94.運命の出会い、かもしれない
お腹一杯になったのか、気が付くとノルドがレンドルフの側まで寄って来ていた。心なしか腹がぽってりとして揺れているような気がするが、一体花だけでそこまでになるにはどれだけ食べたのだろう。
「レンくんのスレイプニルか?良い筋肉の付いた個体だな」
「ありがとうございます。ノルドといいます」
「真っ直ぐで気性の良さそうな目をしてる」
言われてみれば、甘い物に対して並々ならぬ執着を見せることがあるが、ノルドの気性は真っ直ぐだ。
クロヴァス領で調教しているスレイプニルや魔馬は、自身で考えて行動出来ることを重要視して育てられている。勿論乗り手の言うことを聞かなさすぎるのも困るが、魔獣を相手にしていると人間の判断では予想もつかないことが多い。主人に従い過ぎて、魔獣の待ち伏せているど真ん中へ入り込んでしまったりすることもあるので、自分の判断で時には主人に逆らうことも必要だと教えられているのだ。ただ生まれ持った性格もあるので、勝手に動き過ぎて騎乗には不向きな結果になって農耕や土木の作業に回されることになったり、賢いを通り過ぎて賢しらになり主人が見つからないまま何十年も活躍出来ないままだったりというのも珍しくない。
その点で言えばノルドは自分の判断で動くことも出来るが、陽気で素直な性格でレンドルフとも相性がいい。
テンマが撫でようと慣れた様子で手を伸ばすと、ノルドは何故かその手を避けてその手の平に鼻をピタリと押し付けた。
「ん?何だ、確認か?」
初対面の人間にもそこまで過剰な警戒を示さないノルドなのだが、何故かテンマの手の匂いをしつこい程に嗅いでいる。以前にタイキと顔を合わせた際に、手に粉砂糖が付いていたので思い切りタイキの手にしゃぶり付いたことはあったが、それとは違うようだ。
そんなことをしているうちに、ノルドの鬣がブワリと逆立った。
「ノルド!?」
「ああ、そういうことか」
あまり見ない反応を示したノルドにレンドルフが慌てて声を上げたが、テンマはその理由が分かっているようで、反対側の手を上げてレンドルフを軽く制した。
「こいつ、ノルドと言ったか。今幾つくらいだ?」
「10…もうすぐ11になります」
「ははは、やっぱりか。俺のとこにもスレイプニルとスレイプニルの血を引いた魔馬がいてな。全部雌なんだ」
「あ…ああ…その、すみません」
ノルドは人間で言えば17、8歳くらいで、少々早いが伴侶を捜してもおかしくないくらいの年齢だ。まだ食欲優先なようなのでレンドルフもそういった相手は探していなかったし、その辺りはクロヴァス家で時期を見て引き合わせる機会を設けるだろうと思っていた。しかしノルドはテンマの体に残っていた雌の匂いを感じ取って、少々興奮状態になってしまったようだった。
「こりゃ誰か相性の良さそうなヤツがいるな」
「そうなんですか」
「ああ。発情期でもなけりゃ、どんなにいい雌の残り香でもここまで反応はしないさ。どうかな、一度見合いの場を設けてみるというのは」
「それは…」
テンマの言葉の裏に「そのついでに護衛でも」という声を聞いたような気がして、レンドルフは視線を彷徨わせた。さすがにテンマも欲が前面に出過ぎたかと苦笑している。
「ま、ウチとしても優秀なスレイプニルの種はもらえるもんなら貰いたい。コイツが乗り気ならちょっと考えてみてくれ」
「…善処します」
ランクの件などを盾にして面倒事は断れたかと思っていたが、思わぬところで伏兵がいたものだ、とレンドルフは隣に立つテンマに分からないようにそっと溜息を吐いたのだった。
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「レンさんとしてはどうしたい?」
帰り道でノルドに乗りながらレンドルフはユリに相談してみたのだが、ユリの返事はこうだった。
「俺としては、最初の約束通り期間中はユリさんの採取をきちんと優先したい。ただ…ずいぶんと関わり合いになったし、パーティーにも招待されてるし、そのまま知らん顔をしてるのもちょっと心苦しい、かな」
「そうねえ…もしかしたらノルドとご縁が出来るかもしれないし?」
「それもあったか」
テンマからは、エリザベスの護衛を引き受けてくれるなら相場以上の金額を出すとは繰り返し言われていた。テンマも出来ることならば自分で未来の妻を守りたいところだろうが、闇討ちを仕掛けて来る相手を潰しておかないと却ってエリザベスを危険に巻き込みかねない。勿論ギルドで護衛を募集すれば優秀な冒険者は見つかるだろうが、エリザベスには理由を説明したくないし、アリアの目に適い過ぎるのもまた別の問題が浮上しそうだった。単純に女性か既婚者を選べば良さそうなのだが、テンマにも色々拘りがあるらしい。
テンマとしては、単純にエリザベスに既婚と言えども男性を近付けるのは安心出来ないという気持ちと、女性護衛の場合ジェイクの見た目に惑わされるという懸念もあったのだ。テンマは以前に復縁を迫るジェイクの姿を遠目から見たことがあったが、中身はともかく外見は物語から抜け出して来たような麗しい容貌をしていた。これまでエリザベスにして来たことを考えれば、彼女に靡く要素は皆無とは思ってはいるものの、それでも気持ちがざわつく程度にジェイクは美形であったのだ。
「そうねえ…レンさんの判断に任せるけど、数日だけ護衛が見つかるまではレンさんが付くとかは?」
「見つかるまで、か」
「そのままズルズル延長されるのもなんだし、三日間、って期限を決めるとか」
「もしそうするとして、その間のユリさんの採取は大丈夫?」
「昨日大本命の金の青銅苔が採れたから、すぐにどうしても、っていうのは今のところ大丈夫。あれはレンさんじゃないと削るの難しそうだったから付き合ってもらいたかったのもあるし」
「追加で採取しなくても平気?」
「うん。あれは日持ちがしないから、一度に沢山作っても期限切れで無駄にしちゃうのよ」
レンドルフは暫し考えていたが、ユリの提案のように護衛を探す為の三日間だけエリザベスの護衛をすることを引き受けると決めた。もし三日間で見つからなくても、それ以上は延長しないと固く決める。
「ユリさん…出来たら四日後に絶対に採取したい薬草を決めておいてくれるかな」
「…絆されそうなのね」
「ゴメン」
一応決意は固いものの、それでもちょっと自分できっぱり断れるか不安なレンドルフは、少々情けない顔でユリに予防線を張ってもらったのだった。
「じゃあ、次はエイスの森の西側ね。採水地に近いんだけどそこは立入り禁止にはなってないから、最後のジギスの花がまだあると思う」
「分かった」
「ついでにサギヨシ鳥もいるといいわね」
「どっちが本命か分からなくなりそうだな」
定期討伐が開始して間もない頃、聖水の元になる採水地の近くで呪詛の魔道具が発見されて以来、討伐期間が過ぎても未だに調査が終わっていないらしく、採水地一帯は立入り禁止のままになっていた。ただ、その後どこかに異常が現れたという話も聞かないのは安心材料ではあった。
「ここのところミキタさんの店にも行ってないし、時間があったら行こうか」
「そうね。またハンバーグに当たるといいなあ」
「そうだね。あれは美味しかった」
初めてユリと出会って、連れて行ってもらった時のランチメニューがハンバークだった。あれからタイミングが合わないのか、一度もハンバークの日に当たっていなかった。肉汁溢れる肉の中のシャキシャキとした歯応えの残る粗みじんのタマネギが甘くて、パンに挟んで思い切りかぶりつくのが最高だった。
「あ、ユリさん、髪が…」
「え?…痛っ」
「ちょっとノルドを止めるから、少し動かないで」
ノルドが走っている風を受けて、一房緩んで零れ落ちていたユリの髪がレンドルフの装備の金具に引っかかってしまったのだ。レンドルフが危ないと気が付いた瞬間に絡み付いてしまった。急いでノルドを止めると、引っかかったユリの髪を外そうと手袋を外す。
「あ…えと…ちょっと待って…」
「大丈夫?」
「もうちょっと…あれ?」
何とか絡んだ髪を外そうと試みているのだが、彼女の髪を引っ張らないようにおっかなびっくり触れているので、なかなか外すことが出来ない。
「切っちゃってもいいよ」
「それは…もうちょっと待って…」
もしこれが自分の髪なら間違いなく引きちぎっていたが、さすがに女性の髪を手荒く扱うことは出来ない。しかし焦れば焦る程手元でスルリと滑ってしまう。暑くもないのにレンドルフはこめかみにジワリと汗が浮かんで来ていた。
「レンさん、ちょっとだけ手を放してもらえる?」
「う、うん…ゴメン」
「大丈夫だから」
レンドルフが手を放すと、ユリは髪を纏める為に付けていたバレッタをパチリと外した。彼女の長い黒髪が、重みに従って滝のように背中に零れ落ちた。髪飾りを外したので、引っかかっていた髪の部分にも余裕ができて、ユリは半身を捩るようにして振り返った。そして自力で手が届くようになったので、ユリは自分で引っかかった金具に手を伸ばした。
「ほら、取れた」
「…今、完全にブチッて音がしたんだけど」
「気のせいよ」
ユリはサッと目を逸らして前を向いた。実際数本ではあったが、面倒だったのでさっさとちぎったのだ。多少毛先が傷んだかもしれないが、沢山あるので目立つことはないだろうと大雑把にユリは考えていた。
「あ、また引っかかると行けないからすぐに束ねちゃうね」
普段はメイドの手を借りて纏めてもらっているが、ただ束ねるだけならユリも自分で出来る。ただ今は丁寧にブラシなどで整えるのは難しいのでポーチから組紐を出して首の後ろで一つに纏めると、結び目を中心に背中に落ちる長い髪を捻って棒状にしてからクルリと丸め、毛先をバレッタで留めた。また纏めそこねた髪がはみ出していないか襟足の辺りを撫でて確認する。
「もう大丈夫。…レンさん?」
問題ないと振り返って背後を見上げると、何故か赤い顔をしたレンドルフが固まっていた。何かしてしまったのだろうかとユリが不思議そうに首を傾げると、ハッと我に返ったように頷いた。
「う、うん。それじゃ、出発するよ」
レンドルフは、至近距離でユリの髪が広がってフワリと漂って来た香油の甘い香りと、白く華奢な彼女のうなじから目を離せなくなってしまい思わず固まってしまったのだ。が、それを記憶から必死に追い出すように軽く頭を振ると、レンドルフはノルドの手綱を引いたのだった。
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一応気が変わったら、ということで半ば強引に押し付けられたテンマ宛の伝書鳥で、レンドルフはテンマが護衛を手配するまでの三日間だけエリザベスの周辺警護を引き受けると手紙を出した。何だか結局テンマのいいように話が進んでいるような気がするが、やはり知っていて見過ごすのも気持ちの収まりが悪い。レンドルフ宛の伝書鳥を同封していたので、しばらくすると急いで書いたと思われる返事がすぐに届いた。
明日は、エリザベスは単独でリバスタン街の外れにあるビーシス商会の紡績工房の視察予定なので、その出発前に理由をつけてノルドで伯爵家を訪れて欲しいと書かれていた。内心、その理由に付いても考えておいて欲しいのに、とレンドルフは思ったが、ひとまず先日の襲撃者を心配してと言えば何とかなるだろう。
貴族街に行くのだからいつもよりは上等な服を着て行った方が良さそうだとか、いきなり訪ねるにしても手土産くらい持参した方がいいだろうか、などと考え始めたら思ったよりもすることが多く、レンドルフはたった三日間と思っていたが、実際はそれが随分長い日程のように思えたのだった。
翌日、レンドルフは使うとは思わなかったが念の為持って来ていた質の良い乗馬用の服に身を包んで、少し硬めの革の手袋に指を通した。一応馴らしてはあるのだが、それでもまだ完全に手には馴染んでいない。久しぶりに髪を固めて前髪を上げた自分の顔は、何だか妙に収まりが悪いような気がした。ここのところずっとラフな冒険者風の格好をしていたので、正装ではない伸縮性のある素材のシャツや、軽めの素材で作られたタイですら窮屈に感じられる。これではタウンハウスに戻ったらしばらくはきちんとした服装で過ごして慣らしておかないと苦労するかもしれない、とレンドルフは軽く溜息を吐く。どこの部署に配属されたとしても、王城所属の騎士は式典参加などで正装しなければならない場面は思いの外多いのだ。レンドルフはつい無意識に襟元に手をやりそうになる自分に苦笑していた。
「では、行って来るよ」
「…行ってらっしゃいませ」
正装とは程遠い軽めの装いではあるが、それでもこの別荘に来た初日以来久しぶりに貴族然としたレンドルフを目にした従僕のデヴィッドは、何だか別人を見送っているような気持ちになっていた。そのせいか一瞬だけ受け答えが遅れてしまったのだが、幸いレンドルフには気付かれていなかった。しかしキャシーには見破られていて、後からしっかりと厳重注意を受けたのだった。
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レンドルフはノルドに乗って、リバスタン街の貴族の屋敷が建ち並ぶエリアに真っ直ぐ向かった。
平民街と貴族街を分ける入口で、昨夜テンマから送ってもらった通行証を門番に差し出す。テンマはこの貴族街の中で最も広い敷地を有した屋敷を持っている。それにリバスタン街の象徴であり、もっとも街の発展に寄与しているミダース商会の元商会長だ。彼の印章が押されて直筆のサインが入った通行証があれば、この街では入れないところはない。入口に設置されている魔道具に通行証を翳せばすぐに本物と分かるし、レンドルフの外見やスレイプニルを連れていることから確実に貴族と思われるので、足止めされるようなことは全く無かった。
基本的に馬車で行き来するので貴族外の道は広く取られている。レンドルフはノルドに騎乗したまま、昨日ユリに手土産の相談をして教えてもらった店に向かった。
目的地の店は、黒く艶のある塗料で磨き上げられた外装で、あまりにも磨かれているのでまるで鏡のように見える程だった。表には窓がなく中の様子は全く窺えないので、一見すると商店には見えない。しかし、ここは知る人ぞ知る有名なパティシエのチョコレート専門店だった。中央に壁と同じく黒いドアがあり、金色の取っ手が付いているのでそこが入口と分かる。
ドアを開けると、店内は外装とは真逆で、柔らかな光に包まれたような優しい白い空間が広がっていた。白と言っても目に痛いような色合いではなく、ごく淡いオフホワイトといった印象だった。そして、店内にはグルリと壁に添って腰の高さくらいのショーウィンドウがあり、中には宝石かと思うような光沢と輝きを有しているチョコレートが並んでいた。色の違うチョコで表面に美しい模様を描いたものや、色は褐色のままだが一切傷も歪みもなく完璧な球体のもの、そして向こうが透けて見えるほど薄く固められたチョコレートの花弁を組み合わせて、この世には存在しない花を作り出していた。
まるで美術館にも迷い込んでしまったかと思わせるような芸術的なチョコレートが並ぶ空間に、レンドルフは時が経つのを忘れそうになってしまった。
「今日のおすすめを20程、準備してくれるかな」
「お好みは何かございますでしょうか」
「そうだな…女性に贈る物なので、使っている酒精は弱いもので、色味は華やかなもの…あとフルーツを使用しているものを中心に頼めるだろうか」
「畏まりました」
準備をしてもらっている間、店の一角で試食と飲み物を勧められた。少し硬めで座り心地の良いソファに案内され、真っ白な板皿の上に三種類の小さなチョコレートが置かれたものとデミタスコーヒーを提供された。一つはオレンジの砂糖漬けにチョコレートをコーティングしたもの、一つはローストしたナッツが入ったもの、そしてもう一つはワインなどに合わせる為の全く甘みのないものだった。甘い物好きに思われなかったのか、単に試食用におすすめを出されたのかは分からないが、甘くないチョコレートは思ったよりも食べやすくてカカオの香りが濃かった。しかしレンドルフとしてはやはりチョコは甘い方が良い。
「この甘くないものも別にもらいたいのだが」
「こちらは三種類の内容量の違う箱でご用意しております」
「ではこの小さい箱で。袋は別にしてもらえるかな」
「はい。只今準備致します」
レンドルフは甘い物の方が好ましいが、そこまでではないユリにも買って行こうと思い付いたのだ。この店を紹介してくれた礼にもなるだろう。一番小さい箱にしたのは手軽なお礼くらいになりそうなサイズだったのと、箱の色が淡い薔薇色で自分の本来の髪色に一番近かったのでつい選んでしまった。
ビーシス伯爵家への手土産の方には光沢のある茶色い包装紙に、光の加減で金色にも白にも見えるリボンを掛けてもらった。ユリへのお礼の方はそこまで仰々しくしたくなかったので包んでもらうだけに留める。
店を出た時にちょうど先触れで知らせておいた時刻に近くなっていたので、レンドルフはいつも以上に姿勢を正してノルドに跨がると、ビーシス伯爵家に向けて鼻先を向けたのだった。