91.見た目だけおとぎ話
このまま今日は一日植物園を見学しても良さそうだったが、血止めの薬草の採取の季節も限られているので、やはり少しでも摘んで行こうとブルードロップの咲く丘まで移動することにした。日当りの良い林をしばらく行くと、急にぽっかりと木々がなくなり一面の青い広場に出た。
「まるで海みたいだ」
丘の消失点まで続く薄青の花の絨毯は、空に接してそのまま続いているかのように見えた。
ノルドの背中から降りて荷物を降ろしていると、足元に咲いていた花をムシャムシャと食べていた。甘い物に目がないノルドは、割と花も良く好んで食べるのだ。もともとスレイプニルは魔獣であるので多少毒があっても全く問題ないのだが、どちらかと言うと非常に大食漢なので周辺を食べ尽くされる方が困るだろう。
「ユリさん、こいつがここで食べても大丈夫かな?」
「これだけ咲いてるし、ノルド一頭くらいなら問題ないと思うけど」
「じゃあ繋がないでおくよ。…あんまり食べ過ぎるなよ」
そうレンドルフに言われながらも、ノルドの足元は既に大分花がなくなっている。ブルードロップの花は比較的蜜の多い種類なので、ノルドはご機嫌な様子で口を動かしていた。
「じゃあ採取するから、レンさんは周囲の警戒をよろしくね」
「うん、分かった」
ユリは花畑の真ん中に座り込んで、そっと花を掻き分けるようにしてその下にある薬草を摘み始めた。一見すると一面の青い中で美しい女性が座って花と戯れているおとぎ話のような光景だ。それこそ冒険者らしい服ではなくてレースの付いたワンピースなどを纏っていれば絵画にでもなりそうな風景である。が、その手元を見れば花を摘んでいる様子は一切なく、花の下からヒョロリとしたモヤシのような薄緑色の草を引っこ抜いてはジッと見つめ、何やら選別していた。
レンドルフは真剣な顔で選別をしているユリの邪魔をしないように、少しだけ距離を取って近寄って来る虫を追い払っていた。今のところ寄って来る虫は大した害はなく、レンドルフが少し動いただけで逃げてしまうようなものばかりだったので、ゆっくりと周辺を歩き回るようにしていた。
ふと、奇妙な気配を感じてレンドルフは足を止めた。視界の端ではせっせと花を摘み食いしていたノルドも顔を上げて、レンドルフの視線の先と同じ方向を見ている。
「レンさん?」
「…誰かいる」
レンドルフの動きが止まったことに気が付いたユリが、すぐに薬草を入れていたカゴを抱えて動けるように腰を上げた。レンドルフは広場の向こうの、先程植物園から通過して来た林の方に目を向けた。魔獣の気配や殺気のようなものは感じないが、誰かがいてこちらを伺っているのはハッキリと分かった。いや、分からせるようにわざと気配を出して来ていると言った方が正しいかもしれない。
レンドルフは警戒を強めて、剣の柄に手を掛けた。
「誰かいるのか?」
なるべく声を尖らせないように、レンドルフは静かに気配に向かって話し掛けた。林の中にいる気配は、上手く木々に隠れるようにしてこちらに姿を見せないまま近寄って来ていた。レンドルフは一歩前に出て、その気配からユリを背に庇う位置に移動して、スラリと剣を抜く。ユリもレンドルフの動きの妨げにならないように、姿勢を低くして後ろに下がる。
「いや、すまない。試すような真似をして悪かった」
思いがけずゆるりとした動きで、木の陰から大きな人影が現れた。レンドルフと大差ない程の大柄な男性で、冒険者のような革の装備を身に付けている。年は随分上のように見えるが、装備の上からでもはっきり分かる程鍛え上げられた筋肉が分かる。この身長と筋肉を併せ持つ中年男性は、レンドルフは父と兄の身内くらいでしかお目にかかったことがない。両側の腰に下げた短剣というにはやけにゴツい二本の武器が目を引く。彼にしてみれば短剣かもしれないが、ユリが持てば少し短めの長剣と言っても差し支えなさそうだ。彼はレンドルフ達に敵意はないと示すように両手を顔の脇に上げているが、その隙のない佇まいにレンドルフは剣を構えたままにしている。
「誰だ」
レンドルフは先程よりも低い声で男性に話し掛けた。男性は薄く笑って、分からないくらい僅かであったが視線を揺らした。レンドルフはその揺れた視線の先で、ユリと自分のどちらに狙いを定めるか男性が品定めの距離を測ったのだと察して、更に重心を下げて臨戦態勢を取る。チリリと魔力が漏れ出して、レンドルフの髪が風もないのに逆立つ。
「アンタが『冒険者のレン』様かな?先日は俺の婚約者が世話になった…いや、婚約者候補、だったな」
茶色の髪に茶色の瞳で、額にうっすらと古傷の痕がある。その特徴をエリザベスから聞いていたレンドルフは、少しだけ構えた切っ先を下げた。
「ミダース卿、ですか」
「テンマ・ミダースだ。よろしくな」
テンマはやけににこやかな笑顔で林の中から出て来て、無造作なくらい大股で近付いて来た。まだ剣を納めていないレンドルフは、一瞬慌てて剣を後ろに引いた。
「!」
「レンさん!?」
テンマは全く殺気もその気配も感じさせないままに、まるで握手でも求めて来るかのような流れる動きで腰の剣を抜いた。初対面ではあるがエリザベスから話を聞いていた人物だったというのと、あまりにも無造作に距離を詰められた戸惑いにレンドルフの反応が僅かに遅れた。
気が付いたら、レンドルフの首の両側スレスレにテンマの剣が突き付けられていた。レンドルフもほぼ条件反射でテンマの首に自分の大剣の刃が当たりそうな距離で突き付けてはいたが、テンマが剣を止めたので遅れた自分も同じような格好になっているだけというのは、レンドルフには嫌という程分かっていた。互いに剣を突き付けあう形で目が合ったが、テンマは出て来た時の微笑みを崩さないままだった。
「引き分けだなあ。こりゃ参った」
突き付けた時と同じく流れるような動作でテンマは二本の剣を引いて、まだレンドルフが剣を突き付けているのも気に留めない様子で腰の鞘にあっさりと納めた。レンドルフもすぐに我に返って、剣を下ろす。
「いえ…俺の負けですよ。ミダース卿の剣の方が完全に速かったです」
「いやあ、引き分けだ。人間首を落としたところですぐに死ぬ訳じゃない。もし俺に首を落とされてもその大剣を振り抜くのは可能だった筈だ。その間合いじゃ、俺が後ろに飛び退いても避け切れず致命傷だったろうさ」
「は、はあ…」
何と反応したらいいのかレンドルフが生返事をしていると、急にテンマが片膝を付くような格好になって深々と頭を下げた。
「本当にすまなかった!この詫びは俺に出来ることなら何でもさせてもらう」
「あの…」
レンドルフは困ったように背後にいるユリを振り返ったが、ユリも眉を下げて首を傾げるだけで、どうしたものかと態度を決めかねているようだった。
----------------------------------------------------------------------------------
ひとまず頭を下げ続けるテンマに普通に座って貰って、何故こんなことをしたのか理由を教えて欲しいとレンドルフは伝えた。テンマは目を丸くして「他に希望はないのか?金とか、伝説の剣とか」と身を乗り出して来たが、レンドルフは訳も分からず品物を受け取ることは出来ないので、まず話を聞いてから、と再度告げる。ほんの少しだけ「伝説の剣」が気になったのは表に出さないように心の奥に押込めた。
「昨日、レンくんが捕らえた襲撃者は、闇ギルドから派遣された者達だった」
最初はテンマは「レン様」と呼んでいたのだが、そこはレンドルフが拒否を示したので「レンくん」で落ち着いた。
闇ギルドとは、取り潰しになった貴族の諜報員や犯罪者となってギルドから除名された冒険者などが中心に登録している、犯罪の依頼を請け負うギルドである。実際には正式に認められたギルドではなく通称ではあるが、それを立ち上げた人間が元ギルドに深く関わっていた人間だと噂があり、組織や形態などは非常に似ていた。
本来は違法な存在ではあるが、正規のギルドでは依頼出来ない内容を請け負って目的以外の被害を出さない闇ギルドが、大規模な犯罪や無差別に大量の被害者を出すような暴動などを抑止する側面もある。表向きは取り締まられる対象だが、根絶はされない程度に見逃されている部分もあるのだ。
「詳細までは分からないが、どうもビーシス商会の馬車を襲撃させて、それを救出して繋がりを作ろうとするという自作自演だったようだ」
「もしかして、それを依頼したのが俺だと思ったと?」
「…すまない」
「…まあ、誤解が解けたのならいいですけど」
テンマは先程、説明をする前に確認したいと、レンドルフとユリにギルドカードで本当にパーティを組んでいるか、他にメンバーはいないかを確認していた。そこで「レンリの花」はレンドルフとユリの二人パーティと納得してから話し出したのだった。
レンドルフには未だに全く意味が伝わってないが、テンマも元冒険者なので男女ペアのパーティの意味は知っている。むしろ何も知らないレンドルフがあまりにも堂々と宣言しているので、テンマは二人の仲がそれだけ揺るぎない関係なのだろうと良い方向に誤解していた。
「レンくんは俺の剣を避けずに踏み止まったしな」
「あれは…一瞬どうしようか迷いがあったので対応が遅れただけです」
「まあ確かにそうだが、結局そのまま踏み止まった胆力は大したもんだ。あそこで避けてたら、そのまま俺の剣が後ろのお嬢さんに向かう可能性も考えたんだろう?そんな人間が自作自演までして、リズの婚約者の座を狙うような真似はしないだろうからな」
「…怪我をさせるくらいなら、俺がした方がマシなので」
もしテンマが本気だったならば怪我どころか即死なのだが、レンドルフは分かっていながらも少しだけ俯いて低く呟く。レンドルフの後ろで一緒に話を聞いているユリが、話は遮ることはしないが軽く抗議の意味も含めてレンドルフの服の背中を少しだけ引いた。チラリとレンドルフが振り返ると、眉をいつもより吊り上げた表情になっているユリと目が合った。自分を犠牲にしようとしたレンドルフに対して怒っているのだろうとすぐに察して、彼は少し眉を下げながら申し訳なさそうに微笑んだ。
「実際、あいつらもレンくんのことを途中までは依頼主だと思ってたようだ。多少怪我をさせることも含めて受けた依頼だったらしいからな。ただ、最終的に見逃す筈が警邏隊に引き渡した時点で違うと悟ったらしいが」
「そんな依頼も受けるんですか…」
「良くある話だ。相手の信頼を得て懐に入り込む為なら、襲撃者の命の一つや二つくらい買い取ることもある。それなりに高額にはなるが、それ以上の旨味があればそれだけ金を出す価値もあるだろうし、命を売ってでも金が必要なヤツは意外と多い」
今回はそこまでするつもりはなかったようで、多少の怪我は信憑性を上げる為に必要だが、警邏隊が来る前に引いてもらう予定だったそうだ。それをレンドルフが割り込む形で入り込んでしまった為に、依頼主の顔を知らない襲撃者達が撤退のタイミングを誤って、結果的に実行犯全員が捕まってしまった。ただ唯一依頼主と直接やり取りをしていた彼らの司令塔的な人物は、登場のタイミングを待って潜んでいた依頼主とともに早々に逃走したらしい。
「俺が伯爵に婚姻を反対されてて、リズ…エリザベス嬢に別の求婚者を探している話は聞いているよな?」
「はい。それでテンマさんに決闘を申し込む者が多いとか」
「最初はエリザベス嬢に婚姻を申し込むだけだったんだけどな。そのうちに誰が言い出したのか、俺を倒せば婚約者の座を奪い取れる、ってなってな。それからは彼女に花束の一つでも渡すでもなく、まず俺に手袋を投げ付けて寄越すヤツらばっかりだ」
テンマも最初は、自分よりももっと釣り合う条件で、エリザベス自身が相手の求婚を受けるのならいつでも身を引く気だった。しかし彼女がけんもほろろに断るうちに、求婚者の目がテンマに向くようになった。いつの間にか、テンマがエリザベスを金と力で脅して縛り付けているのではないかと噂されるようになったのだ。どこから、誰が言い出したのかは分からない。テンマはこれまでも自分の出自や見かけで貶められることは慣れていたし、エリザベスの名誉に傷が付かなければそんな噂も構わないと思っていた。ただ初めて手袋を投げ付けて来た令息は、妙に芝居がかったポーズをいちいち取りながら「囚われの姫君を悪の魔王から救い出すのは僕だ」と宣言して来たことが強烈に印象に残っている。そしてその時テンマは「こいつにだけは彼女を任せてはならない」と確信して、秒でカタを付けてしまった。
「正直、そこいらの貴族令息には負ける気はしないんだがな。ただあまりにも俺が倒せないのと、もうすぐ俺が正式な婚約者になると公表されることを知ったのか、ここのところ俺を闇討ちしようとするヤツまで出て来た」
「衆人観衆の中での求婚が条件ではなかったですか?」
「それでも俺が死ぬなり大怪我するなりすれば席が空くからな。俺を排除してから申込むつもりなんだろう。なりふり構ってられねえヤツが結構いるみたいだからな」
ここのところビーシス商会はミダース商会の援助もあり、まだ油断は出来ないが当面の危機は脱した状況にまでなっていた。共同事業も、まだ正式に発表出来る段階ではないがそれなりに手応えを感じる案件がいくつも控えていて、世に出す最良のタイミングを見計らっているところだ。目端の利く者は、それをかすめ取る最後の機会だと虎視眈々と狙っているのだ。
最初にエリザベスと婚約を結んでいたヘパイス子爵のジェイクは、ビーシス商会が危ないとなると婚約解消して別の伯爵家の娘に乗り換えていたのだが、因果応報とでもいうのか結局その二人の仲も続かず、自身の子爵家の経済状況も危ないという噂だ。その為、最初の婚約解消はなかったことにして元に戻ればいい、というような意味のことを頻りに告げて来ていた。ジェイクとエリザベスは同い年だし、爵位も一階級しか違わない条件ではあるが、さすがにアリアもこれには呆れて一切取り合わないそうだ。
「俺が闇討ちされる分はまだいい。が、先日のように伯爵家にまで手を出して来るようなヤツは徹底して潰しておきたい」
「それでレンさんをああやって試したわけですか」
「それに関しては言い訳しようもなく悪かったと思ってます」
テンマの話を聞いて、ユリは冷ややかな声で口を挟んだ。声だけでなく、表情も大変冷たかったが。テンマはそう言われて、大きな体を縮こまらせて再び頭を下げた。
「ユリさん。ちゃんと誤解も解けたし、お互い怪我もなかったから」
「そういう問題じゃないでしょ!いつもそうやってレンさんは人のこと気遣う割に自分のことは無頓着なんだから!怪我しちゃうのはしょうがないよ、そういう仕事なんだし。でも!自分から怪我しに行くのは違うでしょう!」
「そ、れは…」
「いくらレンさんが無茶して怪我をしても愛想は尽かさないって言ったけど、自分からわざと怪我をしに行くのとは別問題!自己犠牲なんてのは尊くも美しくもないんだからね!」
「はい…肝に命じます」
座り込んだテンマの話を聞いていたのでレンドルフも同じように座っていた為、ユリはその側にわざわざ立って威嚇するように見下ろした。とは言え、レンドルフからすると自分の心配をしてくれている上にそうやって怒っているユリの様子はただただ可愛らしいとしか思えないのだが、彼女の言うことももっともなのでレンドルフはつい緩みそうになる顔の筋肉を引き締めて頭を下げる。
「大体あなたもあなたです!何ですか、闇討ちはまだいいって!体の大きな人はみんなそんな思考なんですか?自己犠牲が基本的思考に組み込まれてるんですか!?」
「お…おう…すまない…」
思いも掛けずに自分にまで飛び火したテンマは、目を丸くしながらもユリの勢いに押されてレンドルフと同じく頭を下げたのだった。
美しい青い花がどこまでも続く昼下がりの花畑で、大きな男性二人が座り込んで小柄な女性にペコペコ頭を下げている姿はどうにもシュールなものであった。その光景を離れたところで眺めていたノルドは、どこか呆れたような目を向けながらも、口は花を毟ってはモシャモシャと動かし続けていた。
花のイメージはネモフィラです。