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閑話.レンザ

短いです。


「お帰り、ユリ」

「おじい様!」


ユリが帰宅すると、入口のホールで一人の男性が両手を広げるようにして出迎えた。それほど身長は高くないが細身な分スラリとした印象の男性で、昔は真っ黒であった髪も半分ほど白いものが混じっている。しかし顔立ちは彫りが浅い分ツルリとして年齢不詳で若く見えた。少し細い目を更に細くしてニコニコと笑っていた。


「おじい様こそ、お帰りなさい」


ユリは彼の広げた手の中に収まるように抱きついた。フワリと香るハーブの匂いに、彼女は安堵して彼の胸に頬擦りをする。


「ほら、早く荷物を降ろしなさい。疲れているだろう」

「大丈夫よ。でも早く分類して保存庫には入れないとね」

「手伝おう」

「ありがとうございます、おじい様」


彼は孫娘をエスコートするように手を差し出す。すかさず使用人が彼女の背負っている鞄をサッと受け取った。


「食事は大丈夫かな」

「お昼が遅かったし、お腹いっぱい食べてしまったの。だからそんなにお腹は空いてないわ。おじい様は?」

「私はもう済ませて来たよ。それでは身を清めてから調薬室においで」


彼はユリの部屋の前まで彼女を送り届けると、後はメイドに任せる。


「すぐに行くわ。今日はいい物が手に入ったのよ」

「それは楽しみだ」



ユリはメイドに手伝ってもらって、装備品などを外す。服を脱ぐと、その下には表からは分からないようなシンプルなデザインの身を守る魔道具が幾つも装着されていた。そのうちの一つのアンクレット型の魔道具を外すと、彼女の髪色と瞳の色が変化する。


黒髪に濃い緑の瞳から、雪のように純白の髪に透明感のある青い瞳に変わった。その青い瞳も中心の虹彩の部分が金色になっている。この特徴的な色は、どんな魔道具でも変わることがない特殊なものだ。顔立ちは変わらない筈なのだが、大きく色味が変化したせいで、パッと見ではとても同一人物には見えない。



「お嬢様、楽しい事でもございましたか?」

「分かる?ほら、この前助けてくれた大きな騎士様の話をしたでしょ。今日は偶然森で会ったの」

「森で、二人っきりでございますか?」

「いやあね、ミリー。私は大丈夫よ。知ってるでしょう?それにやっぱり紳士的な騎士様だったわ」


ミリーと呼ばれたメイドは、彼女の話に一瞬眉を顰める。未婚の男女が誰の目も届かない場所で二人きりと言うのはあまり褒められた行為ではない。しかし彼女の言うように、身を守る為の強力な魔道具で身を固めたユリに不埒な真似をするような輩は、それこそ死んだ方がマシと思われるくらいの手酷い反撃を喰らう筈だ。


ミリーはユリの固くキッチリと纏められた髪を解く。すっかり癖の付いてしまった髪は、豊かに波打ちながらバサリと彼女の腰の辺りまで零れ落ちた。解放されて気が緩んだのか、ユリは大きく溜息を吐きながら軽く頭を振った。


「すぐに湯浴みが出来るように準備しております」

「ありがとう。今日はおじい様が待ってるから、手伝ってくれる?」

「勿論、そのつもりです」


いつもは入浴は一人で行っているのだが、長い髪の手入れは一人では時間がかかり過ぎてしまう。


「どうぞ、ユリシーズお嬢様」

「ええ」


ミリーに案内されて自室の浴室へと向かう。その姿は薬師見習いのユリから、大公女ユリシーズ・アスクレティへと戻っていたのだった。



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「おじい様、お待たせしました」

「随分急いだようだね。もっとゆっくり疲れを癒してから来ていいのだよ」

「湯に浸かるより、おじい様とお話ししていた方が癒されます」

「ユリは私を喜ばせるのが相変わらず上手いな」


彼女専用の調薬室は幾つもの実験器具が所狭しと並び、壁一面の棚には様々な素材や薬瓶が並べられている。部屋の中央に置かれた広い机には、彼女が採取して来た薬草の瓶がズラリと並んでいて、彼が手袋を嵌めてひとつひとつ丹念に眺めているところだった。


ユリことユリシーズは、体を清めた後に、装飾の一切付いていない簡素なワンピースの上に白衣を羽織った姿で現れた。長い髪は首の後ろできちんと纏められている。


「毒素が抜ける過程で変異種も変化して行くとはなかなか興味深い。土の毒の濃度をもっと細かく分ける必要があるな」

「逆にこちらの苔はもう三年以上変化は見られないようです。一度粉砕して詳細を見る必要はありますが、目視した時点では前回の採取と変わりがないかと」


彼は片目にレンズを装着しながら、手元のライトで透かすように光を当てた植物サンプルを覗き込んでいる。二人とも世間話など一切せずに目の前の薬草について語り合っている。顔立ちも、纏っている色味も全く似ていないが、薬草について語る姿は確かな血縁を感じさせた。



彼は、現大公家当主レンザ・アスクレティ。学園都市の創設者の一人であり、医学と薬学の専門院初代理事長を務めていた。15年前にその座を譲り、今は非常勤の薬草学講師として学園都市と王都の屋敷での生活を主としていた。

そして彼の後継であり、たった一人の孫娘であるユリシーズは、エイスの街にほど近いアスクレティ家別邸で暮らしている。今日は久しぶりにレンザは別邸を訪れていた。



「今日は何か収穫があったようだね。この魔獣の血かい?」

「ええ。新鮮なホーンラビットの血をいただきました。あと、角もとても良い状態です」

「…ほう、これは確かに。一撃で仕留めているね。無駄に追い立てて恐怖を与える猶予もなく…おそらくこの固体は己が狩られた事すら気付いていないかもしれないな」


レンザは血液の入った瓶をユラユラと揺らして、内側に薄く張り付いた血の軌跡を光に翳した。魔獣は、攻撃を仕掛ける際に体内の魔石から魔力を血液中に放出する。その為、魔獣の血液は精製すると魔力の媒介に非常に優れた素材になるのだ。しかし、狩りの際にあまり恐怖を与えてしまうと攻撃や防御に自分の魔力を使うため、特定の魔力しか通さない状態になってしまう。そうなってしまうと、殆ど使い道はない。魔力を通す媒介は魔道具を製作する上で欠かせない素材である為、状態の良い魔獣の血液は常に不足し、魔道具の動力となる魔石より需要が高いとも言われている。

勿論、魔獣の血液以外にも媒介となる素材は存在する。しかし、やはり素材として最も優れているのは血液を精製したものだった。


「良い腕だ。……それに、なかなか紳士的な騎士のようだね」

「…さすがにご存知でしたか。今日ここにいらしたのはその確認ですか?」

「まあ、それもあるよ。可愛い孫娘に厄介な虫は近付けたくないからね」

「虫ではないですよ、おじい様」


ユリシーズが苦笑しながら、布に包まれたホーンラビットの角をレンザに手渡す。レンザは片目に装着したレンズを外して、布から角を取り出し「ほう」と再び感嘆の声を上げた。


「こちらもまた見事だな。仕留め方もそうだが、解体の腕も確かなようだ。さすがクロヴァス辺境領で鍛えられているだけある」

「やはりそこまで分かっていたのですね」

「彼は色々目立つからね。特に今は」



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ユリシーズには、アスクレティ家の「草」や「根」と呼ばれる護衛兼諜報員が付けられている。彼らは当主以外に仕えることはない代々の忠臣で、ユリシーズでさえ誰がそうなのか分かっていない。そして、どこでどうやって護衛をしているのかも彼女自身も全く分からないのだ。


おそらくエイスの街で絡まれていたのを助けてくれた時から、既にレンドルフのことは調べられていたのだろう。



「彼は、良い方です。とても貴族とは思えないほどに」

「ああ、分かっている。今のままであれば交流を続けても問題はないだろう。ただし、未婚の男女という距離感は守るようにね」

「はい」

「ユリは気を許した相手には無自覚に煽る癖があるからな。私は心配だよ」

「…煽るって…そんなことしていません!」



全く覚えのない事を言われて、ユリシーズは少しむくれたような表情になってプイ、と横を向いた。レンザはその子供っぽい仕草も愛おしくてたまらないと言わんばかりに、手袋を外して彼女の頭を撫でた。


「今度は彼も討伐に参加するらしいね」

「はい。まだ確約はしていませんけど」

「ユリがいるならきっと参加するだろうな。騎士は姫君を守るものだろう?」

「私を姫扱いしてくれるのはおじい様だけで十分ですよ」

「それは光栄だ」


レンザは再び手袋を着けて、角を矯めつ眇めつ丹念に眺める。眺めながら、彼の口角が自然に上がっていた。


「どの角度から見ても素晴らしい。ユリ、出来たらこの角を譲っては貰えないか?少々行き詰まっている研究チームがあってね。これを提供すればもしかしたら良い成果が得られるかもしれない」

「あら、高く付きましてよ?」

「そこは身内価格でお願い致します、我が姫君」


ユリシーズがわざと高飛車風に言うと、レンザも恭しく頭を下げる。そしてお互い顔を見合わせて吹き出した。


「適正価格でお願いしますわ、おじい様」

「助かるよ」


レンザは丁寧に角を布を包むと、今度は別の小瓶を手にする。それらを眺めながら、二人は互いの見解を交わしつつ、時折実験器具や魔動具に向かって作業を繰り返していた。



ここはアスクレティ家の調薬室である。それはもう研究熱心な似た者同士を止められる者はどこにもおらず、全て採取したものを検証し終えた時にはすっかり夜が明けていたのだった。



「赤熊辺境伯の百夜通い」に登場したレンザです。

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