96.公認ストーカー
テンマが冒険者をしていた頃。
テンマは若くして腕も立ち、珍しい闇属性の魔法を使いこなすことにより見る間にランクを上げて、Aランク確実と見なされていた。テンマをリーダーとして幼馴染みと組んだ四人組パーティも全員がレベルが高く、向かうところ敵無しと言われる勢いがあった。
そんな中でテンマの姉夫婦が急逝し、彼は甥のトーマを養子に迎えた。身内がテンマしかいなくなってしまったトーマはまだ幼く、テンマは冒険者の活動を控えて息子の側にいることが多くなった。Aランクに上がれれば特権として身内はギルドからの庇護を受けられるようになる、とテンマのパーティメンバーは少しでも早くランクを上げて特権を得られるように提案をし、バジリスクの卵を獲得する依頼を受けるように勧めた。
「俺は自分の為に息子もパーティのリーダーの地位も欲張ったばかりに、他のメンバーにどれだけ迷惑をかけているかなんて気にしていなかった」
リーダーが不在のためパーティで依頼を受けることがなかなか出来なくなり、それならと個人の指名依頼を受けようにもテンマがトーマに気を取られてすぐに許可を出せないことが増えた。テンマの対応が遅いせいで何度か依頼を逃すようになると、結束の固かった仲間達の間で少しずつ不満が溜まり、パーティに歪みが生まれていった。しかし慣れない子育てに翻弄されていたトーマはそのことに気付けなかった。
次第に歪みは破綻となって訪れ、Aランク特権が欲しかったテンマは少し無茶と思いつつバジリスクに挑み、その裏で仲間はテンマを盾にして名声と高額の報酬と得ようとした。
テンマがもう引き返せない程パーティが瓦解していたことにようやく気付けたのは、バジリスクに挑んで自らが重傷を負い、パーティメンバーの二人を喪ってからだった。
「残った俺とあいつ…仲間を犠牲にして彼女とバジリスクの卵を持ち帰ったことで、俺達は皮肉にもAランクに昇格した」
残った彼女と二人で新たなパーティを組んで、失った仲間を互いに悼みながらトーマと三人で家庭を築いて行くつもりだった。自分の我が儘でダメにしてしまったパーティも仲間も、彼女と息子を幸せにすることで時間を掛けて償って行こうと思っていた。
「だが、あいつは…トーマを、俺に隠れて辛く当たっていた。しかも、いなくなってしまえばいいと、密かに食い物に毒を混ぜた」
「毒を…」
苦々しく呟いたテンマの言葉に、ユリが息を呑んだ。
何故こんなことをしたのかと彼女を問い詰めると、初めて顔を合わせた時から姉に似ていたトーマが嫌いだった、トーマのせいで仲間を失ったのにまだテンマを独占している、と叫ばれた。その時の彼女の姿があまりにも醜悪に思えて、自分が原因だと分かっていても彼女に対する気持ちが全て凍り付いて砕けてしまった。
「その時使っていた毒が『天上の竪琴』というヤツだった。幸い手遅れになる前に俺が気付いたし、精製されたものではなく草のままだったおかげでトーマは無事だった。後遺症もなかった」
「その…その人は…」
「俺がそれに気付いて責めると、そのまま俺とトーマを酷く罵って草を持って逃げた。追いかけようにも、先にトーマの解毒を優先したので無理だった」
その後すぐにテンマ自身が怪我の後遺症で冒険者を引退し、姉夫婦が立ち上げた商会を全面的に引き継いで、トーマが成人を迎える日までに少しでも不自由がないようにと全力でミダース商会を大きくしたのだった。
「俺を闇討ちしようと狙って来るヤツがリズの元婚約者で、それを焚き付けたのがその女だという話はしたよな」
「ええ」
「その俺を襲って来た破落戸の中に、どうも息子に使ったのと同じモノを使われた人間がいた」
「その息子さんに使用されたのは何年前なんですか?」
「たしか12…3年前だったな」
「その時に持って逃げたとしても、そこまで薬効は持ちませんよ」
「いや、草と言っても、どっちかと言うと苗に近かったんだ。そいつを栽培していたなら、今も手元にあってもおかしくない。それにあいつは…緑魔法を使う」
緑魔法は、植物の育成を助けたり、種を芽吹かせたりすることが出来る。あまり攻撃には使えない能力ではあるが、その魔法が使えれば農業を主産業とする領地などでは厚遇されるものだ。その魔法が使えるならば、秘密裏に違法薬物の原料になる薬草を長年手元で育てていてもおかしくない。
「確固たる証拠はない。しかし、昔トーマに毒を使った女が、同じ毒を使われた人間を俺に送り込んだ首謀者に名を連ねていた。それにまあ…あいつならやりかねないと言うか…」
「なんでそんな人と付き合ってたんですか」
「その頃はすっげえ惚れられてると思ってたんだよ!今思うと、一度手に入れた物は自分の好きにしたいって執着が強いだけだったんだって分かるようになったけどよ」
ややこしいことになったと思いながらも、もしその女性が未だに違法の薬草を栽培しているとなると事態は相当深刻だと頭の中でユリは色々と考える。
「その、襲撃者で『天上の竪琴』が使われてた人はどうなりました?」
「捕まえることは出来なかった。今頃は多分どっかに埋められてるか沈められてるんじゃないか」
「その人がいれば証拠になったんですけどね…というか、よく10年以上前に使われた毒と同じって分かりましたね」
「ん?特徴的な見た目があるからすぐに分かるだろ?」
「はい?」
「え?」
一瞬、テンマとユリは目を瞬かせて無言で見つめ合った。
「え?ちょっと待ってください。特徴的な見た目?『天上の竪琴』にそんな症状出るなんて聞いたことないんですけど」
「嘘だろ!?あんたそれでも薬師かよ!」
「薬師見習いです!」
「見習いだろうが何だろうが、何で知らないんだよ」
「そんなの知りませんよ!」
ひとしきりワーワーと言い合って、テンマはもうエリザベスが視察で工房内を回る時間が近くなっているのに気付いて、ひとまず話を切って店を出ることにする。席を立つ直前、ユリがまだグラスに半分程残っていた火酒を一気に呷ったのを見て、テンマはパカリと口を半開きにして支払いの小銭をバラまいてしまっていた。
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再び工房に向かいながら、人通りがないことを確認してからボソボソと話を再開する。
「全部の種類は知らないけどな、『竪琴』と『トランペット』『シンバル』は草を食うと外見に出るんだよ」
「それ…12年前に栽培も禁止になる前には、毒性が弱いから一般家庭の庭先でも生えてたものでしたね、確か」
「そうなのか?ああ、言われてみればここのところ見かけないな。昔は頭がおかしくなるから食うな、って大人から教わって育ったもんだったな」
12年前に法案が制定され、「天上の楽団」と括られるミュジカ科の薬草は、栽培も全面的に禁止になった。それまでは一部の種類は花が美しいので家庭でも観賞用として栽培可能であったし、ごく普通の花屋でも苗が購入出来たのだ。当時は軽めに食用禁止と言われているだけで、植物の状態で持っている分には罪にはならなかったからだ。さすがに製薬化したものをギルドを通さずに使用、売買をすると現在と同じように罰せられたが。
しかし常用性と後遺症の質の悪さが判明してからは、精製されたものだけでなく、葉でも所持しているだけで犯罪であると厳しく取り締まられるようになったのだ。その為、禁止の法案が成立した頃に、一部の研究所を除いて国中のミュジカ科の薬草が一斉に駆除された。
「私が知っているのは、製薬化したものを摂取した場合の症状と対処法です。一般的な教本にも外見に出るとは書かれていませんでした」
「ああ、貴族のお嬢さんじゃそこら辺の草を食うことなんてないし、周りも知らんかもなあ。それに12年前ならお子様だったろうからな」
「う…まあ、それは事実ですけど」
テンマが言うには、「竪琴」を摂取すると髪の先の色が変わるのだそうだ。人によって変わらない場合もあるが、主に毛先が金色になるらしい。元が金髪の人はあまり分からないし地毛を既に染めている人は変化がないので、特に症状が分かるのは子供が多い。トーマが飲まされたのに気付けたのは、彼女がそれがバレないようにテンマの留守中にトーマの髪を無理矢理染めさせようとしていたところにテンマが偶然早く帰宅したおかげだった。
「『トランペット』は妙に唇が赤くなるし、『シンバル』は爪の先が黒くなるんだ。大人になるとその薬を使ってるのがバレないように化粧とかでごまかすことも出来るんだが、子供は分かりやすい。それでうっかり遊びで食ったのがバレて親に大目玉を食らうのがセットだったな」
「今思うと怖い話ですね。危険性も分からずに手軽な娯楽的に扱われていた時代もありましたし」
「そうだなあ。食うと酔っぱらったみたいになるのが面白かったからなあ」
「…テンマさん、食べたんですね」
「ははは、俺くらいの年代の悪ガキは大体一度は食ってたぜ。ま、えらいマズいんで、大抵一回で懲りるんだよな」
先程と同じ木の上で見守っていると、ちょうどタイミングが良かったらしく建物の中から従業員に案内されるようにエリザベスとレンドルフが連れ立って出て来るところだった。そのまま敷地内の奥にある細長い形の建物に向かうようだ。
「俺に付いてくれば見つからずに工房内から様子が見えるぞ」
「あ、はい」
尾行に慣れているのか、テンマはユリを手招きして工房の敷地内に忍び込んだ。そのまま死角を上手く利用して、誰にも見つからずに一定の距離で並走するようにレンドルフ達を追って行く。ユリも釣られて付いて行ってしまったので大きなことは言えないが、あまりにも手慣れた様子のテンマの背中を眺めながら、呆れたような視線を送っていた。
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テンマは建物の側に積み上げられた箱を足場にしてスルスルと上方にある窓までよじ上り、胸ポケットから何やら小さなプレートのような物を取り出してササッと鍵を外して窓の中に入り込んでしまった。完全な不法侵入者である。そこからすぐに先が輪になったロープがユリの前に垂らされて、窓から顔を出したテンマが手招きしていた。そしてユリがその輪に足を引っかけるとすごい勢いで引き上げられ、あっという間に窓の内側に引き込まれていた。
そこからこっそりと天井の梁を伝って下を見下ろす形になる。その梁の周辺は全く埃が溜まっていないので、どうやらテンマはこの不法侵入の常連のようだ。これでは護衛というよりもただのストーカーなのでは…?と思わずユリは半目でテンマの顔を眺めてしまったが、その気配を察知したのか「ここに潜むのはリズも承諾済みだ」と慌てて呟いていた。
その信憑性はともかく、テンマの案内してくれた場所は下の様子が見渡せる上に、こちらの姿は梁で上手く隠れられると言うベストポジションなので、しばらく何やら色々と説明を受けているエリザベスと適度な距離で付いて回っているレンドルフを見守ることにした。
「…あのですね、ちょっと考えたんですけど、テンマさんの息子さん。トーマさんを一度毒物残留検査をさせてもらえませんか」
「トーマをか?まあ別に構わんが、もう10年以上前の話だし、当時もちゃんと解毒剤は飲ませてるぞ」
「あの薬草の恐いところはですね、摂取した量と体質次第で20年以上経っても体内に残留しているところなんです。それに気付かないで何年も過ごして、何かの弾みで再び同じ薬物を取り入れてしまったら、少量でも体が過剰反応して高確率で…酷い中毒症状を起こします」
本当は「高確率で死に至る」のではあるが、ユリは少しだけごまかした。それを伝えている途中からテンマの顔色がどんどん悪くなっていたからだった。
「それに今は解毒剤も検査も進歩していて、完全に体外に排出されたことまで確認出来るんですが、当時はまだ開発されてなかったと思うんですよ。だから、念の為検査をお勧めします」
「…それは、待たされるものか?」
「薬師ギルドに確認してみないと分かりませんが、せいぜい二、三日くらいだと思いますよ」
「分かった。今日戻ったらすぐに手配する」
動揺を隠すように、テンマは自分の手で顔の半分を覆った。薄暗い中ではっきりとは分からなかったが、その指先が微かに震えているようにも見えた。
「ついでにテンマさんも受けるといいですよ。葉の数枚くらいじゃ体内に残ってないとは思いますけど……もし、どちらかの体内に残留が確認されたら、解毒剤が処方されますから」
「…そうか。それなら正規の手続きで毒抜きが貰えるな」
もしテンマを狙っている相手が「天上の竪琴」を持っているのならば、襲撃者に使用するだけでなくテンマ自身、または周囲の者に使わないとも限らない。テンマがユリに解毒剤を融通してもらおうとしたのは、そのことを用心して予め準備しておきたかったのだろう。もし残留が確認されれば、その量にもよるが数日分は解毒剤が処方される筈だ。本来ならば処方された人間以外に使用するのは推奨されないが、万一のことを考えてユリはそこは目を瞑ろうと思った。
「あと、このことは私の…師匠に当たる方にお話ししますよ」
「話して大丈夫なのか?」
「大丈夫です。お二人に異常がなかった場合は解毒剤のお渡し出来ませんが、何かあった時にすぐに対応出来るように解毒剤用の素材の準備をして貰います。見習いの立場では、その解毒剤は販売出来ませんから」
「恩に着る」
「これがギリギリの妥協点ですからね。これ以上はしませんから」
「ああ、感謝するよ」
「…こちらこそ。有益な情報を教えていただいたお礼です」
「有益な情報?ここに入り込むルートが?」
「違いますよ!精製前の薬草を摂取している人の見分け方です!」
ユリが小声で強めに言い返すと、テンマは声を出さずに口角を上げて肩を震わせた。ユリはどうやら揶揄われたらしいことに気付いて、少々頬を膨らませて横を向いたのだった。