100.西国風の昼餐
ひとまず水面下では色々あったが大きな騒動にはならなかったと言うことで、一応最初の顔合わせは成功しただろうと思うことにした。
「折りを見て何度か顔を合わせて行けば、まだ様子も変わって来るだろうさ。俺としてはこれで今後もレンくん達と縁続きになれたらありがたいがな」
「…ひとまず今日のことを報告して、家の詳しい者と相談してみます」
「いい返事を期待してる」
ノルドは顔合わせを終えて、今度はこの馬場から遠い厩舎に連れて行かれた。その後ろ姿はどことなく黄昏れているような気がしていた。
念の為、レンドルフは実家にも知らせるということで詳細を書面にしてもらうように頼んでおいた。テンマもそう言われることを予測して既に準備していたらしく、すぐに書類の束をそれぞれを担当している厩舎番に持って来させていた。彼らはレンドルフに書類を渡す際に、さりげなく自分の担当している彼女達に対する熱い思いをアピールするのを忘れなかった。
ノルドが興味を示したシャクヤという黒い六脚の魔馬は現在30歳で、ミダース家の所有する馬の中で最年長ということだ。良く気が回り世話好きで、自分の子だけでなく年若い個体の面倒も見ているそうだ。そして先程もテンマが言っていたように面食いで惚れっぽく、その首尾範囲は種族も越えて極めて広いのだとか。これまでの厩舎番も、最も顔の良い者にべったりくっついて離れなくなるらしい。とは言っても気に入らない者に当たるという訳ではなく、基本的には穏やかな気性ではあるようだ。
斑の魔馬はギンセンカという名で、一番若くまだ6歳だ。まだ伴侶を捜すには早いのだが、将来を見越して相性の良さそうな個体と早いうちに顔合わせをしておくのは良くあることなので、ノルドとは数年後に期待が持てるのではないかと厩舎番は見ているらしい。この魔馬はシャクヤの娘で、何と父親は一角獣なのだそうだ。外見も能力もあまりユニコーンの特性は出ていない故にミダース商会が引き取ったそうだが、まだ幼いので将来的には変化があるかもしれない。
ユニコーンは清らかな処女以外を受け入れないことで知られた魔獣だが、あまり知られていないが全体の一割程度はその本能が最初から備わっていないのだ。ユニコーンの出産は基本的に一回に一頭が多く、更に育ちにくい。その環境下で本能に従っていたら、とうの昔に純血種は絶滅していただろう。この斑の魔馬の父親も、そういった本能のない個体だったので、既に経産馬だったシャクヤを伴侶に選んだのだった。因みに父親のユニコーンは、人間が見てもゾクリとするような色香と冴え冴えとした美しい見た目をしていたので、シャクヤが受け入れない筈がなく、伝説の最速記録と未だに言われる程すぐに見合いが成立したそうだ。その後産まれた三頭のうち二頭はユニコーンの特性を濃く受け継いでいたので、国に引き取られた。
ユニコーンの角は、天然の万能薬といわれる程に薬効成分を含んでいるので、悪用と乱獲から守る為に多少効能が落ちる混血種でも国が保護するのだ。
葦毛の魔馬はツイナといい、別の商会で飼われていたがそこが潰れてしまった為に10年程前にミダース商会で引き取った。正確な年は分からないが大体15、6歳くらいとみられる。引き取った当時まだ子供だったので、シャクヤが育てたようなものだ。そのせいかシャクヤを慕っていて、彼女を害するものを悉く蹴散らす。大事な荷を運ぶ時は必ずシャクヤと組ませているので、街道の盗賊や魔獣から荷を守る守護女神として配達担当の商会員の間では崇められている。とうに繁殖には問題ない年齢には達しているだろうが、何度か適齢期の魔馬と見合いをさせても相手を蹴散らしてしまっている。その為、全く反応を示さなかったノルドとはかなり相性が良い筈!とツイナ担当の厩舎番は感極まって涙目になっていたが、その熱意はレンドルフには微妙に理解されていなかった。
そして栗毛のスレイプニルはカンナという名で、赤と黄色の違う色の目を持っている。年齢は13歳ということで、あの中ではノルドと一番近い。もともとスレイプニルは、騎獣になるように調教されても主人と認めた者以外にあまり懐かない。ノルドのように気さくで陽気な性格の方が珍しいのだ。カンナはスレイプニルらしい性質で、気高くやや気難しい面がある。そのせいかノルドが来てチラリと見てはいたが、全く興味がないとでも言いたげな態度で一番距離を置いていた。しかし本気で気に入らない相手ならばすぐに馬場を出て行こうとする筈なので、彼女なりに興味は持ったようだ。
反応はそれぞれだったが、どうやらノルドは初対面で拒否されるようなことはなかったということらしい。何故かレンドルフにまで飛び火したのは予想もつかない事態ではあったが、大の面食いと言われる魔馬に気に入られたというのは喜ぶところだろうか、と彼は少々悩んでいたのだった。
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その後はミダース邸の食堂に案内されて、昼餐となった。
「もっと気楽な酒場みたいな料理にしようかと思ったんだが、トーマに『女性をご招待するのだから』って注意されてな。少し変わった趣向で西国風にしてみた。商談をする時に振る舞うと評判がいいし、俺や使用人も慣れているからな。まあそこまで堅苦しいものじゃないから、楽しんで行ってくれ」
テンマとユリは大衆向けの食堂でサンダルのような肉を食べた仲ではあるのだが、さすがにミダース邸でそんな料理を出すわけにはいかない。
西国風というのは、大皿に乗せた料理を食堂に運んで、給仕がゲストの好みに合わせながら料理を仕上げて目の前で盛りつけることのようだ。特にメインの肉料理は、その家の主人が自ら切り分けることで歓迎の意を表わすとされている。本格的な西国の流儀になると、料理を出す順番を決めずに好きなものから食べ、ゲストは美味しかったものを最後にもう一度頼むというのが礼儀らしい。オベリス王国では前菜から始まるコースが主流であるので、テンマが振る舞うのは給仕が盛りつけるがコース料理に則った形式にしているそうだ。
「こうすると相手の好みを探ることが出来るしな。ついでにこっちの好みも伝えやすい」
「父上、あからさま過ぎです」
「ははは、ちゃんと相手を見て言うくらいは心得てるさ」
ニヤリと笑うテンマに、トーマは呆れたように口を挟んだ。商談相手の食の好みを知ることは、全く関係のない商品を扱う場合にも有効な手段だ。ある程度力のある貴族ならば人を使って情報を集めることも出来るが、平民から始めたテンマが商談を広げるには、相手から情報を提供してもらうのにちょうど良かったのだ。もともとテンマが人の懐に入ることや、相手の求めるものを読むことに長けた才能を持っていたこともあるだろう。
大きなガラスのボウルが幾つも運ばれて来て、そのボウルの中には一種類の野菜が入っている。席にはメニュー表が置かれていて、そこから好みのものや苦手なものを伝えて、数種類の味付けを指定するとその場で混ぜ合わせてサラダを作ってくれるのだ。特に決め手がなければシェフに任せるのでもいいらしい。レンドルフはシェフに任せることにして、ユリは葉野菜中心にオイルと塩のシンプルな味付けを頼んだ。
給仕が手早く野菜を手元のボウルに入れて、ドレッシングなどで混ぜ合わせる。それを美しく皿に盛りつけてほぼ同時にテーブルにサーブされた。レンドルフのサラダはバランスよく多種類の野菜が混ぜられ、濃厚なチーズドレッシングが絡められている。仕上げにじっくりと焼き上げたベーコンが乗せられていて、歯応えと塩味が良いアクセントになっていた。
「ユリ嬢は薬師を志していると伺いましたが、以前から目指されていたのでしょうか」
「そうですね…本格的に勉強を始めたのは五年前くらいになりますが、もともと祖父が薬師でしたので環境は整っておりました。ですので物心ついた頃から漠然とではありますが目指していたのかもしれません」
「薬師には広い薬草の知識が必要と聞いております。資格を得るのは狭き門だと」
「はい。私はまだまだ知識も経験も不足しておりますので、日々研鑽あるのみです」
トーマの質問に、ユリは優雅に微笑みながら答える。その内容を聞いてレンドルフは心の中で、彼女が薬師を本格的に目指したのは五年前なのか、と考える。あまり自分のことを話せないレンドルフは、ユリのことも詮索するような会話は意図的に避けていたので、基本的なことすら良く知らないのだ。
「私もまだ修行中の身です。父の遺したものは大きいですから」
「俺を死んだみたいに言うなよ。名前は変わるが、お前の隣で一緒にいるだろうが」
「そうでしたね。本当にお隣に嫁ぐ訳ですし」
「…嫁ぐって、お前なあ」
テンマは事実隣の敷地に屋敷のあるビーシス伯爵家に婿入りするのではあるが、「嫁ぐ」と言うとまるでウェディングドレスでも着ていそうな響きがある。その言葉がこれほど似合わない人間もそうそういないであろう。
「ああ、そろそろメインを出してもらおうか」
じっくりと丁寧に煮込み一点の濁りもなく黄金色に澄んだコンソメスープから、50センチはありそうな白身魚を丸ごと西国の酒と香草で蒸した料理も終わりに差し掛かり、いよいよ給仕が四人掛かりでメインの肉料理を運んで来た。
「これは海辺の牧草地で育てた銘柄牛をローストしたものだ」
運ばれて来たのは、ユリが抱えたら到底腕が回らない程の大きさの塊肉だった。香辛料を摺り込んでじっくり焼いたもので、部屋に入って来た瞬間に香ばしい香りが満ちた。塊肉の周辺には、一緒にローストしたらしい根菜も並べられている。
「では、取り分けをやらせてもらう」
テンマがジャケットを脱いで、シャツの袖を捲って立ち上がった。側についていた給仕がテンマに慣れた様子で手袋と、切り分ける為の刃渡りの長いナイフを手渡した。切り分けるのはテンマがするが、盛りつけなどは給仕が担当するようだ。テンマは他の商談相手にも何度も振る舞っているので、すっかり慣れた手付きで端の良く火が通っている部分を切り落してから、中心の赤みの残っている箇所を薄く切り出した。中心部の肉の色は美しい薔薇色のグラデーションになっているが、熱は十分に通っている。ナイフで力をかけても僅かにジワリと水分が滲むだけで、殆どの旨味は肉の間に封じ込められていた。
テンマがせっせと薄く切り出した肉は、次々と給仕が温めた皿の上に花弁のようにクルリと丸めて盛りつけ、周囲の根菜も彩りよく飾り付けた。そして別の鍋で用意されていたフォン・ド・ヴォーとキノコのソースを注ぐ。
ユリとトーマの皿の上には、薄く切った肉で出来た花は二輪、テンマとレンドルフには五輪も乗っていた。
「まだ肉はあるから、追加が食べたければ給仕に好きなだけ申し付けてくれ」
「ありがとうございます」
崩してしまうのが勿体無くなるくらいの美しい形の肉にナイフを入れて、折り畳むようにフォークに刺して口に運ぶ。脂の少ない赤身肉は絹のようにきめ細かく、噛み締めると繊維の中にたっぷりと含まれた肉汁と絡めた濃厚なソースが程良く調和する。その中にしっかりとした香辛料の刺激が舌の上にチリリと弾けて、鼻の奥にも香りが抜ける。
「とても美味しいです」
「そう言ってもらえると皆喜ぶよ。それにしてもレンくんは俺と変わらない量を食べるのに所作が綺麗だな。どうも俺はがっついて見えてしまうから見習わないとな」
「ありがとうございます。そう見えるのでしたら母のおかげですね。なまじ母に似た顔なので、見苦しい食べ方をすると母の名誉に関わるので」
「なるほどなあ。レンくんの母君は美人なんだな。さすがシャクヤの目に適うだけのことはある」
「それはちょっと複雑なんですが」
レンドルフは少々困ったようになりながら微笑んだ。
「俺は親父似だからなあ…いや、それを言い訳にしないで一からマナーを学び直さないといかんのか」
「俺からはそこまで出来ていないようには見えないですが」
テンマと食事をしてみて、レンドルフは特に不快に思うようなことはなかった。確かに出自は元冒険者で平民だったろうが、叙爵してから一通りの貴族の所作は学んだのではないかと思えたのだ。現在の男爵から、二階級上がった伯爵家の婿になるのであればもう少し学び直しておいた方が良いのかもしれないが、酷く責められる程ではないだろう。レンドルフはこの国で最も高い身分の王族の護衛も務めて、食事にも同行していた。その最高のマナーも実際目にしているレンドルフが大丈夫だと思うのだから、あとは相手の心持ちの問題の方が大きい気がする。
「ユリ嬢から見たらどうだろうか?女性から見たマナーとしてはどのくらいマズいだろうか」
「私からですか!?…ええと、私もあまり気にならなかったというか…ただ…」
「ただ!?」
「父上、そういうところですよ。ただでさえ地声が大きいのです」
「あ…ああ、すまない。その、ユリ嬢、どんなことでも構わんので、教えてもらえるだろうか」
ユリの返答に思わず身を乗り出したテンマを、トーマがすかさず嗜める。たちまち大きな体を縮めて眉を下げるテンマを見ると、どちらが年上か分からなくなる気がした。
「ええと、周囲にあまり体を動かさない男性…貴族の文官の方などが多いと、召し上がる量に驚くことがある…かもしれません」
「そう、なのか…」
「あ!あの、私は、慣れているので!それにたくさん食べる方は好ましいですし、残さず美味しそうに召し上がる姿はずっと見ていたいくらいと思っていま、すし……」
ユリの言葉に愕然とした様子のテンマの向かいで、同じような表情で固まっているレンドルフが視界に入ってしまい、ユリは大慌てで付け加えた。しかし慌てるあまりに喋っている途中で、テンマよりもレンドルフとしっかり視線を合わせてしまった。うっかり頭を通すよりも先に口が動いてしまったユリは、自分の言葉が他人事のように耳に入って脳にやっと届いたのと同時に、レンドルフの顔に赤みが差したのを見てしまって、言葉が尻すぼみに途切れる。
「え、と…私個人の話ですので、エリザベスさんにお聞きしては如何でしょう……」
「…何かすまん」
「いえ…」
ユリとしてはテンマに謝られた方がよほど恥ずかしいのだが、そこはこれ以上触れないようにして目を伏せた。まだ皿の上に残っているローストした人参をわざわざ小さく切って、ごまかすように口に運ぶ。ユリが少々現実逃避しながら人参の甘さを噛み締めていると、小さく「肉の追加を…」と給仕に頼んでいるレンドルフの声が耳に入った。
(さっき言ったことは本心だけど!嘘じゃないけど!この状況だと見てなきゃいけないってことじゃない?)
何だか余りにも素直なレンドルフの反応に、ユリは心の中で主張しながら自分の耳が急に熱を帯びるのを感じていた。
ノルド周辺だけ恋愛ゲームみたいになりました(笑)
シャクヤ・年上セクシーお姉様系
ギンセンカ・元気な無邪気妹系
ツイナ・真面目男嫌い女騎士系
カンナ・クールミステリアス令嬢系