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92.世知辛くてほろ苦い世界


「その、それでものは相談なんだが…レンくんにはエリザベス嬢の護衛を頼めないだろうか」


ひとしきりユリの説教を受けた後、テンマは大変遠慮がちな様子で口を開いた。その内容に、レンドルフとユリは思わず顔を見合わせてしまった。


「護衛ですか?」

「ああ。ちゃんと指名依頼して、通常よりも高く報酬は払う。創立記念パーティーまででいい」

「申し訳ありませんが、それは出来ません」

「他の依頼を受けてるのか?それならその違約金を俺が全部受け持つし、ギルドに説明も…」

「俺、ランク的に指名依頼は受けられないです」

「は…?」


全く予想もしていなかったらしい断りの理由に、テンマはポカンと口を開けて固まってしまった。あまりのことに思考が追いつかないのか、口を何度かパクパクさせているが続く言葉が出て来ない。


「俺はDランクなので、指名依頼は受けられません」

「嘘、だろ…?どう考えてもB確定みたいなヤツが…!?」


レンドルフはサラリと何の疑問もなく話しているが、ユリからするとテンマの混乱も分かるので何とも言えない表情で見守っていた。そしてテンマは元冒険者とは聞いていたので、おそらくAランクだろうとユリは予想していた。今現在、個人もパーティも最高ランクのSSランクは存在していないし、実質最上位のSランクの冒険者はオベリス王国には所属していない。引退したとしてもSランクがこの国に来ていればどこかで話題にならない筈がないのだ。それに不意打ちだったとは言え僅かながらにレンドルフを上回った剣の腕前を鑑みれば、簡単に予想はつく。


「そっちのお嬢さん…ええと、ユリ嬢だったか。あんたは…」

「私はCランクですけど」

「じゃあユリ嬢に指名依頼して、レンくんと一緒に」

「お断りします」


テンマはどうにか立ち直って、今度はユリと交渉出来ないかと話を振った。しかし有無を言わさぬ勢いでレンドルフがきっぱりと拒否で返す。


本来は認められてはいないが、個人で指名依頼した場合も、双方の合意があれば「助手」として依頼には入っていない者を無報酬で参加させることは可能なのだ。たとえばランク外でも特別に経験させておきたい依頼や、わざと指名依頼を断る為に低いランクにしている者の協力が必要不可欠だった場合など理由は様々だが、各自の事情を考慮してそれなりの報酬を確約出来る時に成立はする。

テンマはそれを利用して、ユリを指名依頼してレンドルフを助手として付けられないかと思ったようだ。


「いや、報酬は二人分以上はちゃんと払うし」

「パーティメンバーの指名依頼はリーダーの許可が必要なんですよね?それなら俺は許可は出せません」

「ええ…壁の意味でのランク外かよ…こんなに信用出来るヤツなのに頼めないのか…だからこそ壁になれるのか…」


テンマはブツブツと納得が行ったような行かないような複雑な顔で呟いた。確かにレンドルフがリーダーを引き受けたのもユリの指名依頼を断る為でもあるが、テンマからするとレンドルフがまさか冒険者登録をして間もないのでランクを上げていないとは思ってもいないようだった。

テンマにしてみれば、どう考えてもユリ以外に興味のない鉄壁の護衛なので、レンドルフにならエリザベスの警護を任せられると思ったのだろうが、そうも行かないという事実に頭を抱えている。


「あの、仮に正式にギルドに申請しても私に話は回ってきませんよ?私、薬草採取がメインなんで。多分私を指定して護衛依頼を出したら、ギルドから厳重注意が行きます」


サラリとユリが止めを刺して来て、テンマは完全に撃沈してしまったのだった。



「テンマさんがご自身で護衛をすれば問題ないのでは?」

「いや、ちょっと闇討ちが多過ぎて守りながら対処はキツい」

「そんなにいるんですか!?」

「現役冒険者だった頃なら軽く捌けたんだけどな。ちょっと怪我の後遺症で引退したもんだから、すっかり鈍ってな」

「あれで鈍ったんですか…」

「まあ一瞬で勝負を付けるならまだまだ行けるけどな。長期戦になるとガタガタだ」


テンマは苦笑しながら、自身の右肩をポンポンと軽く叩いてみせた。以前に右肩の骨ごと抉られるような大怪我をして、若いうちは良かったが次第に動きが悪くなってしまった。それでも双剣使いに転換してしばらくは冒険者を続けていたが、いよいよ右腕の可動域が前方と下方だけになってしまった為に潔く引退を選択したと言うことだった。一見するとそこまで悪いようには思われないのと、これまでに培った技術で短期的になら現役時代に近い動きは出来るのだが、相手が多数で長期戦になるとどうしても苦戦は免れない。


「ちょっと肩の様子を診せていただいてもいいですか?」

「え?何でお嬢さんがそんなもんを」

「ユリさんは薬師だから、何か少しマシになる方法が分かるかもしれないですよ」

「レンさん、まだ薬師見習いだからね」


さすがに誰かの目がないとも限らないので、テンマには装備を外してもらって服の上から触れるだけにしておく。肩の装備を外すと、明らかに左右の肩の形がおかしいことが一目で分かった。装備を付けている時には全く変わらなかったので外した装備を見ると、裏側に派手な柄の布が何枚も重ねて貼られていた。


「これがビーシス商会が主に扱ってる生地だ。こうして重ねるとクッション性があっていいんだ。ま、試作品だから派手な色だがな」

「これは悪くないですね」


レンドルフが許可を得て手に取って触れてみたが、思ったよりも軽くて柔らかい。伸縮性のある生地を重ねることで、衝撃を吸収する効果が高くなっているようだ。


「傷跡に少しだけ魔力を流してみてもいいですか?」

「ああ、構わねえよ」

「痛かったり気分が悪くなったら言ってください」


ユリは、シャツの上からでも大きく抉れているのが分かるテンマの右肩に軽く触れて、ほんのりと弱い風魔法を流してみた。その魔力の跳ね返りで、ある程度の怪我の状態を判別することが出来る。しかし、その感触にすぐに眉を顰めて流すのを止めてしまった。


「どんな感じでしたか?」

「…特に何も感じなかったな」

「そうですか…」


そっと手を離したユリの表情は曇っている。その様子を見て、テンマは分かっていると言いたげに軽く片眉を下げて苦笑していた。


「俺も分かってるから気にすることはないさ。これ以上良くはならんが、急に悪くなることもない」

「そうですね。下手に手を出さない方がいいと思います」

「お嬢さん、見習いって言うがなかなか優秀だな。大神官様と同じ見立てじゃないか」

「ありがとうございます」


テンマが右手でユリの腕を軽く叩いて励ますような明るい口調で言った。ユリもこれ以上は引きずっては行けないと、にっこりと笑う。


「この傷は、バジリスクにやられたもんだ」

「バジリスク…あの石化毒の…?」

「おお、レンくんも知ってたか。俺も若い頃は怖いもの知らずでな。卵を奪おうとしてやられたんだ」



バジリスクは蛇系の魔獣で、噛まれるとそこから体が石化してしまうという危険な毒を持っている。解毒用の回復薬をすぐに使えば助かるが、噛まれた場所によっては血管内に毒が入り込み薬が間に合わない早さで全身に広がってしまうこともある。耐毒や無毒化の装身具を身に付けていてもその効果よりも石化のスピードが早い為に、バジリスク対策には必ず解毒用回復薬を各自が数本持っている必要があるし、もし準備もなく偶発的に遭遇してしまったらどんなランクの冒険者でも逃げの一手と言われている。バジリスクは肉や鱗にも毒素があるので、素材としての使い道はない。ただ卵には、筋力が次第に弱って最期には動けなくなって死に至る奇病に唯一効果のある成分が含まれているのだ。


テンマは当時組んでいたパーティと卵を入手する為に準備をして臨んだのだが、肩を噛まれてしまった。すぐに解毒用回復薬を使用したものの噛まれた場所が悪かったのか体の石化が止まらず、仕方なく石化した部位ごと抉り取らざるを得なかった。

そこで辛うじて一命を取り留めてどうにか戻って来られたが、完全に毒を除去出来ずテンマの肩の一部に石化が残ってしまっていた。通常ならば相当な金額は必要となるが、欠損した肉体は再生魔法を施してもらえば元に戻すことは出来る。しかしテンマの肩にはバジリスクの毒が残っていた。幸運にも先に大きな血管が石化したために全身に広がらずに済んだのだが、それに再生魔法を掛けてしまうと同時に毒が活性化すると診察した大神官が告げた。彼の体に残った毒は完全に止めることは出来ずに、今もジワジワと浸蝕は進んでいる。不幸中の幸いで、毒で死に至るには少なくとも100年は掛かるだろうという鑑定結果が出た。しかし下手に治療をしてしまうと毒も一緒に活性化して回復が追いつかないまますぐに死ぬ、との大神官からのアドバイスで、テンマは抉れた肩の再生は諦め、活動に影響が出ない限り冒険者を続けることを選択したのだった。



「引退する時はまだ変にプライドがあったからな。ちょっと動きが鈍くなっただけで恥は晒せない、とか言ってとっとと辞めちまったんだが…今思うと続けておけば良かったんだよな。そうすりゃAランク特権が使えたんだが」

「特権?」

「何だ、レンくんは知らないのか?Aランク以上になると、申請すればギルドで家族とか恋人とか身内を保護してくれる特権があるんだぞ。ランクが高くなると長期依頼も増えるし、それを気兼ねなくこなしてもらえるようにギルドで護衛を付けてくれるようになるんだ」

「それはありがたいですね」

「引退したからそれはもう使えないんだがな」


テンマは困ったように頭をガシガシと掻いた。


「ぐうう…引退してなきゃ特権だから、って理由で護衛を付けてもおかしくなかったんだが…やっぱりギルドに護衛依頼を出すしかないのか。信用出来るヤツが押さえられるといいんだが…いや、その前に何でリズに護衛が必要か説明しないと行けないのか…」

「別に先日襲撃されたこともあるし、婚約者…候補の方が心配して護衛を付けた、でいいのでは?」


エリザベスに護衛をつける理由としては嘘ではないので、そのまま説明をすればいいだけのような気がする。しかしそう言ったレンドルフに、テンマは力なく首を横に振った。


「そうすると、俺も狙われてるのがバレる。あいつには心配かけたくない」


引退したと言えそれなりに腕に覚えのあったテンマは、ことあるごとに「リズは俺が守る」と主張して来た。そして別の街に商談に行く際などには必ずと言っていい程護衛として同行していたのだ。それが急にギルドに依頼をして護衛を付けたとなると、間違いなくテンマに何かあったのかと思われる。そこで正直に自分が狙われているので側にいられない、とは言えなかった。


「あの…もしかして、ですけど。テンマさん、闇討ちして来る相手に心当たりでもあるんですか?」

「……」

「あるんですね?」

「…ああ。多分、だけどな」


ユリがテンマの様子に思うところがあったのか、彼の顔を覗き込むように見上げた。テンマは困ったように無言で視線を動かしたが、ユリの下からの圧に負けて渋々頷く。


「多分、前にエリザベス嬢が婚約してた令息と、昔…俺が付き合ってた女だ」

「泥沼ですね」

「あっさり言うなよ!間違いじゃねえけどさ!」


身も蓋もないユリの言い様に、テンマは本日何度目かの頭を抱えた。



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テンマを闇討ちしようと狙って来るのは、どうにもテンマの行動パターンを良く知っている者のようだった。

特に石化毒の進行を遅らせる薬が開発されたという噂を流してテンマが確認しに来たところを狙ったり、息子の婚約者の実家の名を騙って如何にもありそうな内容で呼び出して罠にかけたり、用心深い筈のテンマが面白いように踊らされていた。幸い最終的にはどうにか逃れて事無きを得てはいるが、あまりにも自分のことに詳しいので調べてみたら、証拠は掴めてはいないが過去に付き合ったことのある女性の名前が含まれていた。


同じ冒険者パーティにいた女性で、腕も良く気も合ったので、将来的には一緒になるのも悪くないと考えていた相手だった。しかし、姉夫婦が亡くなって甥を息子として迎えた頃から関係がおかしくなった。いつか一緒になるつもりで生前姉夫婦にも紹介したのだが、その時に姉と確執が生じたらしい。姉は詳しい話はしないまま亡くなったので不明だが、彼女はそのことを根深く腹に据えかねていたようで、テンマに隠れて姉によく似た息子を苛めていた。正確には苛めなどと言うくくりでは済ませられない程に悪質で、それを知ったテンマは激昂し、その場で絶縁を宣言したのだった。

その女性も売り言葉に買い言葉で、テンマとはそれきりになったのだったが、今になって何故かテンマに再び執着しだしたらしい。そしてどこから知ったのか、復縁を迫っていたエリザベスの元婚約者のジェイクを焚き付けて、テンマとエリザベスに正式な縁を結ばせないように画策しているということが分かったのだった。


今のところジェイクの方はさすがにエリザベスに傷を負わせるような手段は使わずに、狙いはテンマの排除を目論んでいるようなので、テンマは出来ることならばエリザベスやアリアに気付かれないように対処したかったのだった。


「むしろ内緒にしてた方がエリザベスさんにバレた時に怒られると思うんですけど」

「いや、それはバレないようにする」

「…だといいですねぇ」

「おいおいお嬢さん、そんな可愛い顔して怖いコト言わないでくれよ」


話を聞いて呆れた口調で視線を送るユリに、テンマはますます困ったように苦笑して、つい気安くユリの頬を突ついてしまった。しかしその直後に、隣のレンドルフからからヒヤリとした威圧が流れ出した気配に気付いて、ギギッ…油の切れた機械のようにテンマはそちらに顔を向けた。


「テンマさん?やはりギルドにちゃんと護衛の依頼を出すことをお勧めしますよ?」


テンマの視線の先ではレンドルフがにこやかに笑っていたが、冷ややかな圧力に押されてテンマはただ無言で何度も首を縦に振ったのだった。



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ひとまずテンマとの話し合いも済んだので、ユリは薬草採取を再開した。レンドルフとテンマは、何となく並んで周囲の警戒をしていた。


「なあ、レンくんはあのお嬢さんとは長い付き合いなのか?」

「そこまでじゃありませんよ。パーティを組んだのもごく最近です」

「そうなのか?てっきり俺はもっと長い仲なのかと」

「…そうなれたらいいと思いますけど」


レンドルフは顔は向けずに、チラリと視線だけでユリの横顔を見た。彼女は採取に夢中になっているのか、まとめた髪が少し緩んで一房だけ肩に落ちているのも気付いていない様子だった。


「その…出会った時、怖がられたりはしなかったか?」

「…なかったですね。珍しく」

「そうか……俺も、エリ…リズと出会った時そうだったんだ。初めて、身内以外の初対面で怖がられない令嬢に会った」



叙爵を受けて貴族の仲間入りをしたテンマだったが、その前の冒険者時代も商会長時代もそれなりに貴族との付き合いはあった。その中で、どうしても貴族令嬢と顔を合わせなければならないこともあったのだが、出会う令嬢全てがテンマを見ると怯えたような目で見て来た。あまり感情を出すことを良しとしない淑女教育もあって、あからさまな態度に出されることはなかったが、その目の奥や引きつった表情の中に明らかな怯えの色があった。自身の大きな体格と、薄くなっているとは言え顔に傷があることで、無駄に威圧感を与えているのだろうということは承知していた。


貴族として初めて参加した夜会でも、必ず誰かをダンスに誘うように、と貴族のマナーを叩き込んでくれた講師から厳命されてはいたが、遠巻きに自分を伺う令嬢達の怯えた様子に気の毒になって、テンマは誰かを誘うことは諦めて会場の隅でなるべく潜んでいようと思っていた。

彼女達は、成り上がりの平民で元冒険者という野蛮な男でも、家から縁を繋ぐように言い含められているのだろうと容易に察しがついた。それでもなかなか勇気が出ずに近寄れずにいる姿が可哀想になったのもあったし、近寄ってくればその目は「自分が選ばれませんように」と内心必死に祈っていることがひしひしと伝わって来ていた。仕方ないと思いつつも、そんな態度を取られてテンマだって何も感じない訳ではなかった。


そうやって移動していた時、一角で起こった笑い声が耳に付いた。その笑い声はあからさまに嘲りを含んでいて、そこから逃げるように移動している派手な色合いが見えた。その色は、亡き姉が何年も少しずつ貯めた金で買った、義兄との結婚式で着ていたドレスと同じように思えた。もう20年くらい前の話だ。いくら流行に疎いテンマでも、あのドレスを着るのは若い令嬢ではなく、テンマよりも年上の姉世代の夫人くらいだと認識していた。

その女性は逃げるように柱の陰に収まったが、それでも僅かに見えるドレスの裾が異彩を放っているので、どこにいるか丸分かりだ。姉が大切にしていたドレスに似ていたのが気になったのと、おそらくあのドレスを着るのは自分よりも上の世代だろうと思い込んで、年上の夫人ならばダンスに誘ってもあからさまな拒絶はされないのではないか、と僅かな期待を持ってテンマは思い切って声を掛けていた。


しかし、彼女が顔を上げた瞬間、あまりにも若く儚げな令嬢であったことに、テンマは混乱していた。これはマズい、と焦りつつ、何故か自分を見上げて来る彼女の目には一切の怯えが存在していなかったことはしっかりと確認していた。ただ、何故自分が声を掛けられたのかという純粋な疑問と、同時に目の前の男を誰であるか認識しようとしているだけのように見えたのだ。


テンマはその真っ直ぐに見上げられる目の淡い緑にクラリと吸い込まれそうになったが、頭の隅ではどこか見覚えがある色だと考えていた。そしてすぐに、同じ街に工房を持つ縁で何度か顔を合わせたことのあるビーシス商会の商会長であり当主でもある女伯爵と同じ色だと気が付いた。それに印象は全く違うものの顔立ちは女伯爵と似ていた為、初対面ではあるがこの令嬢はビーシス伯爵令嬢だと分かった。姉のドレスはビーシス商会から購入したものであったし、そこの令嬢なら商会の看板である生地の似たようなものを纏っていてもおかしくはない。


その時の会話は、とにかくテンマは必死だったので良く覚えてはいない。しかし、気が付くとダンスを申込んでいて、そして彼女はそれを快く受けてくれたのだった。



「最初はまあ…初めて怖がらずに俺のダンスを受けてくれた恩もあったし、ウチの商会にも利はあるし、助けられるなら…と思って仮のつもりで申込んだんだが…気が付いたら手放せなくなってしまってな」


照れた顔を隠したかったのか、テンマは片手で顔を覆うようにして溜息を吐いた。しかし短髪の為に隠し切れていない耳は完全に赤く染まっている。レンドルフは、その仕草に義姉のことを語る長兄の姿を重ねていた。学生時代の長期休暇で帰省する度に、執務室で愚痴とも惚気とも付かない話を延々と聞かされた。その度にレンドルフは長兄が何を言いたいのか着地点が分からずに戸惑っていたものだったが、今なら少しだけ理解出来るような気がしていた。


「でもまあ、伯爵の気持ちも分かるんだよなあ。あの方も身分差と年齢差で苦労したから、娘には同じ目に遭って欲しくないんだろうな。俺も息子には苦労させたくないから、とにかく自分が出来ることなら何でもしてやりたいと気持ちは痛い程分かる」


姉夫婦が亡くなった時、そこそこ大きくなっていた工房を守る為に叔父の立場ではなく父親の立場になることを迷わなかった。当時は姉夫婦の財産を奪う為に遺された甥を養子として抱え込んだと言われたが、冒険者時代に貯めた資金で工房を幾倍にも大きくしたので、元の財産には一切手を付けていない。やがて国内一の革製品を扱う商会にまで成長すれば、そんなことを言う者はいなくなった。

やがて息子は商売の繋がりで知り合った子爵家令嬢と懇意になり、将来を約束するまでになった。身分差はあったが、彼女は平民に嫁ぐことも厭わないと言ってくれていたし、息子も覚悟を持って彼女を守るために必死に商会のことも貴族社会のことも学んでいた。そこでテンマは息子達の身分差からの苦労を少しでも減らしたいと、ずっと断り続けていた叙爵を受けることにしたのだ。

爵位を得たことで、少々の特権と多大な気苦労を抱えることになったが、テンマは息子に跡を継がせるまで一つでも憂いを減らそうと奔走し続けた。確かに大変ではあったが、後悔したことは一度もなかった。


「今のところリズは、俺を選ぶと言ってくれてるので引くつもりはないが。正式に発表されることで伯爵の態度も多少軟化してくれるといいんだがな」

「そんなに苛烈な女性とは思いませんでしたが。…あまり話は聞いてもらえなかったですが」

「ははは、あの方はいつもそうだ。しかし、一方的に話してるようで的確に相手の要望を汲み取るんだ。あれだけは誰にも出来ない、天性の才能だ。やり方は奇抜に思えるがな、客が最もどうにかしたいと思っているところを最も美しく見えるようなデザインを選び出すんだ。今は女性服がメインだが、それ以外でも尋常じゃない才能を発揮してる。本当に尊敬出来る方だ」


アリアはややもすると破天荒な言動で一部では敬遠されがちではあるが、その才に気付いている者も多い。特に商才を持つ者達は、予想もしない方向からすごいものを選び出すことを本能的にやってのけるアリアの才覚に惚れ込んでいる。彼女の枠にハマらない才能は、あらゆる分野に置いてみれば想像もつかないものを産み出す万能型の天才だ。エリザベスのことは将来の伴侶として関係を大切に育んで行きたいと思っているが、アリアには手綱を付けずに新天地に連れて行ってくれる暴れ馬に乗っているような高揚感がある。一商人として、何としても手を取ってみたい人物でもあった。


「せめて屋敷の中に入れてもらうことから始めないとなあ」

「え?入れてもらえないんですか?」

「最初の申込の時は入れてもらったが、それ以降は門前払い。仕方なく敷地を分ける壁の一部こっそりに穴を開けて、そこでリズと壁越しに話してる」

「ええと…すみません、初対面の俺が招待されてしまって」

「それはリズから聞いた。何が違うんだ!?顔か?やっぱり顔なのか?」


確かに体格は近いレンドルフとテンマだが、顔立ちは全く違っていた。全体的に顔のパーツが控え目で地味でどちらかと言うとゴツい部類に入るテンマと、母譲りの美しく優美で高貴でありながら柔らかな印象を与える顔立ちのレンドルフ。

レンドルフはさすがにそれは肯定出来ずに、ただ眉を下げて笑う以外に思いつかなかったのだった。



アリアさんのイメージは平野レ◯さんです。

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