普通に手紙を出すよりは抵抗がない筈だ。だが内心、ユリに重く思われたりしないだろうか、と少々鼓動が弾んだ。ユリはその言葉に再び顔を上げてレンドルフを見つめ、大きな目がパチリと瞬いた。
「配属場所だけ?」
「……もっと、普通の手紙とかも書いてもいいかな?」
「勿論。今度私の伝書鳥渡すね。一枚じゃなくて、束で。いっぱい渡すから、レンさんのも束でちょうだい」
「分かった」
「良かったら、休みの日とかも教えてね。それに合わせて会いに行くから」
「俺がこっちに来るよ。ノルドも走らせたいし」
「無理はしないでよ。疲れてたら合わせなくていいからね」
「大丈夫だよ。会えたら嬉しくて元気になると思うから」
伝書鳥を断られなかったどころか、さらに追加をユリから言われてレンドルフは嬉しくなって頬が緩むのを止められなかった。そして休みの日にも会う約束が出来るのなら、どこでもいいから王都内に配属してもらえるようにレナードに頼もうとレンドルフは考えていた。具体的な希望は難しくても、それくらいならば何とかしてくれる筈だ。
ニコニコとレンドルフがユリに微笑みかけたのだが、不意にユリの濃い緑色の瞳が潤んで、ポロリと涙が白い頬を伝った。
「ユリさん!?」
「もー、レンさんがそんなコト言うから、寂しくなっちゃったじゃない!」
「え?あ、あの、ごめん…」
「まだ四日あるし、パーティーだって一緒に行くのに…」
「その、ごめん」
「謝んないでいいから…私が勝手に寂しがっただけだから…」
ユリは俯いて、ジャケットの内側に付けてある小さなポシェットからハンカチを取り出して顔に押し当てた。服に合わせて今日はきちんと化粧をしているので、うっかり擦って崩れないように気を付ける。これだけの至近距離で、レンドルフの前で目の回りが黒くなる事態は避けたい。
「…ユリさん」
「ん…何?」
「ほんの少しだけ、髪に触れてもいい、かな…」
「え…」
「その、嫌なら止めるよ」
「……うん。いいよ」
思わず感情のままに決壊して溢れた涙はすぐに治まって、目元からハンカチを離したユリに、レンドルフが遠慮がちに話し掛けて来た。その内容にユリは戸惑ったが、服の下に装着している防御の魔道具は相変わらず沈黙している。魔道具に頼らなくてもレンドルフを信頼しているユリは、少しの間の後にコクリと頷く。
ユリの許可を得て、レンドルフはそっと彼女の髪、と言うよりも頭に触れた。レンドルフの大きな手は、ユリの頭に添えられるだけなのに半分以上鷲掴み出来そうな程だった。随分と遠慮がちに触れているせいか、頭には触れている感覚が殆どない。ただ手の平の熱だけがじんわりと伝わって来ている。ハーフアップにしているため、その髪飾りに触れないようにそっとレンドルフの手が僅かに前後に動く。最初は何をしているか分からなかったが、やがてユリは自分が頭を撫でられていることにようやく気付いた。レンドルフの触れ方があまりにも遠慮がちであったため、繋がった一連の動きとしてユリに感知されなかったのだ。
泣いている自分を慰めようとしてくれている。そう気付いたら、ユリの目の奥が再びジワリと熱を持った。これは駄目だと、ユリは少し俯いて再度ハンカチを目に当てる。次の瞬間、肩の辺りに弾力のある温かいものが押し付けられ、頭の上からチュ、というような音がした。
「レ、レレ、レンさん…!?」
少し遅れて、ユリは自分の髪というか頭頂部にレンドルフが口づけをしたのだと理解して、真っ赤になってアワアワと手を上下させる。本当に軽くだったらしく、あのリップ音がなければ何をされたかも自覚がなかったかもしれないくらいだったが。
今のレンドルフは一体どんな顔をしているのかと、ユリはソロリと視線だけを上げた。レンドルフも顔を下に向けていたので、ユリとすぐに視線が重なる。レンドルフは少しだけ悪戯が成功した時の子供のような笑みを浮かべてはいたが、目尻の辺りから耳に掛けてうっすらと赤く染まっているのが見えた。
「…少し酔ったみたいだ」
「お酒なんて出てなかったけど?」
「ほら、あの魚料理」
「……もう」
確かに出て来た魚料理は、西国の酒をたっぷりと使用した蒸し料理だったが、熱を十分加えた時点で酒精の大半は飛んでしまっているし、食べてから時間も経っている。そもそも酒に強いレンドルフがその程度で酔う筈もないのだ。
これは以前、定期討伐最終日に二人で密かに打ち上げをした際に、ユリがレンドルフに仕掛けたのと同じことを返されたようなものだ。その時はユリの方が酔ってることになっていた。
ユリは軽く口の中で「参りました…」と聞こえないように呟くと、コテリとレンドルフの胸に凭れ掛かった。服越しでも熱と弾力が伝わる胸板に片耳を押し当てて頬を寄せる。服の厚みがあるので鼓動は伝わらなかったが、レンドルフが少し浅い息をしているのは分かった。
「ユ…リさん…」
胸に耳を押し当てているので、頭の中にレンドルフの声が柔らかに響いて来るような感覚になる。その感覚が心地好くて、ユリは軽く目を閉じて更に耳を寄せる。
「少し酔ったみたい?」
「う…うん…」
自分から「酔った」と言ってしまった以上、ユリも同じことを言い出せばレンドルフは頷くしかなかった。
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エイスの街に到着して、すっかり馴染みになった預け所にノルドを連れて顔を出すと、冒険者風の出で立ちではないレンドルフに、こちらも馴染みになったノエル少年が目を丸くした。
「わあ…カッコいいですね!」
「ありがとう。時間は短いが、またノルドをお願いするよ」
素直な感想を言われて、レンドルフは少し照れたように微笑んだ。そしていつものように相場よりも少しだけ多めに支払って、ノエルにも銀貨を二枚手渡す。
「ちょっとノルドが落ち込んでてね」
「カーエの葉、多めに渡しておきますね!」
「よろしく頼むよ」
レンドルフがこっそりと耳打ちすると、もう心得ていますと言うようにノエルは即答を返して来た。
騎士団に復帰した後は、彼にクロヴァス家のタウンハウス宛の伝書鳥の束を渡しておいて、定期的にカーエの葉を数枚送ってもらう契約でもしておこうか、とレンドルフは考えていた。
「レンさん、まだ時間があるから、明日以降の予定も話さない?」
「うん、いいよ。じゃあどこか店に…」
「あ、あのカフェに行かない?今日の格好なら入りやすいし」
「そうだね」
ユリは道路を挟んで少し先の辻の角の、ペールブルーのひさしの出ている店を指差した。壁は白いクリームを塗ったような跡をつけてあり、色鮮やかな塗料で花や木の実、リスなどの小動物が描かれている可愛らしい外見の店だった。店先には壁と同じようなタッチで、フルーツが山盛りになったパンケーキの絵が描かれた看板が下がっていた。
この店はレンドルフが初めてエイスの街に来た時に目に付いた店の一つだったが、心惹かれたものの男ひとりでは入り辛い外見だったので通り過ぎたところだった。今日は冒険者風の厳つい装備は身に付けていないし、何よりもユリと一緒だ。これほど心強い同行者はない。
店内に入ると、女性ばかりの客が三組程いた。レンドルフ達は一番奥の壁際に案内される。可愛らしい花壇のある中庭に面した窓際の席も空いているのだが、木製の小さめの椅子なので、店員がレンドルフの体格を見て判断したのか奥の半円形になっているようなソファ席に案内したのだ。店内はピクニック風をイメージしているらしく、柱はそのまま木の風合いを残し、屋根や天上を走る梁は緑色に塗ってあった。そしてその梁から、蔦のように下に垂れ下がるタイプの観葉植物をぶら下げている。ユリを始めとする女性客には届かないだろうが、レンドルフは席に案内されるまでに三回程葉の先が頭を掠めた。
半円形のソファなので、向かい合って座るというよりもはす向かいに並び合う位置になるので、ミキタの店で並んで座るよりもずっと距離が近い気がした。
レンドルフは看板にもあったこの店の人気メニューであるフルーツ盛りのパンケーキを注文し、ユリはまだお腹は空いていないと言うことで飲み物だけ注文する。レンドルフの注文したパンケーキは、今開店二周年記念で、フルーツ大盛りか、二枚重ねのパンケーキを一枚追加が無料だと聞いたので、少しだけ悩んだ後フルーツの大盛りを頼んでいた。
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「ユリさんは採取したい薬草とか素材とかはまだある?」
「う〜ん、レンさんのおかげで今の季節に欲しかったのは大体採取出来たのよね。レンさんは何か欲しいものとかはないの?あるなら付き合うよ」
「そうだな…サギヨシ鳥かワイルドボアあたりの肉の美味しいのを仕留めたいところだけど、この前定期討伐が終わったばかりだから遭遇は難しいかな」
「そうねぇ。首長尾鳥はまだシーズンじゃないし…肉じゃなくて魚は?モタクオ湖とかなら日帰りも出来るし」
「ああ、それもいいな。でも今から立入り申請出すと明日は間に合わないか」
「明後日でも大丈夫だよ。後でギルドに申請出しに行こう」
モタクオ湖は王都内の最西端にある湖で、隣の領を跨ぐような形の湖だ。自然豊かな場所にあり、深度としては3レベルで弱い魔獣が出没する地区である。その湖には魚やエビなどが豊富に棲んでいて、魚系の魔獣もいるのだ。王都内だけならば必要はないのだが他の領にも所有権があるので、前もってギルドに申請を出して有料の許可証を貰わなければ付近に立ち寄ることが出来ないが、その許可証さえあれば湖で仕留めた獲物は持ち帰っても構わない。
「今の季節だと淡水ホタテが採れると思うよ」
「じゃあ竿の他に網も持って行かなくちゃね」
淡水ホタテは、その名の通り淡水に生息するホタテ…に似た形の魔貝だ。岸辺に生える緑の鮮やかな藻を主食としているので、タイミングが良ければ岸から網で掬って捕獲出来る。味は本当のホタテ貝よりは淡白ではあるが、焼いたりフライにしたりするととても美味しい食材の一つだ。
そんな話をしていると、注文したパンケーキが運ばれて来た。スフレ風に焼き上げたパンケーキは運ばれて来るだけで皿の上でフルフルと震えていて、見るからに柔らかそうだった。そこにベリーやオレンジ、キウイなどのカラフルなフルーツがサイコロ状に切られて山盛りに皿の上を占拠している。その上からクリーム色のミルクソースが掛けられていて、更に別添えの小さなポットには蜂蜜がたっぷりと入っている。二人でシェアすると思われたのか、レンドルフとユリの前にそれぞれ注文した飲み物と、取り分け用の小さな皿とカトラリーを置いて行った。
「ええと…ユリさん少し味見する?」
「んと…フルーツをちょっとだけ貰っていい?」
「うん。好きなだけ取って」
レンドルフがパンケーキの乗った大きな皿を少しユリの方に押し出す。ユリはフォークで二掬いほどフルーツを取り分け用の皿に引き取った。
「それだけでいいの?」
「うん。ありがとう」
レンドルフは取り分け用の皿は使わずに、大きな皿を自分の前に引き寄せた。レンドルフの前に置かれていると普通サイズに見えなくもないが、実際はかなりボリュームのある見た目だ。キツネ色よりも少し薄い焼き色のついたパンケーキにナイフを入れたが、柔らか過ぎて切れる前にへこんでしまう。そこでフォークを刺して、ナイフで刺したところから左右に割くようにして割った。どうやらその方法が正解だったらしく、スフレ状にフワフワのパンケーキは潰れることなく中から甘い香りと湯気が立ち上った。レンドルフはまず何も付いていない場所をナイフとフォークでむしるように小さく切り分け、ハムリと口の中に運ぶ。そして口を二度程動かしただけで動きが止まり、目を丸くした。
「すごい…一瞬で雪みたいに溶けた…」
今度はフルーツとミルクソースに絡めると、その水分だけでシュワリと小さくなってしまい、慌てて口に入れた。今度はフルーツがあるので何度か咀嚼したが、パンケーキの存在は最初だけで、どこにも残っていなかった。
「何だか、食べるってよりは、飲める…」
「飲める…」
分厚くて大きいと思っていたが、これだけすぐに消えてしまう程軽やかな口当たりなので、これならば二枚くらい女性でも食べられるだろうとレンドルフは納得した。この口の中でシュワリと消えて行く感覚と、最後に残るバニラの甘い風味が甘酸っぱいフルーツに良く合って、レンドルフはあっという間に一枚を食べてしまった。
「ユリさん、一口食べる?」
「え?」
「こっちはまだ手を付けてないから、良かったら」
レンドルフが食べている姿をユリは少しだけポカンとした様子で眺めていたので、どんなものか興味が湧いたのだろうと思って再度軽くユリに向かって大皿を押した。
「え、ええと、じゃあ、一口だけ。ゴメンね、さっきは断ったのに」
「全然。美味しいものを共有出来るのは嬉しいから」
「ありがとう…」
ユリは少し顔を赤らめながら、レンドルフのしていたようにそっと切ると言うよりはむしるようにパンケーキを一口分程貰う。そしてソースも付けずにパクリと口に入れた。
「!」
「飲める?」
「うん!飲めるって言ったの、分かった」
口に入れた瞬間ユリの目が見開かれたのを確認して、レンドルフが聞いた。すぐにユリもレンドルフの言った「飲める」の意味を理解してコクコクと頷いた。
しかしたっぷりと昼餐をいただいて来たのでユリの胃にはまだ十分な隙間が出来ておらず、この一口で辞退する。後を引き取った少しだけ欠けたパンケーキに、レンドルフは添えられていた蜂蜜をたっぷりと注いであっという間に食べ尽くしていた。
この軽さならば、ユリでも空腹なら一皿分は余裕で食べられそうなので、今度は空腹時にまた来ようとレンドルフと約束を交わした。
「でもあまり空腹時に来ると、俺じゃ10枚くらい食べても足りないかもしれない…」
その後レンドルフが深刻そうな顔でそう呟いたので、ユリは思わず声を出して笑ってしまったのだった。