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90.規格外の洋服事情


翌日、待ち合わせ場所に現れたユリは完全に寝不足の顔をしてヨロヨロしていた。金の青銅苔の抽出と調薬は時間勝負のところがあるので、集中していたら気付くと空が白んでいたのだ。


「ユリさん、無理しないで今日は休もう?」

「ヘーキヘーキ。これくらい慣れてるから」


腫れぼったい瞼に赤い目をしているのに、これほど説得力のない顔もないだろう。


「じゃあ、千年樹よりも東寄りの方に国営の植物園があったよね?今日の午前中はそこに行ってゆっくりして、午後からちょっとだけ千年樹に行こう」

「それはいいけど…何で植物園?」

「ユリさんは植物見せたら元気になるかと思って」

「間違っては…ない、けど」


レンドルフの提案にユリは何となく納得行かない顔をしていたが、それはそれとして植物園は興味があるので提案に素直に乗ることにした。

いつものようにノルドに相乗りをして、レンドルフは昨日ユリと別れた後に起こった出来事をかいつまんで話した。


「何か、すごい面倒っぽい」

「うん、そうだよね」

「それでレンさんは参加するんだよね?」

「正直どうしようかと思ってる。ユリさんには面倒かけるのもなんだし。かと言って一人で行くとそれはそれで誤解を加速しそうな気がするし」

「私は参加してもいいよ?」


レンドルフの悩みを一蹴するように、ユリはあっさりと言った。


「その日程だとまだレンさんは休暇中でしょ?」

「うん。もしかしたら新しい配属先からの呼び出しはあるかもしれないけど、一応休暇中だから調整はしてもらえると思う」


ビーシス商会創立記念パーティーは、20日後に開催されると招待状には記されていた。この日程であれば、ユリの薬草採取で延長した分も終了し、騎士団の復帰に向けて準備を整えているくらいの頃だ。一日だけパーティーに参加する程度ならどうにかなる。


「ユリさんの方はその日程だと準備とか大変じゃないかな。女性の準備は何ヶ月も前から掛かるって聞いてるけど」

「それは王城で開かれているような貴族の夜会だよ。一応貴族だけど商会が主のパーティーでしょ?そのくらいの規模ならおじい様の繋がりで参加したことあるから、ドレスくらいあるよ」

「ええとそれなら…その…ドレスには緑がかった茶色というか、そういう色のはある、かな」

「それってレンさんの目の色?」

「あ、うん…」


恋人や婚約者同士で夜会に参加する時は、互いの髪の色や瞳の色を衣装や小物に使うことが一般的とされている。婚姻後は互いの色を使うこともあるが、主に入った家門の伝統色を使ったもので揃いの意匠を纏う。そういったことには疎いレンドルフでも知っていることなので、自ら申し出たことなのにズバリとユリに言い当てられて少々顔を赤くしていた。

レンドルフがパートナーを連れて参加するのなら、エリザベスに求婚することなどあり得ないと一目で分かりやすい装いで来て欲しい、と彼女から密かに言われていたのだ。


「うーん、茶色ならあるんだけど、それじゃ駄目なの?」

「ミダース卿が髪も目も茶色らしいよ」

「ああ、初参加で主賓のお相手と色被りはマズいわよねえ」


男性はそこまでではないが、女性のドレスは色々と細かい不文律があり、主催者の企画などではない限り主賓の家門の色と、未婚の子息や令嬢の婚約者の色を纏うことは避けた方が良いとされている。偶然にも自分の婚約者が同じ色を持っている場合は初回だけは避け、挨拶を交わした二回目以降は「自分の婚約者の色を纏っているだけで他意はありません」と相手が認識しているものとして同じ色も承認されるのだ。それを逆手に取って初回から「あなたを狙っています」とばかりにアピールしてわざと色を纏う人間もいる。あくまでも不文律なので正面から忠告されることはない為、色々と面倒な世界でもあった。

この場合は、ユリがテンマを狙っていると周囲に解釈される可能性があるということだ。


「レンさんはもう顔合わせてるから、色を変えるわけにはいかないか。ちょっとそれっぽいのがないか考えてみるわね。色は違ってもレンさんのパートナーです、って周囲に思わせればいいんだし」

「ごめん、何か厄介ごとを引き寄せて」

「レンさんは助けに行っただけで間違ったことはしてないもの。それにたまにはこういうのも面白いから」

「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」



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植物園の入口に馬を預ける場所があるのでそこでノルドを任せ、二人は植物園の中に入った。

入ってすぐは大きな芝生の広場があって、家族連れなどが自由に走り回っていた。広場の中央には大きな木があって、その木陰でゆったりと寝そべっている人もいる。


「あの木は千年樹を挿し木して育てたものなのよ」

「へえ。大きいけど随分形が違うな」

「多分あっちはダンジョンからの魔力を吸い上げてるから成長が違うんだと思うわ」


ダンジョンの真上に生えている千年樹は、巨大な幹が幾重にも絡み合って異形の生き物のようにも見える超巨大樹だが、この植物園に生えているのはそこまで幹が絡み合っている様子はなく、上に伸びるというよりは横に広がっているような姿だった。


「あっちに売店があるから何か買って池の向こうの四阿でも行こうか。そこならユリさんも少し休めるよね」

「何から何までお気遣いを…」

「あの苔から薬を作ってて寝不足なんだよね。それなら仕方がないよ」



広場の端に設置された案内図を確認して、レンドルフが奥に見える建物を指差した。植物園の雰囲気に合わせた丸太のログハウス風な建物で、店内にテーブルもあるが園内で各自が花などを眺めながら食べられるので客は殆どいなかった。

そこで温かい飲み物と、小さなサンドイッチ、ピーナッツクリームが挟まった細長いパンなどを買い込んで、少し離れた池の近くまでやって来た。池のほとりには蔦を絡めて陽射しを遮るようになっている四阿があり、周囲には誰もいなかった。池は深い緑色をしていたが、近付いてみると水は澄んでいて池の底に水草が揺れている。外から渡って来たのか、華やかな羽根の色をした水鳥が優雅に浮かんでいた。



「ユリさん、少し眠っても大丈夫だよ。誰か来ても見られないようにユリさんの周りに隠遁魔法掛けておくから」

「でもレンさんに悪いよ」

「平気だよ。さっきこれ、買ったから」


レンドルフは、先程軽食と一緒に売店の端に置いてあったポケットサイズの植物図鑑をユリに見せた。それほど専門的なものではないが、この植物園で発行しているので園内にある植物は網羅されている。いつの間に買ったのかと目を丸くするユリに、レンドルフは悪戯が成功したかのように少々得意気に笑った。


「ユリさんの話聞いてたら、もっと色んなこと知ってたら面白いだろうなと思って。俺はこれを読んでるから、ユリさんは休んでて」

「ありがとう。それじゃ甘えさせてもらうね」

「うん、そうしてて」

「30分くらい、経ったら起きるから…」


既に目を擦って眠そうな顔になっているユリに、レンドルフは隠遁魔法を掛ける。最初から認識しているとごまかすことは出来ないのでレンドルフからは分かってしまうが、少なくとも周辺には誰もいないのでレンドルフ以外には認識されない。余程眠かったのか、ユリは四阿の隅にもたれるようにするとすぐにスウスウと寝息を立て始めた。

一応園内には異常がないようにそれなりに監視されてはいるが、それでもこうしてすぐに眠り込んでしまうユリはレンドルフに対して相当な信頼を持っているようだ。その信頼感がレンドルフには少々くすぐったい程に嬉しく感じて、つい蕩けるような目でユリを眺めてしまったが、すぐに我に返って手元の植物図鑑に視線を落とした。いくら信頼されていると言っても、女性の寝顔を見つめるのはマナー違反だ。


手元の植物図鑑と、目の前の池に生えている水棲植物などを見比べながらレンドルフは時間を潰していた。その中に「ハス(レンカ)」と書かれたページを見つけた。小さく写真も載ってはいたが、残念ながら色付きではなかった。だが、先の尖った花弁が幾重にも重なっているような花の形は分かった。その下に写っている丸く水に浮いているように見えるのが葉らしい。写真には一輪しか写っていなかったが、これが池の上を一面に埋め尽くすのか、とレンドルフは想像した。開花の時期を確認すると、ちょうどレンドルフがユリと出会う直前くらいの季節だった。次の花の季節はほぼ一年後になる。


レンドルフは、レンカの咲く場所へ連れて行ってくれると約束してくれたユリの言葉を思い出し、少なくとも来年までこの縁が続く約束が結ばれていたことに嬉しくなって、誰に向けるでもなくそっと微笑んだのだった。



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何か魔道具でもセットしていたのか、ユリはきっかり30分後に目を覚ました。


「もっと寝てても良かったのに」

「下手に長く寝ると却ってスッキリしないのよ。これくらいが丁度いいから」


そう言ってグッと体を伸ばしたユリの顔は、確かにずいぶんとスッキリとしていた。更に眠気を飛ばそうと買っておいた紅茶に口を付ける。保温の付与が掛けられているカップだが、さすがに少し冷めていた。しかしゴクゴクと飲める方がユリには丁度良かったらしく、一気に半分程飲み干していた。


「ねえレンさん。この後は千年樹じゃなくて別のところに行ってもいいかな?」

「構わないよ。どこに行く予定?」

「ここから少し北側に拓けた丘があるの。今はそこはブルードロップって花が咲いてて、その花の下に血止めの薬草が生えてるのよ」

「うん、分かった。それは俺も採取を手伝えそう?」

「それよりもどっちかって言うと、レンさんには周囲の警戒をしてて欲しいかな」


今の季節は丘の全てがブルードロップの薄青の花で埋め尽くされている。晴れた日などは丘と空が接するところが分からなくなる程の見事な眺めになる。そしてその花の蜜を求めて多くの虫がやって来る。普通の蝶や蜂ならともかく、虫型魔獣も誘われて出て来るのだ。そこまで脅威になるような強い魔獣は出現しない区域ではあるが、薬草が見つかりにくいので集中しているとうっかり接近を許してしまうことがある。虫除けの香を使えば身の安全は保たれるが、魔獣だけでなく普通の虫も避けてしまうので、そのせいで受粉が行われずに次の開花に影響が出ないとは限らない。目当ての血止めの薬草は花の下でないと何故か効能が出ないので、採取がどんなにし辛くてもブルードロップの開花は重要な為、なるべくならその場所では使いたくなかったのだ。


「薬草探しながら虫を追い払ってると全然採取が進まないの。だからレンさんが追い払ってくれるとすごくありがたいんだけど、お願いしてもいい?」

「勿論。いくらでも追い払うよ」

「ありがとう。頼りにしてます」


まだ手を付けていなかったサンドイッチやパンの包みを開けテーブルの上に並べると、ちょっとしたピクニックのようになった。外で食べやすいように小ぶりに切り分けられたサンドイッチは、レンドルフにはほぼ一口サイズだった。シンプルにバターとマスタードを塗られてハムが挟まったものを摘んで口の中に放り込む。


「あ、そうだ。ユリさんは変装の魔道具とか持ってる?」

「え!?え、ええ、持ってる、けど」


自身も使用しているとはレンドルフにはまだ告げていないユリは、内心動揺しながら頷いた。その動揺は内心には収まらずに大分はみ出してはいたが。


「さっきも言った創立記念パーティーの時に、出来ればユリさんに使ってもらいたいんだ」

「それはいいけど…レンさんが変えて欲しい色とかあるの?」

「その…ビーシス伯爵令嬢が黒髪に緑の目なんだ。ユリさんよりはずっと淡いけど」

「ああ、私に合わせるとあっちにも誤解を招くのね」


ユリも今は黒髪に濃い緑の瞳をしている。魔道具でも変わらない金色の虹彩は遠目には分かりにくいので、レンドルフが金色のものを身に付けていてもパートナーであると主張する効果は薄いだろう。それにユリが隣にいたとしてもレンドルフが黒か緑を身に付けて参加すれば、アリアが盛り上がってしまうのは容易に想像が付いた。


「じゃあレンさんが着る予定の服に合わせようか?その方が手っ取り早いでしょ」

「そうしてもらえるとありがたいけど、ユリさんばかり負担にならない?」

「大丈夫だって。それでレンさんはどんな色のを着るつもりなの?」

「ええと…基本的に黒が多いからな…黒を使っていないのは暗めの赤か濃紺、かな」


護衛任務で夜会に出席した時のことを思い出しながら答えたが、会場内で目立たないようにするには黒が一番無難なのでどうしても黒が多いのだ。辛うじて思い出したのは、甥の婚礼の式典に参加した時に作ったクロヴァス家の色である赤と、母方の高祖父が100歳を迎えた時の祝いで作ってもらった母方の家門の色の濃紺くらいだった。もう少しカジュアルなものならば多少色物は持っているが、夜会などに出られるような礼服はそのくらいだ。


「ユリさんはどっちがいい?」

「赤!赤が見たい!」

「分かった、用意しておくよ」

「あ、でも赤にも色々あるから、一度行く前に見せてもらってもいい?何なら直前でも、その場で魔道具を調整するのは可能だから」

「うん。ありがとう、協力してくれて」

「だってほら…レンさんが決闘すると……困るし…」

「まあ確かに。礼服で決闘したら家の者に怒られるな」


ユリはごくごく小さな声で「勝っちゃうと困る」と言ったのだが、レンドルフには聞こえていなかったようだった。


「ダンスとかは踊るのかしらね、やっぱり」

「商会の創立記念パーティーって言っても主催は伯爵家だからね。多分あるんじゃないかな」

「レンさんはどうする?私は基本的なのくらいは習ってるけど、あんまり慣れてないから踊るなら練習しておいた方がいいかな」

「俺も基本的なのは何とかなるけど、同じく慣れてないんだ。護衛で参加してたってのもあるし、あとこの体だから踊る人と場所を選ぶって言うか…」

「レンさんも?私もこの背丈だから難しくって」


レンドルフは大柄すぎるので、護衛任務で仕方ない以外は余程のことがない限り令嬢を怖がらせないようにそもそも近付かないし、混み合っているところだと確実にぶつかるので避けがちだった。ユリの方は、実のところは身長をどうにかする奥の手はあるのだが、奥の手を使用した場合でも余程信頼の置ける相手以外とはあまり踊りたくないのもあって、どうしても参加しなければ行けない夜会ではレンザの側から離れることはなかった。もっともユリ自身が夜会に出ることはほぼないし、出たとしても彼女の本来の髪色の「死に戻り」の色せいで近寄って来る人間もいなかったのだが。


「俺とユリさんじゃ真逆なのに、悩みは似てるんだ」

「そうね。もしかしてレンさんも既製服とか靴とかサイズがなくて苦労したことある?」

「しょっちゅうあるよ。何かあってもすぐにどこかで手に入れたり借りるのも出来ないからどうしてもオーダーが多いんだけど。その中でもなるべく丈夫なのを選ぶようにしてる」

「分かる!じゃあ奇跡的に合うサイズのが見つかったらまとめ買いは?」

「するよ。もう入るだけで奇跡だから、よっぽどじゃなければ好みとか無視であるだけ買っておく」

「やだ、おんなじ!私の場合は子供服は入ることがあるんだけど…ちょっとデザインとかはムリで」


一瞬ユリは「胸のサイズが合わない」と言いそうになって、別のことに言い直した。さすがにそこまで正直に言うのは羞恥の方が勝った。

基本的にレンドルフもユリもオーダーメイドの服が多いのだが、レンドルフは鍛錬、ユリは薬草の手入れや調薬作業などですぐに服が傷むことが多いので、そういった時用に気兼ねない安価のものを置いておきたいタイプだった。


「俺は入ったと思ったら獣人用のことが多くて。でも気をつけないと尻尾用の穴があったりするから」

「それは間違ったら大変よね」


獣人は、外見が人間と大差ない種族もいるが大きく異なる種族の方が多い。その為人間とは違って規格外に大きいサイズも存在しているが、多くの場合ズボンなどの尻の部分に尻尾を出す穴が開いている服が多いのだ。時折サイズに合わせて穴を開けてくれるサービスもあるので穴のない場合もあるが、大抵は穴のあるデザインばかりだった。

レンドルフはうっかり過去に数回買ってしまって、一度も着ないままクロヴァス領にいる獣人の騎士に送ったことがあったのだが、そのことは黙っておくことにした。


大柄なレンドルフと小柄なユリ。正反対ながらも奇妙な共通項を見つけて随分と会話が盛り上がってしまい、気が付くととっくに昼を過ぎていたのだった。



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